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十一話 迷天④



「あと一回です」


 レインの腕から降りて、自身の足で走る千夏はそう言った。それはもちろん『呪文スペル』の使用回数で、『叛逆剣リベリオン』しか使えない千夏はあと一回しか戦闘に参加できない。


「僕も、大分減ってきた、雷弾に至ってはあと一回だ。雷槍も二発……大技が、あと一回あるけど、正直『屍還』の入り口にいって何もなかったらまずいね」

「一応、『叛逆剣リベリオン』は刃を消費さえしなければ、ずっと剣の形は保てるみたいなんですけど……」


 息を切らしながら、千夏は一度唾を飲み込む。


「いくら軽いといってもこの身体じゃあ、消費しないと全然ダメみたいで……」


 それはつまり純粋に身体能力が足りなかった。剣が軽い為、振るうのに問題は無い。そして光の大剣の切れ味はかなり高く、当たれば人間の骨程度ならあっさりと切れる。

 しかし、少ない筋力と軽い体重は、剣速と鍔迫り合いになった際に大きく影響する。小さい身体はリーチにも関わってくる。


「そして、ちょっとレインさんに並んで走っただけでっ、疲れるなんてっ」


 結局、迷惑をかけまいとレインの腕から降りたもののすぐにへばってしまった為、千夏は再びレインに抱えられて進むことになった。


「クロサキの為にも、必ず、この『迷天』を攻略しよう」


 二人の前で起きた惨状。見た目麗しい少女の凄惨な死に顔は千夏の心に大きく傷を残した。この世界で、千夏よりも死に慣れた生活をしていたとはいえレインの心も大きく乱れてしまっている。


「うん。絶対に……」


 千夏が決意を新たにした時、ふと何かが聞こえた気がして押し黙る。攻撃か? 千夏とレインが警戒して、しかし足は止めずに周囲を警戒する。


 今、千夏達は家と家の間の路地を走っていた。先にある曲がり角を曲がって少しすれば『屍還』の迷宮の入り口があるはずだ。

 だが突然左右の家、その二階の窓が破られて、千夏達の前方に破片が落下する。驚いて足を止めると、地面にごろりと生首が転がった。


「……っ!?」

「!?」


 左右それぞれの窓から、人の胴体が飛び出した。まるで壊れたおもちゃの人形の様に、力無く地面に落ちていく。


「っくそ、悪趣味すぎるぞ……この世界」


 思わず千夏は悪態をついた。

 目の前の惨状さえ、少し慣れてきてしまった自分に嫌気がさす。もう少し、幼女ボディに配慮した世界観にしてくれないものか。千夏は本気でそう思った。


「やはり、彼らか……」


 ぼそりと、レインが残念そうに言う。それを聞いてか聞かずか、二階の窓からそれぞれ『死者』が下へ降りてくる。長剣を構えた男と、大振りなナイフを構えた女……服を着ているので、最初に出会った『死者』とは別人である。


 二人の死者を前に、レインが戦闘体勢を取る。

 その時、後ろから足音が聞こえた。レインと千夏が前への警戒をなるべく逸らさない様、冷や汗を流しながら後ろを確認する。


 さらに二人の男女が武器を構えてこちらに歩いて来ている。しかも女性の方は裸だ。


「最初の……来ちゃったかぁ、大集合じゃん。尚更、俺達が向かう方が怪しい、ってね」


 千夏が泣きそうになりながらも軽口を叩く。多勢に無勢、千夏の使える呪文はあと一回だと言うのに四人を相手にレインと二人で切り抜ける事が出来るだろうか。いや、恐らく不可能だ。


「シキちゃん、君だけでも先へ行かせる」


 レインも同じ事を考えたらしい。

 一度深呼吸をして、彼は千夏の首根っこを掴んで走り出した。


『雷槍!』『雷槍!』


 早口でレインの雷槍が、窓から現れた二人の死者の足元目掛けて二本飛ぶ。それぞれの片足を焼き、怯んだその瞬間にレインはその脇を走り抜けようとする。

 だが、死者は足をもがれたくらいでは止まらない。それぞれが武器を振るい、挟む様にレインに迫る。


『雷弾!』


 二つの剣を、レインは自らの腹に呪文を当てる事で宙に浮き回避した。そして、その勢いのまま千夏を前方へ投げる。


「あばばばばぁ!」

「頼む、シキ! 君に、僕は全てを賭ける!」


 首根っこを掴まれた状態でのダイナミック回避とその後の投擲で千夏の視界は大変な事になっているが、なんとかバランスを取り直し着地をする。


『雷鳴衝!』


 少し振り返ると、ちょうどレインが巨大な雷で死者をまとめて焼き払っているところだった。しかし、身体がバラバラになるほどの衝撃をその身に受けても死者は止まらない、即座に再生してレインに迫る。


 千夏はそこで前を向いた。レインが、きっと四人を相手取って足止めをしてくれるのだろう。この街を救う為に……素性のよく知らぬ幼女に、自らの命を賭して。

 ならば、千夏にできることはそれに報いる事だ。もしこれで向かう先に何もなければ笑い話にもならないが、今はもうそうするしかない。


 戦闘音を背に千夏は走り出す。突き当たりを曲がり、視界の先に大きな石門が見えてきた。街並みに突然生えた様なその石門は、両開きなのだろうか……真ん中に切れ目を見せて硬く閉ざされている。


(あれか……! 閉じてるけど、開ければ良いのか!?)


 石門は大きい。千夏の身体能力では、自力で開ける事は叶わないだろう。ならば、残された最後の一回。


(使い所は、ココ!)


 千夏の進路を妨げる者は誰もいない。石門の前に、息を切らせながらも辿り着いた千夏は大きな扉を前に一度大きく息を吐く。

 ひたりと、千夏からすればもはや大きな壁だが、感触もただの石の様な扉に手を置いた。


「頼む……」


 千夏が、『還る場所』として『屍還』を選んだのははっきり言って、《勘》だ。迷宮を攻略した時、脳裏には最初の迷宮の名前『屍還』は文字として浮かんだ。

 それに使われている漢字、『屍』は死者。『還』を還る場所。ただなんとなく、辻褄が合う様な気がしたのだ。

 後は、セリーズスの孫……千夏の命を救った人の死体は、未だこの『屍還』から帰ってきていない。セリーズスにとって、帰る場所とは果たしてどこなのだろうか。ふと千夏はそう思ったのだ。


(考えれば考えるほど、めちゃくちゃな理由だ)


 帰る場所と言ったら家か。冷静に考えると普通はそうだ。ガラハッドの推測の方が正しく思えた。

 だが、もう引けない。千夏の呪文は後一回で、ここに来るまでに黒崎を失い、そして今も尚レインが命を賭けている。黒崎の事を思い出して胸が強く痛む。

 今は悲観している時ではない、悩むな、臆すな……信じるしかない。強く自分に言い聞かせて、千夏は最後の呪文を使い果たす。


叛逆剣リベリオン!』


 千夏の、扉に触れた手から強い衝撃波が放たれる。凄まじい轟音と共に、硬く閉ざされていた扉は勢い良く開かれて、その奥に黒い渦が蠢いている。


 風が吹いた。千夏の背を押す様に、いや……開け放たれた扉が空気を吸い込む様な、強い風だ。声を上げて千夏がしゃがみ込むと後ろから光が六つ、千夏を通り過ぎて行った。

 光は黒い渦に目掛けて飛んでいく。グルグルと中心に向かって、飲み込まれて行った。


「六つ?」


 千夏は思わず呟いた。手に握る剣、汗がじわりと滲んでくる。

 確か、『死者』と化した探索者パーティーは……安置された遺体の数は六人だった。


 何かの気配を感じて、千夏は振り返った。こちらへ向かって誰かが歩いてくる。それは良く知る老婆の姿。セリーズス、彼女は虚な瞳のまま、千夏に向けて手をかざす。

 強く、剣を握った。千夏は今度こそはと覚悟を決める。六つの光は、おそらく死者として復活した探索者の人達だろう。彼らは千夏も見た中で、一度以上は『再び殺されている』。だが、セリーズスだけは……千夏が、仕損じている。

 もしかしたら、この扉を開いて更に、『死者をもう一度』殺さなければいけないのかもしれない。目の前で立つセリーズスを見ると、もはやそうするしか答えは見つからなかった。幸い、『叛逆剣リベリオンはまだ手の内に大剣として残っている。

 ならば、まだ戦える。


『炎『氷牙!』


 セリーズスの呪文、しかしそれを近くの建物の屋根からガラハッドが降ってきて遮った。上から、ナイフに氷を纏わせてセリーズスに向けて振るう。不意打ち気味のそれは彼女の左腕を切り落とし、着地したガラハッドは二の太刀を放とうとする。


『炎弾』


 だが、腕を切り落とされたというのに全く動じずセリーズスは呪文を唱えた。炎の塊が虚空に現れガラハッドに迫る。それを氷の刃で相殺しようとするも、衝突時に起きた爆発でガラハッドは壁に叩きつけられる。

 千夏は大剣の刃を『消費』する。千夏の視線はセリーズスの切り落とされた腕に集中していた。傷が、再生しない。再生能力すら無くなっている?

 やるならやはり、今なのだ。加速して、横から切り裂く。再生しないのならどこでもいい。出来る限り最速で、セリーズスをもう一度、殺す。

 大剣の刃が爆発する。急加速した千夏は、セリーズスしか見ていない。覚悟は決めた。次はもう、躊躇わない。しかしセリーズスは千夏を見ていなかった。


『嵐刃』


 彼女が見ているのは、壁に叩きつけられて動けないガラハッドだ。無慈悲に唱えられた呪文から生み出された空気の刃は、きっと彼の身体を無惨に引き裂くだろう。

 それは、千夏から見ればセリーズスを殺す絶好のチャンスだった。彼女はガラハッドの方へ意識を割いており、加速する千夏に気付いていない。今の速度なら、間違いなくセリーズスの身体は両断できる。しかしその場合、ガラハッドの命はないだろう。

 いや、でももしかすれば彼には何か対抗手段があるのかもしれない。だとすれば、千夏がするべきことはこのままセリーズスを、自身の握る光の大剣で斬る事だ。


 そして気付けば、千夏の身体はガラハッドの前にあった。目の前に迫る、空気を歪めて飛来する刃。それに向けて、『消費』されていく剣を振るう。

 千夏の剣は容易く『嵐刃』を裂いた。そして淡く粒子となって砕け、その役目を終えようとする。完全に消えてしまう前に千夏は剣を投擲した。


『嵐撃』


 しかし、加速と『嵐刃』の相殺に力を割いてしまった『叛逆剣リベリオン』はその威力を大きく減衰しており、続けて撃たれたセリーズスの呪文によって簡単に掻き消されてしまう。


「あ、あぁ……」


 やってしまった。千夏は自身の内に見える呪文残数を見て顔を青くする。完全に、ゼロ。もう、千夏に理不尽へ抗う力は残されていない。後ろのガラハッドも……今の今までセリーズスを倒せていない時点で、奥の手の様なものがあるとは思えなかった。


「な、なんてことを、シキ……」


 事態を把握したガラハッドが愕然としてそう言ってくるが、千夏にはどうしてもできなかったのだ。見たくなかったのだ。もう、目の前で人が死ぬのを。半ば無意識の行動だったのだ。


「ごめん」

「いや、俺こそすまない」


 短く、二人は顔を合わせて謝り合った。セリーズスはこちらに向けて手をかざしている。後は、呪文一つで千夏とガラハッドを殺せるだろう。


『雷!』


 その時、セリーズスの腕に小さく火花が散った。彼女の後ろから現れた傷だらけのレインが、必死の形相でこちらに向かっている。

 セリーズスの意識は一瞬レインに向いたが、彼が追撃の呪文を撃つことがなかったため、また千夏達の方を向く。まずは確実に二人を仕留める気だ。

 事実、千夏の聞いていた限りレインにはもうまともな攻撃呪文は残っていないと思われる。なので先程の『雷』も、苦し紛れの一発だった。


『炎ーー』


 セリーズスの唇が、無慈悲に呪文を口にする。口の動きから恐らくは『炎波』……炎に焼かれて死ぬのかと、千夏は自分の行く末を想像した。

 そして直後に、空から巨人の拳が降ってきてセリーズスを潰す。轟音と共に地面に若干の亀裂と血の染みを作り、拳が消えると同時に血塗れの服に身を包む金髪の少女が降り立った。

 千夏は目を見開いた。セリーズスだった『死者』の身体が光に包まれて、やがて光球となり『屍還』の扉へ帰っていく。

 この世界に来て、良くしてくれた恩人の結末に千夏は少し心にくるものがあったが、それよりも……よっぽど気にかかることがあった。


「黒、さき?」


 これは夢かと、千夏は自身の頬をつねる。既に自分は死んでいて、それに気付かずただ幻覚を見ているだけなのかと。

 だが、掴んだ頬は確かな痛みを、現実なのだと確かな実感を千夏に与えた。

 あの時、頭を砕かれるのを見た。確実に死んでいた黒崎が、今はそんな傷が無かったことのようにピンピンとしている。


「な、なんで? だってあの時」

「……『固有呪文ユニークスペル』だ。一度だけなら、致命の窮地を抜けられる」


 固有呪文ユニークスペル。千夏にとって聞き慣れないものだった。


「ユニーク、なんだそれは」


 後ろのガラハッドも知らないらしく、二人して首を傾げていると黒崎は瞳に複雑な感情を浮かべ、千夏から目を逸らした。

 自分の手を見つめ、顔色悪くため息を吐く。


「……やっぱ、無ぇのか」


 その呟きはとても小さく、距離もあって千夏には全く聞こえない。首を傾げているうちに、脳裏に迷宮が語りかけてくる。


『四転命環《迷天》』 《攻略》


 《死は還る場所を取り戻した》


 少しの目眩と共に、『呪文スペル』が回復する。千夏は疲れから大きく溜息を吐いて、その場に座り込んだ。


「良かった……なんとか、攻略できたぁ……」


 安堵しているのも束の間、街のあちこちから歓声と共に悲痛な叫びも聞こえてくる。


「『アイツら』による犠牲は、少なくない。まずは被害の確認からだな……」


 気怠そうに言って溜息を吐くガラハッド。迷宮ギルドの支部長として、彼の立場に休みはない。それにしても、とガラハッドは続けた。


「攻略後の、『託宣テキスト』はなんなんだろうな。『還迷』の時もあった。『死は自らを知らず迷い続ける』とかなんとか」

「テキストって言うんだ」


 脳内に直接語りかける様なあの言葉。正直気色が悪い感覚だが、先程の『迷天』の攻略に『託宣テキスト』は大いに関係していた。ということは、今のにも何か意味がある?


「最初のはなんだったかな……死は側にいる、だかあるだか……?」


 千夏が思い出そうと頭を捻っていると、不意にまた脳内に『託宣テキスト』が浮かぶ。



『四転命環《天死》』


 《死をあるべき場所へ還せ》



 天に輝く黒陽の白黒が反転する。白く輝く光球に、鮮やかな黒が縁取られる。光球を頂点とした半球の様な、この街を塞いでいる禍々しい壁は光球の周りだけ砕ける様に取り払われ、そこから透き通る様な青空と白い雲が覗いた。


 この世界も、空は青くて雲は白いんだな。と千夏は考えるが口から出たのは素っ頓狂な言葉。


「ええっ?」


 どうやら、このクソみたいな迷宮は休む暇を与えてくれないらしい。







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