第十三話「記憶の海、沈まぬ君へ」
空は深い青を湛えていた。
セファリアを後にして、彼らは南の果てにある“存在しない町”へ向かっていた。
――《ソウ》。
それは地図から消えた町。
記録からも、譜面からも、すべての記憶から“沈められた”場所。
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「ティラ、……お前、何か見たな?」
移動中、カイ(セリオン)が問いかけた。
魔法《名唱奏》の代償――
“呼んだ者の未来の一部を背負う”その影響で、彼女の目に一瞬、強烈な幻視が走っていた。
ティラはうつむいたまま、静かに頷く。
「見たよ。“あなたの終わり”。でも、最後に――私が手を伸ばしてた」
カイは目を閉じ、空気を噛みしめる。
「未来がどうであろうと……もう逃げない。
ソウに、まだ“沈んでない記憶”があるなら――それを俺が、引き上げる」
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辿り着いたのは、まるで“町の亡骸”だった。
建物は存在するが、人の気配は一切ない。
譜面は真っ白。空には音がない。
そこはまさに、“世界から見放された空間”。
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だが、ティラの手に持つ譜面だけが、微かに共鳴していた。
「……呼んでる。“君がまだ、ここにいる”って」
カイが目を細める。
――思い出せ、俺が“失った名”。
微かに香る、海の潮風。
遠い記憶の中、少女が笑っていた。
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「あたしの名前、忘れないでね。忘れたら……沈んじゃうから」
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その瞬間、周囲の空間が歪んだ。
黒い波が地面から湧き上がり、町全体を飲み込もうとする。
「……来たか。“記憶の泥”の核」
そこに現れたのは、今までの黒衣とは異なる存在。
仮面をつけ、両手に“二重の譜面”を持つ女――
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「この町の記憶は、私が“封じた”。
君が呼ぼうとする“その名”こそ、すべての鍵。
君が思い出せば、この世界に“戦いが戻る”」
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ティラが立ち塞がる。
「それでも、私たちは名前を呼ぶよ。だって、それが君を存在させた証だから!」
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【記憶魔法・深層解放】
効果:自らの記憶の深層を海として解放し、封じられた“記憶の地”を再現・喚起する
特性:発動と同時に、使用者は“記憶そのもの”と融合し、一時的に人格の境界が崩壊する
代償:魔法が終わるまで、使用者は“今の自分”を喪失する(行動・言葉・思考がすべて“過去の自分”になる)
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空が崩れる。
海のような蒼い光が広がり、カイの周囲に“かつてのソウ”が再現された。
花の咲く丘。透明な川。風鈴の音。
そして、そこにいた少女。
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「……名前、呼んでくれる?」
その声を聞いた瞬間、セリオンの目が濡れた。
「ああ……“イシェナ”。」
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呼んだ。
忘れたくなかった名。
守れなかった少女の名。
自分が“過去を封じた”理由そのもの。
その名を呼んだ瞬間、世界に亀裂が走る。
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黒泥が弾け、仮面の女が苦悶の声を上げる。
「馬鹿な……名を呼ぶだけで、“結界”が壊れるだと……」
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ティラが譜面を展開し、叫ぶ。
「記憶は、消えない。
想いは、沈まない。
君がくれた旋律は、私たちの中にずっと残ってる――!」
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イシェナの幻影が、静かに笑った。
「セリオン……“わたし”は、ちゃんと生きてたんだね」
そして、微笑みながら、旋律に溶けていく。
“記憶の海”に沈まずに――“君の中”に。
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▼エピローグ
“ソウ”の町は再び記録に浮上した。
人々の記憶の中にも、町の名が戻りつつある。
カイ――セリオンは、かつてより少し穏やかな顔で、ティラに微笑んだ。
「ありがとう。名を返してくれて。
俺はもう、“誰かの名前”を沈めたりしない」
ティラも微笑み返す。
「沈んだって、引き上げる。
記憶の海がある限り――私たちは、何度でも繋がれるから」




