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『記憶の海、沈まぬ君へ』  作者: 梅犬丸
第二章『想起する剣は血を流さない』
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第十話「旋律なき戦場」

セファリアの街に沈黙が続く。

 鐘楼は揺れ、旋律は歪み、譜庫には「名もなき譜面」が静かに積まれていく。

 それは、確かに“戦争”だった。

 ただし剣も爆薬もなく、記憶と言葉と魔法だけで侵食する、静かな戦場。



 カイはあの夜、ひとつの問いを胸に残したまま、譜庫の屋上で空を見上げていた。


「――俺は、誰を守るために戦ってる?」


 《双影防壁》を使った代償は、まだ体の奥でくすぶっていた。

 昨日まで呼びかけられていたはずの“名”が、ふとした拍子に口をついて出ない。

 なにか大切な旋律が、胸の奥からゆっくり抜けていくような感覚。



「……君が、記憶を盾に戦うなんて、最初は信じられなかった」


 アウラが隣に座る。譜面を胸に抱えながら、風を感じていた。


「でも今なら、少し分かる。私たちは、歌うために覚えているんじゃない。

 呼びかけるために、思い出そうとしてるんだよね」


 カイは小さく頷いた。


「それでも……その名前を呼べなくなるなら、俺は本当に、“俺”なのか?」


 アウラは、カイの手をそっと取る。


「覚えてるよ。“君が忘れたくなかったもの”は、ちゃんとここに残ってる」



 翌日、街の南――旋律発電塔が沈黙した。


 音を失った発電塔。それは、街そのものの**“鼓動”の停止**を意味していた。


「このままじゃ、セファリア全体が崩壊する……!」


 ティラが叫んだ。

 各地で“音律魔導”の停止による事故が起こり始めていた。


 そしてそこには、またもや“旋律を喰う黒衣の者たち”の影があった。



「行くよ」


 カイは立ち上がり、魔導具を腰に固定する。


「今回ばかりは――戦う覚悟がいる」


 ティラも頷いた。

 彼女の魔導譜板はすでに起動していた。

 “記憶の旋律”を響かせる準備は、できている。



 発電塔前――そこには、3体の黒衣の魔導兵が待ち受けていた。


 いずれも人型でありながら、顔の表情は“無”だった。

 感情も名も奪われたまま、“記憶魔法”によって動かされる操兵。


「……あれ、人間だったはずだよ」

 アウラが苦悶の声を漏らす。


「“記憶ごと、人としての輪郭を削がれた”存在だ。

 名前も、過去も、感情も――すべて、消されてる」


 それでも、敵は容赦なく襲いかかってくる。



「いくぞ――!」


 カイの足元に、魔法陣が広がる。

 その中心には、過去の記憶が滲んでいた。



【記憶魔法・追想連撃ノスタルジア・ブレイド

効果:過去の記憶を剣に変換し、連続攻撃を繰り出す魔法。

特性:記憶の強度に比例して、攻撃速度と威力が増す。

代償:1回の攻撃ごとに、使用者が“その記憶と同じ感情”をもう一度体験しなければならない。連発すると精神を摩耗させる。



 一閃。カイの手に現れた刃は、かつて兄に譲られた“竹刀”の記憶。

 温かく、そして苦かった。


 二閃。続いて現れたのは、“初めて誰かに裏切られた日”の痛み。

 その苦しみが刃に転化され、斬撃が加速する。


 三閃。最後に放ったのは――“今はもう思い出せない誰かの涙”。

 刃は鋭く、だがそのぶんカイの呼吸は荒くなった。



「お前らみたいに、“痛みを感じない魔法”には負けねぇよ……!」


 だが、代償も確かだった。

 カイの手は震え、目が霞む。記憶の奥で、感情が波立っていた。



 その隣で、ティラが手を翳す。



【記憶魔法・共鳴律リズ・リメンブランス

効果:周囲の“共鳴可能な記憶”と繋がり、仲間の精神状態を安定化させる。

特性:使い手が“相手の記憶と共鳴”する必要がある。精神を同調させすぎると、使い手の心が一時的に不安定になる。

代償:使用中、ティラは“自分自身の記憶”を一部抑制し、他者との境界を曖昧にする。



 ティラの魔導譜面から柔らかな旋律が流れる。

 カイの記憶と重なり合い、揺らいだ精神が静かに戻ってくる。


「……ありがとう。まだ……立てる」


「当たり前。あんたが沈むなら、私も沈むって、言ったでしょ?」



 共鳴。連携。記憶の断片が繋がる。

 それが、セファリアという街の“生き方”だった。



 そして、アウラもまた譜面を広げる。

 あの日、師匠が残した“子守歌”の断片が、風に乗って揺れていた。


「たとえ旋律が途切れても、想いは残る。

想いがある限り、記憶は――生きている!」



 三人の記憶が重なり、黒衣の兵は沈黙した。

 名を奪われ、記録されることのなかった存在。

 それでも、彼らを斃すということに、後味の良さなどなかった。



 戦いの後、発電塔は静かに再起動した。

 セファリアに微かな音が戻る。


 けれど、誰の中にも――小さな「空白」が残されていた。


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