クラブ
シェルターの天井が夕暮れを映す中、二人の仲睦まじい兄妹が下校している。二人は腕を組んで歩いており、白い髪の色と赤い目という共通点がなければ美しい恋人同士に見えたかもしれない。なぜなら、妹の睦未が兄を見る目は愛しい人を見るそれであったからだ。
「兄様、先ほどのお話は一体何のことだったのですか?」
「ああ、何でも吸血鬼を探しているって話でね。最近うちの学生が首に咬み傷のようなものを受けて、次々に体調を崩しているらしいんだ」
妹の睦未は眉間にしわを寄せた。最近彼女の中学でも同じような傷を受けたという生徒が増えていると、今朝のHRで語られたばかりだったからだ。兄の方は、よほど腹に据えかねたらしく妹の表情の変化などお構いなしに話を続ける。
「だからって、今日僕が受けた仕打ちったらひどかったんだぜ? いきなり教室に金髪の不良が入ってきたと思ったら、急に僕の名前を呼んで駆け寄ってきて、熱いボールペンを手に押し付けてきだんだよ。その後も校長室まで廊下を引きずられて、ようやく開放されたと思ったら、今度は校長からピストルを突きつけられて命を盾に脅されたんだ」
兄は妹に熱く語る。しかし妹は兄の方を向いてはおらず、何やら真剣な表情をしていた。
「睦未……?」
兄が妹の名を呼ぶと、彼女は震えながら兄の腕をなお一層きつく抱きしめた。
「兄様、どうしよう? 私、多分、犯人を見てしまいました」
「ん? ひょっとして、数日前に睦未が見たっていう変質者のことか?」
「ええ、暗がりで兄様と同じ高校の制服を着た女の人が倒れていました。きっと、私の中学を襲っているのも同じ犯人だと……」
啓は足を止め、頭を抱えると悩み始めた。
「学校を辞めて隣の高校に行くのは手続き上だけの問題だ、それは構わない。ただ、そうなると通学路が」
睦未の中学と啓の高校はほど近い場所にあるため、現在は一緒に登下校することがある程度可能である。しかし啓が転校した場合、通学路は変わり、下校する妹を守ることが出来なくなってしまう。
「くそっ」
「えっ、兄様?」
ほとんど自宅の前まで帰ってきていたにもかかわらず、啓は踵を返すと高校の方へと戻り始めていた。
校長室では氷上が山のように積み上げられた書類を片付けている。教頭の林田と物理学教師として雇われている木津はその手伝いをしていた。
「さずが天才少女。社長業、校長業、対テロ対策チームを兼ねるだけのことはある」
「直樹、口はいいから手を動かせ。もうすぐ来客が来るからな。それまでには終わらせておかなければ」
「来客……ですと? もう下校時刻を大きく過ぎております。部活動の生徒も帰っております。この時間に守衛室の目を盗んでここへやってくるのは難しいと思われますが」
林田も作業を中断せずにそう返答する。その時、氷上の机においてある内線電話が鳴った。氷上は作業している手を止めず内線電話に受話するよう声をかける。
「校長室、氷上だ」
「守衛室です」
「ああ、白い髪の2人組なら通していいぞ。校長室までお連れしてくれ」
「ええ!? ……はい、確かにその2人なのですが……わかりました。お通しします」
守衛は驚きのあまり、言われたとおり案内するより他なかった。そして5分後、校長室にノックの音がする。やってきたのは先ほど銃を突きつけられた美少年とその妹であった。
木津と林田がすっかり疲れ、壁際の椅子に座り込んでいる一方で、奥の校長机に足を投げ出し、甘いコーヒーカップを口に含みながら椅子にもたれかかり、さもくつろいで居たかのような態度で氷上が二人を迎える。
「考え直してくれたかい、如月くん。君が我が校の生徒で居てくれるなら、校長である私は君と、君の家族を守るためなら何でもすると約束する。さあ、かけたまえ。最近イタリアの美味しいコーヒー豆が手に入ってね……」
氷上は急いで足を下ろすと二人に椅子とテーブルを用意し、飲み物を用意し始める。二人の兄妹がキョトンとしながら椅子に腰掛ける様子を見て、木津は手に持った書類で顔を隠しながら苦笑した。
「……ったく、人が悪すぎるぜ。未来が見える奴ってのはよ」
その日の夜。いや、正確には日を越えた深夜2時。薄暗い通りを、スーツとドレスで着飾った二人が歩いていた。
「特攻服ならともかくよー、何だこのカッチリした服は? リーマンじゃねーんだからさ」
「quiet! 言ったでしょ、未成年と見られちゃclubに入れないんだよ? 特にyouは、喋ったら成人には見えないんだからね?」
「わーってるって。おめーは俺のお袋かっつーの」
男性の方は長身で、短いが逆立つ髪をワックスで際だたせている。黙っていればイケメンのホストのようだ。その隣を歩く赤を基調としたドレスの女性は、持ち前の美しい白い肌とアップにまとめられたブロンドヘアーが、ハーフの顔立ちにマッチして輝きを放っている。どこかの国の貴族が間違ってやってきてしまったかのような風貌であった。ただ今は、隣の男性と口論しているため、少し幼く見える。
「clubに入ったら紛れながら情報収集、定時連絡は15分おき、やばくなったら自分の安全が最優先でescape。okay、サクラ?」
「おう」
もちろん、大人の格好に扮するこの二人はメーカー・ジャパンのエージェント、アメリアと佐倉である。連日の張り込みの成果が実り、ようやく織田の行き先に潜入する運びとなった。だが、潜入の得意なアメリアに、ほぼ初めてのお遣い状態の佐倉が組むこととなり、アメリアの苦悩はその重さを増すばかりであった。
「……メリア、アメリア!」
「What?」
思い悩むあまり、目の前が見えていなかったアメリアが佐倉の声で視線を上げると、目の前には控えめな銀色と紫色のネオンで彩られた豪華な門と、両側に門番よろしくゴツい黒服の男達が立っていた。いつの間にか、目的地のクラブへ到着していたようである。
「いらっしゃいませ、『Uoo』へようこそ。今宵も楽しんでいってください」
黒服の一方が二人に声をかけた。佐倉はなんて言おうか、何て言うべきだったか来る前の打ち合わせを思い出そうと戸惑う。だがそこで、ふわりと軽いステップで横の赤いドレスのアメリアが一歩前に進み出た。
「ええ、ありがとう。でも私、ここ初めて来たのよ? なんだか楽しそうだっていう噂を聞いたものですから」
佐倉は目を白黒させる。アメリアの声色が急に大人びた色を纏ったからだ。しかも、普段なら片言の英語交じりの日本語が出るはずなのに、今は完璧な発音と日本語である。
「おや。そうでしたか。確かに、貴方のような美女を忘れるわけはありませんね。どうぞ、お入り下さい。ご一緒の方は……」
「ああ、ただの取り巻きよ。一緒に入ってもいいかしら?」
「うーん、失礼ですが、未成年の方ではありませんか?」
ゲートキーパーを仕事とする黒服の目は確かである。芸達者のアメリアはなんとか騙せたが、どうやら態度と表情で、佐倉の方が未成年であると疑われてしまったようだ。
「あら? わかっちゃった? 大丈夫。子供に飲ませるお酒はないと躾けてあるから」
「おまっ」
佐倉が何か言おうとしたが、アメリアが佐倉の方を一瞥すると顔をしかめて黙った。それを見た黒服は少し苦笑いすると、2人を通した。ゲートを通り、人気のない暗い廊下を歩きながら、佐倉が愚痴る。
「お前、ノーアクションで撃つの上手くなりすぎだろ。それに何だよ……さっきの大人みたいなのは」
「Don't speak って言ったよね? 合わせてよっ。私が折角演技してるのに台無しになるでしょお。大人っぽい言葉遣いだって、ちゃんと勉強したんだから。普段はやらないだけ。ほら、音楽が聞こえてきた。plan通りにね! サクラ!」
剥製の首が飾られた暗い廊下を通り、重い扉を開くと、そこは綺羅びやかなダンスホールであった。踊る者や酒を飲む者、ダーツやビリヤードを楽しむ者。各々がノリの良い音楽の中に散見される。
「うわ、すっげ。この間行った関西の『昇天閣』もなかなかだったが、これがクラブってやつかー、へぇー! あ。陽子ちゃんみっけ。おーい! 今貴方のホストが参りますよー」
「ちょ、サクラ……はあ、もういい。ワタシだけでやるよ」
アメリアは足早に去っていった馬鹿に溜め息をつくと、まずいざという時に備え、地形の把握を始めた。
ダンスホールはなかなかの広さだった。吹き抜けの2階建てになっており、広さは大体長方形のグラウンドくらいの広さがあった。中央に一際高い踊り場があり、その中央でDJが音楽をチューニングしている。その周囲を取り囲むように、ゲームを楽しむブース、座って飲食を楽しむブース、ダンスを楽しむブースがそれぞれ3箇所ずつくらい点在しており、それぞれのエリアがお互いに見えないよう、照明を調節してあった。
「Fumm……これは人探しには苦労するね。トールから借りてきて良かった」
アメリアはハンドバックからサングラスを取り出して装着した。見た目は完全にブランド物のサングラスだが、丁番のところに氷上エレクトロニクス社のマークが入っている。つまり電化製品であることを示していた。
「遮光暗視スコープ。眩しすぎる光はカットして暗すぎる場所を暗視カメラの原理で見えるように調整してくれる。これがあるだけでFlash grenadeも意味を成さなくなるスグレモノね。But……軍用スコープの形をしていないことが唯一の欠点ね」
ミリタリーオタクのアメリアが独り言を言いながらサングラスを通して会場を見渡す。サングラスには顔認識機能があり、登録してある顔ならばすぐにピックアップしてくれる機能がついていた。レンズの内部で、認識された情報が文字とともに次々に浮かび上がり、それを見たアメリアは驚きのあまり目を見開く。
「なんて……コト。すぐトールに連絡しなきゃ……それに……ここは娯楽施設なんかじゃない、ここはっ」
アメリアは周囲を見渡し、化粧室を探すと個室に入る。急いでハンドバックの中から電話機を取り出すと、氷上を呼び出した。この時間に電話があることがわかっていたのだろう。氷上はワンコールで電話に出た。
『ハイ、アメリア。何か面白いもんでもあった?』
「ヤバいよ、トール。ここ、Vampire被害者のnest……そう……そう」
『巣窟?』
「そう! それになってるんだよ! ゲストの70%が高校生か中学生なの!」
アメリアの報告を受けた氷上は大きなため息をついた。
『……なんとね。予想はしていたがな。悪い方の予感が当たってしまった』
「どうすればいい?」
『ああ。ゲートキーパーが中学生を通したということはその施設、十中八九敵の手中だと考えた方がいい。AAAかどうかまではまだわからんがな。お前は目立たないように気をつけながらそこで何が行われてるか観察しろ』
「あの馬鹿は?」
『放っておけ。ただアメリア、あいつに後ろを取られないよう気をつけろ。いやな予感がする』
「嫌な予感て、まさかいつもの?」
『ああ、危機が迫っているサインだ。そしてこの予感は決して杞憂などではないことが、これまでの経験でわかっている。間違いなく、今からそこで何かが始まるぞ。下手をすると、佐倉の奴はやられるかもしれん。アメリア、気を緩めるな。いざという時は佐倉を見捨ててでも逃げろ。私も今から援軍を連れてそちらに向かう』
「Yes、ma'am」
それだけ言うと、アメリアは通信を終了した。氷上は研究室のソファーで寝ていたが、背伸びをして起き上がり、机の上の携帯電話を拾い上げる。
「やれやれ。ヴァンパイア……御伽噺の中だけで眠っていればいいものを……直樹、起きろ」
氷上は床で眠っていた木津に声をかける。すると、元来研究しながら寝たり起きたりを繰り返す生活スタイルの木津は、それだけで活動を再開し始めた。
「ん……すまん、少し寝てたみたいだ。えーと、どこまでやったっけ。確か連続じゃないゲノム情報でも能力の表現型に違いが……」
「いや、その為に起こしたんじゃないよ。例のクラブ、ヴァンパイア被害者の集合場所だったみたいなんだが、これから何か良くないことが起こりそうなんだ。君は湯村達に声をかけてくれ」
「今何時だ? ……うわ、3時過ぎじゃないか。湯村くんも柏木くんも寝てるだろうに。まあ、起きるかわからないけど電話はかけてみるよ。透はどうするんだい?」
「私は今から脳を起こす」
木津は寝起きであったが、その言葉を聞くと血相を変えて起き上がる。
「……っ、まさかVersion5を使う気じゃないだろうね? アレはまだ完成したばかりだぞ」
「馬鹿。完成してるから使うんだろ。自分も使ったことがなくて生徒に使えるか。ほら、寄越せ」
氷上が顎で要求すると、木津は上着のポケットからテラマイクロチップを投げて渡した。それを氷上は携帯電話の中に入れると、イヤホンを取り出し、装着する。氷上の手元は少し震えていた。
木津のお陰でプログラムの成長は著しく先に進んでいる。バージョン3やバージョン4でさえ十分な検証もまだ終わっていない最中、それよりもさらに新しいプログラムで自分の遺伝子に手を入れるのだ。
だが彼女は止まらない、この日本を、元の姿に戻す。そのためにはどんなことでもすると決めたのだから。
「遺伝子活性化プログラムをVersion5.01にバージョンアップ。さて……行くか……活性化!」




