第一章 エピローグ
「ホントに行くのか?」
セリーズスの家、夜に食堂に集まった千夏と黒崎はガラハッドからのその質問に強く頷いた。
結局、元クラスメイトのスマホは高価で手に入れることはできなかった。だが情報は手に入れた。王都……このライアの街も属する大国、『迷宮国家ラビリス』の王都ラビリス。そこであのスマホを手に入れたという。
その日家に帰って、千夏と黒崎は二人で話し合った。そして出た結論を、もう次の日にはガラハッドに伝えていた。
「うん。俺達は、王都へ行く。探したい人が居るんだ」
「それで、俺にそこまで連れて行って欲しいと」
ガラハッドの言葉に千夏はまた頷き、気まずそうに手をモジモジとさせながら恥ずかしそうに言う。
「だって、地理わからないし……」
そう、王都へ行くと決めたはいいもののこの世界に慣れていない千夏達では辿り着く事すら困難だ。行商に紛れたらどうかという意見も出たが、やはりこの世界での常識も何もわからない千夏達にその様な真似が上手くできるのか分からなかった。
という事で、現状この街で……いやこの世界で最も信頼のおける相手に頼み込んだのだ。自分達がこの街の救い手でもあるから無碍には扱われないだろうという打算もある。
ため息一つ吐いて、ガラハッドは頭を掻いた。
「どうやら本気みたいだな。しかし俺もこの街ではそこそこ重要な立場にある。あの迷宮騒動の熱がまだ冷めてない今、端的に言えば俺はかなり忙しい」
千夏は唇を噛み、じゃあ他の信頼できる人を……と言いかけてそれよりも先にガラハッドが口を開いた。
「だが、お前達は俺にとっても恩人だ。俺が責任持って王都まで連れて行ってやる」
口角を上げてニヤリとするガラハッドに、パァッと千夏は顔を明るくさせて手を振り上げた。
「やった!」
「道中もしっかり鍛えてやるから覚悟しておけよ」
続くガラハッドの言葉に、うえっ! と変な声を出して顔を歪ませる千夏に、仕方ないかと黒崎が口をへの字に曲げながらも腕を組んだ。
*
荷造り自体に時間はかからなかった。
そもそも千夏や黒崎がこの世界に持ち込めた物なんて、学ランと靴……今や元の姿から変わり果てたそれらしかない。
『金城のスマホ』があるということは、自分達のスマホも持って来れているはずだが……おそらくは最初の『屍還』迷宮の戦いで無くしてしまったのだろう。
ガラハッドの助言を受け、賑わいを見せる市場から必要になりそうなものを集め購入する。それらをリュックに効率よく詰めている千夏に黒崎が突然話しかけてきた。
「いいのか? 挨拶くらいしていかなくて」
なんとなく、レベッカのことだろうと推測した千夏は荷造りの手を止め、哀しげに笑みを浮かべて首を振った。
「そう言う黒崎も行ってないだろ? 俺は……正直、怖い」
自分で言っていて、また涙が出そうだった。レベッカとの記憶は、短い付き合いなので大してない。だからこそ彼女の千夏への好意的な笑顔がその記憶のほとんどを占めていた。
この世界に、この『街』に来てから千夏へ向けられてきた視線は殆どが非好意的なものだった。異物である千夏達を見る街の人々の視線は好奇的でどこか恐れや、厄介なものを見るような目だった。
あまり関わりがない人達だったとはいえ他人のそのような視線は千夏にとって中々心にくるものがある。だが、レベッカは会った時からずっと違った。ずっとこちらに対して好意的な目を向けてくれていた。
だからこそ……
「怖いんだ。レベッカさんから、もし……憎しみを向けられたら、と思うと俺は会えない」
レベッカは、レインを好きだったのだろう。そして、既に死んでいたとはいえ……言葉を話し、体温を持っていた彼にトドメを刺した千夏に、また元の様な視線を向けてくれるとは……どうしても千夏には思えなかった。
「……お前が良いなら、良いんだけどよ」
てっきり黒崎にまた荒い口調で何かを言われると思ったのだが、彼女は案外穏やかな声で引き下がった。脳裏に、夜中に嘔吐して苦しむ黒崎の姿がよぎった。セリーズスを倒したあの夜の事だ。
黒崎は、いつも強い口調だが……千夏と同じ、この世界で何度も心を痛めただろう。それを察して千夏は何も答えなかった。
次の日、千夏と黒崎は旅支度を整えて街の外にいた。最後に忘れているものがないかを確認して、ガラハッドが来るのを待つ。
『ライア』の街は砦のように壁に囲まれている。もちろん『四転命環』の時のような禍々しいものではなく、外敵から街を守る為にあるただの高い壁だ。
千夏達は、その壁にある門より外にいた。ガラハッドの姿が見えたと思えば、彼は門番のような人達に何かを言っては紙のようなものに何かしらを書き込んでいる。出ていくための手続きだろうか。そんなに時間はかからずガラハッドはこちらに歩いてきた。
「すまんな、待たせた。準備は万端か?」
「うん」
「おう」
短く返事をした千夏達に、一度頭を掻いて困ったような顔をしたガラハッド。その様子を変に思い千夏は見上げるように見るが、すぐに視線を逸らされ彼は歩き出す。
慌てて千夏と黒崎はガラハッドの後を追う。彼の歩幅は大きく、体躯の小さい二人はついていくので精一杯だ。だが優しく合わせてくれることはないらしい、訓練の一環……おそらくはそういうことだろう。
ふと、何か視線を感じた気がして千夏は少しずつ遠くなっていく街を走りながら振り返った。
街には、外を監視するために壁の内側に監視台のような物が立っている。そこには当然のように人が立っていて、だが千夏は一瞬その人影に目を奪われた。
どこか既視感のある赤い髪が、風に靡いていた気がした。
その後、街を出立した夜のことだ。野営中に焚き火を囲んでいた時、ガラハッドが荷物の中から何かを取り出した。二つの箱だ。どうやら中身が違うようで、ジロジロと確認してからそれぞれ千夏と黒崎に渡す。
「レベッカからだ」
ガラハッドは複雑な顔で短くそう言った。それに、二人は答えず無言で箱を開ける。
中には、髪を留めるバレッタが入っていた。千夏のものは白を基調とした花をあしらったもの、黒崎のものは黒に銀糸が綺麗な模様を描いたもの。どちらも華美なものではなく、落ち着いたデザインだった。
千夏は、風に靡く彼女の赤い髪を思い出していた。箱の中にも外にも、何もメッセージのようなものはなかった。ガラハッドが黙っていることから彼の口から聞けることもないらしい。
これは、千夏達のことを思っての物だろうか。きっとそうなのだろう。何も言葉はなく、それが恨みなのか赦しなのか祝福なのかも分からず……しかし千夏の頬を涙が伝った。
ぽたりと、バレッタが濡れる。これは、祝福だ。少なくとも千夏はそう感じた。
*
一ヶ月以上かけて、千夏と黒崎は王都に辿り着いた。二人は過酷な道中を思わせる悲惨な姿だったが、その髪についた飾りだけは綺麗に磨かれている。
「本来はここまで時間をかける必要はなかったんだが……お前達に、俺からできる事はこれくらいだ。短い期間ではあったが」
わざと険しい道を選び、千夏と黒崎を出来る限り鍛え上げたガラハッドが心配そうな顔で二人を見下ろす。まだまだ、教え足りない事がある。そんな顔だった。
しかしそうも言ってられない。ガラハッドはもちろん、千夏達もそうだ。
とはいえ、ガラハッドには確信があった。
「お前達なら、これからどんな困難をも乗り越えていけるだろう。俺はそう確信している」
この後、王都に入って探索者協会でガラハッドは千夏達のことを紹介するつもりだった。そして、そこでお別れだ。
まだ王都の中にも入っていないのに、千夏は目を潤ませていた。それはガラハッドとの別れを思ってのことかもしれないし、今までの道中の辛さがやっと終わる事に対してかもしれない。
「ガラハッドさん、ありがとうございました」
「おいおい、まだ気が早いぞ」
和やかに談笑する二人を置いて黒崎が歩き出す。彼女も平気そうな顔をしているが疲れから足はふらついる。そして王都に対する期待が隠しきれてなかった。わずかにソワソワしながら目を輝かせて黒崎が振り返る。
「おい! 早くいくぞ!」
「えー、待ってよ!」
そそくさと歩いていく黒崎の後を、短い足で必死に千夏が追いかけていく。その二人の背中をどこか微笑ましげに、誇らしげにガラハッドは見た。
「二人の前途に祝福を」
彼の呟きはとても小さく、誰の耳に届くこともなく消えていった。
第一章 『四転命環の迷宮』 了




