第二十八話「虚白、記憶を拒む理由」
《記憶の海》へと向かう最後の道。
そこに立ち塞がっていたのは――
虚白の王、ナモノ本人。
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彼の姿は、もはや人間とは呼べない。
肌も影も、音も意味も持たず、
ただ“概念の抜け殻”のように、存在していた。
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その声は、言葉として成立せず、
だが確かに、脳に直接“問い”を送り込んでくる。
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「カイよ――なぜ、お前はまだ“記憶”に縋る?」
「その“名”は、もう現実に存在しない」
「“想い出”などというものに、何の意味がある?」
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カイは譜面を握りしめる。
「……意味があるかなんて、わからない。
でも、“意味を問い直す”ために、記憶はあるんだろ?」
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ナモノは、ゆっくりと歩み出す。
「私もかつて、“記憶”を愛した。
他人の想い、過去、痛みすら、魔法として残した。
……だが、その果てに見たのは、“決して癒えない呪い”だった」
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彼が右手を上げると、世界が“意味”を失い始める。
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【記憶魔法・純白消滅】
効果:対象に関わる全ての“記憶構造”を無痛化・無価値化する
特性:対象は“思い出に意味がなくなった”と感じ、行動原理を喪失する
代償:術者は、世界との“感情的つながり”を完全に喪失し続ける
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カイの胸にある“ティラとの旅の記憶”が、
白く、淡く、色を失いかける。
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――だが、その時。
カイはゆっくりと、自分の譜面を広げた。
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【記憶魔法・語継】
効果:既に失われた者との記憶を、“語り継ぎの言葉”として変換し、現実に残す
特性:この魔法は“記録”ではなく、“物語”として記憶を紡ぎ直す
代償:術者は“語った内容”を二度と思い出すことができなくなる
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「俺はもう、“記録”なんて要らない。
ただ――“語りたい”んだ。
君がいたことを、俺の言葉で」
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魔法が発動し、ティラとの記憶が“語られた物語”として周囲に広がっていく。
それは光にも、音にも、記録にもなれない。
けれど、心のどこかに、確かに触れる温度を持っていた。
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ナモノの“アネステジア”が崩れていく。
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「……なぜ、語れる。
お前も痛みを知っているはずだ」
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カイは静かに目を閉じ、答えた。
「痛いさ。何度でも胸を裂かれる。
でも――だから“忘れたくない”と思えるんだ。
それが、“俺の祈り”だよ」
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その言葉に、ナモノの“心”が、初めて揺れる。
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かつて、自分も誰かに名前をもらった。
“記録”されない愛情が、確かにそこにあった。
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ナモノは、頭を抱えた。
「……思い出すのが怖い。
私が“人間だったこと”すら、もう怖いのだ」
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カイは、手を差し出す。
「なら、思い出さなくていい。
代わりに――俺が語る。君の名前を。君の想いを。
……それで、世界に残そう」
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ナモノの身体が、静かに砕け始める。
だがそれは、敗北ではなかった。
むしろ、“痛みを抱く人間”としての原点に戻る姿だった。
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「……ありがとう、“語る者”よ。
忘れたと思っていた名前が、確かに今、胸に届いた」
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虚白の王は崩れ、消える寸前に、
微かに“微笑んだ”。
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《記憶の海》への道が開かれた。
最終封印の地。
世界の“原初の記憶”が眠る、あの場所へ。
カイは、一人静かに歩き出す。
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「ティラ。最後の扉を開けに行こう。
お前が、“忘れられてもいい”と願った、その先へ」




