第二話「記憶を使えば、失われる」
廃墟の天井から光が差し込む。
重く沈んだ空気の中を、二人の足音だけが鳴り響く。
カイは、少女――ティラと名乗ったその者と共に、崩れた通路を抜けていた。
足元には苔と灰が積もり、壁にはかつて文明の痕跡と思しき呪術回路の刻印が残っている。
「なあ……本当に、俺が……世界を壊したのか?」
沈黙を破ったカイの声は、どこか頼りなかった。
答えを期待しているわけでも、否定してほしいわけでもない。ただ、“知りたい”という渇きがあった。
ティラは立ち止まり、静かにカイを見つめた。
「それを、知るために旅をするのです。覚えている限り、私はそれしか知りません。
――ただ、一つだけ、あなたはその力を自分のためにではなく、“誰か”のために使ったように見えました」
“誰か”。
その言葉が胸に刺さった。心の奥で、小さな声が叫ぶ。
――忘れてはいけない、と。
そのとき、瓦礫の影が不自然に揺れた。
カイが即座に反応する。
「伏せろ!」
叫ぶと同時に、影から何かが跳ねた。
黒く染まった獣――否、“人の形をした何か”が、両腕を地面につけて四足で跳躍してくる。
顔は半ば崩れ、瞳は空っぽ。
それは明らかに生者ではなかった。
「――虚白……!」
ティラの声が震える。
この世界における“記憶を使い果たした人間の成れの果て”。
意識も理性もない、ただ“本能だけ”で動くもの。
カイは反射的にポーチから細い筒状の魔具を取り出す。
「俺にも使えるのか……?」
手が勝手に動いた。魔具が起動し、浮かび上がる魔術刻印――。
【記憶魔法・焔刻】
代償:弟と笑った最後の夏の日の記憶
その刻印に、記憶が反応する。
脳の奥で“何か”が焼き切れる感覚。刹那、魔具が紅蓮の魔力を帯びた。
カイの掌から、爆ぜるような熱波が放たれる――!
虚白の身体が爆音とともに吹き飛び、壁に激突した。
だがそれでも、立ち上がる。
皮膚は焦げ、片腕が焼け落ちているのに、呻くことすらない。
「……化け物め……!」
もう一度、“焔刻”を使おうと魔具に意識を集中する――が。
動かない。
カイの肩が震えた。
頭の奥が痛い。なにか大切な記憶が、確かにそこにあったのに。
もう、思い出せない。
「……誰だったんだ、今の記憶……」
ティラがカイの前に出る。
「もう、私がやります――!」
少女の手が光を帯びる。
【記憶魔法・澪閃】
代償:雨の日、読んだ詩の一節
彼女の指先から走ったのは、一条の青白い閃光。
虚白の胴体に直撃し、内部から爆ぜるように弾ける。
虚白は、呻くこともなく崩れ落ちた。
静寂。
カイはその場にしゃがみ込む。
額には汗。手は震え、胸には空洞のような喪失感。
「……本当に、記憶が……なくなったんだな」
呟いたその声には、怒りも、恐怖も、なかった。
ただ――**「悲しさ」**だけが残っていた。
ティラはカイの隣に座った。
「そうです。魔法は、確かに“代償”を払います。
でも――その想いがなければ、きっと、助けられなかった」
「……俺は、これからいくつ、こうやって……何かを失っていくんだろうな」
「では、それでも前に進みますか?」
カイは答えなかった。
だが、やがて静かに立ち上がった。
その背中が、ほんの少しだけ、強く見えた。