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残業マン  作者: 伊賀谷
第二章
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きみを救う

 昼休みもあと少しで終わりという時間。

 夢見心地のシンヤは心の中でスキップをしながら職場フロアに戻った。さながら子供の頃にテレビドラマの再放送で観た若い頃の柴田恭兵(しばたきょうへい)のように軽やかに。

 食事のあとにヒナタとコミュニケーションアプリの連絡先まで交換してしまったのだから仕方がない。

 変な噂が立つと面倒なので、ヒナタとは別々に帰って来た。

 自席の向かいのサヨの席を北里係長と数人の若手が囲んでいた。

 北里係長は表面的な明るいキャラのおかげで若い奴らにはそれなりに人望がある。


「あれ、紅月さんが読んでいるのってBLってやつだよね」


 北里係長の取り巻きの若手がくすくす笑っている。


「BLってあれでしょ。男同士がいちゃいちゃしたりなんかするんでしょ。にゃはは!」


 係長が周りの奴らを煽ると、ちょっとした爆笑が起きる。

 その真中で席に座ったサヨは真っ赤な顔をしてうつむいていた。

 シンヤは北里係長たちに近づいた。


「人が何を読もうが自由じゃないですかね」

「お。なによ夜神ちゃん」

「それにBLだっていまや立派な人気ジャンルですから。変な偏見を持たないほうがいいっすよ」

「あら。あららー」


 北里係長がニヤけた顔をしてシンヤとサヨを交互に指さした。


 ――いやいや。おれたちはそんな関係じゃないっての。


 フロアの入り口から唸り声がした。

 強羅課長はなぜか唸り声を発しながら部屋に入ってくるのですぐに分かる。威圧しているつもりだろうか。


「おう。どうした北里」


 強羅課長のどら声が近づいて来た。


「いや。夜神ちゃんと紅月さんの仲がちょっといい感じなんじゃないかなって」


 北里は勝手なことを言っている。


「そうなんだよ。夜神は女にモテるんだよ。なあ」


 強羅課長が意味ありげな笑みをシンヤに向けた。


 ――桜花さんがおれを好みのタイプと言ったことを根に持っているのか。いや、そうにちがいない。


 後々面倒なことにならないように、とシンヤは願った。

 課長と係長たちが去って行った。


「夜神くん、ありがとう」

「あ、いや。気にしなくていいよ」

「夜神くんもBL好きなんですか」

「うーん。正直、おれも男同士がハードにいちゃいちゃするのはちょっと苦手かな」

「そういうのじゃないのもあるんですよ。今度お薦めの貸しますね」

「あ、ああ」


 サヨの豊かな胸に気をとられることもなく曖昧な返事をしながら考える。

 なんでサヨを助けたのだろう。今までのシンヤなら見てみぬふりをしていたと思う。

 変身能力を得て自信がついたからか。

 いや、今のシンヤにはヒナタの存在が大きかった。


「夜神さんはわたしの好みのタイプ」


 憧れの女性の一言は男を簡単に変えてしまうのだ。

 いや、厳密にはそんなことは言われていないのだが。


 ――おれはツいている! 運命を味方につけている!


 シンヤは椅子にどっかと座り、周囲に人がいないことを確認してから作業端末に素早くパスワードを入力して仕事に戻った。

 いつになく仕事に集中できる気分だった。



 いつものように、ヒナタと強羅課長のイチャつきは定時時間まで続いた。

 シンヤたちにとっては定時などあってないようなものなので、普段は気にしたことがない。

 ヒナタが来た日は定時になると決まって強羅課長は二人で飲みに行くので、その時間を意識してしまう。ヒナタは本当に接待をしに来ているようなものだ。

 ビジネススーツの上着を着た強羅課長と、薄手のコートを羽織ったヒナタが一緒に立ち上がった。


「おう、北里。先に行っているからあとで合流できたら来いよ」

「はい。分かりました!」


 北里係長が立ち上がって二人を見送る。

 ヒナタはいつものように嬉しそうな笑顔。強羅課長と腕を組むのではないかというはしゃぎぶりだ。これが演技であれば大したものだ。

 シンヤとヒナタの目が合った。

 一瞬、ヒナタが寂しげな笑顔を見せた。たしかにシンヤにはそう見えた。

 いやらしい笑顔を浮かべている強羅課長はさりげなくヒナタの腰に手を回している。


 ――あの野郎!



 シンヤの心の中では怒りがくすぶったまま、壁にかかった時計は夜九時を指していた。

 北里係長の携帯端末に着信があったようだ。しばらくすると北里が立ち上がって大きな声をあげた。


「おーい。誰かスプリングスの部屋を予約してくれ。強羅課長と桜花さんの二部屋」


 北里係長は意味深にニタつく。

 フロアがざわついた。桜花ヒナタもホテルに泊っていくのか、と。

 これは初めての事態だった。

 スプリングスとは、海浜幕張駅前にある高級ホテル「ホテルスプリングス幕張」のことである。

 地上十四階の本館と、結婚式用のチャペルを設備した新館がある。

 ZOZOマリンスタジアムで試合をしたプロ野球選手も宿泊するくらいの立派なホテルであった。

 シンヤの職場は深夜作業、徹夜は当たり前なので、終電を逃した社員はホテルに宿泊することができる。当然会社の費用でだ。

 基本的にはビジネスホテルに宿泊することが推奨されているが、その辺りのルールは無視してみんな高級なスプリングスに率先して宿泊していた。

 そういう杜撰(ずさん)な運用も、強羅課長が会社の上役に顔がきくからこそであった。そういう面では、単にパワハラ上司なだけではない優秀な課長なのかもしれない。

 とは言っても、終電を逃して高級なホテルに宿泊できて嬉しかったのは最初の数回だけであり、シンヤにとってはいくら遅くなってもやはり自宅の布団で寝るのが一番心が休まるのであった。ホテル宿泊だと仕事のオン・オフの切り替えがうまくできないのだ。


 ――桜花さんが強羅課長とホテルに泊るだと。


 さすがに強羅課長でも男女の一線を越えることはないだろう。そもそも別室で予約しているのだ。

 万が一の事態になってもヒナタならうまくあしらうはずだ。

 だが、フロアを出て行くときに見たヒナタの寂しげな笑顔。


 ――おれに救いを求めていたのかもしれない。好みのタイプの夜神シンヤなら桜花さんを助けてくれると!


 シンヤの頭の中で妄想が止まらない。


〈先輩、今日はまだ帰らないんですか〉


 クロウからのメッセージですでに夜十一時を過ぎていることに気がついた。


〈今日はやることあるからホテル泊って行くわ〉

〈珍しくやる気を出していますね。やっぱり先輩変わりましたよ〉

〈珍しく、は余計なんだが。そうか、おれは変わったか〉

〈先輩もこうして出世街道に乗り出して行くんですかねえ〉


 クロウのメッセージはもう頭に入って来なかった。


 ――おれは変わった。いや、これから変わるんだ。



 人気(ひとけ)のなくなった海浜幕張駅周辺は闇が立ち込めていた。

 その中で輝く塔のように「ホテルスプリングス幕張」がそびえ立っている。

 深夜零時半過ぎ――。

 街灯の灯りの陰からシンヤは踏み出す。


「『Re()gain(ゲイン)』――」


 スポットライトを浴びるように街灯の灯りの下にシンヤは現れた。

 変身して全身を黒いボディスーツが覆っている。

 シンヤはRPGロールプレイングゲームで悪の魔王がいる塔を目の前にした勇者の気持ちだった。


 ――桜花さん、待っていてください。


 シンヤは輝くホテルを見上げた。

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