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亡国の騎士道  作者: 龍崎 明
幕間
28/46

屍山血河

 時は、ハルトたちが生きる時代よりも遥か遡る古代。


 そこは、戦場跡である。


 見渡す限りの屍の群れ。


 槍の林が突き立ち、折れた剣を握り締め、矢衾によって針鼠と化した死体の群れ。流れた血潮は大河となって、大地を真っ赤に染め上げんとするような有様にも見える。


 それが、荒野を埋め尽くす。


 その地獄が、何処までも続いている。


 あまりの死臭に、その肉を喰むべき鳥獣たちさえ近寄らない。当然、そのようなところには、怨念深き魔力が漂っているものだ。


 新月の夜。頼りは僅かな星明かり。


 そのような夜にこそ、怨念たちは活性する。


 ボッボッと、青白い鬼火(ウィスプ)たちがいくつも燃え上がる。宙空に踊る彼らは、この世で最も忌み嫌われる魔物の兆し。


 其は、生者の冒涜を望むモノ。


 其は、生者を妬むモノ。


 其は、醜い怪物。


 其は、世の理に反する叛逆者。


 精霊に似て非なる魔物系統、屍霊。それこそは、生者の最も単純で醜い欲望、生存欲の負の具現。


 ある死体は、肉を腐乱して屍鬼(ゾンビ)となった。


 ある死体は、肉を溶かして骨鬼(スケルトン)となった。


 ある怨念は、凝り固まって幽鬼(レイス)となつた。


『ォォォォ……』


 そこにあるのは、死者の群れ。地獄より這い出た死の軍勢。されど、そこに統率者の姿は無い。無秩序な軍勢は、瞬く間に蹴散らされることだったろう。


『ォォォォ……』


 死者どもが怨念のままに呻き声の大合唱を轟かせた。


 その最中にあって、未だ息を残した生者がいた。


「ぅ……」


 その者の生命は、風前の灯火。文字通りに吹けば、消えてしまうような、儚い運命(さだめ)。屍霊の群れに気づかれるまでも無く、永久(とこしえ)の眠りに落ちるはずだった。


 そのような生命に熱は無い。皮肉にもだからこそ、彼は屍霊たちに気づかれなかった。


「……」


 生者が見上げる夜空の輝き。それは伝え聞く世界最高の金属、覇金(アダマス)を想起させる。だが、一兵卒に過ぎぬ彼には、一生を懸けても届かぬモノだ。そのようなことを、今際の際に思い浮かべて、己は何をしているのだろう。


 生者の心に、僅かな余裕が生じた。生じてしまった。


 生者の瞳に、鬼火が映る。


 美しい、と思った。生きたいと、願った。


 その願望は、その欲望は、瞬く間に燃え上がった。


 奇しくも、生者の属性は、闇であった。


 魔力は、欲望を象る力だ。生者の闇の魔力は、生きたいという主の欲望を受けて、引力を具象した。


 その引力は、あたかも消え去る瞬間に激しく燃え盛る蝋燭の火のように、異常な性質を宿した。


 その引力は、物理の範疇を超えて、辺りを漂うチカラを引き寄せた。


 まず、鬼火が生者に取り込まれた。続いて、幽鬼が吸い込まれた。さらに、骨鬼が骨粉となって混ざり合い、最後には、屍鬼の肉塊さえも、生者のカラダと同化した。


 屍山血河の悉くが、生者を生かす燃料と成り果てた。


 地獄の様相を見せていたはずの荒野に、最早、その面影は無かった。


 生者は、産声を叫ぶ。


「嗚呼、嗚呼、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」


 屍山血河の悉くを喰らって堪えることのできる者がどれだけいるだろうか。


 それは、苦悶の響きである。


 それは、憎悪の絶叫である。


 それは、恐怖の慟哭である。


 生者は生きている。されど、心は死んだ。魂は冒された。体だけが生きていた。


 生きながらにして、生者は屍霊と成り果てたのだ。


 ……


「……」


 豪奢な衣服に身を包み、書斎に唯一、備えられた革張りの椅子に腰掛けていた男がゆっくりと瞼を開く。


 男は、脂ののった盛りの年頃。であるのに、まるで老成された落ち着きを備え、しかし、その瞳の奥にはギラギラとした奈落が見えた。


 容貌はひどく優れ、彼を知る者は、その人外の美貌に、若い娘から血を啜っている、淫蕩に狂う宴を催している、などと口さがない噂を囁いていた。


 そんな噂に、男は薄く笑って流すだけ。


 肯定もなければ、否定もない。人の噂よりも、なお、不気味なことが事実であるかのようだ、と人よりも少し優れると自負している者たちは、さらにそのように噂していた。


 書斎に、ノックの音が響いた。


「入れ」


 男は、ゆったりと入室を促した。


 入室したのは、全身を黒い衣装で覆った不詳の人物。


 〔祓魔狂典〕の者であった。


「狂犬が、何をしに来た?」


 男の物言いに、狂信者は身を震わせて怒りを表すも、それだけだった。


「猊下より、手紙だ」


 狂信者は、その言葉とともに、怒りのまま書斎机に手紙を叩きつけた。


「ふむ」


 男は、優雅な手つきで、開封し、内容を確かめる。


 男が嗤う。酷薄に、残忍に、嗤う。


 狂信者は、その姿に恐怖を感じ、一歩、無意識に後ずさる。


「猊下には、了承の意を伝えてくれたまえ」


 そんな不気味な表情が、次の瞬間には消え去っていた。


 男の言葉に、狂信者はただ頷いて、退室した。

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