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教室に入るとクラスメイトからの冷やかしを受ける。
「鶴島さんと付き合ってるの?」「朝から見せつけてくれちゃって!」「胸の感触どうだった!?」などと、男女問わず複数人から声を掛けられた。
それをうまく躱して、今は机に突っ伏している。
「日部くんを見てると、人間は顔だけじゃないんだなって思う」
「めちゃくちゃ失礼なこと言ってるよね、兎田さん!?」
どうしてお前の顔面レベルでこんなにも色恋沙汰が起きるのか分からん、と彼女は言っています。グロッキー状態で兎田さんの皮肉は心にくるものがある。
「春哉はこの高校二年に、全ての『モテ』を捧げているからな。もうここで終わってもいいと思っているんだろう」
「そんな制約と誓約みたいなことしてないから!」
智慧も智慧で失礼だった。某少年漫画の設定をもじってイジってくる。
「やっぱ、この『叩くと音が出るオモチャ』感がクセになるのかしら」
「ちょっと待て! 俺って、『叩くと音が出るオモチャ』だと思われてるの!?」
「いやいや、春哉の魅力は『頑丈なサンドバッグ』感だろ」
「君ら二人とも表に出ようか!」
オモチャやサンドバッグと散々の言われようである。
「まぁ、実際のところ日部くんは優しすぎるというか、それはそれで色んな人に誤解を与えてしまうから気をつけた方がいいと思うよ?」
「ぐっ……」
覚えがありすぎてぐうの音も出ない。
「鶴島美希とも、別にそういう関係って訳じゃないんでしょ?」
「う、うん。そうね」
兎田さんはフルネームで鶴島さんを呼ぶ。そういう風にして距離を取っている。
本人から直接聞いたわけではないが、兎田さんは鶴島さんをよく思っていないようだ。お互いに絵莉という共通の友達はいるが、二人が話しているのは見たことがない。
「その辺は春哉だって分かってるだろ、なぁ?」
重くなりかけた空気を察して、智慧がフォローをしてくれる。
「……二人は理解があって助かるよ。とりあえず朝のことは偶然。これは間違いないよ。だけどそうね、このまま誤解され続けると鶴島さんにも迷惑がかかるし、立ち振る舞いには気をつけるよ」
俺には確かに八方美人的な一面がある。兎田さんの指摘はもっともだった。鶴島さんとの件に限らず、気を付けないといけない。
「……でも、お人好しなのは日部くんの取り柄でもあるからね。私の言ったこと、あんまり気にしすぎないで」
少し言い過ぎたと、兎田さんは頭を下げた。
いや、申し訳ないとは思わないでほしい。言いづらいことを言ってくれるのも、ある種の優しさだと分かっているから。
「つまりあれだ。叩くと音の出るオモチャも、その使い方次第では騒音のもとになりかねないってことだな」
「なんかいい感じにまとめてくれてるけど、その『叩くと音が出るオモチャ』ってやめてくれない!?」
空気を変えようという智慧の気遣いには感謝するが、その呼び方には抗議したい。
「月夜やっぱセンスあるわ。俺の『頑丈なサンドバッグ』よりもしっくりくる」
「自分でも上手いこと言ったな、って自負があるわ。羽生ももっと精進しなさい」
「俺の蔑称を巡って、張り合わないでくれるかな!?」
日部春哉aka叩くと音の出るオモチャ——やかましいわ!
「元嫁だ!」
「本妻がきたぞ!」
突然、教室が騒がしくなった。数人がこちらに目配せをしてニヤニヤ笑っている。
そんなクラスメイトの視線を追うと、絵莉が真っ直ぐ向かってくるのが見えた。
「おはよう、月夜と羽生」
『お、おはよう……』
いつもは飄々としている二人もさすがに面食らっていた。
「春哉、ちょっときてもらえる?」
「はい……」
これが本物の「表に出ろ」である。智慧と兎田さんは「お前死んだな」なんて同情的な視線を向けてきた。
その顔やめてくれ。事の重大さを再認識してしまう。
やっぱりタダじゃ済みませんよね。やばい、恐怖で足が震えてきたぞ。
「あのーどこ向かってるのかな? 一○分もしないうちに授業始まるけど……」
「黙って歩いて」
「承知いたしました」
とてもじゃないが逆らえる雰囲気じゃない。教室を出てからずっとこんな感じだ。
それからも余計なことを一切言わず、ただ黙って絵莉の背を追いかける。
「入って」
「あれ、ここって」
家庭科室。絵莉の所属する家庭科部の活動場所である。家庭科部は料理、ハンドメイドといったTHE・女子っぽいことをする部活動だ。
となると、調理器具や裁縫道具が揃ったこの教室がおのずと活動場所になる。
「ほら、時間ないから早く」
「し、失礼しまーす!」
一応、入室時の挨拶をするが中には誰もいない。
「……さて、ここなら誰の目もない」
そこで一つの考えが浮かんだ。恨みを持った相手を人気のない場所に誘う。
もしかしてそれは、相手を人知れず抹殺するためではないのか。恐ろしいことに家庭科室には包丁がある。
「もう我慢の限界……! 私をこんな気分にした責任をとってもらうから……!」
「お、落ち着け! 早まるな!」
絵莉の目は真剣そのものだった。やばい、流血沙汰だけは回避しなければ。
「私にも美希と同じことをしなさい!」
「ふぇ?」
なんか思っていたのと違った。
「だって不公平じゃない! 付き合ってた時にも、あんなサービスなかったし!」
「さ、サービス?」
彼女が何に怒っていて、何を求めているのかさっぱり分からない。
「おんぶよ、おんぶ! 美希だけずるいじゃない!」
「あぁそういうことか! それならお安いご用————いやいや、何でだよ!?」
最初にとんでもないことをされると思っていたので、おんぶくらい余裕だろうと咄嗟に考えてしまった。だけどよく考えなおしてみると、それなりハードルが高いことを要求されていたことに気が付く。
「……このピーラーね、簡単に皮が剥けるんだよ?」
「猟奇事件のにおい!?」
机下の収納スペースから金属製のピーラーを取り出して、絵莉は不気味な笑みを浮かべている。どうやら、命の危機はまだ去っていなかったらしいぞ。
ヤンデレすぎる、この娘ヤンデレすぎるよ!
「春哉、私のお願い聞いてくれるよね……?」
「露骨な脅しだぁ!」
普通に包丁で刺されるよりも、ピーラーで皮を剥かれるほうが怖い。考えただけでも背筋がゾワゾワしてしまう。
「と、とりあえず、一旦それを片付けようか?」
「もしかして、こっちのおろし金の方がいいかな?」
「違う、脅しの道具を変えてくれってことじゃないから! 大体、なんで猟奇的な器具ばかり選ぶの!? こんな一面があるなんて知らなかったんだけど!?」
どうして、拷問とかで使われそうな器具ばかりをチョイスするんだ。
「春哉への思いが私を変えたの」
「き、気持ちは有難いけど! この方向はやめた方がいいと思う、うん!」
俺がこのモンスターを生み出してしまったのか。
「剥かれたい? 卸されたい? それともワ・タ・シ?」
「選択式のように見せかけて、まともな選択肢が事実上一つしかない!」
「おすすめはハ・ガ・シ」
「そっちなの!?」
だいぶ自惚れていたとも言えるし、絵莉の狂気を見誤っていたかも知れない。
「冗談はさておき。ほら時間ないから早く」
「わ、分かったよ」
なんて言いつつもおろし金を手放さない。さっきまでの発言全てが冗談とは思えなかった。俺の基本方針は「いのちをだいじに」なので素直に従うことにする。
「じゃあ、はい。おぶさってくれ」
腰を屈めて、受け入れ体制はバッチリである。
「うん、じゃあ失礼して」
足全体に重さが伝わってくる。しかし、先程の鶴島さんと比べたら負担も小さい(鶴島さんが重いとかではなく、絵莉が軽すぎるのだ)。
「お、重くない?」
「……絵莉、ちゃんと飯食ってるのか? むしろ軽すぎだって」
「だ、だってさ! 最近なんか春哉は体鍛えて自分磨きしてるし? どんどんカッコよくなっていくから、それに追いつこうとダイエット中なの!」
「なっ!?」
瞬時に顔が熱くなる。そんないじらしいことを言われたら、なんかもう訳が分からなくなってしまう。一つ確かな感情は、背負った女の子に対する愛おしさだけだ。
でも、それに応える資格は俺にない。
「い、意味分かんないって! 絵莉は普通に可愛いし、勉強もできるし、しっかりもので! 釣り合いが取れてないのは、むしろ俺の方じゃんか! 俺には絵莉がなんで俺を好きなのか、理由が分からないんだよ!」
「仕方ないでしょ! 好きになっちゃったんだから!」
そう言ってぎゅっと抱きついてくる。だめ、本当に、俺の理性が……。
とりあえず気を紛らわせるために、絵莉を背負った状態で立ち上がる。早々に望みを叶えて教室に戻らないと、なんか色々ともう限界です。
「そ、そんなことより『おんぶ』ってこんな感じだけど! これで満足かな?」
「ったく、話を逸らして……。こんなちょっとじゃ分かりませーん。その辺をぐるぐる歩いてみてくれる?」
不機嫌そうな声で絵莉がのたまう。ここで口答えや反抗をしたら、この時間が引き伸ばされる。ここは大人しく言われた通りにしよう。
「……じゃあ、落ちないように気を付けてな」
「ちなみに私の太ももの感触はどう?」
「意識しないようにしてるんだから、やめてくれるかな!?」
なんでこうも女の子の体って柔らかいんだろうね。とにかく雑念を払うため、宇宙の始まりについて考えることにする。無我の境地で家庭科室内をうろうろと徘徊した。
「なんか、さ」
「ん?」
「こうしてると、すごく安心する」
「そ、そうか」
鶴島さんと違って、絵莉の場合は天然で言っているんだろうけど、こういう男心をくすぐる発言は控えてほしい。情欲をギリギリで堰き止めている理性が崩壊する。
無心、とにかく無心だ。ただ聞かれたことに淡々と答えろ。
「み、美希と比べてどう?」
「微妙に感触が違うな」
「感触?」
「なんて言うか、胸の辺りの柔らかさが——ぐべばっ!?」
「へー、やっぱり胸の感触を堪能してたんだぁー。すみませんねぇ、美希みたいに大きくなくてー」
首にチョークスリーパーを決められる。背後を完全に取られているので、防御のしようがなかった。無心で答えすぎたことが仇となる。
「ま、まじで死ぬ! ギブギブ!」
けどなんだろう。強く抱きつかれているせいか、背中越しに胸の柔らかさを感じる。
鶴島さんが大きいだけであって、絵莉のだって決して小さくはない。
あぁ、最後に胸の感触を堪能して死ねるのなら本望————んなわけあるか!
「ぜぇ……はぁ……」
心の中でノリツッコミをしながら、絵莉の腕をなんとか振り解く。
「春哉のバカ、巨乳好き! 胸は大きさじゃなくて形が大事なんだから!」
「っておい!」
言いたいことだけ言って、絵莉は家庭科室を出て行ってしまった。
……最後にこれだけは伝えたかったのに。
「すべてのおっぱいに貴賎はないんやで、と」
何だかんだ言って、充分に堪能させていただきました。
美郷さんからも謎に巨乳好き扱いされたけど、そんなことは全くありません。この地球上にある全てのおっぱいが尊いと思っています。
「はぁ、疲れた……」
力尽きて家庭科室の床で仰向けになる。これから一時間目の授業が待っていると思うと憂鬱でしかなかった。