最新型のダッチワ〇フが人間にしか見えない
ピンポーン
「は、はーい、今出まーす」
本当に来たか……。
あれは一週間程前のことだ。
彼女いない歴イコール年齢のまま20歳の誕生日を迎えてしまった俺は、一人暮らしをしているアパートで、コンビニで買ってきたバースデーケーキを独りで食べていた。
イチゴのショートケーキを買ったはずなのに、何故かしょっぱかった。
ケーキに涙が混じっていたからかもしれない。
何で俺には彼女がいないんだろう……。
童貞のまま20歳になるということは、少なくとも俺は20年間、世の女性誰からも必要とされていなかったということだ。
そして20歳まで童貞だった男は、一生童貞のままで生涯を終える確率が高いとも聞いたことがある。
つまり俺は、この世界にとって必要がない人間ということなのか……。
まあ、この20年間、ひたすらアニメを観ることくらいしかしてこなかった俺に、彼女ができるはずがないと言われたらそれまでなんだけどさ。
……はあ、死にたい。
今死んだら異世界に転生できるかな、などと本気で考えていた矢先だったからかもしれない。
その時俺のSNSのアカウントに来た、露骨に怪しいダイレクトメッセージに反応してしまったのは。
――そこにはこう書かれていた。
『弊社で新たに開発した、最新型のダッチワ〇フのモニターを募集しております。もちろん料金は無料です。是非、ご使用になった際の、忌憚のないご感想をお聞かせください。ご応募いただける方は、このアカウントまで、お名前とご住所をお送りください。お待ちしております』
重ねて言うが、この時の俺はどうかしていた。
普段なら即ブロックしていただろうが、気が付いた時には、俺は自分の名前と住所を送信していたのだった。
そして一週間経った今日、『本日20時頃に配送いたします』という業者からの連絡通り、俺の家のチャイムが本当に鳴った。
オイオイマジで来ちゃったぞ!?
何だか急に怖くなってきた!
だって本当に来るとは、誰も思わないじゃん!?
絶対タチの悪いイタズラだと思ったのに!
……いや待て。
そもそも本当にダッチワ〇フを持って来たとは限らない。
玄関の扉を開けたら、怪しい男達が立っていて、俺はどこかに拉致されてしまうなんて展開も、無いとは言い切れないじゃないか。
ああそうだそうに決まってる!
……よし、やっぱりモニターはドタキャンしよう。
このまま無視していれば、痺れを切らせて帰るだろう。
……あ、でもさっき俺、「は、はーい、今出まーす」なんて、大きな声で言っちゃったよな!?
どこまでバカなんだ俺は!?
そりゃこの歳まで童貞なはずだわ!
ピンポーン
ぐっ……。
再度無機質なチャイムの音が鳴り響いた。
……仕方ない。
とりあえず覗き穴から外を覗いて、怪しそうな人が立ってたら無理矢理居留守を使おう。
俺は足音を立てないように気を付けながら、ゆっくりと覗き穴に右眼を当てた。
そして俺はフリーズした。
そこには、決してそこにいるはずのない人物が立っていたからだ。
俺は慌てて、もたつきながらも玄関の扉を開けた。
「はじめまして央斗君。私が最新型のダッチワ〇フの、『イフ』だよ!」
「……は?」
そこには俺が大ファンである、アイドル声優の立沢衣史ちゃんが立っていた。
「何で衣史ちゃんがここに……」
俺は自分の身に起きたことが信じられず、茫然自失していた。
何故俺の目の前に衣史ちゃんが……?
デビュー当時から大ファンで、声優イベントや、ラジオの公開録音等には欠かさず通っている程の、俺の心のオアシス。
そんな衣史ちゃんが今、俺の目の前にいる。
そんなバカな。
こんなことあるはずがない。
よもや俺は、新手のスタンド使いの攻撃を受けているのだろうか?
「いやいや、言ったでしょ?私は衣史ちゃんじゃなくて、イフ。君がモニターする、ダッチワ〇フだよ」
「君こそ何を言ってるんだい衣史ちゃん!?」
衣史ちゃんの口から、ダ、ダダダ、ダッチワ〇フなんて、卑猥な言葉が出てくるなんて!
ずっと清純派声優として売ってきたのに、事務所の社長にキャラ変更でも命じられたのかい!?
だとしたら俺が、今から社長をブッ飛ばしてくるよ!
「もう、埒が明かないなあ。衣史ちゃんのファンだって言うならよく見てよ。私が衣史ちゃんじゃないってことがわかるはずだから」
「え?」
本当に衣史ちゃんじゃないの?
確かに冷静になって観察してみると、顔と声は衣史ちゃんそのものだが、話し方はサバサバしていて、おしとやかな衣史ちゃんの口調とは似ても似つかない。
その上服装が、ピンクのキャミソールにデニムのホットパンツという、童貞には刺激が強過ぎる格好をしている。
こんな格好も、衣史ちゃんなら絶対にしない。
何より決定的に違うのは、胸のサイズだ。
衣史ちゃんのスリーサイズは公表されていないが、俺の童貞眼でウォッチしている限りでは、胸は小さ過ぎず大き過ぎずの平均ってところだ。
それなのに、目の前にいるこの女の子は、テレビで観るFカップのグラビアアイドル並みに胸が大きい。
……マジで衣史ちゃんじゃないのか。
こんなに似ているのに。
「ね?わかってくれたでしょ?私が衣史ちゃんじゃないって」
「う、うん、まあ。……じゃあ、君はいったい誰なの?」
衣史ちゃんに双子の姉妹がいるなんて話は、聞いたことがないけど。
「だからそれも何回も言ってるじゃーん。私はダッチワ〇フだよ」
「……ほう」
最近のダッチワ〇フって、こんな人間みたいに流暢に話すもんなの?
「と、いう訳だから、今日から暫くの間よろしくねー」
「え!?ちょ、ちょっと待ってよ!」
「待たない待たないー」
俺を押しのけてズカズカ部屋に入っていく、イフと名乗るダッチワ〇フの背中を、俺は狐につままれたような顔で見送っていた。
「……麦茶くらいしかないけど、飲む?てか君、飲み物とか飲めるの?」
狭いリビングに無防備に足を広げながら座っているイフに、俺はおずおずと聞いた。
フオオオ。
ダッチワ〇フとはいえ、衣史ちゃんそっくりの女の子が俺の部屋にいるなんて、薄い本もビックリのご都合展開じゃないか!
マジで夢なら醒めないでくれ!
「アハハ!そこは『アイスティーしかなかったんだけどいいかな?』って聞くとこじゃないの?」
「……人間の文化に詳しいんだね」
「そりゃあね。人間っぽく振る舞うための知識は一通りインプットされてるよ。ちなみにさっきの質問に答えると、飲み物も飲めるし、ご飯だって食べるし、お風呂にも入れるよ。私のことは、人間だと思ってくれていいよ」
「……へえ」
そりゃマジで凄いな。
人間に限りなく近付けたアンドロイドってとこなのかな?
かがくのちからってすげー!
「でも、何で衣史ちゃんと同じ顔をしてるの?」
「ふふ、そんなの、君が『好きなタイプの有名人は、声優の立沢衣史ちゃんです』って、ダイレクトメッセージに書いてたからに決まってるじゃん」
「え!?俺、そんなこと書いてたっけ!?」
俺はスマホを手に取って、ダイレクトメッセージを確認した。
すると、そこには俺の氏名、住所と共に、確かにそう書かれていた。
しかも、『胸はなるべく大きい子が好みです』とも書かれている。
一週間前の俺アクセルベタ踏みだな!?
それくらい精神的に追い詰められていたということなんだろうが……。
「……つまり、君は俺の理想を体現した存在ってこと?」
「まあ、そんなとこ。ねえねえ、そろそろその、『君』って言い方やめてくれない?」
「え」
「私のことはイフって呼んでよ。私も君のことは、央斗君って呼ぶからさ」
「あ、うん……」
央斗君……。
衣史ちゃんが俺のことを名前で……。
最早、ダッチワ〇フだとかどうでもよくなってきたなコレ!
童貞なら誰もが夢見た光景が今、俺の目の前に広がっている。
それ以外のことなど、お弁当に付いているバラン並みに取るに足らないことではないだろうか!(バラン業者さんごめんなさい)
「央斗君」
「う、うん……何、イフ?」
イフに名前を呼ばれる度に、俺の心臓の鼓動は1オクターブ速くなってゆく(オクターブは速さの単位ではない)。
「央斗君はもう、晩御飯は食べた?」
「え……食べてないけど」
「そ、私もなんだ。じゃあ私今から、適当に何か作るね」
「え!?イフは料理もできるの!?」
「もちろん。こう見えて結構得意なんだよ。まあ、それも全部インプットされた技術なんだけどね」
「ほへえ」
マジで理想の嫁って感じだな。
「冷蔵庫開けさせてもらうよー」
「あ、うん」
イフは持参したバッグの中からエプロンを取り出すと、それを着けながら冷蔵庫を開けた。
「うーん。使えそうなのは、卵にハムにネギってところかな。ああ、冷凍のご飯もあるね。じゃあ簡単だけど、チャーハンでもいいかな?」
「ああ、俺は何でもいいよ」
「んふふ、オッケー」
まな板の上でトントンと小気味良い音を立ててネギを切っているイフの背中を眺めながら俺は、この光景をSNSにアップして世界中の男に自慢したい衝動に駆られたが、すんでのところで踏みとどまった。
そんなことをしたら本物の衣史ちゃんに迷惑がかかること必至だし、何よりイフはあくまでダッチワ〇フなんだ。
そんなことをしても、後で虚しくなるだけに決まってる。
「はい、お待たせー。じゃ、冷めない内に食べよっか」
と、益体も無いことを考えていると、いつの間にかテーブルの上には、ホカホカ湯気が上がった、胃をグルリと刺激してくるチャーハンが置かれていた。
何だこのチャーハンは!?
米の一粒一粒が輝いているようにさえ見える!
こんなチャーハン見たことないぞ!?
本当に俺の家の余り物で作ったのか!?
「どうしたの?早く食べようよ央斗君」
「あ、うん。い、いただきます」
俺は震える手を抑えながら、チャーハンを口に運んだ。
――すると。
「ボーノ!!」
「ボーノ!?え、何でイタリア語?」
「あ、ああ、ごめん。大学の第二外国語でイタリア語を専攻してるもんだから」
「だとしても咄嗟のリアクションでイタリア語が出てくるのはどうかと思うけど……」
でもそれくらい美味しかったんだからしょうがない。
料理漫画だったら、間違いなく俺は全裸になっていたことだろう(需要はないだろうが)。
このチャーハンは、誇張じゃなく俺が今まで生きてきた中で、一番美味しい食べ物だ。
あまりの美味しさに、俺の全身の細胞が打ち震えているのがわかる。
気が付けば俺は、大盛りだったチャーハンを、ペロリと平らげていた。
「どう、美味しかった?」
「うん。マジで美味かったよ!ご馳走様でした」
「いえいえ、お粗末様でした」
俺達は、互いにうやうやしく頭を下げた。
「さてと、じゃ、洗い物もしちゃうね」
「あ!洗い物くらいは俺がやるからいいよ」
流石に何から何までやってもらうのは気が引ける。
「そ。じゃあお願いしちゃおっかな。……ねえ、央斗君はもうお風呂入った?」
「え。……うん、入ったけど」
ダッチワ〇フ相手にそこまでするのも我ながらどうかと思ったけど、一応前もってシャワーは浴びておいたのだ。
「そっか。ほんじゃ私もシャワー借りるね」
「え!?」
「洗い物はよろしくー」
そう言うなりイフは脱衣所に消えていった。
シャシャシャシャシャシャワー!?
衣史ちゃんの顔をした、巨乳の女の子が、俺の家の風呂でシャワー!?
ボーノ!!
いや、ボルケーノ!!(は?)
これ、ドッキリじゃないよね!?
俺の醜態を隠し撮りして、動画サイトにアップするつもりじゃないよね!?
俺は念のため、部屋の隅々まで隠しカメラがないか確認して回ったが、もちろんそんなものはどこにもなかった。
そして浴室からは、シャーというシャワーが流れる音が聞こえてきたのだった。
シャーっていってる!!
シャワーって、ホントにシャーって音するんだ!?(錯乱)
俺が普段使っているシャワーのノズルから放たれた温かい飛沫が、イフの陶器の様な裸体に容赦なく叩きつけられているというのか!?(童貞語彙)
くうっ!
できればこのシャワー音を録音しておいて、俺のお葬式ではそれをレクイエムとして流してもらいたい!(何それキモ)
「央斗君、今キモいこと考えてたでしょ?」
「えっ!?イ、イフ!?」
俺がキモい妄想をしている間に、イフはシャワーを済ませていたらしく、俺のすぐ後ろに立っていた。
「ぬあっ!?イフ、その格好は!?」
何とイフは、全裸にバスタオルを巻いただけという、薄い本でしか見たことがないような格好をしていたのだった。
「んー?まあ、どうせすぐ脱ぐんだから、わざわざ服を着る必要もないかなって」
イフは艶っぽい濡れ髪を掻き上げ、蠱惑的な笑みを浮かべながら近付いてきた。
しかも身体に巻いたバスタオルが緩くて、今にもはだけそうだ。
「ちょ!?ちょちょちょちょっとだけ待って!まだ俺、心の準備が……」
「んふふふー、ダーメ」
「うわっ!?」
イフは俺をベッドに押し倒して、俺の上に覆い被さってきた。
イフのたわわな双丘が、俺に思いきり押し付けられる。
や、柔らかいッ!!
まるで肉の海に包まれているみたいだ……。
「……ね?央斗君、お願い」
「……イフ」
イフは眼を閉じて、プルンとした唇を俺の唇に寄せてきた。
……嗚呼。
これで俺も童貞は卒業か……。
ところでダッチワ〇フが相手でも、童貞を卒業したことになるのかな?
……まあ、今はどうでもいいかそんなこと。
さようなら俺の20年。
さようなら俺の――衣史ちゃん。
『私が愛を捧げるのは、世界で君一人だけだよ』
――っ!!
その時だった。
衣史ちゃんが初めて主演した、『青春コミットメント』というアニメ内での衣史ちゃんの台詞が、俺の頭の中で反響した。
――衣史ちゃん!
「や、やっぱダメー!!」
「っ!」
俺はイフを突き飛ばしていた。
「あ!ご、ごめんイフ!……でも、やっぱりこんなことはするべきじゃないと思う」
「……央斗君」
俺はイフの身体から眼を逸らしながら言った。
「……ダッチワ〇フのイフにこんなことを言うのは的外れだってことはわかってるんだけど……それでもイフは、もっと自分のことを大切にした方がいいよ」
「……」
「ホントはこういうことは、愛し合ってる者同士じゃなきゃしちゃいけないんだからさ。――だから、いつかイフが、本当に好きな人ができた時のために、イフの初めては取っておきなよ」
「……ふふ、変なの。央斗君、自分が何言ってるかわかってるの?」
「ああ、変なことを言ってる自覚はあるよ。でも、どうしても俺はイフとはできない。――俺が本当に好きなのは、衣史ちゃんだけだから。だから……ごめん」
「…………ふーん。ま、いっか。今日のところはね」
「きょ、今日のところ!?」
イフはベッドから立ち上がって、俺に背を向けながら言った。
「そうだよ。私はダッチワ〇フなんだからさ。央斗君としない限りは、業務を終えたことにならないから、帰れないんだよ」
「え、そうなの!?」
「そうなの。だから、今日は勘弁してあげるけど、明日からはまた、ガンガンに攻めてくんで、覚悟しといてね」
イフは顔だけをこちらに向けて、無邪気にウインクした。
……えぇ。
「ところで私、パジャマ持ってくるの忘れちゃったんだよねー。悪いけど、央斗君のパジャマ貸してくれない?」
「え……。そりゃ、いいけど」
「サンキュー。勝手に衣装ケース開けさせてもらうねー」
「うん……」
イフは衣装ケースを適当に漁って、俺のパジャマを手に取り脱衣所に消えていった。
マジでイフは俺とするまで、この家にいるつもりなの……?
……耐えられるかな、俺。
「ほんじゃ、そろそろ寝よっか」
俺のぶかぶかのパジャマを着たイフが、両手を広げながら言った(ただ胸の部分だけはパツパツで、今にもボタンが弾け飛びそうだ)。
衣史ちゃんにそっくりの超絶美女が、俺のパジャマを着ている……。
我が生涯に一片の悔い無し!(右拳を天高く掲げながら)
あっ!い、いや、今のは違うんだ衣史ちゃん!
今のは浮気じゃないからね!?
「じゃあ、俺は床で寝るから、イフはベッドを使ってくれよ」
「えー、そんなのダメだよ。ベッドで一緒に寝ようよ」
「ファッ!?そっちのがダメだろ!?」
「そんなことないよ。詰めれば二人でも寝れるって」
「いや、俺が言いたいのはそういうことじゃないんだけど……」
イフと同じベッドで寝たりなんてしたら、流石に俺も理性を保つ自信はないよ……。
「いいからいいからー」
「う、うわっ、イフ!?」
イフに強く手を引かれ、俺はベッドに連れ込まれた。
「じゃ、おやすみー」
「え!?」
イフはコアラみたいに俺の腕にしがみついたまま寝てしまった。
俺の二の腕は、イフの双丘に挟まれて今にも圧死しそうになっている。
これは……まさしくミートサンドイッチプレス!!(何それ?)
……今夜は眠れないかも。
……はあ、央斗君の意気地なし。
私が恥ずかしいのを我慢して、ここまでしたのに何もしないなんて。
まあ、私もキャラ作りを若干ミスったかなとは思ったけど。
それにしても、央斗君が好きなのは私だったなんて~。
……今夜は眠れないかも。
私と央斗君が出逢ったのは、私が高校生の時。
子供の頃からアニメ声がコンプレックスだった私は、将来はなるべく声を出さずとも就ける職を探して毎日を過ごしていた。
そんなある日、私は一人で街を歩いている時に、同い年くらいの男の子とうっかりぶつかってしまい、男の子が持っていたソフトクリームを地面に落としてしまったの。
「あっ!ご、ごめんなさい私、よそ見してて!弁償しますから!」
「ああ、いいですよこのくらい。――それよりも」
「え?」
「あなたの声、とってもイイ声ですね!」
「――え」
この時の衝撃を、私は未だに忘れられない。
イイ声?
私の声が?
ずっとコンプレックスだった、このアニメ声が……?
「あ!ごめんなさい急に……。こんなこと俺みたいなやつに言われても、キモいですよね」
「い、いえ、そんなことはないです」
「そうですか。じゃあせっかくなんで言わせてもらいますけど、あなたの声、すんごくイイ声だと俺は思いますよ!」
……っ!
「……私なんかの声が?」
「ええ!生粋のアニメオタクの俺が言うんだから、間違いありませんよ!あなたの声は、聞いた人の心を癒す、オアシスとも言うべき至宝です!」
「そんな……」
そんなこと、生まれて初めて言われた。
「だから、将来は声優とか、ナレーターとか、何かしら声に関わる仕事に就くことをオススメしますよ!そうすれば、あなたの声を聴いた人は、みんな幸せになれることを、俺が保証します!」
「はあ」
その男の子は、自信満々に親指を立てると、ニッと白い歯を覗かせた。
その笑顔を見ていたら、何故だが私も少しだけ自信が湧いてきて、心が軽くなったのを今でも憶えてる。
「じゃ、頑張ってくださいねー」
「あ、ま、待って!」
私の制止も聞いてくれずに、男の子は颯爽と私の前から去ってしまった。
でも、この日、真っ黒闇の中を当てもなく歩いているだけだった私の人生に、確かな一筋の光が射したの!
それから私は、声優の養成所に入学し、必死に声優の勉強に打ち込んだ。
養成所での指導は苛烈を極め、何度も挫けそうになったけれど、あの日の男の子の自信満々な笑顔を思い出すと、不思議と力が湧いてきて、私は何とか試練を乗り越えることができた。
そして高校を卒業すると同時に、私はその養成所の経営母体である、声優事務所への所属が決まった。
ただし、事務所は私を清純派声優として売り出すつもりらしくて、もう一つのコンプレックスだった大きい胸は、さらしを巻いて隠すことになったんだけどね。
初めてオーディションで主役を勝ち取れた日は、一人で泣きながら部屋中を走り回ったっけ。
これであの男の子にも、私の声をまた聴いてもらえるかもしれない。
主役としての収録は、音響監督から何度もリテイクを出されて心が折れそうになったけど、ここでも男の子の笑顔が、私の心の支えになった。
そしてあの日が訪れた。
その日はそのアニメの声優イベントだった。
会場は満員御礼で、こんなに大勢の人前に立つのは初めてだった私は、緊張のあまり、最初の挨拶で噛んじゃったの……。
顔から火が出そうになって俯いてしまった私だけど、その時、最前列の席に座っている、ある男の人と目が合った。
それがあの時の彼だった。
私は心臓が口から飛び出るかと思ったわ!
私がずっと心の支えにしてきた彼が、今また私の前で、必死に私を励ましてくれている。
彼の眼は、「大丈夫。落ち着いてやれば絶対大丈夫だよ」と言ってくれていた。
その言葉は私の胸にスッと溶け込んでいき、それからの私は自分でも驚く程、落ち着いてイベントを進行していくことができた。
壇上からの去り際に、チラと彼の方を覗き見ると、彼は眼に涙を浮かべながら、会場中の誰よりも力強く手を叩いて、惜しみない称賛を贈ってくれていた。
それ以降も彼は、常に私のことを陰ながら応援してくれていた。
ラジオの公開録音の際も、いつも一番前で私のつまらないボケに誰よりも笑ってお客さんを盛り上げてくれていた。
SNSでも、私が出演するアニメやラジオの情報を、欠かさず宣伝してくれていたっけ(彼は結構プライベートなことをSNSでツイートしていたから、アカウントを特定するのは簡単だったわ)。
私の彼に対する想いが、日に日に抑えきれないものになっていったのは、無理もないことだと自分でも思う。
そして一週間前のあの日。
20歳の誕生日を独りでお祝いしていて寂しいという旨の彼のツイートを見た瞬間、私の中で何かが弾けた。
今思えば、あの時の私はどうかしていたとしか思えない。
気が付いた時には私は、裏アカウントで彼のアカウントに、怪しい業者を装ってダッチワ〇フのモニターになってもらえないかというメッセージを送っていたの。
送ってしまった後で冷静になった私は、死ぬ程後悔したけれど、何と彼からの返事はモニターを了承するというものだった!
私はこの時初めて、彼の名前が央斗君というのだと知った。
更に、好きなタイプの有名人は私な上、胸が大きな子が好みとまで書かれてるじゃない!
私は初めて主役を勝ち取れた日以上に歓喜しながら、部屋の中を転がり回った。
幸いうちの事務所は、役の幅を広げるためなら恋愛はドンドンしていけという方針だったし、こうなった私はもう誰にも止められなかった。
料理は苦手だったけど、寝る間も惜しんでチャーハンだけは誰にも負けないくらいの味に作れるように練習したわ。
そして今夜。
恥を忍んでキャミソールにホットパンツっていう、大胆な格好であんなに迫ったのに、結局何もしてくれないなんて……(まあ、ダッチワ〇フっていう設定は、我ながらどうかと思ったけど)。
それにしても、まさか自分自身が恋のライバルになっちゃうとはなあ。
こんなことなら、ダッチワ〇フのフリなんてせずに、最初から立沢衣史としてこの家に来ればよかったよ……。
でも、これからは一つ屋根の下に一緒に住む訳だし、何日かけてでも、絶対に央斗君を堕としてみせるから、覚悟しててよね!
おわり