第二十五話「棄てられた祈りの封印」
虚白の王が去った後の灰誓の地は、
まるで時間すら燃え尽きたかのように静まり返っていた。
ティラは、譜面に指を添えたまま、何も言わずに空を見上げる。
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「……“彼”には、本当に名前があったんだね」
「そうだ。……でも、もう誰にも呼ばれない」
「でも――私の心には、確かに残ってるよ。“その人”がいたってこと」
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カイはゆっくりと頷く。
彼女の中で確かに息づく、“忘れられても、確かにあった”存在の記憶。
それが、“記録されなかった者”たちのための祈りなのだ。
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二人は、最深部の《記録核ノモログス》の前に立つ。
それは、世界中の“消された記憶”と“書かれなかった祈り”を呑み込み続ける、
いわば“世界の記憶の心臓”。
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カイが口を開く。
「……ここに、俺たちの“原罪”がある。
兵器として記憶を使った、罪そのものが」
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ティラはその核に手を伸ばす。
「でも、そこには……誰かが生きようとして残した、祈りもあるはず」
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彼女の譜面が、穏やかに光る。
【記憶魔法・封詞】
効果:強制的に封印された“記録されなかった祈り”を再解釈し、永遠に忘却されない構造に変える
特性:対象の“存在理由”を再定義するほどの強力な魔法
代償:術者は、“再定義された祈り”と同一化し、個体としての記録を世界から抹消される
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カイが彼女の手を止める。
「ティラ……それを使えば、お前はもう、“名前を持つ存在”じゃなくなる。
祈りと融合して、ただの“想い”になっちまう」
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ティラは、微笑む。
「それでもいい。私は、誰かに記録されるより――
“誰かを信じて歌ったこと”を、記録にしたい」
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譜面が光に包まれ、灰誓の空に“旋律”が放たれた。
それは祈りの歌。
記録されず、誰にも語られなかった死者たちのための鎮魂。
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世界はそれを、言葉としては記録しなかった。
けれど――風がその旋律を抱き、どこまでも運んでいった。
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ティラの姿は、次第に薄れていく。
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「ティラ――!!」
カイが駆け寄る。
だが、もう彼女の体は光の粒となって崩れていく。
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「……カイ。私はもう、“誰にも呼ばれない名前”になるよ。
でも、それでもいいの。あなたが“覚えててくれる”なら。」
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最後に、彼女の唇が静かに言葉を紡ぐ。
「……ありがとう。私に“名前”をくれて」
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――ティラは、“封印の旋律”となり、《記録核》と共にこの地に溶けていった。
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カイは静かに、譜面の断片を抱きしめる。
彼女の名を、魔法で呼ぶことはもうできない。
だが、心に残った旋律だけは、何度でも思い出せる。
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「……ティラ。お前が記した“棄てられた祈り”は、俺が生きてる限り消えない」
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彼は旅を再開する。
だが、もう“誰かの記憶”を辿る旅ではない。
“想いを記す”旅として――




