オカマの布陣
「透、行かないのか?」
マンションの玄関で木津が荷物を背負った状態で氷上に尋ねた。氷上は首を横に振るとまたパソコンに向かって座り直す。そして、テーブルの上に置いた劇甘コーヒーをすすると木津に答えた。
「今、未来演算が終了した。私達は彼らのところへ向かうべきじゃない」
「どういうことだい?」
木津は先ほどのアメリアからの通話を横から聞いていただけに、彼らが今決して優勢な立場でいるわけじゃないことを推測していた。
「アメリアは言った。『逃げている』と。私が知る限り、アメリアという少女は対地戦闘においてかなりの能力を持つ。その彼女が『逃げている』というのだ。敵は機動力がかなり高いだろう予想される。我々が向かったところで足手まといだ。悔しいけどね」
「そうか。なら、どうしたらいい? 僕らに出来ることは何もないのかい?」
木津は氷上の言ったことに反論しなかった。これが湯村たちであれば、「そんなことはない、行けば何かが出来るはずだ」と氷上に食い下がっただろう。だが木津は科学者でありその頭脳は氷上も一目置くほどである。氷上が言っていることが努力や機転で覆すことが出来ないことであると正しく理解していた。
「もちろんあるさ。彼らの為に私たちがやれることは、さらに高性能で安全性の高い遺伝子活性化プログラムを組むこと……なのだが」
氷上は何かに気づいたように周囲に一瞬目を配ると、手早くパソコンを折り畳むと移動の準備を始める。窓から見えるオーバーカラムの夜の街並みに紛れ、目を凝らさなければわからないほどのかすかな黒い影の集団が、ここへ向かって近づいてきていたのだ。
能力を発動中の氷上は、未来演算のための僅かな情報も逃さない。現在の情報と過去の情報を集めるだけ集められるよう、常にアンテナが貼った状態にある。そのため、危機的状況が迫りつつあることを察知した。
「ちっ。今回の敵はかなり根回しが巧いタイプだな。今までの敵は私が自由に動く事を可能にしていた。だが、今回の敵は私たちをもターゲットにしてきたようだ。まあ、当然だな。オーバーカラムに来ているのにAAAが襲ってこなかった理由は、ひとえに『黒』がシェルター内をかき回していたからだ」
「『黒』? なんだい、それは?」
「ああ、直樹に言ってもわかんないか。我々でもAAAでもない第三勢力が出たのさ。そいつがAAAを牽制していてね。だが、やつの脅威が無くなった今、このオーバーカラムはやつらの庭そのものなのだから、我々の位置はやつらに筒抜けさ。ここはもう危険だ。行こう」
氷上と木津は立ち上がり、ベランダから配管を伝って下に降りるとマンションから逃げ出した。それから1分後、けたたましい銃撃音とともに武装した兵士達が駆け込んでくる。
「やったか?」
「いえ、目標はどうやら部屋の中に居ないようです」
「そう遠くは離れていないはすだ。各所に検問を設置しろ。何としてでも奴らを捉えて西部リーダーに届けるんだ」
「た、隊長!」
一人の兵士が狼狽えた様子で、後ろのほうから声を上げた。
「どうした? 奴らが見つかったか?」
「いえ、違います。どうかそこから動かないようにして地面を見て下さい」
隊長と呼ばれた男は足元を見た。男の足の下には赤く光ったマンホールのような装置が点滅を繰り返していた。
「馬鹿な! じ……地雷だと! 乗り込むときに確認したはずだ。しかもこんな薄っぺらい、厚みを感じさせない地雷など聞いたことがない」
「で、ですが、万が一これが本物であった場合……」
隣に居た兵士は同じく足元に光る地雷のために動けないまま隊長に意見を述べる。部隊長は振り返り、マンションの階段に居る兵士達の悲痛な表情を一瞥した後、目を閉じ、諦めたように言った。
「……爆弾処理班を呼べ。地雷を回避できた者は引き続き奴らを追うんだ」
「シート型地雷?」
入り口から来る追手なら足止めできると言った木津に対し、氷上が尋ねた。
「世の中が氷期に入った後、僕が居たアメリカの研究室はもっぱら資金繰りの為の研究を始めてしまってね。軍事産業に手を出したんだ。アメリカを出る時、何かの役に立つと思ってさ。半ば盗んだような形になってしまったが、持ってきておいてよかった」
「よくそんな物騒なものを私のマンションの入口に置いてくれたな。誤爆したらどうするんだ?」
「大丈夫。威力はほとんどないよ。僕が持ってきたのは、大人が気絶するくらいの電流を流す、可愛い防犯装置みたいなものさ。ただ牽制にはなるだろう? 僕だって、透が味方にならない可能性を考えてマンションを訪ねたんだ。逃げ道に細工くらいするさ」
「相変わらず、人を信用しないのだな。君は」
氷上は少し憐れむような表情で木津を見た。木津は首を横に振りながら少し笑った。
「色々あったのさ。君ももう少し大人になればわかるよ」
「そうかい? できれば、私はわからないまま死にたいものだ」
氷上は水筒のコーヒーを一口のみ、住宅街を右に左に進んでいく。その後ろを木津はついていった。
「どこへ向かうつもりだい?」
「北に向かう。氷上エレクトロニクスの関連施設がもともと林立していた地区で、極秘シェルターがある。そこなら、やつらに見つからずにしばらく過ごせると思う……っと、ちょっと待て、ストップだ、直樹」
マンションとマンションの間にある細い隙間のような路地で、氷上は木津に喋らないようジェスチャーを送った。しばらくすると、AAAのマークの書いてあるジープが通りを走っていく。完全にエンジン音がしなくなってことを確認した後、その細い路地から顔を出して、氷上は辺りを確認した。
「全く、全領土が敵の領地というのは不利極まりないものだな」
氷上は路地の中ほどまで戻ってきて、また水筒のコーヒーを飲んだ。
「どうした? 検問かい?」
木津は氷上に訪ねた。氷上は静かに首を振った。
「検問なんて可愛いもんじゃない。大勢の兵士、それから戦車が3台、自動砲台が2台、ヘリが2機。ここから見えただけでもそれだけの用意が見えた。たかが人間二人の逃走者にAAAの奴ら、戦争でも仕掛ける気じゃないだろうな。他もここと変わらないだろう。しばらくここで足止めか。おい、直樹何をしてる?」
氷上が諦めたように路地の中腹に座り込んでいると、木津が通りの方を覗いて笑っていた。
「……気持ち悪いぞ、何がおかしい?」
「これが笑わずにいられるものか、彼らの装備は、うちの研究室で開発された武器ばかりだからさ」
木津は、マッド・サイエンティストな笑みを浮かべながら、AAAの軍隊を眺めていた。
『オホホホッ。逃げることしか出来ないのは辛いわね』
湯村は辺り一面をスライムに囲まれていた。素早く動くことは出来ても、蓮波を牽制することが目的ではいずれ湯村のほうが能力の時間切れになることは目に見えている。前後左右にいるスライムから飛び出してくる棘を避けるため、湯村は全身を10倍速にして動き続ける必要があった。
「スライム……魔法……?」
なんとかできる限りの攻撃を避けながら、湯村のゲーム脳は目の前の化物の攻略法を模索していた。この不良は基本的にゲームと喧嘩のことしか考えていない。だからこう考えていた。打撃の効かないスライムのモンスターに遭遇した場合、どう対処するべきか。そして答えは案外あっさり出た。魔法である。
『ほらほらほらっ、また風穴を開けたいのかしらッ』
蓮波は巨大なスライムの身体から次々に鮫を出して湯村を襲わせ、その一方で砕かれたスライムから湯村を貫く棘を出す。10倍速では上手く避ける事が出来ず、湯村は身体の端々に傷を負っていった。
「魔法か……俺は、この速度コードにばかり頼りすぎていたのかもしれないな」
そう言うと、湯村は右のこめかみにある、ある感覚に力を込めた。
「ウインドウ、展開」
湯村の周囲に、彼にしか見えない青い小さなウインドウが展開する。青いウインドウには、彼の細胞の一つ一つの情報をしめす白い文字列が流れた。ウインドウも、その文字列も、湯村にしか見えず、湯村にしか解することは出来ない。
「探すべきコードがわかっていれば、コードを見つけるのはそう難しくはないはずだ」
10倍速で動く湯村の周囲を、同じく10倍速で7つほどあるウインドウが動きまわり、次々に湯村の情報を伝えてくる。だが、彼がコードを探し当てる前に周囲に異変が起きてしまった。
「全員、警戒態勢を解くな! 二人組の男女は、この近辺を通る可能性がある……ん? あれは!」
湯村が蓮波の攻撃をかわしつつ、忙しく新たなコードを探しているところへやって来たのは、氷上と木津を捉えるために派遣された軍隊の一つであった。一個小隊と、戦車一台、ヘリ一機が蓮波と対峙する湯村の後ろから迫る。
「マジかよっ! こんの忙しい時に」
一方、追っていた標的とは違う目標を見つけたAAAの部隊は、警戒態勢から戦闘体勢へと移行していく。
『いいところへ来たわ! アンタ達、この小僧を撃ち殺すのよ! アタシには銃は効かないから、思う存分撃ちなさい!』
「え? あ、西部リーダーであられますか。なんというお姿に……いや、言っている場合じゃない。皆、目標はあの金髪の小僧だ。あいつに関しては生死は問われていない。撃って撃って撃ちまくれ!」
化物から発せられた命令に一瞬ためらうも、すぐに現在の最高責任者、蓮波アラタの変わった姿であると認識すると、部隊長は兵士達に湯村への攻撃を命じた。訓練された兵士達は一斉に湯村の方へと照準を定め、一斉にトリガーを引いた。




