八話 迷天①
「雷の呪文ってね、凄く珍しいの」
そう言ったレベッカの顔を、千夏は見上げた。
「人によっては、『英雄』の呪文なんだって言う。……疾くて強力な雷の呪文を習得するんだって、憧れる子供は多かった、レインもそう」
泣きそうな顔だった。
「あいつとは幼馴染なの。昔から、僕は英雄になるんだって、迷宮をたくさん攻略するんだって。勝手に迷宮に入って、『雷の呪文』を覚えて帰ってきた時も、みんなに怒られたのに、ボロボロの姿で、笑顔だった」
昔を懐かしむ様にして、頬に一筋涙が流れた。
「『英雄』だって、簡単に死ぬのにね」
空に昇った黒い太陽の、白い輪郭は幅を広くさせていた。そこから降りる黒い稲妻は後、二本。それはつまり、ライアの街を覆い囲む『四転命環』の迷宮、その二つ目……『還迷』は攻略されたという証拠であった。
ライアの街の解放に一歩近づいた。だというのに、『還迷』の入り口……元は黒い稲妻が降りていた石門の様な建造物の前に集まった大量の人間達の顔は、暗い。
千夏とレベッカの前には、横たわる一人の老婆の姿があった。セリーズスと呼ばれていた彼女は、千夏の記憶にある彼女とは結び付かない凄惨な姿だった。
横たわっているのは彼女だけではない。他にも六人……それは、この街に残っていた探索者、その最後のパーティーであった。
彼らはレイン達が潜った一つ目の迷宮『屍還』には行かなかった。しかしレインを除く探索メンバーの死に責任を感じたのか、まるで贖罪の様に『還迷』には勇敢に臨んだ。
そして、皆死んだ。
「……『還迷』は、入った者達が関わってきた『死者』と戦わされた。ただ、それだけだったが……『探索者』には驚異だった。今まで、どれほどの《死》と向き合ってきたと思う?」
生き残ったのは、ガラハッドただ一人だった。身体中傷だらけではあるが、命に別状はなく、だからこそ悲痛な顔持ちで集まった人の前に立っている。
やがて葬儀が行われた。レインの仲間達の時の様に、状況的に仕方がなく簡易的なものではあるが、遺体は丁重に街の教会へ安置される。
ポツポツと人影が減っていく、皆暗い顔で俯いて、口数は少なかった。
その後、何故か薄寒く感じるセリーズスの館に千夏達は帰ってきた。夜語り合った食堂に千夏と黒崎、レインやガラハッドが集まっていた。
「レベッカは、家に置いてあるご飯を取ってくるって。今は食料が貴重だから……」
「婆さんは、この家にあるものをなんでも使って良いと、迷宮へ行く前に言っていた」
沈黙が支配する中、レインとガラハッドが口を開いてそう言った。またその後沈黙が続く。
「あんたは、よく生き残れたな」
ふと、黒崎がそう言った。別にそれは責める類のものでも、無事を喜んだ言葉でもなかった。ただ、純粋な疑問と言った様子だ。
「ああ正直、俺と……婆さんなら、あの迷宮はなんとかなっただろう」
そう言ってガラハッドは、視線を移した。その先には、写真立てがある。彼のその様子を見て、千夏は悟り、震える声で聞く。
「お、お孫さんが、出たんですね?」
「そうだ。婆さんは、殺せなかった」
足元が崩れる様な錯覚があった。顔を青くさせる千夏の元に行き、ガラハッドが小さな頭をガシガシと撫でる。
「お前が気にする事じゃない。迷宮において、自分の命は自己責任だ。それは婆さんもそうだ。相手が孫だろうと関係がない。お前が変に気にすることは、命を賭けた彼らに対する……探索者に対する冒瀆にあたる」
「そんな、つもりは」
「分かってる、分かってるさ」
ガラハッドの、なにかを耐える様なその言葉に誰もなにも返すことはなかった。彼自身が、自分にそう言い聞かせているのかもしれない。それは、別に自分を守る行為ではなく……。
「だが、これで迷宮は後二つ……なんだろ。それでこの街はよくわかんねぇ壁から解放される」
腕を組んで黒崎が言うと、しかしレインやガラハッドは浮かない表情をする。その様子に黒崎が眉を顰めると、ため息を吐いてガラハッドは椅子に座り、重い口を開いた。
「問題は、誰が攻略するのかだ。俺、レイン……後、この街に残った戦闘域に達している『呪文使い』はシキとクロサキ……お前達くらいだ」
ガラハッドの言う『ソーサラー』というのは初耳だが、文脈の流れから何となく『呪文』を扱う者の事だろうと言うことはわかった。
それよりも、彼が言い淀んだ理由を千夏は察する。つまり、もうこの街には……今この場にいるメンバーしか『戦う力』を持っていないのだ。
「だが、『呪文』ってのは、『迷宮』に入って覚えるんだろ? だったらよ、今は使えるもんがなくても中に入りゃ覚えるかもしれねぇだろ」
事実、千夏が『叛逆剣』を習得したのは、迷宮内の事だ。あの時、死神と対峙したあの瞬間にはっきりと自分の中にそれが新たに生まれた感覚があった。
黒崎の言葉に対し、ガラハッドは浮かない顔のままだった。
「迷宮は、《力》を与える。それが、『呪文』だ。そして、迷宮とは『試練』だ。『試練』とは、それを越えようとする者にしか意味をなさない」
ガラハッドの言葉は、渡された「迷宮について」という本に書いてあった事だ。
「分かるか? 『呪文』とは、『立ち向かう』者にしか与えられない、『戦う力』なんだ……とはいえそこに運も絡んできてなぁ……お前達の様に、『レア呪文』を覚える可能性なんて……」
「レアスペル?」
思わず千夏が聞き返すと、ガラハッドは「ああ」と短く答えてから、何かを思い出す様な仕草をしながら天を仰いだ。
「こう、あれだ。すごく珍しい『呪文』の事だ。『巨攻』は、まぁたまに居る。でも『叛逆剣』ってのは……俺の知る限り、一人だけだ」
指を一本立てたガラハッドが苦い顔をして続ける。
「だが、俺の知るそれはレインに聞いたシキの『リベリオン』とは大きさが違ってたな。普通の剣くらいのサイズだった。でもまぁ、普通の呪文と違って『レア呪文』はそういう固有差がある……時もある」
まだまだ知らない事は多そうだと、千夏は頭を悩ませた。自分がその様に珍しい呪文を覚えることができたのは、よく異世界転生系の創作物で出てくる『チート』というものなのだろうか。
千夏はそう考えて、それならばもっと強力なものが欲しかったと正直思う。
こう、一発であの巨大ゾンビを吹き飛ばすレベルの力とかをくれても良いのではないだろうか。実際異世界転生した主人公達はそんな魔法をポンポコ使えるようになるものが多かった。
「まぁ、話はわかった。要は腰抜け共が多いってことだろ、はいはい。この街は終わりだ」
「黒崎!」
あまりに乱暴な物言いに千夏は思わず声を荒げてしまう。だが、黒崎は何が悪いと言わんばかりに鼻を鳴らす。
「少し街を歩いて、なんか辛気クセェわ何かに八つ当たりするわ……だったら自分で戦えって思うだろ。俺、石投げられたんだぞ」
石の話は初耳で、そんな事があったのかと千夏は驚く。黒崎の怒りの発端はおそらくそれなんだろうと千夏は何となく察した。ガラハッドとレインも気まずそうにしている。
「そりゃぁ、いきなりしらねぇ奴が現れたら不気味だろうよ。けど石はねぇだろ石は。仕方ねえから『巨攻』でその辺殴った」
「……なんとも言えないが、その結果こじれた側面もあるぞ」
千夏が眠り込んでいた間の出来事だろうか。そういえば数人で自分達に突っ掛かってきた男達に対して黒崎が怒鳴りつけていた時、あの時は短気だなぁと思ったのだが……どうやらそれ以前に色々とこの街の住人と揉めていたとは。
「そういう人達は、ほんとごく一部なんだよ。謝って許せるものじゃないだろうけど。いつもは良い人ばかりなんだ」
困った顔のままフォローをするレインだが、思い出してぷんすかとする黒崎は腕を組みそっぽを向く。見た目は可愛らしい金髪少女なので、感じ悪いという印象を受ける前にあざといなと思ってしまう千夏だった。多分本人にそんなつもりはない。
「話は戻しますけど、それじゃあ僕達も次の迷宮には行った方が良いって事ですかね?」
黒崎が話し始めたため、気になっていても聞けなかった事をようやく千夏は口に出来た。ガラハッドが言うには、『戦える』呪文使いはこの場にいる四人のみ。
遠回しに迷宮攻略を手伝えと言われているのだろうか? と思うのも仕方がなかった。
「……はっきり言って、迷宮攻略はお前達には荷が重いと思っている。身のこなしよりも何より、単純に身体が小さすぎる。体力の問題だ」
だが、とガラハッドは続ける。
「俺はその場にいなかったが、お前達二人の力で一つ目の『屍還』を攻略したのは事実。それは『呪文』だけでなく、お前達に、迷宮を攻略する力が備わっていることの証左だ」
「だから俺と四季についてこいって言ってんのか、どうなのかって話だぞ、回りくどい」
「黒崎、俺達にちゃんと理解してもらいたいってだけだと思うから……ちょっと待ちなよ……」
イライラと堪え性のない黒崎が回りくどい言い方をするガラハッドの言葉を遮る。千夏も話が長いなと思わなくもなかったが、黒崎が怒っているのを見ているとそんな事もどうでも良くなってくる。
「分かった。はっきり言おう。俺とレインでお前達を護衛し、四人で攻略に臨むのがベストではないかと思っている。これは、正直に言うとお前達に期待をしているからだ」
「俺達はどう考えても足手纏いになるんじゃねえか? 俺と四季は、でかいバケモンとは殺り合ったが、まともに迷宮ってのを歩いた事すらねぇんだぞ」
黒崎の言うことが正しい。体力面でも、体力テストなどをして数値化したわけではないが、明らかに男の時より劣っているだろう。何より手足が短く体重が軽い。
そしておそらく、千夏よりも多少大きいとは言え黒崎も同じだろう。特に黒崎は、元の身体が長身だった事もあり、違和感で言えば千夏と大差ないのかもしれない。
そもそも元の世界に迷宮なんてなかったのだし、向こうで兵隊をやっていたわけでもなく、ただの学生だったのだからどう考えても生死を賭けたやり取りの経験が少ない。
黒崎に同意するように千夏は一度頷いた。
「それは、思うかな。僕らって、多分この……この世界の人達と比べて圧倒的に……戦闘? 経験が少ないと思うんです」
でも、と千夏は言い淀む。
「なんていうか、この街大変そうだし、助けになるのなら……とは思うんですが」
「四季! 場に流されて自分の命を粗末にして良いわけじゃねぇぞ!」
「黒崎って意外と良いこと言うよね……」
やいのやいのと騒ぐ少女二人を見つめ、悩むガラハッドはしかし心の内にある『自身の直感』に従う事にした。彼はもちろん、年端も行かないこの少女達を巻き込む事に心を痛めている。だがそれでも
「何故だか、お前達二人ならば……と、考えてしまう。突然こんな状況になって、突然現れたお前達に、何か運命的なものを感じている」
一度区切り、確信を持って言う。
「この迷宮を攻略する為に、お前達が現れたのではないかと」
ガラハッドが真剣な顔でそう言って、誰も何も答えずその場を沈黙が支配した。横のレインもそれを否定するどころか、むしろ肯定する様に頷いていた。
「俺達が来たから、迷宮が出たパターンもあるよな」
ボソッと呟いた黒崎の言葉には、二人ともニコリとするだけだったが。
「そうだ、四季。一応……俺の『巨攻』で、この街を囲ってるキモい壁をど突いたんだが、びくともしなかった。だから、お前の」
千夏の方を見て、殴る素振りをしながらそんな事を言い出した黒崎が言葉の途中で突然黙り、真剣な顔で立ち上がって窓の外を見始めた。
それとほぼ同時、千夏は言葉ではとても言い表せない、嫌な気配を肌で感じる。それは、まるで風のように通り過ぎて、そして通った後の世界を一変させた。身の回り周囲のなにも、見た目は変わっていないが、変わったと感じさせた。
「……!? 『巨攻』が、回復した」
驚愕する黒崎の言葉と、千夏が感じたものと同じ自身の身体を突き抜けていった気配。その二つから想像した現実に、ガラハッドは顔を青くさせる。
「まさか、そんなことが……!?」
愕然としたガラハッドの声。
そしてこの街に、迷宮の壁の内側にいる人間全ての脳裏に試練は伝えられる。
『四転命環《迷天》』
《迷える魂に、還る場所を示せ》