黒い小箱
肥大した筋肉と赤い目をした佐倉はもはや、通常の成人の倍以上の体格となっていた。そんな化物は、アメリアを見下ろしながら尋ねる。
「なぜわかった? あのタイミング、お前は背後の警戒を解いていたはずだ」
アメリアは埃を払いながら立ち上がり答える。
「一番は、うちのボスがYouを警戒しろって言ってたこと。二番は、声と口調だよ。キミの今の音は、サクラの声より半音低い」
「声だと? はん、なるほどな。身体を自分で動かすのと、操作することは違うということか」
「操作?」
「おっと、お喋りが過ぎたか」
クラブの看板が傾き、音を立てて地面に落ちる。それを合図に佐倉は、シェルターの地面が沈み込むほどの脚力でアメリアへと突進した。
「っ!」
アメリアは空気銃を使って20mほど空中へと逃れる。だが、そこは決して佐倉の射程範囲外ではなかった。すぐにビルの壁から壁へと飛び移りながらアメリアの近くの空中へ迫る。
「小さき者よ。貴様が多少早くても、俺には変わらず止まってみえるぞ」
「”イージスの盾”二重ッ」
振り下ろされた手はアメリアを地面へと叩きつける。とっさに防ぐことは出来たが、空気消費量の激しい技を連続して使ったことで、空気銃の残量は二つとも100を切り始めていた。
「はぁ、はぁ……The escape time has comeだよね……多分」
アメリアは弾倉を一瞬見て、潮時を感じた。今氷上に助けを求めたところで来るまでには数分はかかる。それまでこの化け物となった佐倉を相手に逃げ続ける自信はなかった。
「Sorry、サクラ。必ず助けてあげるからっ」
アメリアは懐から閃光弾を取り出した。そして例のサングラスを取り出すと閃光弾のボタンを押した。
「あ、あれ?」
閃光弾の発動のためにはボタンを押し、付属のレバーを取り外す必要がある。だが、アメリアは閃光弾を手ごと抑えられていた。
「残念だったな……我々は一人じゃない」
佐倉に気を取られていたアメリアが振り向くと、いつの間にかクラブの外に出てきていた客達がアメリアを赤い目で見つめて取り巻いていた。そしてその一人が、アメリアの手を抑えていたのである。
「邪魔しないでよっ……透明の……」
アメリアは手を握っている敵を排除するために、空気銃の照準を佐倉から外す。だがそれは完全な判断ミスであった。鈍い音とともに、空中に、サングラスが舞う。そして地面には、アメリアの血液が滴り落ちた。
「かはっ……」
アメリアの胸には、佐倉の太い腕が深々と突き刺さっていた。
一方、如月兄妹のマンションでは、如月睦未が後ろから何者かに押さえつけられていたのだが、その何者かが発した声は、彼女にとって聞き覚えのあるものであった。
「睦未、僕だ。驚かしてごめん」
後ろから羽交い締めにされ、悲鳴を上げそうなほど驚いていた睦未は、その声を聞くと身体の緊張を解いた。そして小さな声で兄に話しかける。
「もう、兄様。起きていらしたのね」
「ああ、校長先生から言われていたことも気になったしね。で、玄関には誰が来てるんだい?」
「新見さん。同級生の女の子よ。そうよ、早く開けてあげなきゃ」
「いや、駄目だ」
玄関に行こうとする睦未を啓が引き留める。
「どうして? 兄様。彼女に何かあったら……」
「いや、恐らく彼女にはもうすでに何かあったのさ。このまま電気を付けずに台所に戻ろう」
そう言うと、啓は睦未を台所へと連れて行く。台所にやって来た睦未は、すりガラスになっている窓から外を見て、息を呑んだ。
「……!」
「僕も睦未を追って玄関に行こうとして驚いた。物音一つ立てずに、マンションの廊下が人で溢れかえっている。何かはわからないけど、今玄関を開けるのはやばそうだ」
コクコクと睦未は頷いた。
「でも兄様、どうすればいいのでしょう?」
「あの校長は、こうなることがわかっていたかのようだったよ。それで、僕らの安全の為に、この家を出るなとも言っていた」
「でも、このままじゃ」
呼び鈴に反応しないまま10分が経過したところで、ドアをおもいっきり叩く音がし始めた。
「きーさーらーぎーさーん。あーけーてー。ふふふ……」
ドアの音にビクつく睦未を抱きしめながら、啓はどうすればいいかを考え始める。
「校長はああいったが、逃げ道は確保しないといけないよな」
そう言って、ベランダのカーテンをほんの僅か開けて外を覗いたその時、
「見ぃつけた」
と、窓の外から声が聞こえた。その僅かな隙間からは、赤い目がびっしりとこちらを見つめていたのだ。ベランダはもう既に人であふれている。啓がベランダを覗いてしまったため、ずっと窓ガラスにくっついていた赤い目の者達は部屋の中に人間が居ることがわかってしまったのだ。彼らはすぐにベランダの窓ガラスもすごい勢いで叩き始める。
「うわぁっ!」
啓は驚いてベランダの窓から離れると近くにあった洋服ダンスを持ってきてベランダの入り口を塞いだ。だがそれだけではまだ十分ではない。
「睦未、手伝え。ベランダを塞ぐぞ!」
「う、うんっ」
二人は慌てて机やタンスを移動する。五分後、ようやくベランダは見えなくなった。それでも、彼らには常人を越えた力があり、力ずくで窓ガラスを割ると、タンスを押しのけようとしてくる。二人はそれを、背中で支えた。赤い目の者達がタンス越しに加えた衝撃が、背中を通して伝わってくる。
「兄様、怖い……怖いよぅ」
「大丈夫だ……睦未、大丈夫だから」
啓は自分にも言い聞かせるようにそう言った。しかし、二人の抵抗もむなしく、二人はタンスごとベランダから吹き飛ばされる。ベランダが開いたことにより、ベランダからは続々と赤い目の人間が部屋に入ってきた。啓は部屋の中へ転がった睦未を見つけて急いで駆け寄ると、上に覆い被さった。
「妹に手を出すな! やるなら僕からやれ!」
赤い目の集団はそれを聞いているのか聞いていないのかわからなかったが、倒れた二人の兄妹へ向かって襲いかかっていく。
「しびれるねぇ。男はそうじゃないとな」
その声とともにベランダから突風が舞い込んだ。部屋がとたんに静かになる。如月啓がゆっくりと顔を上げ、目を開くと部屋に侵入していた赤い目の人々はいなくなっており、自分を校長室まで引きずっていった不良がそこに立っていた。
「き、君は……」
「校長から頼まれた助っ人だ。ベランダから侵入すると思ってなかったんでな。遅くなってすまねぇ。これで、お前に対する借りはなしだからな」
ベランダからは、また別の赤い目をした人間がまたよじ登ってきていた。
「やれやれ。優しく排除って、俺の柄じゃねぇんだがなっ」
如月の視界から湯村が消えたと思うと、ベランダからよじ登ってくる人間が次々と落とされていく。如月の部屋は2階なので、彼らは落ちても大した怪我もせずにまたすぐに起き上がり、ベランダへ登って来た。だが、そのたび何かに弾き返されるように叩き落とされていく。
「兄様、これって……」
「よくはわからない。けど多分さっきの金髪の男がやってるんだという感じだけは伝わってくる。彼は一体……」
「きゃあっ、双!」
マンションの外では、柏木が赤い目の集団に襲われていた。一生懸命スタンガンで対応しているが、人数が多く、倒しても倒しても新しくやって来る赤い目の人間が、倒れた人間を乗り越えて柏木に詰め寄ってくる。
「くそっ。美月!」
湯村はベランダから100mほど離れた柏木のいる路地に一瞬で辿り着くと、辺りにいる人間を吹き飛ばした。
「双!」
「キリがない。美月、お前はひとまず本部に帰ってろ。お前までかばっていてはあいつらを守れない」
「う、うん。わかった」
柏木は元来た道を振り返って、眉を潜めた。
「双、ちょっと逃げるの難しいかもしれない」
「何?」
柏木に言われて湯村が本部へと戻る道を見ると、マンションへと向かって、どこからともなく赤い目をした人間がどんどん集まってきていた。業を煮やした湯村がくやしがる。
「クソっ……何でぶっ殺しちゃ駄目なんだよ」
「だって彼らは操られているみたいなものだって、氷上さんが言ってたじゃない。気絶させればきっと」
「それがな、さっきからやってんだよ。マンションの周りにいたやつらに気絶させる程度の衝撃は加えてるんだ。けど、あいつらも向井と同じ、何らかの方法で肉体を強化されてやがる。かと言ってこれ以上やると、死人が出かねない」
湯村が柏木の周囲を一掃したのち、またマンションへと走っていこうとしたその時、マンションから炎が上がった。
「な……あいつら」
赤い目の集団はマンションの周囲にガソリンを撒き、それに火を付けたのだった。マンションの部屋から住人たちが逃げ出し、マンションの火災報知機が高らかに鳴り始める。
「兄様、これってひょっとして……」
如月兄妹は、湯村のお陰で一時の休息を得たため、出入口とベランダへ、ありとあらゆる家具を配置して侵入できないようにしていた。そうして、しばらく部屋の中へ侵入してこようとする赤い目の人間が攻めてこなくなったため、安心し始めていた矢先に、ベルの音を聞く。
「……火災報知機か!」
啓は周囲を見渡す。大きな家具を置いていないのは小さな窓のあるキッチンだけだったが、そこから外の光が入ってきたため、二人は外の状況を理解した。それは煌々と燃える炎の色であった。火の速度は早かった。なぜなら、二階の廊下やベランダへ押し寄せていた赤い目の人間たちは、玄関やマンションの廊下、ベランダに多くのガソリンをまき散らしていたからだ。外の廊下に面したキッチンはあっという間に火に包まれる。
「ここは駄目だ。戻るぞ」
居間に戻った二人だったが、ベランダももう火の海であった。睦未が力なくそこへ座り込む。逃げ場がなくなった二人だったが、睦未の方は急に落ち着いた様子であった。
「あーあ。逃げられなくなってしまいました」
そんな様子を見て、兄の啓も諦めたように横に座って苦笑いした。
「だな」
「でも良かった。兄様が一緒で。私一人だったらとっくにあの人達に殺されてたと思うもの」
「そうだな、睦未はちょっとトロいからな」
「ひどいわ、兄様ったら」
ベランダの近くにある柱が落ちる。シェルターの酸素濃度が高いために、マンションが燃えて倒壊するスピードが地上より早いためだ。睦未はびくっと身体を震わせると自分の左手を啓の右手に添える。
「睦未?」
「兄様。私達、死んじゃうよね?」
「どうかな。確率はかなり高そうだがな」
「うん。だからね。私……兄様に言っておきたいことが……あって」
睦未は啓の方を向いた。炎に照らされているせいか、彼女の表情は少し赤みがさして見える。
「父様も母様も仕事でうちにはいつもいらっしゃらない。小さい頃から私には兄様だけが傍に居た。だから、兄様は私の兄であると同時に親のようでもあるのだけど……でも、でも私は……本当はずっと前から」
と、睦未が啓に身体を近づけたその時、啓の胸ポケットから何かが落ちた。
「あ……ごめんなさい」
睦未がそれを拾って見ると、それは手のひらサイズのプラスティックケースであった。
「あ、忘れてた」
「何ですか、兄様」
「もう意味はないけど、校長先生から渡されたんだ。ピンチになったらこの小箱をあけて、中のボタンを押せって」
啓が箱を開けると、黒い小箱の中には赤いボタンが一つだけ付いていた。
「ピンチ……って、危ないときのことでしょう。今ってもうそれを通りすぎているような気がしますけど……」
「折角だから押してみるか」
啓がスイッチを押す。しばらくすると、箱から何か音楽が鳴り始めた。
「オルゴール……?」
「……ったく。騙された……やっぱ、人に銃を突きつける人間を信用するんじゃなかった。こんなボ……」
ボタン、と言いかけたところで啓の視界は暗転する。そして目の前には巨大な文字が流れ始めた。
DNA activating program ver 3.72
「これは……一体……?」
大きな文字列が流れる画面を如月啓は驚きながら見上げていた。




