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『記憶の海、沈まぬ君へ』  作者: 梅犬丸
第三章『失われし海に死者は歌わず』
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第十九話「失われし海に死者は歌わず」

 記憶の書庫ノーネイム・アーカイブを後にした二人は、

 記憶の海の最深部、《語られざる浜辺》へと辿り着いた。


 そこは、あらゆる記憶が流れ着き、最期に静かに沈んでいく場所。

 名も、姿も、意味も、全てを失った“終わりの記憶”だけが在る。



 浜辺の中心に、黒い棺があった。


 それは「最後に“記憶から消されることを望んだ者”」の記憶の残骸。

 そしてティラは、それに近づくなり――泣き崩れた。


「わかる……これ、あたしの記憶……」



 彼女の脳内に、過去が溢れ返る。


 浮かぶ記憶――


 炎に包まれた街。

 終末魔法を発動する“少女”。

 それを止めようとした少年。

 だが、少女は“自分の名前”を捨てて、魔女になった。



 そこにいたのは、確かに“今のティラ”と同じ顔の少女。

 しかし、感情は違う。“無”だった。



「……私はティラじゃない。

わたしは……“世界を壊した記憶”……」



 ティラがゆっくりと、自らに向かって語りかける。


「じゃあ、“ティラ”は何? 魔女の記憶が作った偽物?

 それとも、誰かが記憶を植えつけた、ただの器?」



 そのとき、カイが彼女の手を取った。


「――違う。

ティラって名前を呼んだとき、お前はちゃんと笑った。

それだけで十分だ。

記憶がどうであれ、“笑ったお前”が本物なんだよ」



 ティラが目を見開く。


「でも、私が“私じゃなかったら”……」


「それでも、俺が“君を呼ぶ”なら、それで世界は一度、確かになる。

 記憶じゃなく、言葉が“存在”を証明するんだ。」



 ティラの体に、棺から黒い魔法が侵食し始める。


 記憶と一体化すれば、真実を得られる代わりに“今のティラ”は消える。



 そのとき、ティラが口を開いた。



「……私の“名前”は、ティラ・ルミエ。

たとえ、誰かの記憶から作られた存在だとしても、

“今ここにいる私”がそう名乗るなら、それが本物」



 彼女の譜面が光り、記憶の黒を跳ね除ける。



【記憶魔法・命名詩ノミネ・ヴェルス

効果:記憶と自我が乖離しかけた時、自らの名を再定義することで存在を再固定

特性:“名乗る力”によって記憶汚染から回復

代償:過去の“真実の記憶”を永久に封印する



 棺が砕け、黒い海は静かに消えていく。


 ティラは、今ここに――“自分自身の名前”で、存在し続けることを選んだ。



「カイ……」


「……ああ。おかえり、ティラ」



 彼女は小さく笑い、頷いた。


かつての終末魔法を生み出した記憶。

 その一部は、今もティラの中にある。


 だが、彼女はそれを**“思い出さずにいること”で受け入れた**。


 自分は誰かの模造かもしれない。

 でも――“今”ここにいて、呼ばれ、笑うことができる。


 それが本当の「生きている証」だ。



 一方その頃、《虚白》の奥深く。


 復活の兆しを見せる影がひとつ。


「記憶は終わらせる。名前も、過去も、痛みも……

この世界に、“無”を取り戻すために――」


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