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残業マン  作者: 伊賀谷
第五章
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トラブルメーカー

 先週の金曜日に意外なかたちで桜花ヒナタとの再会があってからの週明け。

 いつも月曜日は憂鬱だが、今日のシンヤは違っていた。

 なぜなら今日は仕事が終ったら、ヒナタと五反田で待ち合わせをしているのだ。ヒナタの方から約束をしてきたのだ。それが金曜日の夜に聞いたヒナタの頼みだった。

 シンヤの心は浮かれていた。


〈おはようございます!〉


 始業後すぐにクロウからチャットメッセージが来た。普段のシンヤであれば、妙に元気なクロウの挨拶に皮肉のひとつも言ってやるところだ。だが今日は気分が良いので許せてしまう。


〈紅月さん、今日はお休みみたいですね〉

〈そうなんだ。珍しいな〉


 サヨはほとんど仕事を休まない。この職場は「誰がいつ休んだか」をお互いに監視し合うような風潮がある。過重労働で極限状態の人間は他人が楽をすることを許せないのだろうか。生真面目なサヨはそんな圧力を敏感に感じとっているのかもしれない。


〈それが連絡がないそうなんですよ〉

〈え。紅月さんから〉

〈はい〉


 それはますます珍しい。いや、実はこの職場では無断欠勤は珍しくはない。そのまま数日から一週間は音沙汰なく、でもまた戻って来るパターン。音信不通のまま職場をフェードアウトして行くパターンもある。

 最も、休暇の連絡を入れるのが億劫なのは分かる。北里係長や常本係長に連絡すると休む理由をしつこく聞かれたり、小言の一つや二つは言われる羽目になる。

 サヨが連絡を嫌がる気持ちがシンヤにはよく分かる。


〈そういえばA社の山川さんですけど〉

〈ああ、しばらく職場に来てないよな〉


 A社はシンヤの会社のBP(ビジネスパートナー)だ。いわゆる下請け会社である。

 山川はA社のリーダーで、シンヤとは別プロジェクトで活躍していた優秀な人材だ。だが、一ヶ月前くらいから音信不通で出社しなくなっていた。


〈行方が分かったらしいです。お母さんと連絡がついたみたいで〉

〈そうなの。戻って来れるのかな〉

〈どこかの寺で修行僧になっているのを発見されたみたいです〉

〈マジか! そんなことあり得るの〉


 今日もシンヤの職場では冗談のような出来事が起きている。

 どんなに優秀な人、楽しそうに仕事をしている人でも突然出社しなくなることがある。他人の心は分からない。

 でも、どんな形であれ、この職場から脱出できた人が羨ましいとシンヤは思う。自分にはその勇気や行動力がない。


 ――おれはこの地獄のような職場で何も行動を起こせず、不平不満を垂れているだけの人間なんだな。


『残業マン』という超絶な力を手にしたというのに、相変わらず仕事を続けている。何も変わらない日々。最も、残業しないと『残業マン』にもなれないのだが。


 ――なんだ、この矛盾は! ややこしい(パワー)だな。


 それよりもサヨのことだ。まあ、どんな人間でもたまには休みたい日だってあるだろう。シンヤはそのくらいの軽い気持ちでいた。というより、今夜のヒナタとの約束の方に心を奪われていた。



 仕事が終わるとシンヤは五反田に直行した。課長のおじさんとの『残業マン』の修行は無視だ。

 シンヤは猥雑なネオンがきらめく通りに立っていた。通りの向かい側からヒナタが働いている風俗店の入り口を見る位置だ。


 ――これは桜花さんとのデートだよな。


 風俗嬢の仕事が終わるのを嬉々として待っている男というのも、どことなく情けないような自覚はある。でも憧れの桜花ヒナタが呼んでいるのだ。それが男の悲しい(さが)というものだ。

 いや、ヒナタは今日で風俗を辞めると言っていた。このあと二人でどこかで食事をしながら退店祝いをするなんて展開があるのだろうか。これを機に一気に二人の距離を縮めるチャンスにしないといけない。

 シンヤがそんな妄想に浸っていると、ヒナタが店の入り口から出てきた。

 ヒナタはうつ向いて足早に通りに出てくる。

 シンヤはヒナタの方に向かった。


「桜花さ――」


 手をあげようとしたシンヤは動きを止めた。

 ヒナタに続いて三人の黒いスーツの男が店から出てきた。店員だろうか。一人がヒナタに近づいて腕をつかんだ。

 嫌がるようにしているヒナタの腕を男が引っ張ろうとしている。シンヤには声は聞こえないが何やら口論をしているようだ。


 ――ヤベえ。


 三人の男たちは下卑た笑顔を浮かべていた。笑ってはいるがその顔には明らかに一般人とは一線を画した怖さがある。


 ――あれは本職の方では。


 風俗店の従業員だ。いわゆる暴力団関係の方々である可能性は十分にある。


「夜神さん!」

「あ、は、はいー」


 急に名前を呼ばれてシンヤは裏返った声をあげてしまった。

 ヒナタの声が無関係を装おうとしたシンヤを許してはくれなかった。しかもヒナタがこちらに走ってくるではないか。

 ヒナタがシンヤの背後に回る。いつもの良い香りがした。


「さあ。あいつらをやっつけちゃってよ」

「え、なんで」


 ヒナタを見るために振り返っていた顔を前に向けると、三人の黒服が迫っていた。間近で見ると明らかに堅気ではない。


 ――こ、怖い。怖すぎる。


 黒服の一人が一歩前に出た。


「なんじゃあ! おのれは!」


 男は思い切り凄んできた。


「ちょ、ちょっと。話し合いで解決しましょう」

「無理よ」

「え! なんで」


 ヒナタの横やりに、シンヤは思わず反応した。


「あいつら、わたしが退店するのを許してくれないのよ。何せ人気ナンバーワンだったからね」

「あ、そういう……」


 シンヤにも大体の状況は把握できた。つまり、ヒナタは今日で退店することになっていたが、手放したくない店側が強引に引き戻そうとしているわけだ。


「えっと。そのためにおれを呼んだの」

「そうよ。決まってるじゃない」


 デートではなかった。シンヤの心に隙間風が吹いた。でも、今この瞬間にヒナタと一緒にいるという喜びがあることは否めなかった。


「ルカちゃん、考え直してよ。ギャラは弾むからさ」


 目の前の男が猫なで声で語りかける。


「うるせえんだよ、チンピラ! 契約どおりなんだから、もう近寄ってくんなよ!」


 ヒナタがシンヤの背後から顔を覗かせて威勢よく言い返した。


「ああ! 下手(したて)に出ればつけあがりやがって。このアマ!」


 目の前の男の表情がまた険しくなった。

 黒服たちとヒナタに挟まれているシンヤはたまったものではない。


「分かったよ……」


 シンヤは呟くと同時に振り向いてヒナタの両肩を掴んだ。その場で二人で踊るように一回転する。


「『Re()gain(ゲイン)』」


 三人の黒服には突然シンヤが消えて、ヒナタの背後から全身を黒いボディスーツに身を包んだ何者かが現れたように見えただろう。


「な、なんじゃあ……」

「『残業マン』」

「え」


 黒服たちは呆然としている。


「ロドリゲスさんの方が三倍は怖かったぜ!」


 シンヤは一歩前に足を踏み出した。

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