四十二頁
それは、落ち窪んだ眼窩に、ざんばらな黒髪をした平凡な男の姿をしていた。身に纏うのは、古代に繁栄したとされる一国の戦装束。それはどこか騎士のように見えた。
「嗚呼「そうか「私「俺「僕「あたし「オラ「おで「が、失敗したのは貴様「お前「あんた「てめぇ「のせいだったのか」
酷く聞き取りづらい幾つもの声が重なった発声だった。
デオン・ジョンドゥーアの骸を抱えるハクを、暗く重い眼光で捉えていた。
ハクが魔法を行使するにあたって、干渉した過去は、ジョンドゥーアがその依代をハルトに乗り換えようとした瞬間だったのだ。
だから、ジョンドゥーアは、ハルトへの憑依を失敗した。だから、ハルトの母は真実に気づき、ハルトを護った。
「くくく、くははは、ハァははハハは!!良い「だろう。これ「もまた、世界の「醍醐味だ。僕「私「俺は憑喪神ジ「ョンドゥ「ーア!人類「を玩弄し、無聊を慰め「る古代の亡「霊だ!さぁ、『最強の騎士』よ!この「俺「私「僕「我にひ「と時の愉悦「を!永遠の安「らぎを!「与えてみ「せよ!!」
かつて人であったモノは、狂気に呑まれた怪物となった。生きたいという願いが、呪いとなって彼を縛り続けていた。
「お前を倒し、皆の仇をとる!」
対する『最強の騎士』は、覚悟を決めた。もう揺らぐことはない。己の騎士道を貫く。
二人は同時に踏み込んだ。
ぶつかり合う。
激しい金属音が鳴り響いた。幾十幾百の剣戟と拳戟の嵐が吹き荒れる。
「くハ!そうだ!「もっと「だ!私「俺「おら「余「僕を楽しませろ!」
実体を持たないジョンドゥーアの腕が分裂し、数を増す。幽鬼系統を構成するのは、魔力。その在り方は精霊に近く遠い。それゆえに、そのカタチは想うがままとなる。
速さではなく、数が増す。それは人間であるハルトには真似できない。徐々に、押される。実体のないそれを捉えるために巡らせた魔力が削られてゆく。
「どうし「た。ど「うした!?サースロ「ウス卿!俺「私「拙者「小生「我はまだ満たさ「れてはい「ないぞ!」
「うるせえ!」
ジョンドゥーアの煽りに、ハルトは罵声で答える。その言葉とともに力強く重剣が振るわれる。
両断。ジョンドゥーアの幽体は左右に切り開かれた。されど、幽鬼に核はない。その幽体全てが核。彼の膨大な魔力こそが、彼の存在を留める負の生命力。
「効か「んな。「どうしたハ「ルト?まさか「幽鬼の「倒「し方を「知らないわ「けではあるまい」
「あぁ、そうだな」
瞬きの間に、ジョンドゥーアの幽体が元通りに結合する。そして
「【時空の竜息】」
白金に輝く息吹が迫る。
「な!?」
戦場にあってそれは油断以外の何物でもない。彼が対峙していたのは、孤高の英雄ではなく、仲間と共にある英雄なのだから。
過去、現在、未来に届く絶対不可避の最強の竜の息吹。亡霊が、それに飲み込まれた。
時空崩壊の莫大なエネルギーが容赦無く、亡霊の魔力を焼く。
崩れた次元に世界そのものが悲鳴を上げた。
だが、ハクがまだ幼いからか、それとも彼の妄執がそれほどまでに深かったのか。
白金の輝きが晴れたそこに、ボロボロではあるが確かにジョンドゥーアは在った。
傷は治らない。未来にまで及ぶ竜の息吹が傷を確定させたから。
それでも、幽体での行動に支障はない。どれほどの苦痛に苛まれようと、もはや彼にそれを感じる以外の反応はない。本当に感じるだけで、思考はとても晴れやかだ。
「ふふふふふフふ……「あぁ、そ「うだ「な。ま「だ、役を演じ「ていた名残が「あったよ「うだ。私「我「儂は、魔物なのだ「から。一騎討に拘「る理由がない」
亡霊のカタチが崩れた。辺りを漂う重苦しい魔力がまだ、斃せたわけではないことを知らせる。
やがて、それは新たなカタチとなる。その姿は、奇怪だった。無数の瞳と無数の口、無数の触手が不規則に絡み合っていた。
「ボ「ロボロ「だ。「どうやら、「次「はや「ってこ「ないようだが、「悪役らしく「置き土「産って「やつさ」
絶叫。言葉を終えると、亡霊は魂を揺さぶる叫喚を、心を覗く邪眼を、体を捻じる触手を無差別にばら撒いた。
「ぐっ!?」「っ!?」
最も近くにいたハルトとハクは、反射的に耳を抑えた。触手を避けるので精一杯だ。
地上では、竜の息吹の輝きに照らされた時に、蠢いていた屍が動きを止めていた。そして、落ち着きを取り戻した兵士たちは、当然、空をハルトたちを見ていた。それがいけなかった。
心の弱い者から順に、邪眼と叫喚に蝕まれた。他者を傷つけようとするならば、まだ良いほうで自害しようとする者もいて、戦場は再び混乱した。
その中にあって、魔女は正気を保っていた。




