十四話 リザルト
千夏は、目の前で綺麗に畳まれた『とある』服と、その前に並べられた靴を眺めて首を傾げていた。
黒い服だ、掴んで広げてみる。傷みひとつ見当たらない綺麗な生地、胸当てに肩紐が付いている吊りズボンだ。いわゆるオーバーオールと呼ばれるつなぎ服である。胸当ての大きなポケットと肩紐を固定するボタンには千夏の通っていた学校の校章が付いていて……
「え? これ、もしかして俺の学ランなの?」
千夏は一人呟いた。
どう見ても学ランではない。色とボタンだけが同じなだけの、オーバーオールという服である。ふと、足元にある靴を見た。とりあえず履いてみると、今の千夏の足にぴったりである。
足首まで『脚甲』のようなものがついた銀色の金属質の靴だ。なんとなく使っていたスニーカーに似ている気がしないでもないが、そうだとすればハイカットになっているどころかもはや材質まで変わっている。
なんとなく服を脱いでパンツ一丁になり、貧相な身体にオーバーオール型学ラン? を着込む。部屋にあった鏡を見て、角度を変えながらサイズを確認する。ぴったりである。着心地も悪くない、靴も金属質なくせして歩きやすそうだ。
しかし、先程までセリーズスにもらったワンピースしか着ていなかった為、上半身裸で学ラン? を着た千夏は肩や背中が剥き出しで、胸も横からほぼ丸見えで正直日本なら存在が危険だ。
どう見ても変態の格好だが、見た目が小学生低学年くらいの千夏ならアホガキで済みそうである。なんて馬鹿な事を考えていると、突然扉が開かれた。黒崎だ。
「えっ……。な、何してんのお前……。うわっ」
半裸でオーバーオールを着込み、鏡の前に立つ千夏を見て黒崎は真顔でドン引きした。そんな恥ずかしい場面を見られた千夏は顔を茹蛸のように真っ赤にして脱いだワンピースを胸の前に抱え込み、「ぎゃあ!」と叫んだ。
そこでふと黒崎の格好を見ると、何やら彼女……元『彼』にしては似つかわしくない、しかし今の姿にはとても似合っているドレス姿だった。
そんな服持っていただろうか、もしや可愛く着飾ることに目覚めてセリーズスの持っていた服を家のどこからか手に入れた?
黒を基調とした膝下丈のワンピースタイプのドレスは、首を隠している癖に肩から先は丸出しという妙に色っぽいものだ。身体のラインが綺麗に出ており、フリルのついたスカートだが全体的にタイトな印象を受ける。
「似合ってるね」
全身をジロリと舐めるようにみた千夏はニコリと言った。すると黒崎もまた先程の千夏のように顔を赤らめて、少し俯く。
「……恐らくお前のもそうなんだろうが、これは俺の学ランだ」
黒崎のドレスを見て、それから千夏は自分の変態的な格好を見る。一度頷く。
「なんで俺の方はこんなにガキっぽいのさ」
「見た目相応だろ……」
*
一ヶ月後、街はようやくいつもの生活を取り戻し始めていた。
余所者の千夏達も、少しだけ街の人達に受け入れられるようになってきていた。
しかし街を救った立役者とはいえ、怪しい出自の『呪文使い』は不気味に感じるのが普通なので、未だに千夏達とは距離を置く人間は多い。
レベッカとは、迷宮を攻略して以来会っていなかった。無事に生きているらしい事はガラハッドの口から聞いているものの、千夏は何となく会いに行き辛く、そして彼女の方からこちらへ来ることもない。
すっかり千夏達の拠点となっているセリーズスの家でソファーにて寛ぎながら千夏は、化粧台の前で鏡と睨めっこしながら一生懸命長い髪を櫛で溶かす黒崎を見る。
「切ろうかな」
「似合ってるからもったいないよ!」
ボソリと言った黒崎に千夏が食い気味に反抗する。ジロリと黒崎は振り返って、千夏の頭を指さす。
「お前の髪は肩くらいまでだ。わかるか、ぜんっぜんちがう。長いとダルい。あーもう切る」
「結んであげるから待ちなって! レベッカさんも……」
立ち上がってそう言った千夏がふと暗い顔をする。急にテンションを下げた千夏に黒崎は困った顔をして溜息を吐き、とりあえず髪を切るのをやめた。既に手に持っていた鋏を置く。
ちなみにだが、男時代の黒崎は美容室でないと髪を切れない……セルフカットなんてもってのほかという価値観を持っているため、邪魔だが我ながら綺麗だと思っている自分の髪を切る事には抵抗がある。
「レベッカさん、怒ってるかな」
「気になるなら顔でも見に行きゃ、いーだろうが」
そんな軽口を叩くものの、黒崎もまたレベッカには会いにいっていない。レインに最後のトドメを与えたのは黒崎ではないが、だからこそ千夏よりも先に会いに行こうとは思えなかったのだ。
レインを含め、『四転命環』の中で死んだ者達は死体すら残らなかった。それは残された人間達にとってとても辛い事で、死を現実として受け入れられず未だ帰りを待つ人もいるという。
攻略された迷宮には、『完全に消え去る』タイプと『その場に残る』タイプがある。残るタイプの方は攻略者によってある程度の管理ができるようになるという。
そして、『四転命環』は消えるタイプだ。街に破壊の跡だけを残し、迷宮自体は跡形もなく消え去った。
「せめて、残ってくれたら身体を回収しに行けたかもしれないのにね」
死体のあるなしは、残されたものにとって大きな意味となる。例え死体を回収できたとして、それをレベッカに見せにいけるかと言われたらそれはまた別の話だが。
千夏のせいでしんみりとした空気が流れて、黒崎がそれに文句を言おうとした時セリーズスの家の扉が開かれた。来客だ。
「おおーい! 二人とも居るかぁ!?」
大きな声を張るのはガラハッドだ。なんだなんだと寝室から顔を出すと、いつも通りの強面でガラハッドが手を振っている。
「今日は早めに上がれたから、訓練に入るぞ!」
迷宮攻略以降、千夏達はガラハッドに戦闘訓練を受けていた。
この世界の事を調べていると、やはり日本のあった世界とは違う所だと判明した。千夏達のように可愛らしい少女姿をしていれば、色んな意味で日本よりもずっと危険なのだ。
迷宮に生まれる化け物である『魔物』は、時として外に溢れ出す事もあるらしい。何より街の外……はおろか都会では街中でさえも『悪い人間』が跋扈し、なんの後ろ盾もない千夏達には『戦う力』が必要だ。
と、遠回しに説得したガラハッドによってかなり真面目に訓練の日々を送る千夏と黒崎。
千夏の体格はかなり小さい、幼女からギリギリ少女とも言えなくない身体の千夏はしかしそれ不相応に身体能力は高かった。
とはいえ、大人の中でも体格のいいガラハッドからすれば簡単にはたき落とせるレベルだ。ナイフに見立てた木剣を持った組手で、顔に向けて飛びかかってきた千夏をガラハッドは軽くあしらう。
「地から足を離すのも場合によっては良い、ただ常に体勢を立て直すことも視野に入れろ」
地面に転がった千夏にガラハッドは言う。だが、と続けた。
「迷宮を攻略した者はより『強く』なる。既にお前の身体能力は同年代のそれを大きく上回っているだろう……普通の奴なら油断するだろうな」
頷き、次にガラハッドは近くに畳まれて置いてある『千夏の学ラン』こと黒いオーバーオールを指さした。
「それを着て、同じ事をやってみろ」
大人しく千夏は従い、改造学ランと元千夏のスニーカーである銀靴(なんとなくそう呼称している)を履く。
そしてガラハッドと見合って、千夏は地面を踏み込んだ。先程までよりも速く、ガラハッドの視界から千夏は消える。横に飛んだのだ、そして死角から強く踏み込み今度は木剣で足を狙った。
「ふん!」
だがそれも難なく防がれてしまう。鍔迫り合い、木剣を持つ手が痺れたのでもう片方の手で上から強く握る。そして、千夏は足に力を入れた。
改造学ランを着る前よりも、身体から力が湧いてくるような感覚があった。そして先程より確実に強く地面を踏み抜ける。
「お?」
ぐぐ、とガラハッドの木剣を微かに押せた。だがそこで千夏の握力が先に無くなって木剣を取りこぼしてしまう。
反動でごろりんと地面に転がった千夏は痺れた手を見つめながら「あがーっ!」と謎の雄叫びを上げる。
「なんで強化は下半身だけなんだよぉ〜」
「それだけでも充分凄い代物なんだぞ……?」
元は普通の詰襟学ランだった千夏の服は、オーバーオールというズボンと胸当てと肩紐で構成される服に変貌した。
しかし変わったのは見た目だけではなかった。『迷宮』による『特典』。迷宮の攻略者は人として強度が上がり、かつ『財宝』や『呪文』を与えられる。
千夏の場合は、いわゆる『財宝』。『宝具』と呼ばれるものだった。改造された学ランは、それを着込んだ際に『下半身の強化』という効果をもたらす。
黒崎が着ていた黒ドレス型改造学ランも同様で、しかし千夏のものとは効果が違う。
強力な装備だが、着込んでいる時とそうでない時の身体能力の差異は慣れていない場合は致命的なものになり得る。そのためガラハッドが世話を焼いて、『世間知らず』のお嬢様二人に手解きをしているというわけだ。
「装備の性能を十全に発揮した上で、それに頼らない生身でも動ける様になっておけ。生身で出来る事を増やせば、つまり強化時の伸び代も大きいということになる。とりあえずシキ……踏み込みが浅い」
動き出しで頭を抑えられ、そのまま頭蓋を掴まれて宙に浮く千夏。
「イダダダダ!」
「このように、体重の軽いお前は簡単に拘束できる。呪文で離れることも可能だろうが、呪文には使用回数に限りがある。危機的状況に使わないのは馬鹿だが、その為にも使い所には気をつけなければならない」
ガラハッドが千夏達を鍛えようと思ったのは、もちろん強力な呪文を持っているとはいえ非力の部類に入る……この世界に頼るべき身寄りのない、千夏達の行く末を心配しての事だ。
確かに街を救ってくれた恩があるとはいえ、じゃあガラハッドがいつまでも庇護しているわけにもいかない。
という理由よりも大きな割合を占めるのが、ガラハッドは千夏達に大きな期待を寄せている……幾つもの迷宮を乗り越える『英雄』、その未来を千夏達に夢見たのだ。
ガラハッドは元々は探索者であり、それなりに有名だった。探索者とは夢やロマンを見る者だ、既に歳を取った自分よりも若く……才能に溢れる千夏達に、ガラハッドは『英雄』の夢を見た。
ライアの街を突然襲った悲劇、迷宮『四転命環』は第四級という等級をつけても良いとガラハッドは考えていた。
大多数を占める極一般的な探索者が、第二級の攻略程度でその生涯を終えることが多い中、特殊性を鑑みての四級相当とはいえ……まともな経験もない千夏達が『四転命環』を攻略したのはまさに『神に愛されている』と言って良い偉業だった。
(いや、神などと……コイツらには失礼か。自分達の力でその結果を引き出したんだからな)
ガラハッドは千夏の小さな身体を見て、黒崎の細い体躯を思い出しながらそう考えた。
何度も死の淵を経験したはずだ、今まで命のやり取りなんてしたことがなかったらしい千夏達が、あの死を冒涜する様な『迷宮』を乗り越えるには……強い意志が必要だっただろう。
迷宮は、挑む者に『呪文』を与える。
それは誰に対してではなく、運も絡むだろう。しかし、共通して言えることがある。戦う事を選んだ者だ。迷宮の『試練』に、困難に立ち向かう事を選んだ者のみが、それを切り抜けるための『呪文』を得る。
「ところで黒崎のやつ遅くない?」
体力が尽きてぐったりとしている千夏がふとそう言った。そういえば、そうだなとガラハッドも近くに帰ってきていないか辺りをキョロキョロと見渡すと、ちょうど遠くから黒崎が走ってくる姿が見える。
何やら、随分と慌てている様子だ。千夏とガラハッドが不思議そうに見守っていると、やがて息を切らせながら黒崎は二人の前に辿り着く。
「はぁ……はぁ……四季、ちょっと来てくれ」
黒崎は、昼食を買い出しに街の外から来た行商が集まる所へ行っていた。まるで縁日の様に屋台が立ち並ぶそこには飲食を提供している店もあり、日本とは違う食文化に千夏達が興味を示して毎日買い出しに出かけている。
そんな、いわゆる市場から帰ってきた黒崎が必死の形相で帰ってくるや千夏の手を掴んで引っ張りだす。千夏とガラハッドは首を傾げながらも黒崎について行き、やがて市場の方まで連れてこられた。
黒崎が案内したのは、食べ物ではなく工芸品のようなものを売っている店だった。何やらよくわからないものが立ち並ぶ中、それはあった。
「おお、嬢ちゃんまた来たのか? 今度はちゃんと親ぁ連れてきたみたいだな。おうおうあんた聞いてくれ。これは王都で手に入れた、かぁなりレアな代物だぜ。おそらくは迷宮からの出土品、しかも高度機械文明タイプのもんだろうな。まぁ残念ながら今はうごかねぇんだが、そんなこ」
黒崎を見て、また冷やかしに来たのかと顔を歪めた店主らしき男がガラハッドを親だとでも勘違いしてニコニコとそう語り始める。
千夏はそれを無視して、思わずそれを持ち上げた。ガラハッドは説明されている品物を見ても疑問符が浮かぶだけだが、千夏は違った。
それは、手のひら大の……今の千夏の手のひらでは大きく余るが、四角い板の様なものだった。
「スマホ……これ、は金城のか」
スマホ、それはかつて千夏達のいた世界で万人が当たり前の様に持っていた機械だ。裏面がラメでゴテゴテしている派手な見た目は、なんとなく誰の持ち物か覚えがあった。
クラスメイト一、派手な女子生徒。頭は金髪で顔や耳や爪やとりあえずあらゆる所がゴテゴテしているギャル。彼女が持っていたスマホがちょうどこの様な持ち辛そうな物だったはずだ。
所々貼り付けてある石が剥がれて、随分と見窄らしくはなっているが間違いない。
「おじさん、これ……どこで手に入れたの!?」
不躾に商品を触る千夏に嫌そうな視線を送っていた店主は、突然顔を上げて詰め寄ってくる千夏に少し身を引いた。
自分と黒崎、そしてまた新たなクラスメイトの痕跡。自分達だけではなかったのか。千夏と黒崎にとってスマホの発見は大きな転機となった。




