四話 還迷①
『迷宮』を多く所有する大国ラビリスの首都から少し離れた位置にある、何の変哲もない街"ライア"。それなりに大きいこの街には『迷宮』そのものこそないが、そこに潜ることを生業とした『探索者』達の遠征拠点となっていることも多く、都会というほどではないが日頃から賑わっていた。
そんなライアの街に、異変が起きたのは唐突だった。
朝、仕事をするためや、外の『迷宮』を目指す為に人々が騒がしくしている時。
地震が起きた。この辺りで地震が起きることは珍しく、それこそ……『迷宮』が自然発生する時くらいだ。
まさに、この地震は『迷宮』の誕生であった。揺れる地面に動揺していた人々は、揺れが収まった時に空を見た。
どす黒い何かが渦巻く、異常な空を。怪しげに輝く黒い太陽から伸びた四本のモヤが、街の周囲を囲い『迷宮』への『ゲート』を作る様を。
しかし、生み出された『迷宮』が、街を外から完全に分断していることに気付くのは、そこから数時間後の話だった。
*
真っ暗な闇の中、何故かはっきりと見える道化の仮面。その下に蠢く黒い衣装の隙間から、銀に輝く刃がぬるりと飛び出した。
それは死神の鎌だ。まるでギロチンのように、身動きの取れない千夏の首に向かってそれは振り下ろされ……
「わあぁっ!」
ガバッと飛び起きた千夏は、大きく脈動する心臓を胸の上から押さえて、それでも落ち着く様子がないので大きく深呼吸をする。
何故か涙が止まらない。ボロボロと零れ落ちる涙を拭き取る余裕もなく、ここはどこだと首を動かした。
部屋の中だ。見覚えのない、知らないどこかの一室。
自分はどうやらベッドのようなもので寝ていたようだ。まず、千夏の視界に入ったのはすぐ側に椅子を置いて座る腕を組む人影。長い金髪を無造作に後ろで結び、キツく吊り上がった大きな瞳を千夏に向けて……目が合うと僅かに頰を緩めた、美少女。
「起きたか、四季」
「く、黒崎……?」
寝起きで少し呆けてはいたが、すぐに記憶がはっきりとしてくる。思い出すのは、薄暗い洞窟での、死闘。そして、そこで出会った『同級生』の名を語る金髪の、まさに今目の前にいる少女。
千夏が戸惑いがちに言ったその言葉に、頭を掻いて気まずそうに黒崎は答える。
「あー、おう。俺も、何となくは気付いていたが……鏡で見た時はビビった。見た目が、アレだ、全然、違うだろ。『黒崎 大伍』、お前と同じ高校の……そもそも本当に、四季千夏だよな?」
黒崎大伍。その名前を聞いて、脳裏に浮かんでくるのは目の前の金髪少女ではない。
たしかに、金髪ではあった……それは、いわゆる『不良』というカテゴリにあった黒崎が黒髪を金に染めていたからだ。
背はそれなりに高く、スラっとした体型だったが鍛えていた彼は、悪事を自らすすんでやるタイプではなかったように思える……というのも、千夏と黒崎の間に交流なんてないに等しく、彼……今は彼女の、人となりなんてよく知らない。
ただ、かつての黒崎大伍は、一匹狼という言葉が似合う男だった。見た目が派手で、鋭い顔付きながらも整っていた事からよく喧嘩を売られていたイメージである。
そしてそれを買って喧嘩三昧。
不良というよりは喧嘩屋だな。千夏は自身の黒崎大伍像をそう評した。
「うん……お互い、それを証明できる事と言えば記憶くらいだけど……悪いけど、黒崎のことよく知らないや……」
申し訳なさそうに千夏が言うと、黒崎は着ているボロい布のワンピースのポケットから何かを取り出した。それは、『黒崎』と漢字で書かれた名札だった。
そして、親指でベット横のチェストを指す。そこには無造作に畳まれた学ランが二つ。千夏は自身の身体を見下ろすと、記憶よりも小さな身体は少し肌触りが悪い布のワンピース……黒崎が着ているものと酷似したものを着せられていた。
「それを言ったら、俺もそうだろ。四季の事はよく知らねぇ……ただ、俺自身が《こう》なってんのと、学ランをお前が着てた事からそう予想しただけだ。俺の言ったことに、反応もしたしな」
そう言って黒崎は立ち上がり、自分の身体を見下ろしてその場でクルクルと回る。そしておもむろに自身の胸をガッと掴んで揉む。無言で揉み続ける黒崎を、気まずい気持ちで千夏は見つめた。沈黙が部屋を支配して、やがて黒崎が口を開く。
「俺、女になってるよな」
確かめる様にそう言って、それを聞いた千夏は自身の股をまさぐった。
「……俺も、だねぇ」
あるべき『相棒』がいない。洞窟内でも気付いていた事だが、今落ち着いた状況でその事実を目の当たりにして、千夏は思っていた以上にどうすればいいのかわからなかった。
「そこに鏡があるから一回確認してみろよ」
椅子に座り直して、黒崎は親指で部屋の隅に置かれた鏡を指す。二人がいるのは殺風景な部屋で、千夏の寝ているベッドの他には学ランの置いてあるチェストと、黒崎の指の先にある鏡しかなかった。
言われた通り、千夏はベッドから降りて鏡の前に立つ。
背が低い。まずそう思った。
小学生かと見紛うくらいの、もしかしたらそれくらいの歳の頃なのかもしれない。艶のある緑色の髪は肩の先近くまで伸び、元々癖があるのか毛先に行くにつれてウェーブがかっている。
肌は白く、瑞々しい……幼さゆえなのか男の肌とは違うのか、きめ細やかで自分の肌とは思えない程綺麗だ。
バランス良く配置された顔のパーツ、その中でも大きくぱっちりとした少し垂れ気味の瞳はエメラルドの様に潤いのある輝きを持ち、まさしく宝石の様。
小さな口をパクパクさせて、千夏は自分の体に見惚れた。どう見ても幼いので胸は無く、身体付きも痩せ型なのが自分の好みとは異なるが……。
「おおっ、俺、可愛いじゃん」
と、自画自賛できるくらいには整った容姿であり、何故だか千夏は喜びで興奮した。ただ幼い。腕を組み唸る。
「ガキじゃん」
と言う黒崎を千夏は見る。
輝く金髪は腰近くまでありそうで、今は邪魔なのか乱雑に後ろで結ばれている。強気な吊り目は綺麗な蒼眼を睫毛の下に隠し、瞬きをするだけで男を魅了しかねない。肌も白く、全体的な印象としてはまるでお人形さんの様だ。
そして、見た目の年齢も千夏の今よりは上……とはいえ
「人のこと言える?」
千夏にそう言われ、黒崎は口を閉じた。困った顔で腕を組む。
というのも、千夏よりは上に見えるというだけで、精々中学生……高校生の女同級生を思い出す限り、やはりそこまで成長している様には見えないのが黒崎の身体だった。
黒崎は自分の大して無い胸を揉んで見せて、ドヤ顔をする。
「でもお前よりあるぜ」
「それ恥ずかしくない? 大丈夫?」
自分で自分の胸を揉み、ドヤ顔をする様はアホっぽい。
「お前の、俺可愛くない? 発言よりはマシだろ」
「ええ……でも可愛いよ、俺、ほらぁ」
鏡の前でニコッと笑ってピースサイン。そのまま一人でポーズを取り始める千夏を見て、黒崎はため息を吐く。
ふと、千夏が我に帰った。
「これ、どういう状況なんだ? ここどこ?」
やっと、現実を直視しようとする千夏に黒崎がもう一度ため息を吐く。しかしすぐに、真剣な表情を浮かべると口を開く。
「まずは、お前に説明しておかないとヤベェ事がある。身体云々は、その後考える事だ。とりあえず、俺達が高校生だの、男だの言うのはやめとけ」
黒崎の発言に、しかし千夏はよく分からないといった顔を浮かべる。
「それは、女のふりをしろってこと?」
「そうだ、な。というよりは、変に目立つ様なことを言うなって話だ。設定としては、『迷宮』に突然飛ばされた田舎の少女……ってとこか」
千夏が寝ていた間に、何かがあった。そう思わせる発言に取れた。あの肉人形を倒した後の記憶はない、その後……『迷宮』は出れたのだろう。そして、今この部屋の中にいる。千夏がわかっているのはそれくらいだ。
「あのキモ人体模型を倒した後、俺達はこの街に出た。そんで、この街に住んでる奴ら……外から取り残されている奴らと会ったんだが、まぁ空気が良くない。下手な事をすれば、俺達は殺されかねない」
黒崎の口から物騒な言葉が出てくる。キモ人体模型とは、千夏が心中で肉人形と呼んでいるあの化け物のことだろう。しかしそれにしても、殺されるとは物騒な話である。黒崎の真剣な表情を見る限り、嘘を言っているわけでもなさそうだ。
「つか、何から説明したらいいかわからねぇ。俺も……正直言ってよく分かってねぇからな、迷宮とかなんとか……四季、俺の事ヤベェ奴だと思ってんだろ」
恥ずかしそうに赤面する黒崎に千夏は慌てて首と手を振る。
「いやっ、そんなことない! えー、とな。俺、あの、『迷宮』の中で……死んでる、人達いたんだ。その人達が記録してた手帳を読んで……何となく、あそこが『迷宮』ってやつだってことは気付いてた」
そういえばと、千夏は自分の学ランを手に取る。ポケットの中、四枚の認識票と手帳を取り出した。
「これ、その人達の遺品なんだよ」
複雑な顔を浮かべる千夏に、黒崎は何も言えず黙って千夏が取り出した物を見つめた。黒崎は手帳の中を見せてもらおうかなと思い、そう声を掛けようとするがよく見ると血で汚れていて汚いので触りたくねぇなと思って黙る。
千夏も汚いなと思ったのか、キョロキョロとし始めた。恐らく手を拭くものを探している。しかし、この部屋には適した物はない。流石にベッドのシーツで拭くわけにもいかなかった。
黒崎は仕方がないとばかりに、自分が来ていた制服のワイシャツを学ランの下から取り出して渡す。
「え、いやいいの?」
「いいよ……もうかなり汚れてっし」
もったいないので黒崎はワイシャツを少し破り、切れ端を渡す。おずおずとそれを受け取った千夏が自身の手と手帳を拭き、学ランの横に並べた。
黒崎が真剣な顔で口を開く。
「とりあえず、ここは日本じゃなさそうだ。この街にいる人間も日本人ではなさそうだし。けど言葉は通じる。てかそもそも『呪文』ってのも変だ、ここ……俺達の世界じゃねぇんじゃないかって思ってる」
千夏が迷宮内で考えた仮説に、黒崎も思い至った様だ。そうでもないと説明がつかない。自分達のいた『世界』に、『呪文』なんて力は存在していなかった……少なくとも、自身の周囲には。
彼ら……現彼女らが生きていた日本は漫画やアニメといった文化が盛んな国だ。故に、これだけ非現実な事態に遭遇すれば、『異世界』なんて言葉がよぎるのも仕方がない。
何より、考えても分からない事なら、もうそういうものとして受け止める方が気持ちは楽なのである。
「そのことも言うなよ? 俺達はよ、今この街を閉じ込めてる『迷宮』から出てきた敵だって疑われてる。そりゃあよ……」
一度区切って、黒崎は部屋についていた木の板を開く……窓になっていた様だ。そこから見えた外の景色は、木造建築が立ち並ぶものの日本の様式とは違う、外国風情を感じさせる街並みだった。
だがそれよりも、少し先に見える謎の壁……禍々しい、表面を紫と黒が渦巻く様に動き続けている壁が気になって仕方がない。それのせいで遠くは見えず、少し窓に近付いて外を見てみれば、その壁はぐるりと街を囲っている様だった。その中の範囲は、そんなに広くない。
閉じ込めている。手帳にも、その様なことが書いてあった。きっとあれより先には出れないのだろう。
「俺は、こんな街なんてしらねぇ。お前もそうだろ? ここは俺達の住んでた場所じゃねぇ。それはここの奴らにとって、俺達はぽっと出の他所もんだってことだ」
黒崎が窓を閉める。今更気付いたが、部屋の照明は壁についた蝋燭の様なものだった。
「なんか、あの黒い壁に遮られて外にはいけねぇらしい。だから……ピリピリしてんだ、ここの奴らは。もう……食いもんとかがなくなりそうなんだとよ」
コンコン。突然扉がノックされた。
「おっ、丁度いいぜ。俺なんかより、『あいつら』に説明してもらったほうが早え」
あいつら? 千夏が咄嗟に聞き返すと、黒崎は少し口角を上げて答える。
「あれだよ、『この街の奴ら』の中でも話がわかる連中だ」