二話 屍還②
ゴクリと、自身の唾を呑む音。
少しの緊張と、大きな罪悪感からだ。一度瞠目し、両手を合わせて頭を下げる。気休めだ。
ポケットを探り、冷たい感触の小さな板を幾つか取り出す。それは、最初の部屋で死んでしまった四人の男女が持っていた認識票だ。
辛うじて息のあった最後の一人に託された物、あの時は……それしか、探ることはなかった。
「よし。すいません、失礼します……」
千夏は誰かに聞かれているわけでもないのにそう言って、恐る恐る並べた四人の死体……が装備していた荷物を漁る。
近くに落ちていたリュックのような袋なども拾いまとめてあったので、それらも漁り始める。千夏にとって死体剥ぎの如き行い……まさしくその通りなのだが、故人の荷物を勝手に漁るのは良心を痛めるものだった。
しかし、四の五の言っていられない状況なのだ。しばらく荷物を漁り、地面に色々と並べて千夏はため息を吐く。
目の前には、干し肉らしきものと水筒らしきもの。どれも血塗れで、口をつけるのは忌避感がある。
「これだけ、か」
それ以前に、量が少なかった。
今の身体ならしばらく保つ量だが、いつまでもこの部屋に篭っていられる量ではない。
助けが、来るのか否か。
そもそも現在千夏が身に置く環境が何なのか、分からないのだ。何故、この四人は殺されて、何故自分の身体は少女の姿になっているのか。
「異世界……? まさかな……」
異世界転生。という言葉が頭をよぎった。最近アニメや漫画で流行っていたジャンルだ。自分が使うことのできる『呪文』である『叛逆剣』は、虚空に大剣を生み出す事のできる……まるで魔法のような力。
とてもではないが、日本で、いや……地球で扱える類のものではないのは高校生にもなれば簡単に分かる話だった。
異世界転生、というのもあながち間違いではないのかもしれない。いや、むしろこの事態の説明をするのにこれほど適した言葉はないだろう。
そこでハッとして、千夏は漁った荷物の中、手帳のような物を拾い上げる。
(何か、書いてあるかもしれない)
手帳を開くと、千夏の知る言語……日本語でも英語でもない言葉が何かの絵とともに書かれている。
異世界言語か? 千夏は精々英語くらいしか外国語を知らないのでそこは判断出来なかった。
ジッと手帳の文字を見つめていると、ふと不思議な現象が起きた。
(読める……?)
実際に書かれたその文字が何の言葉かは分からないが、脳内で自動で日本語訳されている様に意味が理解できたのだ。
とても気持ちの悪い体験ではあるが、そこを気にしていても仕方がないので千夏は手帳を読み始める。どちらかというとメモのような、箇条書きばかりだった。
『街が《迷宮》に囲われて数日。外との連絡は取れない』
『ギルドで会議。《迷宮》は四つ、しかし一つしか解放されていない』
『外から分断されて半月。このままでは、街の人間は保たない』
『会議の末、何組かの探索者で《迷宮》の一つを攻略する事にした』
色々と書かれているが、特に千夏の目に留まったのはこれらの項目だった。
(迷宮……? 街が、あるのか。文面的に、この人達は街から今この場所……恐らく、《迷宮》に入った)
その辺りの所から雰囲気が変わった。恐らく《迷宮》内の記録に変わったのだ。地図を書きながらという文字を見つけたので、荷物の中からそれらしきものを探す。
一枚の丈夫な紙を見つけてそれを広げてみると、まるでローグライク系ゲームのマップのようなものが手書きで描かれていた。恐らく、これがこの《迷宮》の地図だろう。
それは途中で途切れていた。とても大きな部屋……の壁が途中まで書かれて、血と共に焦ったような文字で『ボス』。
「さっきのデカイのかな」
あれが居たのはとても大きな部屋だった。そうすると……そこから戻って今千夏が居る場所を辿るとそれらしき部屋に『セーフポイント』と書かれている。
もう一度手帳を覗く。
『探索は順調、だった。三組とも無事で、なんとかボス部屋に到着』
その次は、ひどく乱れた文字だった。箇条書きとも言えない乱雑な並びで、とにかく慌てて書いた事が伝わってくる。
『デカすぎる。小型の敵も増殖。完全に読み違えた』
『セーフポイントを見つけてあった、逃げ込み窮地に一生』
『損害は甚大。無事なパーティーはゼロ。生き残りは四人』
読めないくらい酷いぐちゃぐちゃな文字で、名前らしき単語が幾つも連ねてある。また読み進める。
『引き返すか、進むか』
『《呪文》残数も心許ない、一度退却し立て直』
そこで文字は途切れていた。血で汚れ、それ以降の記録は無い。
恐らくだが、『セーフポイント』……ここは、安全な場所ではなかった。油断、していたのだろうか。千夏は最初に出会った『死神』を思い出す。いや、もしかしたら『ボス』にやられた傷が深かったのかもしれない。
今思い返せば、あの死神も随分とダメージを受けていたような気がする。健闘したのだろうか、もしも万全だったなら、返り討ちにしていたのだろうか。
千夏はそこまで考えて、並べた四人の死体を見る。なんだか、やるせない気持ちになってまた手を合わせた。
*
なんとか無事そうな食料を食べて、少し腹を満たした千夏は手帳の情報を元に頭を整理していた。
分かった事など、ほとんどない。しかし今この状況は、今までの常識に当てはまらないという事は実感した。
手帳には、退却して街で立て直すという記述があった。地図を見て、この部屋からボス部屋……と千夏が呼称している大きな部屋とは逆方向に辿っていけば、出口に辿り着くのだろうか。
しかしその道のりは地図から察するに楽なものではなさそうだ。手帳には出現する『魔物』と呼ばれる敵の存在も記述してある。
部屋に逃げ込む前に戦った、ゾンビのような化け物……あれは、この《迷宮》内を頻繁にうろついているらしい。
千夏は自身の手を見つめる。
『叛逆剣』 残三回
頭に浮かぶ、『呪文』の使用回数。これはあと三回だけしか、あの大剣を使えないという事だろう。
突然使えるようになった『呪文』という力の事は、何となく発動の仕方が分かるだけでそれ以上の事は分からない。
果たしてこの三回を使い切れば、二度と使えなくなるのか……いや、使えなくなるとしておいた方が良さそうだと千夏は考える。
残り三回で迷宮を引き返すのは、無理だろう。
深く考えなくても分かる事実だった。部屋に逃げ込む事になったゾンビ集団、あれにあと三回遭遇すれば千夏は化け物に対する対抗手段を失うのだ。
そうなれば……ゾッとする想像をしてしまい、千夏は身体をブルリと震わせる。
だとすれば、助けが来るまでこの場所で待つ。というのが一番、確実な方法に思えた。しかし、それは一体いつになるだろう。
千夏はまた、四人の死体を見る。
(正直、ずっと死体と一緒にいるのはな)
既に精神的に摩耗している千夏、その状態で死体と共に一体いつまで待てるというのか。
そもそも……助けなんて、来るだろうか。
手帳の記述を思い出すと、外の街も随分と切迫した状況に思える。それに、ここに入った『探索者』と呼ばれる三組のグループは街でも有数の人材だったらしい。
そんな彼らでさえ、今この場所で力尽きているのだ。助けに来れる存在が、まだ街に居るとは限らない。
千夏は手帳のページを開く。
それは先程読み込んだ記録……とは違うページにまとめてあった別の記録。
それは、あの巨大なゾンビ。『ボス』についてだ。
(《迷宮》の攻略……『ボス』の討伐)
はっきりそう書かれた記述があったわけではないが、文面から察するにあの『ボス』を倒せば……この《迷宮》は攻略できると読み取れた。
攻略とは、つまりゲームクリア……という事で良いのだろうか。そうすれば、外に出れる?
引き返す事が非現実的と判断した時点で、一つの案として千夏の頭に残ったもの。
あの、巨大なゾンビを、倒す。
ぶわっと、身体中の毛穴が開いた錯覚があった。
(無理だ)
たった一人で。
(無理だろ、どう考えても)
もっと大人数がいたのだ、あの四人の他に。それでも勝てなかった。なにより、あれほど巨大な相手を、どう倒すというのか。
手帳の記録を読む。『ボス』の特徴だ。
『人骨の山』
『集まって巨大な人の上半身』
『内側から、腐肉が湧く』
それは千夏がこの目で見た現象だった。箇条書きになったそれを読み、その中の一文に釘付けになる。
『肉が湧く中心、心臓』
「弱点……」
ボソリと気付けば呟いた。
自身の『呪文』を思い出す。
あの巨大な拳を、受け止めてみせた力を。この意味不明な状況で、千夏の事を何度も救った力。そして、千夏が今、なによりも頼りにできるもの。
「いける、いや、いくしかない」
気付かぬ内に千夏は自分に言い聞かせるように何度も呟いていた。もう一度、全身の毛穴が開いた感覚があった。そして、どこか高揚とした気持ちで千夏はポケットを探る。
その中の物を握り込み、顔の前で開く。四つの金属の板が僅かに擦れて小さく音を立てた。これを託して死んでいった男の、最後の表情を思い出す。
「そうだ、頼まれたんだ」
そう呟いて、一度瞠目し
「届けてくれ、って」
次に瞳を開いた時、千夏の覚悟は決まっていた。
*
走る。千夏は全力で走る。元の身体よりもずっと遅いし、今まで負った傷のせいで全身を色んな痛みが襲うが、それでも全力で駆ける。
あの部屋を出てすぐ、近くに他の魔物の気配はなかったが、いつ現れるかは分からない。その前に、あのボス部屋まで辿り着く。
やがて巨大な……ボス部屋に到着した。
足元を散らばる人骨を蹴飛ばしながら、こけそうになりながら千夏は走る。
骨の山が眼前にあった。やはり、手帳の記述から予想した通り……あの巨大ゾンビは一度離れるとまた骨に戻るようだ。
カタカタと骨の山が鳴動し、天へ昇る様に周囲の骨を吸い上げる。骨が集まり、人の形を取ろうとして……その時既に千夏は手を後ろに伸ばして叫んでいた。
『叛逆剣!』
強い光が迸る。千夏の手に生まれた大剣が、形成されてすぐにその刃を弾けさせる。爆発した大剣はまるでジェット噴射の様に千夏の身体を宙に浮かせて加速させる。
はっきりと説明書があるわけではない、しかし、今までの二回の発動で千夏は何となく『叛逆剣』の特性を理解していた。
流星の様に千夏の身体が骨の山に突き刺さる。既に、巨大ゾンビの上半身は出来上がっており、強く脈動する心臓の様なものが骨の中心に生まれた。
それを見て唾を飲んだ千夏は、肋骨付近に大剣を突き刺して停止している。チリとなって消えゆく大剣、支えるものが無くなって身体が宙に放りだされる前に千夏は右手を骨の隙間に突っ込んだ。
『叛逆剣ッ!』
発動時、『叛逆剣』は周囲に強力な衝撃波を出す。これまでの経験から、千夏はその特性を利用する。
右手を中心に弾けた光が骨を穿つ。衝撃は骨を幾つも掻き分けて、千夏の前に『心臓』までの道を開かせた。
千夏の把握している特性は二つ。発動時の衝撃波、そして刃を『消費』して、一時的に爆発的な威力を発揮させるもの。
ピタリと、心臓に大剣の切先が届いた。既に心臓からは腐肉が湧き出している。その肉に千夏の身体が押し返されそうになって……大剣の刃が膨らんだ
爆発。千夏の手元を離れて飛び出した大剣が巨大な心臓に突き立てられる。深く刺し込まれた傷から強い光が湧き出して、波紋と共に光がヒビ割れのように心臓の表面を走る。
「吹き、飛べぇっ!」
腐肉に押されて吐き出されるように骨の中から飛び出た千夏が叫ぶと同時、巨大ゾンビの心臓は内側から光を漏らして弾け飛ぶ。
肉片が辺りに飛び散り、衝撃で砕け散った骨が地面を叩く。同じくそのまま地面に叩きつけられた千夏が咳き込みながら慌てて顔を上げると……視線の先で、崩れ落ちる骨の山。
「や、やった……っ」
倒した。その実感があった。
ホッと大きく息を吐き、千夏は脱力した。ガラガラと崩れていく骨にはもう、腐肉が湧き出すことも無く、一目であの巨大ゾンビを倒せたのだと千夏には分かった。
ほとんどが賭けだった。自分の『呪文』の力も検証したわけじゃない、そもそもボスがまた骨に戻っている確証もなかった。
そして、『心臓』があるのか、そこが本当に弱点なのかなんて、実際目にするまで分かるはずがなかった。だから、今この瞬間は奇跡に等しい。
勝った……!
奇跡を起こしてみせた自分に対し、心の奥底から歓喜が湧こうとしている千夏の前で今も尚……崩れ続けている骨山から何かが這い出てきた。
千夏は、一瞬呆けた。そこから出てきたのは、普通の人間サイズの人骨模型の様なものだ。頭に王冠を被り、両手にそれぞれ剣を持っている。肩にかかったボロボロのマントが、最後に落ちてきた骨の塊に煽られて大きく靡く。
「嘘だろ」
人骨模型……いや、この際もう認めるしかない。『魔物』だ。巨大ゾンビや、他の普通のゾンビの様に腐肉が骨を纏う事はなく、髑髏に空いた空虚な眼窩の闇に怪しく光が灯る。
ゲームでは大概、『ボス』は変身したりしていたな。ぼんやりとそう考えた千夏の頰に冷や汗が流れた。
『叛逆剣』 残一回