AAA関西本拠地への侵攻
時間は深夜零時を少し回ったところ。二人の男女がビルの上から上を飛びながら移動していく。
「透明の弾丸」
「ヘラクレスの怪力」
佐倉は持ち前の筋力強化でビルからビルへと飛び移り、アメリアは空気弾を器用に発射しながら空中を浮遊する。そして、あるビルの屋上へと辿り着いた。
「ここね。AAAのホームは」
「ああ、先生から貰った位置情報も間違いない」
佐倉は携帯電話を取り出すと、氷上に連絡する。
「もしもし……あー、俺です。佐倉です。勝手やってすみませんでした」
「いや。想定内だよ、君達の動きは。私から言っておくのは一つだけだ。生きて帰れ。ヤバいと思ったら逃げろ。それだけだ」
「了解ッス」
「よし、じゃあ手順を説明しよう」
氷上はそういうと、手元のPCを操作した。佐倉の携帯にビルの見取り図が表示される。
「君達のいる屋上は、最も警備の薄い場所だ。先の『黒』との戦闘で、人員が減ったことも一因だがな。今は深夜だから、実質警備らしい警備はその10階建ての各階に配備された警備員と監視カメラぐらいだ」
「わかりました。じゃあ、俺がこの扉を壊して……」
佐倉は屋上出口の扉付近に近づき、ノブを捻ろうとする。
「アメリア」
「Yes、Ma'am」
アメリアは佐倉のドアに空気の弾丸を反射させ、佐倉の顔面に空気のパンチを食らわせる。
「あ痛っ!」
「お前はもう少し、人の話を聞くべきだな。いくら人員が減ったとはいえ、その扉は既にセキュリティーの一つだ。迂闊に触れれば警報が鳴り響く」
「……ウス」
佐倉が落ち着いて座ったところで、氷上はアメリアに指示を送る。アメリアは自身の携帯電話を扉の横にある小さな箱型の機械に近づける。
「よし。そこまで近づければ十分だ。AAAのビル内は有線の閉じた配線で構成されているだろうが、物理的に近くまで行けば回線に侵入は可能……っと」
電話の向こうでキーボードを叩く音が聞こえたかと思うと、箱型の機械からビープ音が聞こえ、赤色のランプが緑色に変わった。扉の奥から、ロックが外れたような音も聞こえる。
「いいだろう。監視カメラとドアのセキュリティーは外した。後は君達が音を立てないように建物内を捜索し、柏木を見つけて来てくれ」
「わかったよ! トール」
アメリアは小さな声で氷上に答えると、佐倉に目配せして屋上の扉を開く。佐倉は頷くと、アメリアに従い、ビルの中へと入っていった。
ビルの中は深夜ということもあり、灯りはほとんど付けられていなかった。無機質なビルの廊下を非常灯の灯りだけが薄暗く照らす。
「ん……nobody here、誰もいないよ。私の耳で音も拾えない」
「マジかよ。仮にもテロリストの根城だろ?」
10階の廊下に顔を出す佐倉とアメリア。灯りは暗いが、確かに誰も居らず、物音一つしない。廊下にある監視カメラは、氷上のクラッキングで沈黙している。
「本当だ。じゃあ、アメリア、柏木の声も聞こえないか?」
「んー。ミツキの声は聞こえない。この階じゃないのかも」
アメリアは空気を吸い込む能力があるため、空気の密度に関する感覚が鋭敏である。つまり空気の振動である音に関しても鋭敏であり、その聴力はおそらくゾウ並である。
「よし、じゃあ進むか」
『ちょっと待った』
佐倉とアメリアが階段を降りようとしたところで、携帯でつながっていた氷上が二人を静止する。
「なんスか? また俺、なんかしました?」
『いや、単純に電波の問題だ。階段に近づいた時、携帯の電波が薄れてきたのでな。ひょっとするとこれから電波が途絶えるのかもしれない』
「つまり」
『私の助けはしばらく期待しないでくれ。ここにある器材ではとてもネットワークの乗っ取りまでは無理そうだ。すまないが、君達に頼るしかない。頼んだ……ぞ……』
氷上の声が途切れ途切れになった。アメリアは携帯の電波がないことを確認すると、通話を切り、佐倉とともに階段を降りていった。
9階から4階までは10階と全く同じ構造だった。しかし、おかしな事に、守衛がいないことも全く同じであった。
「おい。流石にオカシイぞ。ここ、移転前のAAA本拠地じゃあねぇだろうな。さっきから人っ子一人いないってありえるのかよ」
「What's happenning? どういうこと……?」
訝しむ二人が階段を下り、3階の廊下へと足を踏み出したところで、二人の足が液体に触れて音を立てた。
「うわっ、何だこれ」
佐倉が慌てて足を引いて階段へと戻ると、その床は、音を上げて焼け始めた。
「うわ、うわーっ、ちょ、アメリア。バック! バック!」
皆無といえる英語力を駆使し、アメリアを振り向かせる。アメリアは気にせず3階を進もうとしていたが、階段に戻った途端、自分の靴に触れていた液体が床を溶かしながら音を立てることに驚いていた。
「サクラ、これって」
「ああ、なんだろうな。靴が溶けてる。しかもこの匂い……臭っせ。ゲロの匂いがするぜ」
暗くてよく見えなかったが、3階の床には1cmほど浸水していた。そして、辺りにはスラムの裏通りのような、吐瀉物の芳香が立ち込める。
「このまま進むと、靴が無くなるな」
「足も無くなるかもね。そしてとおっても臭くなるよ! ワタシ、それは嫌だ!」
「……どうすっかな」
佐倉とアメリアは階段のところで作戦会議を行うことにした。
氷上はその頃、湯村の血液から採取した膨大な遺伝子データの検証にかかっていた。
「湯村くんはまだ目を覚まさない。睡眠不足、というよりは明らかに能力の制限時間の症状に近い。だが『夜』との戦闘で湯村くんが使用した能力は決して過ぎたものじゃない。現に、湯村くんの遺伝子データ上は、まだ彼が能力の余力があると示している……どういうことなんだ?」
残念ながら林田との会話では、氷上は解決点を見つけることができなかった。氷上はコーヒーを一口啜ると、軽く頭を抑える。
「く……思考能力を駆使し過ぎたか。遺伝子情報は情報量が大きいからな。それを用いた並列思考は、そう長くは続けられないか。佐倉くん達のこともある。彼らの無事をサポートするための未来予測が出来るくらいの余力は残してなきゃならんし、参ったな……」
目の前で眠ったまま動かない湯村の横顔を見ながら、氷上は溜め息をついた。すると、時間も深夜を過ぎて1時になろうとしていたマンションの扉を、何者かがノックする音が氷上の耳に入った。
氷上の心音が30ほど跳ね上がる。椅子から飛び降り、白衣にしまってあったハンドガンを取り出した。佐倉達に関してと湯村の遺伝子に関して思考能力を割くあまり、自分に関する未来予測はしていなかったのだ。未来予測ではなく、人間としての本能が、氷上に警鐘を鳴らす。
そもそも、こんな深夜に、オーバーカラムへ越してきたばかりの自分を訪ねてくるような客は居ない。となれば、今彼女のところへやって来る人間がいるとすれば。彼女の位置情報を正確に掴める”目”を持つ存在、『写真屋』、そして。
「『黒』かっ……!」
動かない湯村を置き去りにするわけには行かない。高速並列思考は、かなり疲弊しているはずだ。今、彼らに襲われたら、助かる見込みは全くなかった。
しばらく扉をノックしていた音が、止んだ。氷上は無駄かもしれないと思いつつ、ハンドガンの撃鉄を、極力音を立てないよう気をつけながら上げた。




