表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

「心優しき令嬢の復讐」シリーズ

転生悪役令嬢の憂鬱と人生やり直し侍女の献身(『心優しき令嬢の復讐』シリーズ3)

作者: たまふひ

 この作品は『心優しき令嬢の復讐』シリーズ第三弾です。読み切りではありますが、前二作の続編にもなっていますので、先に「乙女ゲームの断罪の場に転生した俺は悪役令嬢に一目ぼれしたので、シナリオをぶち壊してみました!」と「敵国の姫騎士と恋の駆け引きをしていたら、転生者の悪役令嬢が絡んできました!」を読んで下さい。

 やっと就職した会社も予想通りブラックだった。


 俺はその日の朝、前日の疲れが残ったまま、トボトボと最寄りの駅までの道を歩いていた。


「虎次郎! ダメ!」


 見ると一匹の子犬が、リードを引きずったまま道路に飛び出している。叫んだのは飼い主らしい少女だ。何かの拍子でリードを手から離してしまったらしい。


 子犬が飛び出した先にトラックが走ってきた。


 ああ、これはダメだと思った瞬間、少女は再びリードを手にしようと道路に飛び出した。


 次の瞬間、俺は道路に飛び出していた。間に合うわけがないのに俺は何を考えていたんだろう。いや、覚えている。


 なんで犬が虎次郎なんて名前なんだ!

 しかも白い犬じゃないか! 


 確かあの瞬間、俺が考えていたのはそんなことだった。くだらない。これまでの人生で人助けなんてしたこともなかったのに。あのときの俺はどうかしていた。もしかして犬好きだった美月のことが・・・影響でもしたのか・・・。


 そしてその後、間違いなく俺が死んだこと以外は何も覚えていない。


 次の瞬間俺が目にしたのは、「エカテリーナ・ボルジア! 僕、オーギュスト・デナウはお前との婚約を破棄する!」と叫ぶオーギュストと笑みを浮かべてそれを睨み返すエカテリーナの姿だった。


 その後、俺に起こったことを思い出すと腹が立つ。だいたい、子犬と少女を助けようとして死んで転生したんなら転生先では幸せになるのが普通だろう。


 それなのに・・・。





★★★ 





 エカテリーナは義母の王妃ミランダ、義姉の王太子妃エリザベスと王宮の中庭にある東屋でお茶を楽しんでいた。


義母おかあさまそれはどういう意味ですの」

「いえね、私の侍女のエルサが、未来が分かるって言うのよ」


 もしかして、またもや転生者なのだろうか? それとも・・・。


「未来が分かるって予知能力みたいなものがあるって言ってるのですか?」

「エカテリーナ、それがもっと突拍子もないことを言っているのよ」

「突拍子もないこと?」

「それがね、エルサは今2回目の人生を経験してるって、だから未来が分かるって言うのよ」


 もしかして、エカテリーナもよく知っているあれなのだろうか。人生をループするとか、やり直すとか、そんな話はラノベやアニメではよくある。しかもここはもともと前世の乙女ゲーム『心優しき令嬢の復讐』の世界だ。


「それがね。エカテリーナには言い難いんだけど、どうもエルサは同僚の侍女に自分がダイカルトと結婚することになってるはずだったのに、前の人生と変化してるとかなんとか、私にもよく分からないようなことを言ってるらしいのよ」

「夢見がちにしてもそれは行き過ぎですわね」


 呆れたといった顔でそう言ったのは王太子アルベルトの妻のエリザベスだ。


義母おかあさまエルサは他にも何か言っているのですか?」


 気になったエカテリーナは尋ねてみた。


「それが、私もよく知らないんだけど聖女様がどうとか・・・」

「聖女様・・・」

「そんなバカな! 聖女様って古の大帝国の基礎を築いたっていう、あれでしょう」


 エリザベスは、そのエルサとか言う侍女をなんとかすべきだと、今度は本気で怒っている。


「それはそうなんだけど、意外と仕事はしっかりしてるし評判は悪くないのよ。ダイカルトがエカテリーナと結婚したでしょう。それでほかの侍女たちから嘘つき呼ばわりされてね。ちょっと虐められているらしいのよ」


 エカテリーナは人生をやり直しているという侍女エルサについて考えてみた。


 もしかして、『心優しき令嬢の復讐』には私の知らない例えば帝国編なんて続編でもあって、私のせいでシナリオを外れてしまったなんてことがあるだろうか? だとしたら、私はそのエルサって娘からダイ様を奪ってしまったのかしら?


 そういえば、『心優しき令嬢の復讐』にはちょっとしたファンタジー要素もあった。舞台となった学園では魔法の授業なんてものもあった。大体この世界が中世ヨーロッパ風なのにとても快適なのは科学の代わりに魔法があるからだ。要するにご都合主義である。男子生徒には魔物の討伐訓練なんてものもあったはずだ。


 エカテリーナも氷魔法が使える。悪役令嬢だけあって、そこそこ能力は高いがストーリーにはあまり関係なかったはずだ。せいぜい魔法の授業でサーシャにちょっとした嫌がらせをする程度だ。そんな『心優しき令嬢の復讐』の続編なら、確かに聖女様なんてものが出てきてもおかしくなさそうではある。


 それよりも気になるのは、ラノベなどでよくあるゲームの強制力ってやつだ。ゲームの強制力というのはエカテリーナのような転生者のせいで、一旦シナリオを外れても、元に戻ろうとする力のことだ。もしそんなものがあるのなら、ダイ様は・・・。


 バカバカしい。エカテリーナは愛するダイカルトのことを思い浮かべると、そんな考えを頭から追い払った。


「まあ、さすがにダイカルトのことを話しに出されては黙っているわけにはいかないわ。いくらなんでもダイカルトが侍女と結婚するはずだったなんて荒唐無稽にもほどがある。例えダイカルトがエカテリーナと結婚するって言い出さなかったとしても、オルランド家のご令嬢なんかどうかしらって思っていたのよ。侍女なんてありえないわ。エルサのことは、さすがにちょっと注意しとこうと思っているの」


 エカテリーナが聞いたところでは、そのオルランド家のご令嬢は今では宰相様の元で官吏としての勉強に励んでいるらしい。

 女性としては異例なことだが、ダイさまの結婚相手と義母おかあさまが考えていたぐらいだから優秀な人なのだろう。本人も官吏としての仕事にやりがいを持って頑張っていると聞いている。将来は帝国初の女性宰相になるかもね、などと義母おかあさまが褒めていた。


義母おかあさま、エルサをあまりきつく叱らないであげて下さい。少女が王族との結婚に憧れるなんていうのはよくあることですから」

「エカテリーナがそう言ってくれるのなら、そうするわ。実際、それ以外はとても良い娘なのよ。これ以上変なことを言って、虐めが酷くなったりしないといいんだけど」


 エカテリーナの義母にして皇妃ミランダは「この話はこれでおしまい」と言って話題を変えた。


「あの人の野心にも困ったものだけど、あなたとダイカルトおかげで戦争にはならなくて済みそうで良かったわ」


 そう、ダイカルトの提案したカイルベルトと姫騎士セリアの結婚はジェズアルド王に認められた。

 

「最初に聞いたときは上手くいくとは思えなかったけど、本人たちが乗り気なのには驚いたわ」と王太子妃のエリザベスがそう言うと、王妃ミランダは「カルベルトはセリアに手玉に取られたっていうのに相変らず人が良すぎるわね」と相槌を打った。


 ダイカルトが言った通りカイルベルトはセリアを愛していた。やっぱりダイ様の言うことに間違いないとエカテリーナは思った。


 そして姫騎士セリアのほうもエカテリーナの予想通りカイルベルトを愛していた。ということは、セリアは転生者で間違いないだろうから、いつかじっくり二人で話をしてみたいとエカテリーナは思っているが、今のところそれは叶っていない。


 ダイカルトとエカテリーナのときに続いて慌ただしい結婚披露パーティーがまたもや行われた。ただ、違っていたのは、二人の結婚の経緯から帝国の王子にしては非常に質素なパーティーだったということだ。


 そして、カルベルトはすでにマルマイン王国のアルストン辺境伯領にいる。カイルベルトが婿入したからだ。 

 

 すべてエカテリーナの夫であるダイカルトが上手くジェズアルド王とアルベルト王太子を丸め込んだおかげだ。


 エカテリーナが聞いたその経緯はこんな感じだ。


 最初に、ダイカルトはジェズアルド王に「父上、そろそろ皇帝になってはいかがでしょう」と切り出した。


 ゲナウ帝国は前王の時代から帝国を名乗っている。傘下にある小国が増えたからだ。だが王は王のままだ。


「デナウ王国も我妻の実家であるボルジア家のおかげで我らには頭が上がらない状況です、その上、カイルベルト兄上と姫騎士セリアが結婚すればマルマイン王国へも楔が打てます。ボルジア侯爵家はデナウ王国一の武門の家、そしてアルストン辺境伯家はマルマイン王国一の武門の家なのですから。おまけに両家とも現当主は一人娘を溺愛していることで知られています。この結婚をまとめた上で、父上はそろそろ皇帝を名乗るべきです」


 ダイカルトの言葉にジェズアルド王は喜んだ。


 言われてみればその通りだ。古の大帝国のように、我が国はどんどん拡大していくだろう。そうだ皇帝を名乗るべきだ。なぜ、今までそうしなかったのか不思議なくらいだ。


 まあ、ジェズアルド王は、おそらくそんな風に思ったのだろう。すっかりその気になったジェズアルド王は、満面の笑みでダイカルトが提案したカイルベルトとセリアの結婚に同意した。


 そこで、ダイカルトは「我が帝国が後ろ盾になればもともと国民に人気のある姫騎士セリアのマルマイン王国での存在感は増し将来二人の子供が、現マルマイン王の子供たちを退けマルマイン王国の王になることも夢ではないでしょう。アルストン辺境伯夫人は王家の血を引いているのですから、まったくおかしなことではありません」と締め括ったらしい。


 さすがダイ様だ。

 

 そしてその決定に、カイルベルト自身が乗り気だってことで、実は少し線の細い次男のことを気にかけていたジェズアルド王は「ダイカルトの言う通りだったな」と喜んだ。


 ジェズアルド王の説得が成功した夜、ダイカルトは「悪役令嬢たる妻の期待に応えるのもなかなか大変だ」と言ってエカテリーナを抱きしめた。そして「でもカーチャ、きみに褒めてもらえる喜びに比べればなんでもないけどね」と言ってエカテリーナを抱きしめる手に力を込めたものだ。


 ダイ様・・・。


「エカテリーナどうかしたの? 心ここにあらずって感じだけど」

「も、申し訳ありません。義母おかあさま

「大方、昨日の夜のことでも思い出していたのでしょう」


 エカテリーナの義姉おねえさまは意外に鋭い・・・。





★★★





 私は、少し離れた植え込みの陰からエルサを観察していた。


 エルサが同僚らしい侍女と何か話をしている。私は集中して聞き耳を立てる。


 私はこっそり知り合いの侍女に頼んで、エルサの悪口を言いふらしたりなどの嫌がらせをさせているが、まだこうやって話をする同僚もいるようだ。


「エルサ、ダイカルト様と結婚することになっていたなんて嘘をついてはダメよ」

「嘘じゃないわ。ダイカルト様は私と結婚することになっていたはずなのに。あんなよその国から来た評判の悪い人となんて。おかしいわ!」


 エルサはぷんぷんと怒って反論している。


「でも、エカテリーナ様は、全然悪い人じゃないじゃない」


 侍女のエルサがダイカルト様と結婚だなんて・・・。物語の世界でなら、帝国の第三王子と侍女との道ならぬ恋なんていうものがあってもおかしくないけど・・・。


「とにかく、私はダイカルト様と結婚するはずだったのよ」


 なおも、エルサが言い張る。


「エルサ、そんなことを言うのは止めなさいって言ってるでしょう。また虐められるわよ。こないだは王妃様にも注意されたんでしょう?」

「そ、それは、そうなんだけど」


 エルサの大きな目から涙が零れた。


「本当なのに、誰も信じてくれない・・・」


 うーん、やっぱりエルサは本気で信じているんだろうか? でも、すでにダイカルト様は・・・。


「そうだ! いいことを教えてあげるわ、ジリ」

「いいこと?」

「もう少ししたら、マルマイン王国に聖女様が現れるの」

「もう、エルサったら、こないだもそんなことを言っていたわよね。あらゆるものを癒やす力を持っているっていう伝説の聖女が現れるとか?」

「そうよ。マルマイン王国は、マルマイン王国を我が物にしようとする帝国を聖女様と姫騎士セリア様の力で・・・。これ以上は言えないわ。わたし、殺されちゃうもの。わたしってね、ダイカルト様と結婚してわりとすぐ死んじゃったの。ダイカルト様も・・・。今度はそうならないようにアドヴァイスしてあげようと思ってたのに、ダイカルト様は突然エカテリーナ様と結婚しちゃうし、私どうしたらいいのか分からなくて」


 エルサはまた泣き出してしまった。 


 エルサ、なんてことを・・・。帝国も・・・ダイカルト様もなんて・・・。そんなバカな。でも、聖女様なんて、エルサが想像で思いつくようなことだろうか?


 もし本当に聖女様がマルマイン王国に現れたらどうすれば・・・。


 いえ、落ち着くのよ。まだエルサの言っていることが本当がどうかわからない。どうも私はダイカルト様のことになると冷静さを欠いてしまう。

 

 私はそこまで盗み聞きしたところで、その場をそっと離れた。





★★★





「カイル様、聖女様はどうやら本物のようです」

「セリア、まさか・・・」


 セリアの報告にカイルベルトは言葉をつまらせた。


「カイル様、もしかして私がまた駆け引きをしていると思っているのでは?」


 セリアがちょっと怒ったような口調で言った。


「い、いや、セリア・・・僕は決して・・・」


 セリアはカイルベルトの慌てた様子に、ちょっと笑うと「カイル様が、そんなに動揺するなんて思いませんでしたわ」と拗ねたように言うと、カイルベルトに身を寄せた。


 そして少し小声で「でも、無理もありません。私、あんな形でカイル様を」と言って少し項垂れた。


 カイルベルトはそんなセリアを見て、ふーっとため息ついた。結局、カイルベルトはセリアには勝てないのだ。


「すまない、セリア。聖女様が本物であれば、マルマイン王国の大きな武器になる。なんせ、古の言い伝えでは聖女様を有したアトラス王国がアトラス大帝国になったのだからね」

「ええ、ですから聖女様が本物であればカイルベルト様の母国であるゲナウ帝国も簡単には我が国に手を出せなくなる」


 カイルベルトの言葉をセリアが引き継いだ。カイルベルトは、しかもマルマイン王国には姫騎士だっているんだからね、と言ってセイラを引き寄せた。


 すっぽりとカイルベルトの両手に収まったセリアよりほんの少しだけカイルベルトのほうが背が高い。カイルベルトはセリアに対して愛おしさが込み上げてくるのを抑えることができなかった。

 最初にセイラを見たとき、なぜ女性にしては少しガッチリしすぎているなんて思ったのだろう。セリアはこんなに可愛らしいのに。


「カイル様、さっきも言ったように私が見てきたところでは聖女様は本物です。でも、万物を癒やすという聖女様の力がどの程度のものなのかは、まだ分かりません。私が見たのは怪我人を治療するところだけですから。それでも聖女様が不思議な力を持っていることは間違いありません」


 セリアは王都まで行って聖女様を見て帰ってきたところなのだ。


「セリア、そんなことを僕に話して大丈夫なのかい? 聖女様の力がどの程度のものか、まだはっきりしないとしても、ゲナウ帝国、特に僕の父上にとっては面白くない話だ」

「大丈夫に決まっていますわ。カイル様は私の愛する夫ですもの。私もお父様もマルマイン王国が帝国の傘下になることは望んでいません。ですが、その逆だって望んでいないのです」


 カイルベルトはセリアの目を見た。


「カイル様、また私の本心を確かめようとしてますね? あんなことがあったのだから無理もありませんけど、私、ちょっと寂しいですわ」


 セリアがちょっと拗ねたように言った。


 それを見たカイルベルトは、僕は、やっぱりセリアには勝てないなと思った。そう思いながらカイルベルトはとても幸せだ。


 カイルベルトは突然セリアを横抱きにした。


「ちょっと、カイル様」

「夫をからかってばかりいる妻へのちょっとしたお仕置きだ」と言ってセリアを抱いたまま寝室に向かった。


 セリアは、私は重いですから、とかなんとか言って抵抗していたが、カイルベルトには本気で嫌がっているようには見えなかった。





★★★





 エカテリーナが王妃ミランダから侍女エルサの話を聞いてから3ヶ月くらい経った頃、その話は帝国にもたらされた。


「エカテリーナ様、マルマイン王国に聖女様が顕現したらしいです。しかも、どうやら本物らしいって噂になっています」

「そう」


 エカテリーナ付きの侍女の言葉にエカテリーナは頷いた。


 もう侍女の間でも噂になっているなんて・・・。


 エカテリーナはすでにその話を夫のダイカルトから聞いていた。マルマイン王国の密偵からの情報だ。その上、カイルベルト様からも同じ報告が届いているらしい。

 なんでもセリアがマルマイン王国の王都で聖女が怪我人を治療するところを直接見たらしい。それをセリアがカイルベルト様に話したということは、二人は上手くいっているのだろう。


 それは、とても良いことなのだが・・・。


 エルサの言う通りになった。エルサは聖女と姫騎士によって帝国は戦争に負けて自分とダイ様もその戦争で死んだって言っている。そこから時を遡って、エルサは二度目の人生を送っている、そう言っているのだ。その話にエカテリーナは登場しない。エルサの話の中ではダイカルトの妻はエカテリーナではなくエルサなのだから。 


 荒唐無稽な話だ。でも、マルマイン王国に本当に聖女は現れた・・・。


 エルサの話が本当だとすると、一度目の人生でエルサがダイ様と結婚し、二人ともマルマイン王国との戦争で死んだということになる。ダイ様が侍女と・・・そんなことが本当にあり得るのだろうか。そしてダイ様が死ぬなんて・・・。


 それが本当だとして、ゲームの強制力はどの程度のものなのだろう・・・。


 確認したほうがいいのだろうか? でも、どうやって・・・。





★★★





 私は、エルサ見つけると、いつかと同じように観察した。


 エルサはほかの侍女と一緒に洗濯をしている。風でスカートがひるがえったときに、膝小僧に怪我でもしたのか絆創膏のようなものがチラっと見えた。私の指示した虐めがエスカレートしているのだろうか?


 それでも、ここを出て行かないエルサはしぶとい。


 だけど、マルマイン王国に聖女様が現れた以上、ダイカルト様の近くに、王宮にエルサを置いておくわけにはいかない。なんとしてもエルサをここから追い出さないと・・・。


 エルサが言っていることは本当になるかもしれない。


「ね、私の言った通りになったでしょう」

「そ、それはそうだけど」


 同僚のエルサを見る目には少し怯えがある。


 エルサの言った通りマルマイン王国に聖女様が現れたことで、虐めとは別の意味でエルサは避けられているようだ。


「それに、これを見て!」


 エルサが取り出したのはハンカチだ。


「ほら、ここに第三王子の紋章があるでしょう?」

「エルサ、こんなものをどこで、盗んだの?」

「違うわよ。ダイカルト様が下さったのよ。本当なんだから」


 私は目を凝らしてエルサが手にしているハンカチを見た。チラリと紋章が見えた。確かにあれは、ダイカルト様の・・・。


 ダメだ! なんとかしなくては、このままでは・・・。





★★★





 歩いているエルサを見つけた。なにか衣服のようなものを持って忙しそうに歩いている。部屋の片付けでもしていたのだろうか?


 どうも私は最近エルサのことが気になってばかりで、王宮の中でもついエルサを見つけては観察している気がする。


 そのとき 急にちょっと強い風が吹いてエルサが手に持っていたショールがあろうことか風に乗ってふわふわと空を飛んだ。


 エルサが、あわあわと言葉にならない声をあげながらショールを追いかける。ショールはまるでそれが意思でもあるかのように空を飛んでいる。


 エルサはスカートを翻してショールを追いかける。


 そして、そのショールは反対側から歩いてきた男の手にあっさり収まった。


「おっと、これはきみのかい?」


 そう言ってショールを手に、エルサに話しかけたのは、なんとダイカルト様だ。エルサの手を離れたショールはまるで生き物のように空を飛んでダイカルト様の手に収まったのだ。


 これじゃあ、まるで・・・。


 エルサが「ありがとうございます」と言ってショールを受け取ると、ダイカルト様とエルサはしばらく見つめ合っていたが、ダイカルト様は恥ずかし気に顔を逸らした。気のせいかダイカルト様の顔が赤い。


 まさか・・・。


 私は二人を見て胸の中に黒い雲のようなもやもやが広がっていくのを抑えることができなかった。





★★★





 あれ以来、私の頭の中から見つめ合っているダイカルト様とエルサの記憶が消えることはなかった。


 王妃様はあれで、エルサを案外気に入っているから、エルサから出ていくと言わせなければ・・・。


 私はちょっと強行な手段に出ることにした。


 私はエルサを見つけると、見つからないよう後を追った。そしてエルサが一人になるチャンスを待つ。杖を持つ手に力が入る。この杖は侯爵家に伝わるもので、魔法の得意な私にお父様が持たせてくれたものだ。


 しばらくすると、そのチャンスが来た。


 休憩時間なのか、中庭のようになっている場所でベンチに座ったエルサは一人でポケットから取り出したお菓子を食べようとしている。王妃様からでも貰ったのだろうか? 


 私は狙いをエルサに向けて杖を構えた。かなり距離はあるが、私なら外さない。使うのは氷の玉を打ち出す魔法だ。ちょっと怪我をするかもしれないけど、その程度だ。


 氷魔法で怪我をしたとしたら・・・きっと・・・。


 私は杖に魔力を込める。杖にはめ込まれている宝石のような魔石が青白く光る。


 よし!


「そこまでよ! 確かオルランド侯爵家のリーゼロッテ様でしたわよね!」


 私が後ろを振り返ると、そこにはダイカルト様の奥方であるエカテリーナ様が立っていた。そう私が結婚するはずだったダイカルト様・・・学院時代からずっとお慕いしていたダイカルト様を突然奪っていった悪役令嬢だ!


「魔石が青白く光っているとこを見ると、使おうとしているのは氷魔法ね。氷魔法なら私の仕業にできると思ったのかしら」


 ああー。私は手に杖を持ったままその場に崩れ落ちた。


「私はすごく努力したのに。ずっと何年も。家柄だって問題なかった。王妃様だって私を気に入ってくれていたわ。それなのに・・・」


 これまで言いたくても我慢していた本音が私の口から漏れだした。


「それでも、まだ、王国の侯爵令嬢ならまだ許せる。侍女だなんて絶対に許せないわ!」


 私の言葉は止まらない。


「それにエカテリーナ様は性格が悪いって、帝国までその名が聞こえてくるくらいの悪女だもの。きっといつかは、ダイカルト様もそれに気がついて、エカテリーナ様を追い出すかもしれない。だから私は、縁談をすべて断って努力を続けた。帝国初の女性宰相も夢ではないって言われるくらいに」


 エカテリーナ様は、私の口から漏れ出した言葉を黙って聞いていた。


 いつしか私は大声で泣いていた。そしてそれがすすり泣きに変わったころ、エカテリーナ様は口を開いた。


「もし仮に、私が離縁されたとしても、ダイ様がエルサと結婚するなんてありえないわ」


 エカテリーナ様は落ちつた口調でそう言った。冷静なエカテリーナ様を見ていたら、私はまた腹が立ってきた。


「そんなことないわ!こないだ二人で見つめ合って赤くなっていたのを見たのよ。エカテリーナ様も油断しないほうがいいわ。男なんてそんなものよ」


 エカテリーナ様は少し考える素振りをしていた。


「飛んできたショールだかマフラーだかを取ってあげたときかしら?」

「そうよ。あのとき二人が赤い顔していたのを私は見たわ。まるで一瞬で恋に落ちたみたいだったわ」


 私は少し挑発するように言った。


「あー、あれはね、飛んできたショールかなんかを追いかけてきたエルサの服が乱れて、足はあり得ないほど上のほうまで露わになっているし、胸元も空いていたって、だからダイ様は目のやり場に困っていたのよ。愛するダイ様はね、その日にあったことをなんでも私に話してくれるのよ。どこで話してくれるのかは言わないけど・・・」


 そう言ってエカテリーナ様は赤くなった。


「でも、ハンカチだって」

「ハンカチ?」

「ええ、第三王子の紋章が入ったハンカチをエルサは持っていたわ」

「リーゼロッテさん、勉強はできるのに、案外抜けているのね。そんなもの手に入れることなんて簡単よ。そうだ、ダイ様なら目の前で侍女が転んで血でも出せばハンカチくらいすぐ渡すでしょうね」

「・・・」


 しばらく間をおいた後、エカテリーナ様は、さっきより少し真剣な口調で話し始めた。


「リーゼロッテさん、あなたは王妃様に気に入られるため、ダイ様と結婚するためだけに、そんなに努力をしていたのかしら。私にはそうは思えないわ。あなたはむしろ勉強が好きだった。そして、そんな他の令嬢とは違う、そう他の令嬢よりずっと優秀な自分を認めてもらいたかった。ダイ様が好きだったのは事実でしょうけど、ダイ様と結婚できれば、自分が認められたことになる」

「そ、それは・・・」


 確かに私は勉強することが嫌いではなかった。努力だって嫌々していたわけでもない。学院ではほかの女の子たちが馬鹿に見えて仕方がなかった。自分をどうやってより美しく見せるかとか、どの男が狙い目だとか全く興味が持てなかった。

 だけど、ダイカルト様の婚約者候補だと噂されたときは自分でも不思議なほどうれしかった。ダイカルト様は優秀な私にこれ以上ないくらいふさわしいと思えた。それから私はダイカルト様に夢中になった。


「はっきり言って、あなたはプライドが高い。だから自分には優秀なダイ様がふさわしいと思った。私とダイ様の結婚は、ダイ様が帝国のことを考えた結果の政略結婚だからまだ許せた。だけど・・・」

「わ、私は・・・」


 そうだ。侍女なんて絶対に許せなかった・・・。


「だけど、侍女のエルサが自分を差し置いてダイ様に好かれるなんて、まして悪役令嬢が退場した後にダイ様が侍女と結婚するかもしれないなんて、あなたには許せることではなかった。でもそれはあり得ることだった。だってエルサが予言した聖女様が本当に現れたんだもの。だから、こんなことをした。リーゼロッテさん、私はそれが悪いとは思わないの。だって私って悪役令嬢でしょう。でも、リーゼロッテさん、あなた勉強は得意でも虐めは下手すぎるわ」


 そ、そんな・・・。


「それでね、私って悪役令嬢だから、あなたのような方にもっと帝国やダイ様、ひいては私のために働いてほしいの。馬車馬のようにね。だから今日のことは見なかったことにするわ。初の女性宰相も夢でないっていう人材には、もっと私たちの役に立ってもらわないと困るわ。エルサも、何も聞いてない。いいでしょう?」


 気がつくと、私たちのそばにはエルサが立っていた。私はずいぶん大声で泣いていたから気がつかれたんだろう。


「リーゼロッテさん、さっきも言ったように、私、あなたには期待しているの。だから、今日のことは私たちだけの秘密。私はエルサと話があるから、もう行っていいわ」


 私は、すごすごとその場を去ることしかできなかった。





★★★





「さて、やっと二人きりになれたわね、エルサ。私、エルサにお願いしたいことがあるの」


 エルサは私の言葉に身構えた。


「エカテリーナ様、お願いしたいことって?」

「それはね。エルサの後ろで糸を引いている人にね、計画は上手くいっていますって伝えといてほしいの。エカテリーナは毎日憂鬱そうですって、そう伝えてね。そのほうがエルサにも都合がいいでしょう。こんなことするなんてエルサはその人が好きなんでしょう。エルサとその人が幸せになれるのを祈っているわ」


 エルサに対してはこんなとこでいいだろう。


 そもそも乙女ゲームで戦争で大量の人が死ぬとかが描かれるはずがない。いや、乙女ゲームだって戦争が描かれるとこはあるかもしれないが『心優しき令嬢の復讐』に限ってはありえない。あの発想が貧困な制作陣に複雑な国家関係とか考えられるはずもないし、鬱展開なんて似合わない。

 まあ、気軽にできるとこが『心優しき令嬢の復讐』の一番いいところでもあったんだけど・・・。現代人にはそんなゲームも必要だ。


 私にこんな嫌がらせをする者、私が転生者だと知っている者、それが誰かなんてすぐ分かることだ。


 まあ、嫌がらせなんて上手くいって相手が困っていると分かれば、だんだん興味がなくなるし、逆に上手くいかなければ意地になってしまう。そういうものだ。

 嫌がらせが上手くいっていると聞けば満足して、いつも自分のことを思ってくれているエルサに目が向くかもしれない。


 よく見れば、エルサは可愛らしい。それに童顔なのにスタイルもいい。いかにもあのタイプの男に好かれそうだ。


 しかもこんなに献身的に尽くしているのだ・・・。

 




★★★





 ここはゲナウ帝国のデナウ王国との国境に近い街にある宿屋の一室だ。


「アレクセイ様、エカテリーナ様はこっそり私のことを観察していました。それでとっても不安そうにしていました。その後、他の侍女に命じて私に嫌がらせをしようとしてたみたいです」


 俺はエルサの言葉に頷く。


「そうか。エルサ大変だったね。嫌がらせは大丈夫だったのかい?」

「はい。大したことはありません。それに私は王妃様には気に入られているんです」

「そうか。それならいいんだが」


 俺の予想通りだ・・・。やっぱりエカテリーナはゲームの強制力を気にしている。


「エルサ、よくやってくれた」


 俺がエルサを褒めると、エルサはすかさず甘えるように俺に寄り添いその胸を押し付けてきた。


 これで、俺と同じ転生者であるらしいあの女にちょっとした意趣返しができた。転生者なら人生やり直しパターンにも乗ってくると思っていた。 

 

 今回の反応からしてあいつは『心優しき令嬢の復讐』の続編を知らない可能性が高い。続編が出る前に転生したのか、そもそも続編はやってないのか、どっちかなのだろう。その点、俺はいやいや妹に付き合わされて続編のこともよく知っている。確か美月が死んでまだ3ヶ月も経っていない頃だったのに、あの妹ときたら・・・。


 あの女が本当に転生者で、この世界がゲームの世界だと知っているのなら、これからもエルサの存在が気になるだろう。


 ゲームの世界に転生した者がいつだって恐れているのは、ゲームの強制力ってやつなんだから。


 続編の舞台がマルマイン王国で聖女が出現するのも本当だが、戦争なんて描かれない。続編の主人公は聖女であり、マルマイン王国の学院を舞台に攻略対象との恋が描かれる。デナウ王国のときと同じパターンだ。何の工夫もない。『心優しき令嬢の復讐』の制作陣らしい。


 妹も美月も何でこんなゲームにあれほど嵌っていたのだろう? 


 聖女の有能さを示すために王都の近辺に魔物が現れるなんてちょっとしたイベントはあるが、それだけだ。そうそう、姫騎士のセリアは剣や槍の臨時講師として登場する。聖女であるヒロインの年上のライバルだ。


 今回は、どこの誰かは知らないあの女の心にちょっとした棘でも刺さっていれば良しとしよう。


 ハッハッハ、どうだ、俺もなかなかやるもんだろう!


「アレクセイ様、そろそろ帝都に帰らないとです。お休みは1日だけなので」

「そうだったな」


 俺はエルサの肩を抱いて宿の外まで送る。


 エルサは宿屋に預けていた白毛馬の手綱を取ると慣れた様子で跨った。エルサは草原の多い地域の出身で小さい頃から乗馬には慣れていて運動神経もいい。


 俺とエルサの出会いは、エカテリーナとダイカルトの結婚披露パーティーのときだ。あのときの俺は魂が抜けたような状態だった。その俺を担当していた侍女がエルサだ。

 最初に会ったときから、エルサは元気のない俺のことを心配して気を使ってくれた。心ここにあらずの状態だった俺は、あることないことをエルサに言って甘えたような気がする。もう、何を言ったかも覚えていない。

 そしてパーティーの最終日にエルサは、アレクセイ様のためにできることがあったらなんでも言って下さいと真剣な表情で俺に伝えてきた。それが、今回の作戦に繋がったのだ。


「アレクセイ様、それでは行って参ります」

「うん。エルサも気をつけてな。またエカテリーナのことを報告してくれ。だが、危ないことはするなよ」


 俺は優しくエルサに声をかけた。作戦が上手くいったせいか以前より俺の心は穏やだ。それになんだが、エカテリーナにこれ以上嫌がらせをするのもバカバカしくなってきた。 


 それよりエルサともっと一緒にいたいような気もする。

 エルサは俺のためによくやってくれている。もう少し大切にしてやらないと・・・。


「はい。ありがとうございます」

「うむ」


 俺はエルサに頷いた。


「それじゃあ、虎次郎、行くよ」


 エルサは愛馬に小さく声を掛けた。何を言ったのか俺には聞こえなかった。


 俺は白毛の愛馬に乗ったエルサが帝都に向かって去っていくのを、その姿が見えなくなるまで見送った。

 読んでいただいてありがとうございます。

 もし、少しでも面白いと思っていただけたら、ブックマークへの追加と下記の「☆☆☆☆☆」から評価してもらえるとうれしいです。とても励みになります。よろしくお願いします。

 あと、メインで連載しているハイファンタジー「ありふれたクラス転移」も是非読んでみて下さい。とても力を入れて書いています。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ