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誰かを泣かしても

 岡本さんは、ひたむきに織部君のことをずっと見てたんだな。彼は目の下にくまを作りながら、プロジェクトリーダーとして課のみんなをよくまとめている。織部君は大胆に見えるけれど、人の気持ちに配慮出来る、細やかなところもある。魅力的な男性だと思う。

 いつか、岡本さんとブックカフェでお茶をしたとき、彼女の率直な気持ちを打ち明けられたっけ。そんなに遠いことではないのに、胸の中に尖ったものが生まれてしまった。


『先輩は優し過ぎる』という岡本さんの言葉が頭の中を行ったり来たりしている。脳内が整理出来ずに、机の上の書類も一向に減っていない。今日中に終わらせたい打ち込みの作業だってあるのに。

 久しぶりに昼ごはんも一人で食べた。最近は、織部君が忙しいせいもあって三人でランチに繰り出すことはほとんど無くなったものの、お弁当を作って、岡本さんと一緒に食べながら楽しく過ごせていた。今日の休憩室に彼女はいなかった。私と顔を合わせるのが辛かったのかな、それが自意識過剰であって欲しいと思っていた。

 結局、岡本さんと言葉を交わさず、終業の時間になりそうだった。仕事が残ってしまったので、社内に残ることにした。それが更なる迷いを生むとは知らなかった。

******

 私が、パソコンのキーボードを叩いていると机の上に影が出来た。見上げると、織部君が缶コーヒーとココアを持って腕を組み背後に立っていた。驚いて、ミスタイプしてしまった。

「矢野さん、お疲れ。冷えるでしょ、ココアでも飲んで休憩しようよ」

 織部君の提案に私は頷いていた。私の好きなものを知っていてくれるのをありがたく思った。

「サンキュー。ちょうど一息入れたいところだったのよ」

「今日は様子が変です。矢野さんが、仕事を就業時間内に完了出来ないなんて」

 織部君も大変だろうに、私を気遣ってくれる。その思いが素直に嬉しく、申し訳なかった。

「まあ、そんな日だってあるわよ。慣れた仕事とはいえ体調もあるしね」

 言い訳だ。体調は悪くない、むしろ弱っているのは心だ。

「矢野さん、無理していませんか。顔色が悪い」

 相変わらず鋭い。


「昨日、夜更かししたせいかな。織部君こそ、目のくま、だいぶ無理しているんじゃないの?」

「俺はいいんですよ、頑丈だしね。資料作成もみんなのお蔭で順調に進んでいますし。貴女の体調の方がずっと大事です」

「だから私のことは、ほっといていいの」

 不愛想に言う。まだ仕事は残っていたが、織部君とこれ以上二人でいることに耐えられなくなったので、帰る用意を始める。

「ほっとけないですよ。矢野さん、迷子みたいに不安な顔をしてる」

 彼はさっと出口に向かう私の前に立ちふさがった。強引なところは変わっていない。熱っぽく見つめられると余計に身の置き所がなくなってしまう。

「なんともない、気のせいだよ。もうすぐ三十路の大人の女性は迷子になったりしません」

 おどけて返した。

「人生に迷うのに年齢は関係ないと思います」

 言葉に詰まった。正論だ。ちょっと悔しいが織部君は私より大人だ。自分は実年齢より精神年齢が低いのかもしれない。

「それは、正しいかもしれないけれど。私迷ったり困ったりしていないから」

 突っぱねようとむきになってしまう。


「貴女は、そんなに強い人ではないはずだ。俺はずっと入社したときから、矢野さんを見てきました。新人時代、当時のお局さまと上手くいかないときはよく目を赤くしていましたよね」

「そんな昔の話、持ち出さないでよ」

 顔が熱くなり、優輔によく相談していたことを思い出した。

「俺には話してもくれないんですか? 相談相手にさえなれませんか」

 いつの間にか織部君が少しずつ距離を詰めていた。近い。彼は眉間に皺をよせ苦しそうに問いかけた。 


「入社した頃は恋人がいたから。彼に相談してた」

 織部君のいる場所だけ空気が薄くなったように彼の呼吸は速くなっていた。私は意図して彼を傷付ける言葉を選んだ。優輔を頼っていたのは事実だし、岡本さんの思いを考えると、これ以上織部君とは、親密にはなれないと考えた。これで、彼と仲の良い同僚に戻れるなんて思っていたのに……。

「酷いな、矢野さん。それでも、俺、貴女を好きで居続けます。遠慮するのは性に合わないし、誰かを泣かすことになっても、それが好きになるってことじゃないんですか」

 そして、呆然とする私の手をうやうやしく取ると織部君は手の甲にくちづけた。

「なにするのよ」

 戸惑いで一杯になった頭は複雑な文章を紡げない。

「改めて貴女が好きだという意思表示です」

 彼の表情は言葉とは裏腹に自信なさげで、傷付いた少年のようだった。いたたまれない気持ちになる。

「もう夜になっちゃったし、今日はもう帰りましょう」

 なんとか織部君に言って、逃げるように執務室を飛び出した。ただ家に帰り着いても彼の言葉と行動は胸に刺さって抜けなかった。

 




練習をしながら、完結まで連載を続けたいと思っています。

何が足りなくてどうしたら良くなるのか課題は山積ですが、少しずつ消していきたいです。

読んでくださってありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 織部くんの本気度、ドキドキしました。 強引なくせに不安げな顔をするとか、ギャップ! 間に挟まれる切なさもよく伝わってきて、 恋愛の難しさを感じました。 もしかすると織部くんは、一方通行で…
[良い点] 内容も文章も、だいぶん落ち着いてきたように感じます。いいことだと思います。恭しいなんて言葉、久しぶりに耳にしました。少なくとも、綿花さんは私よりボキャブラリーに優れている。 近いうちに、…
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