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前編

「ジャズの音は初恋の」主人公の友達の話です。

前作はジャズでしたが、今回はロックをイメージしています。

 真紀の密かな楽しみは、放課後にレコード店に行くことだった。


 70年代のロックが静かにかかる小さな店で、ゆっくりと中古レコードを一枚一枚丁寧に吟味していく。

 そして最後に気に入った一枚を家に連れて帰り、部屋のプレーヤーで聴く。その音は柔らかく、空気全体を震わし、小さな少女の心に染みわたる。


 音楽を聴きながら大きなジャケットを細部までじっくり眺めることも良い。


 古いLPジャケットは写真を張り付けただけのものではない。

 それはレコード盤をしまう入れ物というよりも、縦横30センチのキャンバスに描かれた芸術品だ。


 そしてレコードの中におさめられた素晴らしい音楽とアートが一つのものとして存在する。


 それが真紀の心を魅了するのだ。




「ねえ、真紀ちゃん」


 朝、高校に到着して席に着くとあやかが言った。彼女は真紀の趣味を知っている数少ない友人の一人だ。


 クラスメートや友人も含めて、真紀のレコード収集の趣味を知る人はほとんどいない。彼女はクラスの中ではシャイな方で、自分のことを誰にでも話すようなタイプではなかった。

 それに「レコードが趣味」なんて、古臭い感じがする。大きな声で言いたくはない。


 あやかが知っているのは、一度真紀の部屋に来たことがあるからだ。棚に積み上げられたレコードとその横に置かれた大きなプレイヤーを見て、友人は不思議に思うよりも感嘆の声をあげた。


「あのさ、真紀ちゃんの行ってる中古レコードのお店、CDもあったよね?」


「うん、あったね。あんまり広くないけど」


 あやかは少し黙ったあと、かろうじて真紀に聞こえるくらいの小さな声で言った。


「……ジャズ、あるよね?」


「もちろんあるけど、あやか、一体どうしたの?」


 真紀は眉を寄せた。


「なんでもないから。本当だって! なんか最近ジャズが聞きたくなっちゃって、それだけ」


 それが「なんでもない」わけじゃないことは、赤くなった頬で分かった。


 今日の朝から彼女の様子がおかしい。何かが起こったにちがいないと真紀は感づいてはいた。その理由を、真紀は駅での出来事のせいだと思っている。


 松本は大人びて落ち着きのある男子生徒で、クラスではあやかの隣の席に座っている。その彼があやかと並んでいたのを駅で見かけた。真紀がやってくる前に二人の会話は終わっていたので、それを少しからかうとあやかは顔を真っ赤にして否定した。


 しかし、それとジャズの関係は?


 だが結局、真紀は答えを探り出すことはなかった。ちょうど教室の後方で大きな笑い声が起こって、会話は中断されてしまったのだ。


 振り返らなくても、後ろの集団が誰だかわかる。栗田と陽気な友人たちだ。真紀はそっとそちらに非難がましく目を向けた。


 何が面白いのか、椅子の背もたれからひっくり返りそうな勢いで笑っているのが、栗田だった。


 真紀が一番近寄りたくない人物だ。


 別に、彼が抜き出て悪いやつというわけではない。

 朗らかな性格で、よく笑い、よく喋る。クラス内で何か議論することがあれば、大抵栗田とその友人が中心になって発言する。だから教師も彼をよく思っているだろうし、気さくな性格は女子にも好印象だ。流行にも敏感で、いわゆる「いまどきの男子」という印象を持つ。


 それに対して真紀は友人とは楽しく話せるけれど、誰とでも分け隔てなく仲良くできるようなタイプではない。クラスの中心にはいないし、そもそも入ろうとも思わない。


 しかし、性格の違いだけが栗田を苦手に思う理由ではない。


 問題は、彼がバンドでギターをしていることなのだ。


 栗田がどうしてギターを始めたのか直接尋ねたことはなかった。きっと年頃の男子らしく「女子にモテるため」のような理由に違いない。

 今日も彼の背後にはまるで見せつけるかのようにギターケースがおいてある。中身は白と黒のコントラストが美しい、エリック・クラプトンと同じカラーのギターだ。


 それを見るたびに、真紀は心の隅で苛立ちを感じるのだ。

 栗田はクラプトンを知らないだろう。それなのに世界で最も素晴らしいアーティストと同じギターを持っている。わたしなら、きっと「レイラ」を弾くだろうに。あの心躍る旋律を奏でるだろうに。


 そんなことを考えていると、栗田と目が合った。


 彼は笑った。


 真紀は顔に熱を感じて、すぐに目をそらした。

 自分自身に言い聞かせる──目が合ったのは偶然、笑ったのは気のせいだ。


「真紀ちゃん?」


 あやかが言った。真紀は軽く肩をすくめて、なんでもなかったようにごまかした。


「じゃあ今日の放課後、一緒に行く?」




 午後5時、駅前の店内には客が数人しかいなかった。

 レジの奥で店員がCDのラベル張りをしている。客の年齢層は高めで、真紀とあやかは一番年下だったに違いない。静かに洋楽のラジオが流れている。派手なポップや新作の広告はない。ただCDとレコードが並べられているだけだ。

 店に初めて入るあやかは居心地が悪そうだったが、真紀はこの独特の雰囲気が好きだった。ここが彼女の居場所だった。


 ここだけが、真紀が真紀でいられるような気分にさせた。


「で、何を探すの?」


 そう聞いたのに、あやかは真紀を押しやって「一人で探す」と言い張った。


 仕方ないので真紀は定位置に行くことにした──レコード売り場だ。


 古い紙ジャケットの匂いがする。

 真紀は並んだ箱の中に入ったレコードを一枚一枚取り出し、両面を観察する。そして次の一枚を出し、同じように見る。その繰り返しだ。


 この作業を始めると、周りがまったく気にならなくなる。


 たまたま手にとったアルバムは緑を基調にしたサイケデリックなカバーが印象的で、丸く歪んだ文字でタイトルとアーティスト名が書いてある。いかにも60年代から70年代のアルバムだ。

 どんな音がするのだろうか、と興味を持ったが後日にすることに決めた。今日は買う予定ではなかったから、十分なお金をもってきていない。


 数十分は経っただろうか。そろそろあやかを回収しなくては。


 しかし顔を上げると、真紀の顔はこわばった。数歩先に一番会いたくなかった人物が見えたからだ。


 栗田は箱を覗き込んでいて、時おり慣れない手つきでレコードを取り出している。


 真紀はその姿から目が離せなくなった。ギターケースを背負い、シャツはだらしなく乱れているが、その恰好が妙に――似合っていた。


 すぐにその考えを振り捨てる。


 なぜ栗田がここにいるのだろう?


 彼がこちらを向いた──自分に気づかないことを心から願ったが──彼はにやっと笑って片手を挙げた。まるで友達に接するようなしぐさだ。


 真紀はつられてぎこちなく片手をあげてしまった。一秒後に激しく後悔した。


「真紀ちゃん、ここで会えるなんて意外だな」


 隣までやってくると栗田は言った。


「そう、かな」


 真紀はぶっきらぼうに返事をした。口の中が乾いて、思うようにしゃべれない。


 なんとかして切り抜けなくては。


 焦る真紀をよそに、栗田はのんびりと話をつづけた。


「真紀ちゃんがロック好きなんて思わなかったよ。それもレコードなんて。なんというか、もっとおとなしい人だと思ってた」


 がつんと殴られたような衝撃だった。


 それは、真紀がもっとも言われたくなかった言葉だった。


 好きなものが、自分に合っていないなんて。


「どんな曲が……」


「勝手に決めつけないで」声が震えていた。「どんな音楽が好きだっていいでしょ。栗田くんに、そんな風に言えるわけない。どうせ、どうせ何も知らないのにギターやってるんでしょ。ロックだって大して知らないんでしょ」


 真紀がふと目を下に向けると、黄色のアルバムが目についた。

 明るい黄色地に女性の顔と花束。デレク・アンド・ザ・ドミノスの『いとしのレイラ』。


 気が付いたときには、口から言葉がこぼれていた。


「ギターやるなら、レイラを弾いて。レイラの弾けないギタリストなんて、絶対に認められないから」


 啞然とした顔をした栗田から背を向けて、怒りで真っ赤になった真紀はその場を立ち去ると、レジで会計を終えていたあやかを引っ張って店を出た。


 どうしたのと聞くあやかに、真紀は黙って首を横に振った。




 家に帰ると、ベッドの上に突っ伏した。


 あやかと別れるまで、怒りでいっぱいだった。


 しかし怒りは長くは続かない。まるで空気の抜けていく風船のようにだんだんと怒りが治まり、代わりにやってきたのが冷静さと後悔だった。


『真紀ちゃんがロック好きなんて知らなかったよ』


 栗田が言ったのはそれだけ。馬鹿にしたり、否定したり、彼女を傷つけるような言葉ではなく、正直な一言だ。


 勝手に怒ったのは真紀自身だ。

「古いロックなんて、レコードなんて」と言われることが怖かった。自分の趣味が高校生にそぐわないことは彼女が一番よくわかっていたのだ。


 真紀は、ひどいことを言ったから後悔しているのではない。


 深い問題は、彼女が常に栗田を見下していたことだった。栗田に放った暴言は、いつも心の奥底にあった。自分の方が音楽に関してよく知っている、そう思うことでわずかな優越感に浸ろうとしていた。

 口に出して初めて、そのみにくい事実に気が付いたのだ。


 真紀はベッドの上でごろっと横向きになった。これまで集めたレコードが宝の山のように棚に並べられているのが見えたが、何の慰めにもならない。逆に自分の失態を思い出すだけになってしまい、真紀はぎゅっと目を閉じた。


 最後に見た栗田は、困惑した表情をしていた。傷ついていた。その姿が頭から離れない。

 たしかに栗田のことは「大嫌い」。けれど、人を傷つけることはもっと嫌いだ。


 栗田は馬鹿みたいに笑っていなければ。笑顔じゃない栗田は栗田らしくない。


「謝らないと」


 真紀はつぶやいた。


「でも謝るのはどうして難しいんだろう」

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