宿屋の主人:「ゆうべはお楽しみでしたね」
今日は良いニュースが二つと、悪いニュースが一つある。
どっちから聞きたい? と、問いても答える者が現在、誰もいない。
だから勝手に良いニュースから話し始めるとしよう。
物語のセオリー的にも、そうせざるを得ない。
まず、一つ目の良いニュースだが、これは世界を巻き込むビッグニュースだ。
今朝早く、勇者"ああああ"が世界を支配する魔王を討伐し、囚われの身であった姫を助け出したらしい。
"ああああ"なんて、とんだDQNネームなのだが、なにせ神でさえも討伐不可能とも言われたあの魔王を倒したわけだ。これから生まれてくる子供たちの中には、"ああああ"と名付けられる子も出てくるのだろうなと思う。
そう考えると出席をとる先生も大変だな。
"佐藤ああああくん"なんて呼ばなきゃならないわけだ。
"あ"の数を言い間違えないか、自分の滑舌が試される。
おっと、話が変な方向にズレてきたな。
まあ独り言だから別にいいのだが。そろそろ二つ目の良いニュースに移ろう。
二つ目の良いニュースは、私が経営している宿屋に久々にお客が来たことだ。
かつて私の宿屋は大繁盛、と言うほどでもないが、そこそこ繁盛していた。付近が温泉街であり、観光地として有名だったからだ。
しかし、およそ三年前に事態は急変した。
その三年前に起きたこと。それは温泉街を飲み込んで魔王城が建ったことだ。
中心地にあった大きなホテルは魔王城の一部に牢屋として組み込まれ、次々と湧き上がる温泉は煮えたぎるマグマとなって勇者たちの道を塞いだ。
そんな地獄のすぐ近くだ。徒歩3分だ。そこに私の宿屋があるわけだから、お客はおろか、動物さえも近づきはしない。
だが魔王は倒された。
昼間に外を覗いてみたら、昨日までの光景が嘘だったのかのように辺り一面が花畑になっていた。
きっとすぐ話題になって観光地に戻るであろう。
今日のお客はその第一号というわけだ。
そしてそのお客、噂の勇者である。魔王との戦いで傷ついた体を癒すためにここに宿泊しに来たのだろう。
チェックインの際、名前を伺うと"ああああ"と返ってきたから吹きそうになった。
最後に悪いニュースなのだが……実は泊まった者が勇者と、もう一人いる。そう、囚われの身であった姫である。
男女が同じ部屋に泊まるなんてけしからん!と思ったが全くもってそのとおりであった。
時計が十二時をまわった頃から……なんというか……その……姫の声が鳴り止まないのである。
いや、いいんだよ。どうせテンプレに則って勇者と姫は結婚するんだろうし。
ここらで爪痕を残しておいても、なんの問題もない。
けどなぁ……ここはラブ〇テルじゃないんだって。
健全な、只の宿屋だから専用の掃除用具とかあるわけないし、臭いが残ると面倒くさいんだよ。
だからといって、文句を言いに行く勇気もない。
勇者に文句を言うほど、私の肝っ玉が据わっているわけではないのだ。最悪、王国反逆罪にかけられるかもしれない。
そもそも私だって勇者には感謝しているのだ。
勇者のお陰でこの宿屋にも希望が見えたことだし。
だから黙って寝よう。
もう一時だ。これからチェックインする旅人もいないだろう。
私は床について目を閉じた。
***
……寝れない。
というか寝れるわけがない。私が床についてから姫の声は止むばかりか、ますます大きくなった。
おいおい、姫にそんな無理させていいのか?さすがに王に怒られるんじゃないか?と思い時計を見上げる。もう四時だ。
外はうっすらと明るくなってきている。
さすがに驚いた。もう始めてから四時間だぞ!?
けど勇者は若い青年だ。
今まで冒険ばかりで色々溜まっていたのだろう。さらに、聞くところによれば、勇者はソロで活動していたようだ。
発散する相手もいなかったのだろう。
勝手に納得して、もう一度眠りに入る。
それから声が止むことはなかったが。
***
翌朝の九時半。
チェックアウトの時刻である。
が、一睡もしていない私の顔は、とてもじゃないがお客様に見せられるものではない。
せめて勇者がチェックアウトする瞬間はと、顔を洗い、引き締める。
一度自分の中で解決したことだが、やはり文句を言いたい。こんなに迷惑な客は初めてだ。
まあ、他に客がいないから堂々と行動に勤しんだのだろうが。
そんなことを思っていると、勇者と姫が階段を降りてきた。
……どうするべきか。
やはり少しは文句を言うべきか。しかし相手は勇者。
迷っている間にチェックアウトの手続きは済み、勇者は宿の玄関へ向かう。
悩んだ末に去り際、私は勇者に向かってこう言ってやった。
「ゆうべはお楽しみでしたね。またどうぞ」