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「もお、アンタどこ見てるのよー」
「…………」
尻もちをついた女子生徒は、おそらくこちらを睨みながら棒読みでのたまう。
おそらくと表現させてもらったのは、女子生徒の前髪が長すぎて表情を読み取れないからである。某ホラー映画に出てきてもおかしくないような見た目だ。
ゴールデンウィーク明け。朝起きれずに寝坊をしてしまい、通学路を駆け足で移動していたら、曲がり角でこの女子生徒とぶつかってしまった。
その口には食パンが咥えられており、ぶつかる直前に「いっけない、遅刻」みたいなことを言っていたと思う。
うん、ものすごく見覚えがある。
漫画でよく見るやつだ。遅刻した転校生と曲がり角でぶつかって一悶着があり、このあと教室で転校生の紹介があって、結果的に席が隣同士になるみたいなやつ。
「ちょっとー、何か言いなさいよー」
女子生徒はやはり棒読みで、どこか芝居がかった口調で話す。
さて、まずはどこからツッコもうか。沢山あるけど、まずはこれかな。
「えーと、美郷さん……だよね? その、大丈夫? 色々と」
目の前にいる女子生徒は決して転校生などではなく、二年生から同じクラスになった美郷さんだ。長すぎる前髪と禍々しい雰囲気からクラスでは浮いている。クラスメイトと喋っているところは一度も見たことがない。
そんなクラスのアンタッチャブルが、休み明けの通学路で奇行に走っていた。
「なによ。クラスの陰キャ女が突然頭おかしいことを始めたけど、刺激したらどうなるか分からないからとりあえず穏便に済ませよう、みたいな顔は」
「そんな分かりやすい顔してた!? い、いやっ! これは違くてっ!」
ミスった。ここはちゃんと否定をしておくべきだろ。本人が自分でも言っているけど、この手のタイプは何をしてくるか分からないからむやみに刺激してはいけない。
下手したら刺されるかもしれないぞ。
「まぁ、落ち着きなさいな。これでもちゃんと冷静だから、私」
「いやいや、この流れで冷静の方が逆に怖いんだけど!」
むしろ、冷静なまま奇行に走っている人の方がよりヤバイ感じがする。理性があった上で暴走しているとか手に負えない。それに加えて、長い前髪のせいで表情が読みづらいこともヤバさに拍車をかけている。何を考えているのか全く分からない。
表情さえ見えれば、ある程度の志向性は読み取れるんだけど。
「日部春哉くん」
「は、はい!」
フルネームで名前を呼ばれる。
クラスメイトということもあって、ちゃんと名前を覚えてもらっているみたいだ。そのこと自体は嬉しいのだけど、この状況だとちょっと……いやかなり複雑だ。
「私は君みたいな『主人公気質』な人を探していたの」
一体、彼女は何を言ってるんだろう。全く意味が分からなかった。
「自分はただの凡人なんで本当に! じゃ、遅刻しちゃうからこの辺で!」
面倒なことに巻き込まれたくないし、そもそも俺は主人公気質なんかじゃない。
特質した能力もなければ、人に言えない悩みや秘密もないし、それなりに友達もいて、毎日もそこそこ充実している。主人公にしては普通過ぎだ。
美郷さんの目的はちっとも分らないけど、間違いなくミスキャストだと思う。
「だめ。私とぶつかった時点で、君はこの物語の主人公よ」
逃げようとしたところ手首を掴まれてしまう。思いきり力を入れれば振り解くことも可能だが、女の子相手にそんな対応はできなかった。
「他にもいるんじゃないかな、適任が!」
「そんなことない。休み明けに遅刻した上に、食パンを咥えて曲がり角でスタンバイしていた頭がおかしい女とぶつかれる、凄まじい強運よ」
「むしろ運がないんじゃないかな!」
今の発言を鑑みるに、やっぱりこの一連の出来事は全て仕組まれていたってことだよな。普通に考えてこんな偶然あるわけないし。まじで何が目的なんだ。
「いいね、その無駄に勢いのあるツッコミも巻き込まれ主人公っぽい」
「何もしてないのにどんどん評価が上がっていく!?」
「あ、褒めてないからね。わりとバカにしてるよ」
「だよね! そんな気はしてた!」
出来の悪い漫才みたいなやり取りを繰り返していると、前方からキーンコーンカーンコーンとSHR開始を知らせるチャイムの音が聞こえてきた。
「ほら、これでもう遅刻確定。どうせ遅刻するなら一〇分も二〇分も同じでしょ?」
「……はぁ、とりあえず用件くらいは聞くよ」
ここまで来て目的を聞かなかったら、それはそれでモヤモヤしそうだ。
「立ち話もあれだから、あの公園で話しましょ」
「分かった。ここだと目立つからね」
美郷さんの指差す先には小さな公園がある。登下校の度に視界には入っていたが、実際に足を踏み入れるのは初めてだ。
「あ、そうだ。日部くんに質問があるんだけど」
「質問?」
思わず身構える。ここにきてどんな質問が飛んでくるのだろうか。
「曲がり角で食パンを咥えた女の子とぶつかるよりも、空から女の子が降ってくるパターンの方が良かった?」
「…………どっちも好みじゃないかな」
強いて言うなら、本屋で同じ本を取ろうとして指が触れ合うパターンが好きだ。
もちろん全ては創作の中における話だけど。それなのに、まさか自分がこういった事態に巻き込まれるとは思ってもいなかった。