十三話 天死②
千夏がレインへ向けて駆ける。しかし彼女の足は短く、筋力も大人……つまりレインと比べると天と地ほどの差があるだろう。殴り合いでもすれば、下手をすれば一撃で千夏は絶命してしまうかもしれない。故に大した距離でないとはいえ時間がかかる。
だが、千夏の武器は手に持つ大剣だ。その大きさは彼女の身体より二回り以上もあるとはいえ、近付かなければレインを攻撃できない。
『雷弾』
それはレイン……自分の意思ではないらしいが、彼も同様に思っているらしい。雷の呪文を千夏の目の前に落とし、足を止めさせ自身は後ろへ下がる。
随分と消極的な動きだった。彼は、身体を動かせないと言ったが、もしかすればある程度の抵抗ができているのかもしれない。そう思った千夏が、その考えが勘違いであると気付くのはすぐその後だった。
雷の呪文。レベッカは、それを英雄の呪文と呼ぶ者もいると言った。特徴は……速さ。
千夏はその場で飛んだ、嫌な予感がしたからだ。そしてそれは的中する。
『雷槍』
瞬きの間に、千夏の右足を雷が灼いた。声にならない叫びをあげて、千夏は地面を転がる。涙目でレインの方を見ると、既に次の行動へ移ろうとしている。千夏は剣を強く握り、立ち上がろうと踏ん張るが……妙に脚が痙攣して思い通りに動かなかった。
(電気……か!? まさか、筋肉が痺れてる!?)
日常生活において身体に電気が流れる機会など普通はない。呪文としての雷は現実のそれとは違い、強い指向性がある為に触れてそのまま身体を流れて絶命してしまうことはないが……とはいえ、影響が全くないわけではない。
寸前に跳躍した事でくるぶし辺りに食らった千夏だが、もし回避せず当初の狙いであった胸に受けていれば、心臓に電気が流れて命はなかっただろう。
つまり九死に一生を得た千夏だが、動けない身体ではそれも時間の問題だ。
『雷槍』
レインの口が動く。それよりも前に千夏は大剣の刃を消費して横っ飛びで遠くへ転がった。先程まで自分がいた場所を、雷が通り過ぎて行くのを見て肝を冷やしながら千夏は叫ぶ。
『叛逆剣!』
雷の呪文は速い。発動波を盾に使うのは危険だと考えて千夏は先に叛逆剣を発動しておいた。ついさっき回避に使ったように、刃の消費は汎用性が高い。
だが、思惑とは他所に、『叛逆剣』の発動は思わぬ効果を千夏にもたらした。発動時の衝撃波は千夏を傷つけることはない、衝撃波は発動した手の先を中心に広がり、千夏の身体を通り抜けたところで……彼女の身体から痺れを取り去った。
「!? 動く!」
『雷槍』
身体の自由を取り戻して、レインが言うよりも早くその場から飛び退く。またも雷槍は千夏に当たらず地面を抉る。身体を蝕んでいた痺れが取り払われた千夏は、油断せずレインの動向を確認する。彼は、呪文が外れたのを確認したあと、こちらに向かって走ってきている。距離を詰めて、躱されないようにする為か?
千夏はレインに向けて剣を投げた。刃を消費させながら凄まじい勢いで飛ぶ剣に対し、防御は不可能と見て回避する姿勢をとっていたレインの前方で叛逆剣は爆発する。
剣を中心に辺り一帯が光に包まれ、レインの視界は真っ白に染まった。
『叛逆剣』
彼の耳が、小さなその音を拾った。回避姿勢のレインの身体は横に傾いており、尚且つその状態で前から爆発の衝撃を受けた為、身体が宙に浮いている最中だった。
『雷弾』
視界を奪われたまま、レインは自身にまた呪文を当てた。吹っ飛び、直後に千夏が今までレインがいた場所に向けて剣を振るっていた。
「っくそ!」
三回目の『叛逆剣』は、刃を推進力にして目眩し状態のレインを奇襲するものだった。だが、それも躱されてしまい思わず千夏は悪態をつく。
『雷』
小さな火花が千夏の腹で爆ぜた。威力は弱いが、千夏の小さな身体を吹き飛ばすには充分である。地面を転がっている間に刃を消費していた剣は消えていく。
(また距離が空いた……!)
すぐに体勢を整えてレインと向かい合う。彼は、その場で立ち止まり両手をこちらに構えていた。追撃をかけてこないレインに、千夏が不思議に思っていると彼の口が開いた。
「基本的に呪文は一度に、一回しか撃てない。威力はいつも同じだ」
『彼自身』の言葉だった。今まで呪文を口にしていた無機質なものではなく、彼本人が喋っている。
「だが例外として、一度に複数回分の呪文を同時発動する技術がある」
千夏の背を、冷たいものが流れた。何か、嫌な予感めいたものがある。
「『過剰発動』」
「四季!」
その時千夏の後ろから、黒崎の声がかかった。
聞こえてきた戦闘音が気になった黒崎が、音のする場所へ駆けつけたのだ。その横にはガラハッドもいて、黒崎と同様に状況を理解できていない顔をしていた。
そして、ふと気付く。彼女達の後ろには街並がある、生きている人達がいる。
『『雷鳴衝』』
同じ言葉が、まるで反響するように重なった。
レインの伸ばした両手の先から、莫大な雷が溢れた。視界を埋め尽くさんばかりの雷はまるで嵐のようだ。
雷鳴衝、その呪文を千夏は見た事があった。だがその時よりも強大なそれを一目見て、悟る。
叛逆剣では防げない。
雷鳴衝は発動後、一拍置いてから前へ進む。今この一瞬、『叛逆剣』を発動することはできる。だが、何度も使ってきたから分かる。あの雷は防げない。千夏の身体ごと、後ろの黒崎やガラハッドを飲み込み……さらに後ろの建物も襲うだろう。
そう、街を好きだと言ったレインの呪文が、街を破壊する。
永遠にも思える、秒に満たぬ一瞬。千夏の手は前に伸びていて、頭の中ではやはり……
この場を切り抜ける為の、乗り越える為の武器を探していた。
『過剰発動』
それは、同じ呪文の複数回同時発動。本来なら不可能であるはずの『法則』を捻じ曲げ、強引に可能にした技術。
叛逆剣
使用回数:残二回
千夏の鼻から血が噴き出した。
叛逆剣
使用回数:
頭が真っ白になった、ただがむしゃらに、千夏は手を伸ばす。
『『叛逆剣』』
*
天を衝く巨大な剣。空に浮かぶ妖しい光を放つ黒陽を貫くと思わせるほど伸びた刃は、本来とは異なる経緯で生まれた為か……とても不安定で、すぐに霧散した。
「ありがとう」
千夏の目の前で、霧散していく巨大な『叛逆剣』の光に包まれたレインが優しげな顔でそう言った。
彼の顔……いや、身体には左右を両断するような一筋の線があり、そこは淡く光を帯びている。それは、『叛逆剣』で斬られた傷の特徴だった。
「ごめんなさい」
千夏の目から涙が溢れて、思わずそう口にしていた。その言葉を聞いてレインは、悲しそうに顔を歪める。その顔のまま、彼の身体は光の粒子となって散っていく。
空に浮かぶ黒陽が砕け散った。そこから生み出されていた禍々しき半球型の壁は、まるで霞が晴れるように宙に溶けていく。一瞬の出来事だった。まるで夢だったのかと思うほどあっさりと、ライアの街を囲っていた『迷宮』は消えていった。
『《四転命環》 攻略 』
街の人間全ての脳裏に『託宣』が流れる。そしてそれとは別に、千夏にはもう一つ『託宣』があった。
『攻略特典:四季千夏の学ラン(改)、スニーカー(改)』
色々と気になる事はあるが、それよりも千夏は消えていったレインのことを思う。例え、既に死んでいたとはいえ彼を最後その手にかけたのは自分だ。覚悟は決めていたはずだったが……なんとも、後味の悪い感触が、手に残っているようだった。
流れていた涙を拭い、疲れから溜息を吐く。
「レベッカさんに、なんて言おうか」
ボソリとそう呟いた千夏の頭は大きな手に乱暴に撫でつけられた。見上げると、すぐ側までガラハッドが来ていて……全てを悟ったのか、悲しげに眉を寄せて千夏を見下ろしていた。
「なんで、俺達を呼ばなかった」
一方遅れて、声に明らかな怒気を孕ませて黒崎がズンズンと歩いてきた。千夏の前に立つと、勢いよくその胸ぐらを掴んで自分と同じ目線まで上げる。
「テメェ、命を粗末にするんじゃねぇぞ。勝手に一人で背負うんじゃねぇボケが」
ぶん、と乱暴に千夏を投げ捨てて黒崎は踵を返す。ちなみに投げ捨てられた千夏はガラハッドが慌ててキャッチした。
「二度とこんな事はすんな」
そう吐き捨てて、黒崎は何処かへ歩いていった。彼女の怒りはもっともで、むしろ千夏の身を案じての事であることくらい……千夏は痛いほどよくわかっていた。何も言い返せず、小さくなっていく黒崎の背中を見つめる。
「シキ、俺からも言わせてくれ」
抱き抱えていた千夏を下に降ろし、肩を掴んで向かい合ってガラハッドは真剣な顔を浮かべた。
「ありがとう。お前のおかげで、助かった。お前のおかげで、レインも報われた」
ぎゅっと、ガラハッドは小さな千夏の体を抱き締めた。大きな身体を震わせて、何かしらの想いを必死に胸の奥に押し留めているのが伝わってきて、千夏はなんとも答えられなかった。
「だから、気に病むなよ。誇ってやってくれ」
ガラハッドの言葉は、千夏を想っての言葉だった。そして、本心でもあるのだろう。なんとなく千夏にはそれが分かった。
レインは、千夏が初めて会ったときには既に死んでいた。恐らく黒崎と会った時点でもそうだろう。手帳によると、巨大なゾンビの初撃で一人犠牲になったと書いてあった。恐らくそれがレインだ。
あの大きなゾンビに対してレインの雷の呪文は効き目が薄かったのだろう。『雷鳴衝』の『過剰発動』ならその限りではなかったかもしれないが、と千夏は考える。
尚、レインは元々『過剰発動』を使うことはできなかった。しかし、『四転命環』で『死者』として蘇ったレインは生前よりも強化されていた為、最後あれほど強大な力を使う事ができた……というのは、千夏には知る由もないことだった。
ガラハッドは千夏から離れ、この後の様々な問題に頭を抱えながら迷宮ギルドに帰っていった。最後にレベッカへは自分から説明しておくから、千夏は一度セリーズスの家に戻り体を休めろと言い残した。
その場に残った千夏は疲労からすぐに動こうとは思えず、近くにあったベンチに腰掛けてだらりと脱力して空を見上げる。
元いた世界と全く同じ、青い空に白い雲が浮かんでいる。見つめていると今まで経験してきたことが全て夢だったような、そんな錯覚を覚えた。
ひとつだけ、千夏にはずっと気になる事があった。それこそがレインに対して疑惑を持っていた千夏をずっと悩ませていたもの。
「なんで、ずっとレインは俺達を助けてくれていたんだろう」
彼がいなければ、とっくに千夏と黒崎は死んでいるだろう。『四転命環』という四つの迷宮の内、千夏と黒崎が関わった二つはレインがいたからこそ攻略ができた。
「『試練』……か」
千夏はぼんやりと呟く。
ガラハッドが迷宮は試練だと言っていた。共に苦難を乗り越えた仲間を、最後の敵として手に掛けさせる事が……試練だった?
だとすれば、この試練とやらを考えた奴は相当悪趣味だ。空に向かって拳を突き上げ、千夏はその手を更に強く握りこんだ。
「許せない」
例え、その相手が誰であろうとも、もしかすれば『神様』と呼ばれるような超常的な相手だとしても……千夏は、そんな奴が目の前にいたならば『戦おう』。
叛逆剣。
自分に宿った『抗う』力はきっと、その為にある。




