さいなら、関西
真天階宗の本殿では、現・教祖である成宮豪士郎が信徒を集めて会合を行っている。集められた大勢の信徒は本殿の地下会議室にひしめき合い、豪士郎が現れるのを待った。
しばらくすると、鈴の音とともに壇上の松明がひときわ大きく燃え上がり、また元の大きさに戻った。人々は眩しさのあまり目を細める。炎が落ち着いた後、よく見ると、何時の間にか壇上には、豪奢な袈裟を着た豪士郎が現れていた。
「信徒の諸君。ようやく我らが悲願がかなうときが来た」
信徒達は静まり返り、教祖の次なる言葉を待った。
「この関西のシェルターを手中にする時が、ついに来たのだ。一時は不本意ながらもAAAという怪しげな連中に脅迫され、テロリズムの片棒を担がされたりもしたが、最早彼らは滅びた。辛く長い苦行の時は、今、終わりを迎えたのだ」
信徒の中に静かなざわめきが起こる。
「AAAがいなくなったやと?」
「まさか! 教祖様が、あの集団をやっつけたんか?」
基本的に彼らは真天階宗を、彼らの教祖を信じきっているため、AAAを倒したのが外からやってきた氷上たちであることなど想像できなかった。ただ与えられた情報を自らの信じる神と、その教祖の御力によって成し得たと勝手に結論付ける。みなのざわめきが少し落ち着いたところで、豪士郎は話を続けた。
「ふふふ……そうや。彼らを追いやったのはこの私、豪士郎と我らの協力者や。そして協力者の一団は我らに、今後のシェルターでの自治一切を任せると宣言し、去っていった。さあ! 皆、立ち上がるんや。まずは現在AAA去りしあと、代わりに立ち上がらんとする日本政府の関西支部、関西政府を我らで倒すんや!」
成宮豪士郎は大きく息を吸い込むと、ある音を出す準備を始めた。真天階宗が持つ「奇跡」と呼ばれる力、人々を催眠に陥れる特殊な周波数を出す声である。息子の成宮善次郎よりも何倍も強い拘束力のあるその言葉を放つべく、マイクに持つ手に力を込めた。
『関西政府を壊せ』と。それだけでいい。それだけ発すれば真天階宗は今後、この関西で、いやこの日本で大きな力を持つこととなるだろう。そして、ゆくゆくは世界をも掌握する4番めの宗教として君臨するのだと、そんな青写真が成宮豪士郎の頭によぎった。
だが成宮豪士郎の声はホールへ響くことはなかった。代わりに聞こえてきたのは、彼が息を詰まらせる声だった。
「ぶほっ」
「ごめんなさいね、あなたが言語を発すると色々都合が悪いのよ」
いつの間にか壇上に現れた長身で黒髪の女性が、鮮やかなニーキックを豪士郎の腹部にクリーンヒットさせて立っていた。慌てて周囲にいた者達が動こうとするが、その後ろには既に「関西警察」と腕章を付けた者達が次々に手錠を持って会場へと侵入してきていた。
手錠をはめられた豪士郎がシェルター地上階へと顔を出すと、そこにはパトカーが大挙して押し寄せていた。
「いつの間に……儂らはまだ、何の行動も起こしとらんかったというのに」
「そう、その辺りが難しかったのよ。昔氷期の前にそんな映画があったわ。未来を計算するコンピューターが、犯罪者が犯罪を犯す前に逮捕してしまう社会の話。でもそれじゃあ、もしかすると何かのきっかけで冤罪が出てしまうじゃない? だから、あなたが演説で確実に政府に反目すると宣言するまでじっと息を潜めていたってワケ」
それだけ言うと、九木は踵を返し、成宮の元から離れた。そして上着のポケットを探ると携帯電話を取り出す。何度も押し慣れた番号をダイヤルし、ある人物へと通話をつなげた。
「もしもし透? あなたの読み通りよ。成宮豪士郎は関西政府に対する破壊行為を仕掛けるところだったわ」
『ありがとう、薫。ご苦労さん。そんじゃあとは警察に任せちゃって……ザザ……』
「本当、びっくりしちゃったわよ。急に昨晩、メールを寄越してきたかと思ったら、オーバーカラムへの入り口は使えるようになっただの、とある宗教家が新たな勢力として立ち上がろうとしているから抑えろだの、突拍子もないことが書いてあるんだもの。しかも送信日時が一週間も前って、そんなに前からこのことがわかっていたの?」
『まあね。私も全ての未来が読めるわけじゃないんだけど、そこだけは確実だった。AAAを私達が倒せたら……ザザ……次は成宮一族が動くだろうってな』
九木は大きく溜め息をつくと、メーカー・ジャパンのロゴが入った車に乗り込む。スタッフが運転する車は、バックミラー越しに九木が頷くとアクセルを踏んで慶宝恩寺出発した。
「昔から透の予想ってよく当たる方だったけど、今回のは異常よ。どうしたらあんなことができるのよ」
『別に……ザザ……私は特別なことをしているわけじゃない、雨雲を見て雨が降りそうだと言っているお天気お姉さんとさして変わりはないよ、薫。君にだってできることだ……ザザ……』
「できないわよ。全く非常識なんだから。それで。さっきからやたら何か雑音がするんだけど……もしかして、貴方、もう関西を出たんじゃないわよね?」
『ぴんぽーん。ほら、出来るじゃないか』
「なんですって!」
突然の大声に、運転していたスタッフは一瞬ハンドルを切り損ねそうになる。車はそのせいで少しだけ蛇行したが、すぐに元の運転に戻った。
「どうすんのよ。関西スタッフのみんなは、あなたが次の指示をくれるのを待っているのよ?」
『それは、薫に任せるよ』
「え?」
『まかせる、つったの。『黒』の一団はいなくなったし、AAAと真天階宗さえ押さえれば、関西シェルターは元の姿を取り戻すだろう。あとウチの会社にできることって言ったら、ただの氷上エレクトロニクスとしての通常営業だけだよ。それに、スタッフは私と同じように、君のことも信頼している』
九木は、少しすねたような顔をして、受話器を耳に当てたまま東の空を車から眺めた。空には、オーバーカラムの液晶が、違和感なく晴天を映し出している。
「……今度は、一年も音信不通とか、なしだからね」
『ああ、約束する』
そして氷上は、後部座席で眠っている湯村と佐倉、柏木とアメリアを見て少し微笑み、九木にもう一度返答した。
「今度は大丈夫だ」
『うん。わかった。じゃあ、また連絡するから』
「ああ。またな、薫」
『元気でね、透』
その言葉を最後に通話は着られた。爆走するワゴンカーは新しい車体とかつての人工知能を乗せて関東へと向かう。新しくチューニングされたワゴンは時速400kmほどのスピードで氷上を疾走していった。氷上が鼻歌を歌いながら運転していると、人工知能が氷上に語りかける。
『マスター、関東より通信が入っております』
「つないで」
ジョージ・トマソンは通信機の周波数をチューニングし、暗号化された関東からの通信を車内に繋ぐ。スピーカーから聞こえてきた声は、落ち着いた低い男性のものだった。
『お久しぶりでございます、氷上校長。ご無事そうで何よりです』
「おお、久しいな林田教頭。どうだい? 関東は。特に問題ないかい?」
『ええ、まあ。地上からの攻撃もかなり下火になりましたし、シェルター内でのテロも、今のところなりを潜めております。多少、学園内に奇妙な噂が流れておりますが……それは帰っていらしてからでいいとしましょう。それで、この通信を受けられるようになったということは、おめでとうございますと申し上げてもよろしいのでしょうか』
「ああ、私を誰だと思ってるんだ。関西は自治を取り戻したぞ」
氷上が誇らしげな顔でモニターの林田にウインクした。林田は画面の向こうからその細い目をさらに細くして氷上に微笑みかける。
『それは何よりです。お帰りはいつ頃になりそうですか?』
「そうだなぁ、この車ならあと2、3時間で着くと思うけど」
『いやはや、この林田、嬉しさのあまり涙が出そうです』
その返答に、氷上はぴくりと反応を示す。そして注意深く画面を見直してがっくりと肩を落とした。林田の後ろ、校長室の机には天井に届かんばかりの書類の山が積まれてあったからである。
「……AAAの予測にばかり能力を使いすぎて、学園がどうなっているのかまで考えてなかったー。あー……急激に帰りたくなくなった……」
氷上が肩を落として正面を見ていない間に後ろから学生の一人が起きてきた。その少年はフロントガラスから映る光景を見て叫ぶ。
「先生! 前見てくださいよ! 前! 崖!」
「え? なんだ佐倉か。前? ああ、伊勢湾じゃないか。やばいーおちるー」
演技力のかけらもない台詞であったが、佐倉には十分効果があったようだ。
「助けてくれえええええ!」
豪快に叫んだ後、ワゴンは伊勢湾が形作る崖へと真っ逆さまに落ちていった。当然人工知能のジョージも共犯である。佐倉が意識を手放したと同時に車体は飛行モードへと移行した。その振動で、金髪の少年が代わりに目を覚ます。
「うるせぇな。なんなんだよ……って、おお! 地上じゃねぇか? あれ? 敵は? 光は? 関西はどうなったんだ?」
周りを見回しながら、寝ぼけ眼の湯村が氷上に問いかける。
「ああ、関西は政府の自治にもどったよ。我々は勝利したんだ。君の弟に関しては……残念ながら行方が知れないままだ」
「AAAの奴らは?」
「彼らは東北方面に向かったようだ。あそこに、AAAで一番の軍事基地があると聞いているから、恐らくそちらへ撤退するよう、指令が外部から届いたのだろう」
「そうか……」
運転席に身を乗り出すようにしていた湯村はシートに座り直すと、飛行するワゴンカーから外を眺めた。どこまでもつづく氷の大地と日本海を眺めながら、湯村が呟く。
「光……次会ったら、引きずってでも連れて帰っからな」
そのつぶやきはジェットエンジンの音にかき消され、零下30℃の空気へ溶けていった。




