五話 還迷②
千夏の前に並ぶ三人の人間。
男、男、そして老婆。
「ようやく目を覚ました様だな」
その中で、一番体躯が大きい男がまずそう言ってきた。歳の頃は四十くらいだろうか。二メートル超えの身長に、胸元がガバリと空いた服を破りかねない筋肉。頭から顔に掛けた大きな傷があり、傷のあるところには毛が生えないのか、そこだけ禿げている。といっても、褪せた金髪を坊主にしているのでヤンキーの入れる剃り込みに見えなくもない。
「支部長、彼女はシキ。こう見えてもかなり強力な『呪文』を持っていましたよ」
次に喋ったのはもう一人の男だ。この男は、千夏には見覚えのある存在だった。歳は若く、まだ二十代だろう。短い金髪に、横の巨漢よりは細身の身体。
「あ、雷飛ばす人」
千夏は思わず口にする。
あの迷宮内で、名前も知らず共闘した男だ。雷を飛ばす『呪文』を持つ彼がいなければ、千夏はここにいないだろう。
ふと、千夏の手に触れるものがあった。優しい手付きで千夏の手を撫でて、最後の一人である老婆が口を開いた。
「シキちゃん、どこか痛むとこはない? 気を失ってたから……目に見える傷しか治せていないの」
「そこの婆さんは傷を治す『呪文』もってんだ。そんでお前を治してくれたんだよ」
黒崎が説明をしてくれる。それを聞いて老婆を見た千夏は、とりあえずペコリと頭を下げた。
「あ、ありがとうございます……痛いところは、ないです」
「遠慮はするなよ! と言いたいところだが、セリーズス婆さんの『残数』はもう少ないから、ないならそれでいい!」
ガハハっ! と豪快に笑う巨漢。『残数』とは恐らく『呪文』の使用回数のことだろう。
『叛逆剣』 残五回
ふと意識を集中して自分の『呪文』を確認すると、使用回数が回復していた。間違いなく使い切ったはずなのだが、条件が分からない。
「この状況で、無闇に『迷宮』に入ることは避けたいからな……まぁ、そうも言っていられないんだが」
続ける巨漢の言っている事がよく分からず、首を捻っていると若い方の男が苦笑しながら教えてくれた。
「ああ……やっぱりシキちゃんも知らないんだね。『呪文』は、『迷宮』への出入りによって回復するんだ。逆に、それ以外の方法はない」
「俺も『巨攻』が増えてたから聞いたんだ、常識なんだと」
使い切ったとしても、回復方法があるというのは千夏にとってホッとする事実だった。今の彼女にとって、何より頼れるものが『呪文』……これがなければ、彼女は『死』に抗う術すら持たなかったのだ。
「俺はガラハッド、この街の『迷宮ギルド ライア支部』の支部長だ」
巨漢、ガラハッドがゴツゴツとした手を伸ばしてくるので千夏も応える様に握手をする。一息で握りつぶされそうなサイズ差に少し肝を冷やす。
「あ、俺はレイン。探索者……迷宮に潜って金を稼ぐ人の事ね。この街、ライアって言うんだけど、ここが故郷なんだ」
続いて若い男レイン。どうやら黒崎との交流で、千夏も『世間知らず』である事をわかっている様で要所に説明を入れてくれる。
「私は、セリーズス。昔は探索者をやっていたのだけれど……今はただの隠居。もう、そんな事言ってられなくなったけれどね」
最後に老婆セリーズスが優しい笑みを浮かべて紹介を終えた。ガラハッドとの握手を終えて、なんとなくベットに腰掛けた千夏の頭をセリーズスは自然な仕草で優しく撫でた。
「こんな小さい子が、あれだけ傷だらけになって……レインから聞いたわ。貴方のおかげで、あの迷宮を攻略できたそうね。もちろん、クロサキ、貴方もよ。ありがとう」
中身は男でもう少し大きいんですけど、とは言わないが千夏はなんだが照れ臭くなった。黒崎も気恥ずかしそうに顔を逸らし、話題を変える。
「そんなことより、現状をコイツにも教えてやってくれ。俺達は、何も知らない」
「そうだったな。まずは、『迷宮』についてか」
黒崎の言葉に、ガラハッドがそうだったと手を叩く。手に持っていた袋から本を取り出して、ベッドの上に置く。
「『迷宮』とは、突然生まれ出る《試練》だ。その中では貴重な《宝物》や……『呪文』を得ることができる。探索者とは、迷宮に潜り《宝物》を持ち帰る事を生業としている奴の事だな」
投げられた本には、千夏の知らない言葉で『迷宮について』と書かれている。
「もっと詳しく気になるならそれを読んどいてくれ、説明すると言っても俺達にとっては当たり前に在るものだったからな、中々説明がむずかしい。ただそうだな……お前達も使う、『呪文』とは『迷宮』の《試練》を越えるための力だ」
呪文……千夏は自身の手を見た。この手の中に生まれる、『叛逆剣』という力。それは日本に居た時には持ち得なかったもの。そしてその出所こそ、『迷宮』なのだという。
ガラハッドは部屋の窓を開けた。そこから外の景色を見て、説明を続ける。
「今から半月程前に、突然空に黒い太陽が出た。そして、あの毒々しい壁を生み出して……この街、《ライア》を閉じ込めてしまったんだ」
ガラハッドは外に向けて指を差した。黒崎は先に説明を聞いていたのか、腕を組み静観しているので千夏は窓に近付いて外を見る。指を差す先、街を囲むドーム状の壁、その頂点に黒い光があった。
まるで金環日食の様に、丸く縁取る様に白が輝いている。そこから、三本……黒いモヤのような稲妻が壁を走っている。
「迷宮の名は、『四転命環』。四つの『迷宮』からなる『複合型迷宮』だ。そのうちの一つ、『屍還』をお前達が攻略した事であの黒い太陽……《黒陽》の外周部の一部が白くなった」
よく見ると、三本の稲妻のうち一本だけやたらと激しく脈動している。千夏がそれに気を取られていると、ガラハッドもそれを見て頷く。
「四つの迷宮の内、最初は『屍還』にしか入る事が出来なかった。しかし、それが攻略された今、二つ目の迷宮が解放された……『還迷』という迷宮がな」
そこまで言ってからガラハッドは窓を離れる。
「残りは三つ。全てを攻略する事で、ようやくこの街が『解放される』と考えている」
深刻な顔をする黒崎以外の三人。
そこで千夏は気になっていた事を尋ねる。
「あの、迷宮の中で死んでしまったけど……探索者の方とあったんです。その人達が書いた手帳に、『街はもう保たない』って」
千夏の問いに、ガラハッドは深刻な顔のまま頷く。
「単純に、食料とかだな。壁に囲われた状態で、街の中にいる人間全員分を賄うには……ギリギリで踏ん張れば、数月は保つかもしれない。だが……」
言い淀み、しかし続ける。
「感情の方はどうしようもならん、先が分からない状況に、この街はもう限界なんだ」
「じ、じゃあ……」
思わず口に出してしまった千夏の言葉の先が分かっているのか、レインが顔を伏せる。
「『屍還』には、十分なメンバーを揃えて行ったんだ。この街に、滞在していた『探索者』の中でも……。でも、俺以外は、ね。そうだ、それ、預かって良いかな」
悲しそうに顔を伏せていたレインが、学ランの上に置かれた認識票を指差した。何も言えず頷くと、レインは四つのそれを優しく手に取り、強く握りしめた。
「俺は、あの大部屋にいたのに……そこに取り残されたまま、拾うこともできなかった」
千夏が看取った四人以外のメンバーは、あの大部屋のボスの手にかかったはずだ。という事は、あのボス部屋のどこかに彼らの死体と認識票があったのかもしれない。あの時の千夏にそれを確認する余裕はなく、それはレインや黒崎も同じだったらしい。
「はいはい、ここでおしまい」
部屋の中の空気が暗くなってきたところで、セリーズスが皺くちゃの手を叩いて言う。ニコニコと優しい笑みを浮かべて、千夏と黒崎の手を取った。
「特にシキちゃんは病み上がりなんだから、これ以上辛気臭い話をしてもただ辛いだけだわ。今日は私の家に来なさい。クロサキ、貴方も寝れてないでしょう? ここよりは、安心できるはずだから……」
「クロサキはずっとシキの側に居たんだ。お前、丸一日寝てたんだぞ」
「おい、余計なこと言うな」
耳打ちしてくるガラハッドに、黒崎が頬を染める。丸一日、千夏は自分がそんなに長い時間意識を失っていた事に驚き、心配してくれていたという黒崎を見る。
「あ、ありがとう」
素直に謝辞を述べられて気恥ずかしそうに黒崎は頭を掻く。
「まぁ、でもセリーズス婆さんの言う通りだな。今日の所はここまでとして、まぁ、ゆっくり身体を休めてくれ……あぁ、クロサキには言ったが街の人間の中にはお前達の事をよく思っていない連中も居る。レイン、婆さんの家まで護衛してやってくれ」
千夏と黒崎のやりとりを微笑ましく見守っていたガラハッドが軽い口調でそう言うと、黒崎が呆れた様な顔をガラハッドに向けてため息を吐く。
「いや、それが重要なんだよ。迷宮云々よりもさぁ……」
「そういえば、そんなことさっき言ってたね……」
千夏は彼ら三人が来る前の黒崎との会話を思い出す。
「とんでもない、英雄なんだけどね。でも確かに出自が謎ってのはあるから」
フォローする様にレインが言うが、なんとなく千夏の脳裏には集団で迫害される自分達の図が浮かびゾッとする。
それは日本でもある様なことだ、『迷宮』という非現実よりよっぽど明確なイメージができた。
街の、先の見えない状況に加えて現状での不安要素。千夏の心にずしりとした重いものが乗る、一体この先自分はどうなってしまうのだろう? セリーズスに握られた自身の小さくなった手はまるで現実味がないが、確かな触感を与えてくる。
それは今この状況が、現実なのだと千夏に叩きつける様なものだった。これが全て夢であればと、千夏は切にそう思った。
*
「さっきまであの家に居たのは、街の連中の目もあったかららしい。最初っから婆さんの家や、もしくはガラハッドんとこに連れ込んでたら妙かもってな」
セリーズスの家へ向かう道中、黒崎は先程までいた酒場兼宿屋の事について千夏に説明した。
まぁ、と黒崎は端正な顔を歪めて続ける。
「大した効果はなかったみてぇだな」
「おい、支部長……っ! そいつらをどうするつもりだ……!」
「元凶じゃないのか!」
「迷宮から出た魔物なんだろ!」
数人の男達がそう騒ぎ立てているのを、ガラハッドとレインの二人が千夏達の前に立ち塞がって宥めている。千夏達からすれば濡れ衣もいい所だが、閉ざされた環境に突如として現れた余所者に対し、不安に思う者が居てもしょうがない。とは事前に聞いていたものの、なんだか悪い事をしている気分になる千夏だった。
「何を言うか! この二人こそ、『迷宮』を攻略した立役者だぞ!」
「そうだよ皆! 俺も、あの子達が居なければ死んでいた!」
「あんな小さい子達に、レイン……お前達が、お前の仲間達や、『アイツら』がやられた迷宮を攻略する力があるってのか……っ!? それとも、レイン以外の皆も本当は生きているって言うのか!?」
男の一人による悲痛の叫び。
彼の言葉に、思わず口をつぐんでしまう二人に、更に追撃がかかる。
「残りの三つは、誰が攻略するんだ!? もう、まともな探索者は残っていない! お前らは、あのガキどもが残りも攻略してくれるってのか!? そうだとして信用できるか!? それなら……アイツらを『殺して』! 迷宮の消滅にかけることの何が悪い!」
めちゃくちゃな理論だった。正気とは思えない破綻した男の言葉に、ガラハッドが見るからに怒りを見せた。
「頭を冷やせ! 馬鹿がっ! そもそもあの二人を殺して迷宮が消えるわけがないだろ! 『迷宮』ってなぁ、そういうもんじゃねぇ!」
千夏には、男の騒ぐ理由がなんとなく分かる。ただ、感情を、不安を何かにぶつけたいだけなのだ。その理由が欲しいだけで、彼にとっては千夏や黒崎がどういう存在なのかなんて、恐らく関係がない。
「言わせておけば、テメェ! ごちゃごちゃ言ってんじゃねぇ! 文句あんならかかってこい!」
しかし黒崎はそういう八つ当たりに対して怒りを覚えるタチであった。青筋を浮かべて拳を振り上げ、眉を吊り上げている。
「ちょ、更に揉めるから……」
慌てて止めに入る千夏だが、いくら黒崎が小さいとはいえ千夏は更に小さい。体格差で止められるわけもなかった。
「大体なんだ! 大の男が情けねぇっ! テメェらが迷宮ってのをクリアすりゃあ、良いだけだろうが!」
続く黒崎の叫びに、男達は声を詰まらせる。その萎縮した様子を見て黒崎は更に頭に血を登らせる。
「あァ!? もしかして、自分らじゃ怖くて……っ! むがー! もががーっ!」
ヒートアップしている黒崎の口をレインが塞ぐ。そのまま暴れる黒崎を抱える様にして、走り去っていった。ガラハッドが残された千夏とセリーズスの元へ来る。
「アイツには先に行ってもらった。俺達も行くぞ」
「シキちゃん、みんなね、余裕がないだけなの……怒らないで、あげて」
優しくそう伝えてくるセリーズスに、千夏は曖昧な笑みを浮かべることしかできなかった。後ろめたい事がある様な瞳でジッとこちらを睨みつける男達を一度見て、千夏は彼らから目を逸らす。