3-5
バイト先の制服に着替え、事務所にいた店長に挨拶をしてタイムカードを切る。疲れた体に鞭を打って、本日も勤労に励もう。
事務所からフロアへと移動する。レジの裏を通ろうとしたところで、レジ締めの準備を着々と進めている愛菜さんと遭遇した。
そうだ、今日は愛菜さんとシフトが被っているんだった。
「愛菜さん、おはようございます」
「おはよー、春くん。なんか、平日一緒になることが多いね」
「そうっすね。あ、この間はご馳走になっちゃってすみません!」
前回のバイトの終わりに、近くのファミレスに連れて行ってもらったのだ。俺がドリアを食べている中、愛菜さんは一人でワインをグビグビと飲んでいた。
「あーいいのいいの。色々相談に乗ってもらってるお礼ってことで。悲しいことに、お金を使う機会がなかなかなくてね……」
非常にツッコミづらい。ここはスルーしておくのが吉だ。
あの日も酒が深くなってから、愛菜さんはずっとそんなことを言っていた。
「そ、それよりも! サイゼで言っていた、『今度こそ意中の相手をデートに誘う』って話はどうなったんですか!?」
「……しくしく」
しまった、藪蛇だったみたいだ。
「春くぅん。話、聞いてくれる……?」
「は、はい」
さすがにノーとは言えない。さっきチラっと予約表を見た感じ、今日は予約が0件だったのでそこまで忙しくはならないだろう。
それに愛菜さんは恋愛ではダメダメだけど、仕事では3人分くらいの働きをするので、明日の仕込みや締め準備は多少遅れても大丈夫だ。
……。
…………。
……………………。
「結局、私からは誘えなくて……。でもね、こういうのってやっぱり男の人から誘われたいのよ、本音を言えば! いつまでもお姫様でいたいの、女子は!」
一時間くらい愛菜さんと話をしていた。
基本的に会話の内容は、『相手から誘われたかった』の一点なのだけれど、それをあの手この手で感情を織り交ぜて伝えてくる感じだ。
途中お客さんが入ってくる事もあったけど、愛菜さんが一瞬で対応してしまうので会話が途絶えることはなかった。
「一歩踏み出すような提案って勇気入りますもんね」
「そうなの! さすが春くん分かってる!」
相槌を打つと愛菜さんは嬉しそうに笑う。何も問題は解決に向かってないような気がするけど、こういうときはただ同意することが大事らしい。
付き合っているときに、絵莉からそんなことを言われた。話を聞いて、同じ感情を共有するだけで女性目線満足なのだと。
男の悪癖である「解決思考」はむしろ邪魔でしかないらしい。
「はぁ。春くんが彼氏だったら、こんな悩みもなかったんだろうなぁ」
「……っ」
あんまり思春期男子を勘違いさせるようなことを言わないでほしい。この言葉の後には「それでも今の想い人が好き」が続くわけであって。
これも男の悪い癖だな。思わせぶりなことを言われるとすぐ好きになってしまう。
「春くんは最近どうなのよ?」
「え?」
「なんか恋愛方面で進捗あったのー?」
特にはない。相変わらず彼女はいない状況だ。
しかし、今日の出来事を思い出してみる。鶴島さんから始まり、絵莉や美郷さん、三人の女子と「おんぶ」ないし「お姫様抱っこ」イベントを発生させた。
内二人はいわゆる脈アリってやつだと思う。片方は元カノなんだけど。
「……なんか俺、モテ期がきてるかもしれないっす」
日部春哉・一六歳は調子に乗っていた。今、俺はとてつもないビックウェーブを経験している。それを人に話したくて話したくて堪らない。
「えー!? なになにー、どういうこと!?」
愛菜さんも食いついてくる。ふふふ、そこまで請われたら仕方ない。
俺のモテモテエピソードの一端を披露してしんぜよう——
「おっはようごぜーやす!」
時計を見ると一八時。ホールの夜シフト、最後の一人である羽衣が顔を出した。
「あ、羽衣ちゃん。おはよう」
「……おはよう、羽衣」
なんて間の悪い。モテモテエピソードをお披露目しようとしたタイミングで。
「なんかなんかー、日部さんの『俺、モテ期きてるんだよね(ドヤ)』みたいな痛々しい発言が聞こえてきたんっすけど、一発ギャグ的なあれですかねぇ?」
「し、失礼な! 本当に大きな流れがきてるんだよ!」
「日部さん、もしや宝くじとか当たりやした?」
「だから失礼だって! 金の力がないとモテないとでも言いたげな!」
相変わらず羽衣は俺のことを揶揄ってくる。
「あはは、羽衣ちゃんそれはひどいよー。ほら、春くんってちょっと逞しくなったじゃない? その影響とかもあるんじゃないの?」
ナイスフォローだ、愛菜さん!
「ふむふむ」
「な、何かな?」
羽衣がまじまじと品定めするような視線を向けてくる。そんな風にじっくり観察されると何だか落ち着かないな。
「ふふっ」
「え、なんで笑った!? 絶対に笑うタイミングじゃないよね!?」
「深い意味はないんっすけど、『お山の大将』って言葉を思い出しました」
「絶対に意味はあるよね!? 暗に調子乗るなよって言ってるよね!?」
こちらを嘲るようなジト目笑いを浮かべている。この後輩女子は少しでも俺を先輩だと思ってくれているのだろうか。
「そうだすそうだす、日部さんはそれでいーんすよ。下手に調子乗るより、無様に足掻いている方が、日部さんらしいと思いまっせ」
「お、俺らしさって何なんだろうね……」
ガクンと肩を落とす。しかし、羽衣の言にも一理あるなと思った。
今日たまたまそういうイベントが連発しただけであって、言ったらこれは偶然の産物でしかない。それを自身の力だと思い込んで調子に乗ったら痛い目をみそうだ。
まさかこんな形で後輩女子から諭されることになるとは。
「わたすはそんな日部さんの方が好みですな」
「……へ?」
「つーことで、今日もバリバリ働いていきましょうー!」
「あ、じゃあ羽衣ちゃん! 今いるお客さんの網交換をお願いしてもいい?」
「あいあいさー!」
愛菜さんからの指示を受けて、羽衣はスキップでリズムを刻みながらフロアの方に向かっていく。その後ろ姿をぼーっと眺めていた。
「ちなみに私も、右往左往している春くんの方が可愛くて好みかなー」
「揶揄わないでください!」
ニヤけ顔で言われても嬉しくないやい。羽衣からも変な揶揄われ方をしたし。
……でも、今日はバイトがあってよかったな。少し天狗になりかけていた鼻をきちんと折ってもらえた。