届かない林檎
難産!エンドレスリピート。
「矢野さん、今日はほのかに香水の薫りをさせていますね」
私のデスクに二、三歩近付きながら織部が指摘した。目敏い男だ。そう思っていると、彼は
「今、目敏くて鬱陶しい男だと思ったでしょう」
とたずねてきた。だから私は
「うん、思ったよ」
とすかさず答えた。
香水を付けるのは、異性に気付いて欲しいというより、気に入った薫りに包まれていると自分自身元気が出るという要素が強い。
フローラル系の香りにビャクダン・ムスクが隠し味のこの『ウィークエンド』という香水を彼氏とお揃いで使っていたことが想い出される。胸が疼くからこそ香水を付けるのを控えていた。
少し遠くを見ていると織部が、
「矢野さん大丈夫ですか? ぼんやりしているようですけど。心ここにあらずといったところかな」
らしくない心配そうな声、彼は怪訝な顔をしていた。
「大丈夫、昔に思いをはせていただけだよ」
そして、織部との話を切り上げるべく席を立った。
「矢野さんには、もっと可愛らしい甘い香りの香水が似合います」
ふと進行方向に立ちふさがった彼は、私の目の高さに少し屈んで薄茶色の大きな切れ長の瞳で見つめてくる。背後に壁がなくてよかった。そこに壁があればいわゆる壁ドンをされていたことだろう。俗にいう蛇に睨まれた蛙状態の私は、本当に動けなくてどぎまぎしていた。だがヒギンズ教授の優しい笑顔が浮かんできて、すんでのところで、
「近い!」
と一言抗議した。織部はビクッとして、ゆっくり名残惜しそうに離れていった。
織部は何故そんなに私に絡んでくるのか。皆目見当が付かなかった。私は思い切って訊ねた。
「織部君は、私になんで話しかけてくるの? 君の取り巻きから比べたら私はただのオバチャンだよ。構ったって面白みも何もないよ。お肌も曲がり角過ぎて下り坂。会社でも、お局さまとして認められているし」
そう言うと、
「そんなこと矢野さんが勝手に思っているだけだよ。俺にとっては、貴女は手の届かない所にある林檎なんだ。ずっと、入社した時から気になっている。今日のところは俺が矢野さんに関心を持っているってことだけでも、覚えて帰って欲しいんだ。特に、急に現れたライバルに黙って渡す気はさらさらないからね。今は興味が無いかもしれない。だけど必ず俺を好きにさせてみせる」
彼は自信満々の表情でそう答えると、やっと私を開放してくれたのだった。疲れた、そう思いながらも止っていた時間が動き出す予感に心臓はビートを早く刻んでいた。
更新、ゆっくりしますのでどうかお許しを。




