3-4
放課後、俺は体育倉庫裏に向かっていた。
なぜ体育倉庫裏を目指しているのか。コトの発端は、美郷さんから届いた一通のメッセージだった。内容は至ってシンプル、『放課後、体育倉庫裏』とだけ。
今日一日、美郷さんはおかしかった。授業中や休み時間に凄まじい視線を感じて振り返ると、必ずそこには美郷さんがいる……みたいなことが何度もあったのだ。表情は窺い知れないが、雰囲気だけで睨んでいることが分かる。
そんな状態での呼び出し、穏やかな話し合いでないことは容易に想像がつく。
それから放課後までは憂鬱だった。美郷さんも絵莉も不機嫌だし、軽いアザ程度で済んだ鶴島さんからは、なんかねっとりとした視線を感じるし。
せっかく授業から解放されたのに、今は判決を持つ被告のような気分だ。
体育倉庫裏に着くと、既に美郷さんが待っていた。その出立ちからは何処となく苛立ちらしきものを感じる。
「あ、これはこれは日部くんじゃないですかー」
雰囲気に対して声音は明るいが騙されてはいけない。怒気を隠しきれてないし、まず何よりも呼び方がいつもと違って他人行儀だ。
「あはは、えーと、俺に何か不手際があったかな……?」
「えー? 春哉に心当たりがないなら、別に問題ないんじゃないのー?」
これあれだ、「私が何に怒っているか分かる?」ってやつだ。
それが分かったら苦労しないんだよな。今朝の美郷さんの発言を聞いても、原因らしきものは思い至らなかった。
「その、二人乗りの話が進んでなくて申し訳ない!」
もしかしたらこれかな、という原因を言ってみる。
「そういうことじゃない」
「ご、ごめん!」
どうやら違うらしい。いよいよ、何が原因なのか皆目見当がつかないぞ。
「なーんか分からないけどね。RJエネルギーがしっかり溜まってるんだよねー。鶴島美希との一件以降もなんか増えてるっぽいし。そういえば、誰かさんは委員長に呼び出されて、どこかに移動していた気がするなー。そこで何があったのかなー」
たぶん、絵莉との件を言っているのだろう。別に隠していたわけではないけど、取り立てて話すことではないと思っていた。
……しかし、RJエネルギーにはこういう使い方もあるのか。
パートナーが浮気をしていたら一瞬で分かるというね。美郷さんと付き合う人は、浮気や隠し事はできないというわけだ。
「えと、そのですね。絵莉せつかれまして、ちょっとおんぶを……」
「へー、ふーん。そうなんだー。いいねー」
これを言葉通りに受け取れる人間だったら、どれだけ楽だったか。
「で、でも、美郷さん! RJエネルギーが溜まるのは良いことだよね!?」
今朝は言えなかったけど、これを言わないと自己弁護ができなそうだ。そもそも俺たちの同盟は、RJエネルギーを溜めるために設立された。
一応、その目的から遠ざかるような行為はしていないつもりなのだが。
「あーなるほど。春哉は目的のためなら、親兄弟、友や師すら切り捨てる冷酷タイプかー」
「そこまで言われるようなことしたかな!?」
やはりいくら聞いても、美郷さんが何に怒っているのか分からない。
むしろ、彼女の方が目的のためなら手段を選ばない印象があるし、そういうのを気にするタイプには思えない。
強いて言うのであれば、筋を通さなかったことに怒っているのか。……でも、なんかそれも違うような気がするんだよな。
「その、本当に申し訳ないけど、美郷さんが何に怒っているか分からなくて。もし不満に思っていることがあれば教えて欲しい! 悪い部分はちゃんと直すからさ!」
「……正直、私にもよく分かってない」
「へ?」
当の本人にも分からないなら、誰にも分からないじゃないか。
「なんだろうね、飼い犬が他の人間に懐くのはムカつくっていうか。だって、ここまで春哉のことを私が育て上げたわけじゃない?」
「ツッコミどころが沢山あるんだけど! そもそも俺は美郷さんの犬じゃないし! 育てたと言い切れるほど、コミットをしてもらってないと思う!」
最初にこの関係を結んだ時にも言ったけど、あくまで俺たちの関係は対等だ。
それに美郷さんと関わるようになって変わった部分もあるけど、その全てを美郷さんの手柄と言われると腑に落ちない。
「これが、親の心子知らずってやつね」
「いやいや、なんでそんな親目線なのさ!?」
「だから何度も言ってるでしょ。春哉は私のモノなんだって」
「違うよ!?」
なんでそこまで自分の所有物にしたがるんだ。
……もしかしてだけど、美郷さんが抱えている感情ってそういうことなのか。とても意外ではあるけど、それ以外に考えられない。
「えーとつまりさ。美郷さんは『嫉妬』してくれるってことなのかな?」
「違うけど。なに自惚れてるの?」
「ぐああああああああああああ、やめ、そんな目で見ないで! 俺イタい! 超イタい! 勘違いしてごめんなさい!」
美郷さんからゴミを見るような目で見られる。
どうやら勘違いだったみたいだ。そうだよな。もう何度も部屋に上げてもらってるのに、何も起きないような関係だし。
魔女一筋である彼女が、俺のことでそんな感情を覚えるわけがなかったのだ。
「何度も言うけど、春哉は私のモノなわけじゃない。自分のモノを勝手に使われて覚える感情って『嫉妬』ではないわよね? 勝手に使った不届き者への『怒り』と、勝手に使われているモノ自体への『呆れ』って感じになるのかしら」
「なるほど……。あんまり納得はできないけど、美郷さんが心の底から俺を自分の所有物だと思っていることは理解できたよ……」
怒りの原因は判明したが、俺からすると大変理不尽なものである。勝手に所有物と認識された挙句、他の人に『使われる』のも駄目らしい。
「けど、悩ましくはあるのよね。実際にRJエネルギーは溜まっているわけだし。私の所有欲のせいで、機会損失が生じるのも勿体無いわけじゃない。春哉みたいに親兄弟、友や師を殺すような、不義理極まりない姿勢もある程度は大事なのかなって」
「別にそんな姿勢で生きてないよ!?」
今日のことだって意図的にではなく、なし崩し的に起きたことだし。
「だから、妥協案を考えました。彼女たちにしたことよりも、ちょっと上位互換のものを私が体験する。こうすれば、所有者の面目も保たれてるかなって」
「つまり?」
「私におんぶよりちょっといい体験をさせて」
「それで納得してもらえるなら構わないけど……おんぶの上位互換って?」
美郷さんの機嫌が治るならお安い御用だけど、具代的に何をすればいいのか。
「——お姫様抱っこ、とか?」
「えぇ!?」
確かにそれは上位互換って感じがするけど、恥ずかしさも段違いじゃないか。
「わ、私だって嫌なんだからねっ!」
「じゃあ止めようよ!」
どちらも前向きでないことを、わざわざやる必要はないと思うんだ。
「でも、それじゃあ私の面目が保たれない」
「意外とそういうの気にするんだね……」
「自分で言うのはあれだけど執念深い方だから。こんな私だけど笑って許してね」
「面倒なトリセツ!」
先に言っておけばいいってもんじゃないぞ。
「いいからほら! とっとと済ませちゃいましょ」
「もっとこうさ。お姫様抱っこをするなら、情緒みたいなものがあるんじゃないの?」
漫画では一大イベントとして描写されるイメージがあるのに、それをこうもあっさりと半ば浪費するような形でいいのだろうか。
「そこまで言うなら、春哉のほうでムードをメイキングしてよ」
「何その無茶振り!?」
「ほらほらー、私をその気にさせてよー」
口元を見るとニヤニヤ楽しそうだ。こうなってしまったら美郷さんは譲らない。
俺に用意された選択肢は、彼女の要望に応えることだけだった。
だけど、お姫様抱っこのムードとかどうやって作るんだよ。もはや大喜利なんじゃないかと思ってしまう。とりあえず、思いついたものをやってみるか。
「……君を攫いにきた(イケボ)」
「ぷっ!」
「笑わないのは最低限のマナーじゃない!?」
渾身のセリフは吹き出し笑いという結果に終わる。
「そっちが笑わせにくるから」
「決して、そんなつもりはないんだけど!」
「ほら! 次のやつちょうだい、次!」
もう嫌だ、このワガママお姫様……。
ちくしょう、このまま笑いのタネになり続けるのも癪だな。こっちだけ恥ずかしい思いをするのは不公平だ。
「隙あり!」
「ちょ!? え!?」
右手を脇腹あたりに、左手を膝裏あたりに添えて、美郷さんの体を抱き抱える。
おんぶと比べものにならない負荷が体にかかるけど、彼女は今日背負った誰よりも体重が軽いので、難なく体を支えることができた。
「こういう不意打ちなんかどう?」
「ば、バカじゃないの!? ちょ待って、めちゃくちゃ高い! 怖い! これ落ちたら絶対に死んじゃうやつ!」
「お、落ち着いて! 暴れないでって!」
腕の中でジタバタと美郷さんがもがく。不意打ちで恥ずかしがらせるつもりが、彼女はちょっとしたパニックになっていた。このままだと本人が危惧している事態が本当に起こってしまう。そうならないよう必死に彼女の体を抱きかかえる。
「あ、なんか落ち着いた」
「うわぁ! いきなり落ち着くな!」
たった数秒でどういう心境の変化があったのか。
「…………」
「ど、どうしたの?」
彼女はじっとこちらを見つめている。ジタバタしたせいで長い前髪はサイドに分かれており、彼女の美しい素顔が顕になっていた。
それにより、今は完全に目が合っている状態だ。しかもお姫様抱っこの特性上、顔と顔の距離がとてつもなく近い。
「べ、別に!」
彼女はプイと顔を逸らす。そんな反応をされると、こちらも恥ずかしくなる。
「それで感想はどう?」
「ふ、普通っ!」
相変わらずこちらに顔を向けることはない。その様子を見て、俺の中で珍しくも嗜虐心が湧いてきた。
「へー、悪くはないんだ?」
「うるさい! 春哉のくせに生意気!」
「ひょ、ひゃめろって!」
指で両頬を押さえつけられる。口がタコみたいになって変な声が出てしまう。
ぐぬ、美郷さんに反抗するにはまだまだ早かったみたいだ。
「……ちなみに、あの二人はこれを体験したことがないわけよね?」
美郷さんの言う『あの二人』とは、おそらく絵莉と鶴島さんのことだろう。
「当たり前でしょ。そもそも、こんなことするのが人生初だし、俺」
「なら、これで手打ちにしてあげる」
「それはよかった」
どうやら美郷さんの面子は保たれたらしい。
「せ、せっかくの機会だし? も、もうちょっとだけ体験させてもらうわ!」
「どうぞご随意に」
毒を食らわば皿までだ。ここまできたら一分も一○分も同じだ。美郷さんくらいの軽さであれば、今の俺であれば難なく抱え続けることができる。
「ねぇ、春哉」
「ん?」
「なんかさ、色々ありがとね」
美郷さんはこちらを見ずに言う。だけど、この状況で表情を隠せるはずもなく、彼女の顔が真っ赤になっているのが丸分りだった。
——そんな顔になってまで伝えてくれた想いを、茶化すことなんてできない。
「俺の方こそ。最近は今まで経験してこなかったことに挑戦できてさ。新しいことって慣れないし大変だけど、その分達成感がすごいっていうか。それも全部、美郷さんと関わるようになってからのことだから。ありがとうね、本当に」
「……春哉もそう思ってくれるなら嬉しいかな」
お互いに目は合わせない。こんな至近距離では、恥ずかしくて相手の顔なんて見れなかった。でも、それは決して居心地の悪いものではない。
美郷さんといるときは変に気を遣わなくていいし、互いに無言でも苦にはならなかった。
そんな独特の空気を、俺は好きになりかけていた。
「そろそろ降りる。ごめんね、重かったでしょ」
「別にそんなことはなかったよ」
いよいよ美郷さんが満足したみたいなので、お姫様抱っこタイムは終了だ。
————ずさっ。
そのタイミングで運動靴と砂利が擦れるような音が聞こえてきた。
「あれ、誰かいたのかな? なんか足音がしたけど」
「気のせいじゃない?」
「まぁ、そうかな。わりとここって穴場スポットだし」
美郷さんには聞こえていなかったのなら、きっと気のせいだったのだろう。
「じゃ、帰りましょ」
「うん」
「今日はウチ寄ってく?」
ここ数日は、二人乗りの練習終わりや学校帰りなど、作戦会議という建前でただ美郷さんの家で駄弁ることが増えた。
何をするという事もなく、ただ喋っているだけ。そんな奇妙な時間だ。
「いや、今日はバイトでさ」
「そう。じゃあまた明日ね」
そんな無目的な時間なので、互いの予定に合わせて負担がない程度に開催される。
「二人乗りの方は引き続きよろしくね」
「おっけー。……でもあれだね。それ以上のことを、既にやっているような気がする」
俺たちは裏門から敷地を出て、別々の方向に向かって歩き出す。
こうして激動の一日が終わった……あ、バイトがあるんだった。今日は色々あって疲れているので少し憂鬱だ。
このまま美郷さんの家で駄弁る方が良かったかも、そんなことを思った。