第1章/3
仕事から帰ってきた俺は夕食の準備に取り掛かる。
朝のうちに、何が食べたいのか訊ねておけばよかったと後悔している。
「今日も適当なもんしか作れそうにないが大丈夫か?」
「うん、大丈夫」
有栖はまだ眠そうな目をこすりながら答えた。
「…………」
今思うと、常日頃から有栖と連絡が取れないというのは中々困るな。ふと思った疑問を彼女に投げかけた。
「そういえば有栖は、スマホ持ってないのか?」
「ん? 持ってないけど」
「今時、スマホも持ってない高校生ってどうなの……」
「親が厳しい人でさー。買ってあげようか? みたいなことも訊かれたことなかったし」
「ええ……」
その発言に驚きはしたが、そういう家庭も少なからずあるものなのかと考え直せば納得できた。
「じゃあ、今度の土曜に浴衣と一緒にスマホ買いに行くか?」
「流石にそこまで甘えるわけにもいかないよ! 浴衣だけで十分だよ」
「でもな? 日頃から連絡取れたりした方がいいだろ? それにスマホならゲームもできるしさ」
俺のその言葉に有栖はハっとなり、少し考えていた。そして数秒後。
「お言葉に甘えて、よろしくお願い致します」
そう言って、頭を深々と下げてきた。
「そこまでしなくていいよ、土曜楽しみだな」
「うん!」
「じゃあ、晩飯さっさと作っちまうから待っててくれ」
「了解!」
さて、冷蔵庫にあるもので出来そうなのは、野菜炒めかな。
俺は作る料理を決めたらそこからは早いタイプだ。野菜炒めをものの一〇分で作り上げる。自分で自分が怖いよ、ほんとに。
「お待ちどう」
「野菜炒めだー! わーい」
「野菜炒め好きとか、子供かよ」
「子供じゃないですー」
「はいはい」
こうして俺たちは今日も食事を共にする。
そして、風呂に入って床に臥す。
そんな日が土曜まで続く。
そして土曜日。
「さてさて、お待ちかねの土曜日だぞ。有栖」
「いえーい!」
準備を素早く済ませた俺たちは電車に乗って少し遠出する。ショッピングモールや携帯ショップ自体は近場にもあるのだが、有栖がどうしても遠出がしたいというのでこうなった。
電車乗ること、一五分。この辺りで一番でかいショッピングモールに到着する。
「確かここには携帯ショップもあったはず」
「なるほどね!」
どことなく、有栖の挙動がおかしい。気持ち悪いわけではないが、なんかうねうねしてる。……うねうねしてると思ったら今度はぴょんぴょんしだした。
よほど嬉しいのだろう。まあ気持ちはよく分かる。
「…………」
腕時計に視線を移す。
「もう昼だしさ、まず飯食おうぜ」
「りょーかいー」
「何が食いたい?」
「中華!」
「即答なんだな……」
「うん! 麻婆豆腐すきぃ」
「おっ、気が合うな。俺も好きなんだ」
「!」
俺たちは固い握手を交わす。
「「麻婆豆腐食うぞお!」」
ショッピングモールの二階にある某人気中華料理店に足を運んだ。
とりあえず、麻婆豆腐なりなんなりを適当に注文する。
「有栖、腹減ってんだろ?」
「割と……」
「よしよし」
数分で数々の料理が運ばれてくる。運ばれてくるたびに有栖の腹の音が大きくなっていく。
「ふっ」
だめだ笑ってはいけない。
そして全ての料理が来てから、俺たちは食べ始めた。
「「いただきます」」
その合図と同時に、俺たちは麻婆豆腐をがっついた。何も言わず、食べ続ける。手が止まらない。止めている時間が勿体ない。俺たちは一言も発さず、全ての皿を平らげた。
「ふう、食った食った」
「美味しかったねえ」
「さて、と。時間は有限だからな。お目当てのところに行こう」
「そうだね」
足早に布ものが売ってある五階へ向かう。
「おお……」
時期が時期なだけあって、人の多さに圧倒されてしまう。祭り会場でもないのにそこにいる気分だ。
「有栖、手貸せ。逸れねえようにな」
「うん、ありがと」
女物の浴衣がある場所を目指す。案外広いから迷うかと思ったが、割と近くにあった。
そこには薔薇や鯉や、様々な柄の浴衣が並んでいた。こういうのは男には分からないものだ。俺は近くにいた店員さんを呼んで、有栖に似合いそうな浴衣を見繕って貰うように頼んだ。
「じゃあ、出来たら呼ぶから」
「了解」
こうして、俺は試着室の前で待つことになった。
「…………」
せっかくなら可愛らしい浴衣なら嬉しいなと思う。けれど、結局は本人に似合っていればそれでいいと思うのは何故なのだろうか。単純に興味がないからだろうか? まだ知り合って一週間の間柄だからだろうか。――自分で考えても答えは出そうにないので、考えるのはやめておこう。
「出来たよー」
そんなことを考えているうちに、有栖の着付けが終わったようだ。試着室のカーテンが開かれる。
そこには、白い生地に墨でペイントしたような独特の浴衣に身を包んだ有栖がいた。
「綺麗だ……」
「そう? ありがとう。私、こういうシンプルな感じが好きでね。訊いたところによると、この浴衣一着一着手書きみたいで、同じ模様のやつはないんだって」
「へえ、それはまたすごい」
「だから気に入ったの」
正直、見惚れてしまったんだが、なんだか恥ずかしいから言わないでおこう。
「じゃあ、これ会計で。あとこれ着たままで」
「かしこまりました」
俺は有栖を着付けてくれた店員さんに声を掛け、素早く会計を済ませた。
「いいもんあってよかったな」
「うん! あとありがとうね? 何から何まで」
「いいってことよ、なんでだか分かんねえんだけど。俺が君にしてやりたいだけなんだ」
「……なるほど?」
「ま、俺が分からないことを分かるわけないか」
俺は小さく笑う。
「お祭り、楽しみだね」
「ああ、そうだな」
本当に楽しみだ。こんな可愛い娘と祭りに行く経験など早々できるはずがない。まあ、もちろん経験の為だけに行くわけではないのだけれど。この娘を喜ばせることができるのならば、俺は何だってできる気がしてならない。
それからというもの、お互いに特に行きたいところもなかったので、夕飯の材料だけ買ってそのまま帰ってきた。
――その日の夜。
「ねえ、ほんとにありがと」
「ん? ああ浴衣のことか。いいのさほんとに」
「私、誰かから贈り物をしてもらったの初めてだったし、甘えるのも初めてなの」
「そうなのか?」
「うん、分からないことたくさん。でもね、佳彦くんといるといろんなことを知れるの」
「…………」
「別にその為に利用しようとか、そういうことじゃないんだけど。ほんとにほんとに嬉しくて……」
「そうか」
「だからね、私。佳彦くんともっと一緒にいたい」
「……でも有栖、家に帰らなくていいのか?」
「……たくない」
「ん?」
「帰りたくない」
有栖が、小さく震えている。ここまで来れば俺にだって薄々分かってしまう。けれど、それに踏み込む勇気は俺になかった。
「すまん、今の言葉は忘れてくれ」
俺はそう言いながら、彼女をそっと抱きしめた。
「…………」
彼女の小さな身体が、もっと小さく見えてしまった。――俺がいれば、この震えは収まるのか? 俺がいれば、また今日みたいに笑ってくれるのか?
俺の中でいろんな考えが交差する。まだ知り合って一週間だ。いや、もう一週間と行ってしまった方が正しいのかもしれない。――あとは俺の気持ち次第か。
「有栖。君さえ良ければ、ずっとここにいてくれていい。家のことは言いたくなければ言わなくていい。俺から訊くことはもうしない。話したくなった時に話してくれればそれでいい」
俺は言った。言ってしまった。
「…………」
その言葉を聞いた有栖は、か細い声で「――ありがとう」と言った。