キクちゃんのさがしもの
小学校に入学してから、おれは、ずっとヒヨリがすきだった。
もうすぐ、クリスマスがやってくる。
こんどこそ、プレゼントをわたそうかと、おれはしんけんにかんがえていた。
ある日のほうかご。
「ヒヨリちゃんがすきな人って、タテワキくんだよね?」
ヒヨリがクラスメートのナナと話しているのを、おれは、ぐうぜんきいちゃった。
「えー! なんでわかるのー」
ヒヨリもおどろいていたけど、おれはもっとびっくりして、こおりついた。
「そんなの、みていればわかるよ。ヒヨリちゃんは、気もちが顔に出るから」
「ナナちゃんはよくみてるねえ。あーあ、ばれちゃったかあ。じゃあいっちゃうけど、わたし、入学式のときに、イツキくんに一目ぼれしちゃったの」
おれは、いきがとまった。
おれの名前は、タテワキでも、もちろん、イツキでもない。
ぼうぜんとしていたおれに、
「どうした。なにやってんだ、アオヤマー? 早く帰れよー」
と、先生がのん気に声をかけてくる。
おれは、大きくいきをすいこんだ。
「さよなら!」
大声でいって、走りだす。
ちくしょう!
ひどいと思わないか?
いきなりだぞ! おれはまだ、こくはくだってしていないんだぞ。
それなのに。
おれのこいは、とつぜん、おわってしまった。
むしゃくしゃしたおれは、足元におちていた石を、力いっぱいけっとばした。
「キャー! いたい!」
さけび声があがった。
「あっ! ごめんなさい!」
おどろいて、とっさにあやまりながら、おれは声のほうにかけよった。
女の人が、地めんにたおれている。
「だいじょうぶですか!」
きゅうきゅうしゃ! けいさつ?
たいほ! けいむしょ?
頭のなかが、ぐるんぐるんまわる。
……いき、してるかな?
おそるおそる、のぞきこむ。
ぴくりともうごかなかった女の人が、とつぜん、おれのほうに顔をむけた。
「へいき」
おれは、しょうげきをうけた。体にビリビリって、電気が走った。
なんで? って。
だって、すごくきれいな人だったから。
おれの人生で、一番だったから!
女の人は体をおこすと、地めんに正座をした。
おれも、ちゃんとすわりなおした。
「ごめんなさい。石をけったのはおれです」
手をついて、きちんとあやまる。
おれの家は、しつけにはきびしいんだ。
「だいじょうぶよ」
おれは頭をあげて、女の人をじっくりとみた。
か、かわいい。
たしかに女の人だけど、〈お姉さん〉だ。
おれはうれしくて、こうふんしてきた。
「……鼻のあな、ひらいているわよ」
デレデレしてたのを、してきされてしまった。
お姉さんは立ちあがると、
「それじゃあね」
といって、歩きだそうとする。
このままさよならなんて、だめだ!
「ちょっとまって! えーと、あの、どこかに、……そう、イベントとかに、いくところだったんですか?」
ひっしに引きとめたが、おれは、しどろもどろだった。
「イベント? どうして、そう思うの?」
「だって、コスプレしてるから」
きものすがたのお姉さん。
そうなんだ。
おれが、この人をかわいいって思ったのは、そのせいもある。
きものがよくにあっていた。しかも、かみがたまで、時代げきに出てくる人みたいだった。
お姉さんは首をかしげる。
「いまから、帰るところだけど」
「どこにすんでいるんですか?」
「この、ちょっと先」
と、道の先を指さした。
この先にあるのは、お寺だ。
そうか、わかったぞ! お寺の人だから、きものをきているんだ。
なーんだ、そういうことか。
お姉さんは、もう歩きだしている。
「まってください! おれ、おれはツヨシ! 二年生、八才! お姉さんは?」
「わたしはキク。十六」
十六かぁ。
いとこのナオミとおんなじだ。ナオミは女子高生だ。それじゃあ、キクちゃんも女子高生か。だいじょうぶ。そのくらいの〈年のさ〉なんて、おれは気にしない。
さすがに、もう引きとめることはできなくて、おれは、キクちゃんの後ろすがたをみおくった。
キクちゃんは、お寺の〈本どう〉に入っていった。
やっぱりどうしても気になって、おれは、キクちゃんのあとをつけてしまったんだ。
いっておくけど、ストーカーじゃないからな。
だって、心ぱいじゃないか。おれが、石を当ててしまったんだから。
キクちゃんになにかあったら、せきにんをとらなくちゃならない。せきにんをとって、おれは、キクちゃんとけっこんをするかくごだってある。
おれは、キクちゃんのあとをおって、本どうに入った。
本どうのかたすみには、古ぼけた〈びょうぶ〉がおいてあった。
キクちゃんは、すぅーっと歩いていって、そのびょうぶのかげに、ひょいと、かくれた。
それきり、出てこない。
いつまでたっても、すがたをあらわさなかった。
もうまつのがいやになって、おれは、びょうぶの後ろがわをのぞきにいった。
だれもいない。
びょうぶの後ろは、かべだった。とびらがあるわけでも、あながあいているわけでもない。
キクちゃんはどこへいっちゃったんだ?
もう一ど、びょうぶの後ろをみて、だれもいなことをかくにんする。しかたなくあきらめて、おれはじいちゃんの家にむかった。
「こんちはー。じいちゃん、きたよー」
げんかんさきで声をかける。
「おうー。あがってこーい」
なかから、じいちゃんがこたえた。
「おじゃましまーす」
じいちゃんはこたつに入って、新聞を広げていた。
きのうから、ばあちゃんは、りょこうにいっている。
『学校の帰りに、ちょっとようすをみてきてよ』
って、おれはかあさんにいわれたんだ。
じいちゃんとばあちゃんは、ふだんから、けんかごしで話をする。ふたりとも〈江戸っ子〉だから、口がわるいらしい。
でもばあちゃんがいないと、じいちゃんは、なんだかしょぼくれている。だからちょっと心ぱいだった。
それに、じいちゃんは心ぞうもわるいみたいだから。
「おう、なんかうれしいことでもあったか?」
おれの顔をみて、じいちゃんがにやにやした。
「なにいってるんだよ」
うれしいわけなんて、ないじゃないか。おれは、ヒヨリにふられたばかりだぞ。
「だってよぉ、おめーの、鼻のあな、ふくらんでるぞ。ぷーってな」
おれはあわてて、鼻のあなをかくす。
「ちがうんだ! これは……」
キクちゃんのことをいおうと思ったが、やっぱり、やめた。
おれが人様に石を当てたなんていったら、じいちゃんの心ぞうにわるそうだもんな。
とりあえず、じいちゃんは元気そうだったので、おれは家に帰ると、かあさんに、そうほうこくした。
つぎの日。
おれは、キクちゃんに会いたくてたまらなかった。
だから学校がおわると、走って、きのうのばしょにいってみた。
やったあ! いた!
おれは、いきをととのえながら――ついでに、鼻のあなが広がらないようにおさえながら、しばらくキクちゃんをみていた。
キクちゃんは足元をみながら、ゆっくりと、お寺までの道を歩いているようだ。
なにしてんのかな?
「キクちゃん」
おれが声をかけると、キクちゃんはこまったような顔になる。
「なにか、用?」
「えーっと、けがをしてないか、心ぱいだったから」
「だいじょうぶよ」
キクちゃんは地めんをみながら、また歩きはじめた。
「なにやってるの?」
「……さがしているの」
「おとしもの?」
「……なくしたの。どうしても、みつからないの」
すごくかなしそうにいうもんだから、むねがチクッとなった。キクちゃんをたすけたいと思った。
「おれもいっしょにさがすよ。なにをさがしてるの?」
「……おさら」
「おさら? おさらって、食べものとかをのっける〈さら〉のこと?」
「そう。……おさら」
どうしよう。うちどころがわるかったのかな。
だって、おさらだぞ。
そんなもんが、道におちてるのか?
「……もしかして、ものすごーく小さいおさら、とか?」
「そんなに小さくはないわ」
やっぱりへんだよ。
おさらって、なくしちゃうものなの?
「……そろそろ、もどらなくちゃ」
キクちゃんは、お寺にむかって歩きだす。
おれもとなりにならんで、きいた。
「どんな、おさらなの?」
「大切なおさらなの。十まいあったのに、一まいなくなってしまったの」
「十まいもあるんなら、一まいくらいなくたって、だいじょうぶだろ」
「十まいそろっていないと、だめなの」
話をしているうちに、お寺についてしまった。
本どうに入ると、キクちゃんはびょうぶの後ろがわにまわった。おれはすぐ後ろにいたのに、キクちゃんは、もう、いなくなっていた。
きえた。
手品か?
ひょっとして……おばけ? おばけか……。おばけなのかなあ……。
でも、でもさ、おばけだからって、それがなんだよ!
たとえキクちゃんがおばけでも、こわくなんかないぞ!
おれはひらきなおった。
それから、おれはじいちゃんの家にいくことにした。
思い出したことがあったんだ。ついでに、いいことも思いついちゃった。
「たしか、じいちゃんちに、古いおさらがあったよな?」
「どうした? やぶからぼうに」
「いいから、みせてくれよ」
よっこらしょ、とかけ声をかけて、じいちゃんは立ちあがった。〈床の間〉のよこにある、ふすまをあける。
「いろいろと、しょぶんしたからなあ。もうこれしかのこってないぞ」
そういって、木箱をとりだした。
「これは桐の木でできているんだ。こうきゅうな箱なんだぜ」
ひもをほどいて、ふたをあける。
「ほらよ」
なかから、さらを一まい出してみせてくれた。
「なあ、さらって十まいそろってないと、だめなのか?」
「そんなこたぁ、ないだろう」
「だよなあ。なあじいちゃん、このさら、もらってもいいか?」
「ん? いったいぜんたい、どうしたっていうんだ? じいちゃんに話してみろよ」
「うん、じつはさあ」
おれは、キクちゃんがさらをさがしていることを、じいちゃんに話した。
みるみるうちに、じいちゃんの顔が白くなっていった。
「うっ……」
いきなりうめいて、むねをおさえる。
「じいちゃん!」
おれはうろたえた。
「心ぞうか! きゅうきゅうしゃか!」
あわてて立ちあがったおれのうでを、じいちゃんがつかんだ。
「いや、まて。だいじょうぶだ」
じいちゃんの目が、ぎらぎらしていた。
こんなこわい顔のじいちゃんは、はじめてだ。
「そんなことより、ちょっとこい!」
そういうと、ものすごい力でおれを引っぱって、おもてに出た。
じいちゃんにつれてこられたのは、お寺だった。
本どうのおくまで、ずかずかと入りこむと、
「すまねえ! 『じゅうしょく』は、いるか?」
大声でよびかけた。
「いま、いきまーす」
へんじがきこえて、ひょろりとした、せの高い男の人があらわれた。
「なんだ。ぼうずか。じゅうしょくはどうした?」
「いないです。かいごうで、出てますけど」
それをきくと、じいちゃんは「ちぇっ」と、したうちをする。
「まごの一大事だってぇのによぉ」
「どうかしたんですか?」
じいちゃんは、おれのほうをみて、あごをしゃくった。
「こいつ、〈つかれちまった〉らしいんだ」
おれはむっとして、いいかえした。
「つかれてなんかないぞ。元気だぞ」
「そうじゃねぇよ。おつかれさま、の〈つかれ〉じゃねえ。ゆうれいに〈とりつかれた〉ってことだ」
おれが、ゆうれいにとりつかれた?
「この子が?」
「ああ。これは、まごのツヨシだ」
男の人がひざをおって、おれに顔をちかづけてくる。
まゆげが〈八の字〉にさがっている。ほんわかしたふんいきのお兄さんだ。
「こんにちは。ぼくは、この寺のじゅうしょくのまごの、ハヤトです。いま、高校二年生なんだ」
みかけとおなじく、のんびりとしたしゃべりかただった。
「さらをほしいって、いいやがった。おキクさんが、さがしてるんだとよ」
「へえー、おキクさんですかぁ」
ちょっとうれしそうなハヤトが、おれにきいてくる。
「ねえ、きみ。どういうことか、くわしくきかせてくれないかな」
「いいよ」
おれはハヤトに、キクちゃんのことを話した。
「あのびょうぶのところで、きえたんだね。それはすごいなあ」
かんしんしたようにいうと、ハヤトはうでぐみをしてから、
「うーん」
と、うなった。
やっぱり、キクちゃんはゆうれいだったのか。
でも、みたわけでもないのに、なんでじいちゃんにはわかったんだろう。
「なあ、どうしてキクちゃんが、ゆうれいだってわかったんだ?」
「ゆうめいだろうが」
「ゆうめいって?」
「あれー、ひょっとして、きみは知らないのかい」
おれがうなずくと、ハヤトがむかし話を教えてくれた。
おれの知らない、キクちゃんのかなしい話を。
* * * * * * * * *
それは、江戸時代のこと。
「青山はりま」という〈ぶし〉の、やしきでのできごとです。
やしきではたらく人たちのなかに、「キク」という名前の女の子がいました。
キクは、しゅじんのはりまに、とてもかわいがられていました。
ところが、それを知ったはりまのおくがたが、キクにやきもちをやきました。そして、十まいあった家ほうのおさらのうち、一まいをかくしてしまうのです。
そして、それはキクのせいにされてしまいます。
キクのことをかばってくれる人は、だれもいません。
かなしみのあまり、キクは井戸に、みをなげてしまいました。
それからは、夜になると、井戸からキクのゆうれいが出て、
「一まい、二まい……」
と、おさらを数えるようになったということです。
* * * * * * * * *
「――だいだい、こんな話だよ」
「青山」って、おなじみょうじだ。おれとかんけいがあるのかな。
「なあ、アオヤマって、おれんちのことか?」
「まさか! うちには、そんなせんぞは、おらんぞ」
おれはほっとした。
「一番ゆうめいなのは、おキクさんが、おさらを自分でわったっていう〈かいだんばなし〉だね。それから、おさらをかくしたのは、おキクさんをねたんだ、ほかの人だっていう、せつもある。いろいろな話がつたわっていて、どれが本当なのかは、わからないんだよ」
「どっちにしろ、キクちゃんは、やしきでいじめられたんだろ。それでしんじゃったんだろ」
あんまりじゃないか。キクちゃんがかわいそうだ。
鼻のおくが、きゅんとしてくる。
「キクちゃんはさがしているんだよ。いまでもずっと。おれ、なんとかしてやりたい。だから、じいちゃんのさらを、あげようと思ったんだ」
「ツヨシくんはやさしいなあ」
ハヤトは、おれの気もちをわかってくれたみたいだった。
でもじいちゃんは、
「へんなこといわないでくれよ!」
と、ハヤトにもんくをいった。
「ツヨシ、おまえはおキクさんがすきなんだろ?」
「うん」
「それはな、おまえがすきになるようにって、おキクさんが、そう〈しむけてる〉んだ。それが、〈ゆうれいにつかれる〉ってことなんだぞ」
なんにも知らないじいちゃんが、キクちゃんのことをわるくいうから、ちょっとむかついた。
「キクちゃんをみれば、じいちゃんにもわかると思うぞ。キクちゃんは、本当にかわいいんだ」
「だから、そうみえるようにだな――」
「知ってんだからな!」
おれは声をはりあげた。
「な、なんだよ、きゅうに……」
じいちゃんがひるむ。
「おれが、会ったばかりのキクちゃんをすきなったのは、それは、じいちゃんのせいだ! キクちゃんがとりついたんじゃなくて、じいちゃんのせいだ!」
「お、おれのせいだと?」
「ばあちゃんがいってたぞ! じいちゃんは、ほれっぽいって。わかいときは、そりゃあくろうしたって。おまえはじいちゃんににてるから、気をつけなさいよって!」
顔を赤くしたじいちゃんの、鼻のあながふくらんだ。
「ぷっ……あ、はははは」
ハヤトがふきだした。
じいちゃんが、かたほうの目でにらむ。
「す、すいません。でも、おかしくて……」
「ちっ!」と、したうちをしたじいちゃんは、
「まったくよう、なんだかなあー」
と、ぼやいた。
なみだをふいて、ようやくハヤトがわらいおわる。
「いや、すみません。……でも、ツヨシくんは、ゆうれいにとりつかれてないと思いますよ」
「なんでわかるんだよ」
「まあ、カンです」
じいちゃんはためいきをつく。
「そうそう、そのびょうぶですけどね」
ハヤトにうながされて、おれたちはびょうぶの前にいく。
「みてください。ここ。きえかかっているんですけどね。井戸の絵がかいてあるんですよ」
よくみると、うっすらと、井戸みたいなものがみえる。
「おいおい! こりゃあ、おキクさんが、みなげした井戸か? それじゃあ夜な夜な、さらを数えに出てくるなんてぇことが……」
じいちゃんの声が、だんだんと小さくなっていく。
「出ませんよ。井戸がかいてあったのは、たまたまでしょう。このびょうぶは、ゆいしょあるものじゃないですから」
どうやらハヤトは、じいちゃんがこわがっているのを、おもしろがっているようだ。
「でもキクちゃんは、この絵に入ったんじゃないよ。こうやって、後ろがわに――」
おれは、びょうぶの後ろにまわった。
びょうぶの後ろにいったとたんに、まっくらになる。
「わっ! てい電!」
あれ?
でも、いまは夕方のはず。
どうしてくらいんだ?
ふしぎなことに、おれは井戸の前に立っていた。
どこだ、ここ?
近くには、木ぞうの、古そうな家がたっている。みたことのない家だ。
「なんて、ごうじょうなんだろう!」
声がした。
家のかべにそって、声のするほうへむかうと、にわに出た。
そこから、へやのなかがみえた。
「おキク! 正直にいいなさい!」
女の人の、かんだかい声がひびく。
キクちゃんが、へやのまん中にすわっていた。その前に、きものすがたの女の人が立って、キクちゃんをみおろしている。女の人の後ろには、きものをきた男の人がすわっていた。
キクちゃんは、うなだれている。
「いいかげんにおし!」
女の人がどなった。
「あなたが、だんなさまにかわいがられているのは、知っています。けれど、こんどばかりはゆるしません!」
キクちゃんは、ないていた。
女の子をなかせるなんて! ゆるさないぞ!
「いじめるな!」
おれは、キクちゃんの前にとび出していった。
みんな、きゅうにあらわれたおれに、おどろいたみたいだった。
「……なにものだ?」
男の人が、ひくい声でおれにきく。
「ツヨシだ。おまえが、はっ、はり、ハリーか?」
「ハリー?」
まるっきりのたにんだけど、こいつがおなじアオヤマだから、よけいにはらが立つ。
「キクちゃんをかわいがってたくせに、なんで、かばってやらないんだよ!」
「なんという、口のききよう!」
女の人が、おれをキリキリにらみつける。
「そんなものはきかないぞ! かあさんなんか、もっとこわい顔だ!」
「ええい、ぶれいもの! 出ておいき!」
おれをつかまえようと、手をのばしてくる。でも、きものをきているせいか、スローモーションみたいに、うごきがのろい。
おれはよゆうで手をよけると、キクちゃんのうでをとって立たせた。
キクちゃんは、目をまんまるにひらいていた。
「だいじょうぶだ。おれがなんとかするから」
おれは女の人を指さして、にらみかえした。
「やったのは、このおばさんだ! このおばさんが、さらをかくした!」
つぎに、ハリーを指さす。
「わるいのは、ハリーだ! キクちゃんはなにもわるくない!」
おれは大声でいうと、目の前にあったさらを、一まいとった。そのまま柱になげつける。
ぱりん。
まっぷたつに、われた。
しーんと、しずまりかえる。
おれは、なんだかとっても、すっきりした気分だった。
「ひっ、ひいー!」
女の人が、ぎょっとするような、みみざわりなひめいをあげる。
でも、だれもうごかなかった。
そのすきに、おれはキクちゃんを引っぱって、にわにおりた。
「帰ろう、キクちゃん」
「帰る?」
「うん。キクちゃんはもう、こんなところにいなくていいよ」
「でもわたしは、このおやしきで、はたらいているのよ」
「どうせもう、ここにはいられないよ。キクちゃんがおさらをとったとか、わったとかって、おこられていたんだろう?」
「わたしは、おさらをとってもいないし、わってもいないわ」
「だったら、なおさらだよ。キクちゃんのせいじゃない! いま、おれが一まいわったから、かくしたさらを出してきても、九まい。もし、それがわれてたとしても、のこりは八まいだ。どっちにしろ、おれのせいだ。だから、キクちゃんはもう、さらをさがさなくてもいいんだ」
キクちゃんは、なにもいわなかった。
ふたりで手をつないで、井戸の前までやってきた。
「どうやって、もどるんだ?」
体をのり出して、井戸をのぞきこんでみる。
くらいあなのそこから、かすかに、
「……おーい、……おーい……」
と、声がきこえてくる。
「あっ、じいちゃんの声だ!」
とたんに、おれは、みえない力に引きずられるようにして、井戸におちた。
「……ツヨシ……ツヨシ……。ツヨシ! おい、しっかりしねえか!」
目をあけると、じいちゃんの顔があった。
おれはねむっていたようだ。
「だいじょうぶか」
心ぱいそうなじいちゃんの声。
「ここは、どこ?」
みおぼえのない、だだっ広い、たたみのへやだった。
「寺だよ。おまえ、びょうぶの後ろで、いきなりたおれやがって。おれはもう、生きた心地がしなくってよう……」
あっ、思いだした!
「キクちゃんは?」
じいちゃんはまゆげをよせて、こわい顔になる。
「まだそんなことをいってるのか。やっぱり、おまえ、おキクさんにとりつかれて……」
「とりついてなんて、いませんよ」
おぼんをもったハヤトが、へやに入ってきた。
「気分はどう?」
そういって、白いゆげのあがる、ゆのみをわたしてくれる。
うけとって、おれは一気にのみほした。
むねのあたりが、すぐにぽかぽかとあたたかくなる。ほっこりとして、すこしあまくて、やさしいあじがするお茶だった。
「ツヨシくん。キクちゃんがね『ありがとう』って」
「キクちゃんに会ったの?」
「うん。『もう、さがさないわ』っていってたよ」
「そうか。よかった」
キクちゃんのあんなかなしい顔は、もう二どと、みたくなかったから。
「ツヨシくんはすごいね。はりまと、おくがたの前で、おさらを柱にたたきつけてわったんだって?」
「うそだろ!」
じいちゃんが、すっとんきょうな声をあげる。
「だって、あのおばさん、キクちゃんをしかりながら、にやにやしてたんだ。だからおれは本当に頭にきたんだ」
「えらい! それでこそじいちゃんのまごだ。江戸っ子だ!」
頭をぐりぐりとなでられる。
にこにこしているハヤトに、おれはたずねた。
「ねえ、キクちゃんは?」
「うん。びょうぶのところでね、きえちゃったよ」
キクちゃん……。
「……ちょっといってくる」
おれは本どうにいった。
びょうぶの前に立っていたが、キクちゃんはあらわれない。
もう、会えないのかな。
そう思うとさびしい。
「気がむいたらさ、出てきてくれるかもしれないよ」
いつのまにかハヤトがきていた。
「いいんだ」
「いいの?」
「うん。だって、心のこりがあるから、おばけになって出てきたんだろ。もう安心できるなら、出てこなくてもいいよ」
「……ツヨシくんは大人だなあ」
「そんなことないけど」
「まあ、〈じょうぶつ〉するのには、ちょっと時間がかかるかもしれないけど」
「じょうぶつ、できないのか?」
「ちゃんとできるよ」
ハヤトがそういったから、おれは安心した。
あくる日の学校帰り。
おれはむいしきに、キクちゃんと出会ったばしょにきてしまった。
キクちゃんはいない。
もうさがさないって、そういったんだから、ここにはこないんだろう。
なんとなく寺まで歩いていって、本どうをのぞきこんだ。
びょうぶの前に、ハヤトが立っている。
なにやってんだ、あいつ?
おれは気になったので、こっそりと近づいた。
ハヤトは、手にしたゆのみを、さしだしていた。
目の前にいる、キクちゃんに――。
うそ!
おれは目が点になった。
キクちゃんは、ハヤトの手からゆのみをうけとると、ゆっくりと口にもっていく。
ハヤトのお茶。心がほかほかとあったかくなる、やさしいお茶だ。
ふわっと、春の花がさいたように、わらった。
か、かわいすぎる!
ハヤトが、てれたように頭をかいている。
どういう、じょうきょう?
おれはやきもきした。
とび出していきたかったが、がんばってこらえた。
キクちゃんがかなしくなければ、おれはそれでいいんだ。
それに、ハヤトはいいやつにちがいないから。
おれは、そっと本どうから出た。
道を歩いていると、空から白いものがおちてきた。
雪。
「ホワイトクリスマスだね」
耳元で声がして、おれは、とびあがるほどおどろいた。
「どうしたの? ぼーっとしちゃって」
クラスメートのナナだった。
「……べつに、いいだろ」
「そっけないなあ」
「おまえこそなんだよ、こんなところで」
「はい。これ、あげる」
ナナは小さなつつみを、おれの手におしつけてくる。
みどりと赤の、きれいなリボンがむすんである。
「なんだよ」
「メリークリスマス! わたしから、アオヤマくんへのプレゼント」
「おれに? なんで」
「このあいだ、下級生の子がころんだときに、たすけたでしょう」
「みてたのか」
「うん、しっかりと。その子、ひざから血が出ちゃったから、ハンカチをむすんであげてたじゃない。いいやつなんだなーって思ったから、わたしからのごほうび」
「よくみてるよなー」
「まあね」
「……いいのか、もらっても」
「うん。なかみはハンカチなんだけど――」
「サンキュー。そうか、今日はイブか」
キクちゃんには、クリスマスプレゼントをわたせなかった。
ちょっとざんねん。
でもキクちゃんには、ハヤトがほっこり茶をプレゼントしてたから、まあいっか。
「ちゃんとつかってくれる? そのハンカチ」
「……え? ええとー、うん。つかうよ」
「うそじゃないよね?」
うたぐりぶかそうな目で、おれをみる。
「そんなことで、うそなんかつくかよ」
ナナは「へへへ」と、ぶきみにわらった。
「じつはそのハンカチ、わたしとおそろいなんだー」
「うそだろ!」
そんなもん、はずかしくって、つかえるわけがない。
だいいち、だれかに……ヒヨリにみられたら、どうすんだよ。
ナナはヒヨリとなかがいい。しかも、ナナはたんじゅんだ。だれかにきかれたら、おれとおそろいだって、バカ正直にいうにきまってる。
ぜったいに、ごかいされる!
「じゃあねえー」
「ちょっとまて!」
おれがなにかいい出す前に、ナナはつむじ風のように走りさった。
むねが、ざわざわする。
めんどうが、おこりそうな、よかん。
空をみあげた。
あとからあとから雪がおちてくる。
おれはプレゼントを手にしたまま、ぼんやりと立っていた。指先が、じんじんとしびれてくる。
なあ、サンタさん。
たのむよ。
注文していたブタのちょきん箱は、キャンセルでいいからさ。
おれに、へいわな学校生活をプレゼントしておくれ。