ノーリスク・ハイリターン
AAAとメーカー・ジャパン、両陣営の兵士に囲まれた『黒』と『写真屋』であったが、彼らが行ったことといえば右手を空へ伸ばしただけであった。
しかし、天に伸ばされた『黒』の手による影響は一目瞭然であった。関西シェルターの空を映し出す液晶パネルが、彼らを中心として瞬く間にブラックアウトしていく。
「まただ、また空が暗くなっていくぞ!」
「あいつが手を上げた途端、空が暗くなった! 間違いない。『夜』の正体はあいつだ。総員、撃てぇ!」
部隊長が指令を下す。AAAの訓練された兵士たちは『黒』目掛けて銃弾を放った。鉄の雨が少年の体めがけて降り注ぐ。だが銃弾は、『黒』に到達する前に地面に叩きつけられてしまった。
「なんだと? どうなっておる。奴はこれだけの銃弾を叩き落としているというのか」
「磁力だよ」
部隊長のつぶやきに氷上が答えた。
「あいつは、電子に対して干渉出来るんだ。周囲の電子を吸収して、放出することが出来る。あいつの周囲が暗くなるのも、周囲の電化製品から電子を取り込んでいるからだ」
「電子の……吸収だと。いやしかし、今貴様は磁力と言ったではないか」
氷上はやれやれといった様子で肩を上げてみせると、補足説明を始めた。
「脳筋の君に解説してもわからないかもしれないが、電子の流れは電流を作り、そして電流の流れは周囲に磁場を作り出すんだ」
氷上の発言に橘も頷いてみせた。
「僕も同感です。しかし恐ろしい奴です。奴はバリアを張っているんじゃない。ただ自分の次なる攻撃の為に電子を周りから集めているだけなんですからね。磁力は本来の彼の力ではなく、おまけみたいなもんですよ。部隊長」
「そんな、おまけのような力で……我々の武器が無効化されてしまうというのか」
部隊長は、信じられないものを見るように『黒』の方を見た。その隣では湯村も同じく、『黒』の方を見つめていた。
「氷上、雷の速さってどのくらいかわかるか?」
湯村は氷上に向かって尋ねた。
「やつに飛び込んでみる気かい? そうだな……奴の攻撃は雷でいう”ステップトリーダー”に当たるだろうから秒速200km程度だな」
「俺の最高速度が今65536倍なんだが、それだと奴の攻撃はどのくらいになる?」
「まあ、いいとこ秒速3mってとこだな。言っておくが、おすすめはしないぞ。先程のように標的が明らかに分かっている場合ならかわす事もできようが……」
氷上の台詞が終わらないうちに、湯村の姿は氷上の隣から消えていた。
「湯村くん?」
次の瞬間、湯村は『黒』の背後に移動していた。
「雷は速いかもしれないが、お前自身の速さはどうだろうな?」
65536倍のスピードで出された湯村の右拳は『黒』の後頭部を完全に捉えたかに見えた。だがその刹那、『写真屋』の小さな唇がかすかに動く。
「172°、25cm」
その、高速の空間で『写真屋』の唇が動いたという事実も衝撃であったが、湯村がさらに驚いたのはその後である。65536倍という速度で動いた景色というのは、ほどんどすべての物体が静止した世界である。その世界で、『黒』は湯村の方へと振り返り、湯村の方へ手をかざしたのだ。
「なん……だと」
「闇の雷光」
湯村の目の前で黒い光が輝いた。次の瞬間、湯村は氷上の隣まで戻ってきていた。湯村の肩口は制服が黒く焦げている。
「っざけやがって、あの野郎!」
「大丈夫か、湯村くん。何があった」
「高速で動いている中、あの小さいのが何かしゃべりやがったんだ。そうすっと、あいつもすげースピードで動きやがったんだ。正直に言うぜ。俺は今、死んだかと思った」
氷上が見ると、湯村の右手のゴム手袋は表面が少し溶けてきていた。恐らくとっさの判断で『黒』の攻撃を弾いたのだろう。
「双、大丈夫?」
柏木が湯村の肩に手を当て、細胞を修復しようと試みた。
「あ、あれ?」
柏木がどんなに力を込めても、湯村の肩の火傷は治癒しなかった。
「細胞を構成する元素ごと電気にやられてしまっているのだろう。美月の力じゃ治せないよ」
氷上が言うと、柏木はがっくりと肩を落とした。
「さて、美月も駄目、湯村くんも駄目となると力だけの佐倉じゃ論外。私の未来選択はやつに致命傷を与える程には使えないし、ここで連続使用して私が倒れるような事があればマズい事になる」
氷上は水筒を取り出し、甘いコーヒーをぐいっと飲んだ。
「この戦い、分の悪い賭けになりそうだ」
氷上の額にはうっすらと汗が流れていた。
湯村はまた『黒』の方をじっと見つめる。やっと見つけたと思った自分の双子の弟が、とんでもない敵となって現れた。しかも相手は手強すぎて逃げ延びるのがやっとである。これでは弟なのかどうか確認することも出来そうになかった。
『黒』の顔を見てぼんやりしている湯村を見て、氷上が声をかける。
「湯村くん……聞いているか、湯村くん!」
「え? ああ、悪い。何だっけ」
「君の気持ちはわかる。だが、弟かそうでないかの疑問を抱えたまま戦うことは寿命を縮めかねないぞ」
湯村は心を見透かされて舌打ちをした。
「わかってるよ」
湯村は顔を上げてもう一度同じ台詞を独り言のように繰り返す。
「……わかってるさ」
そして、こめかみにある間隔に湯村は力を込める。
「ウインドウ、展開」
すると彼だけに視認できる青いウインドウが、湯村の眼前に展開する。青いウインドウには、湯村の細胞情報を示す白い文字列が無数に流れていた。
「何か……何かないか……細胞編集者、教えてくれ。どうすれば奴を倒せる?」
そう、湯村は『黒』を”倒さねば”ならない。”殺す”のではなく”倒す”のだ。そのためには、敵の戦闘能力を凌駕している必要がある。しかし『黒』は、湯村がコードの検索を行うことすら許さなかった。
「まずい! アメリア、美月、こっちにこい!」
氷上の未来予測が彼女にこれから起こる脅威を告げたため、自分では敵の攻撃を防げそうにない二人を自分の白衣の内側に匿う。二人が氷上の白衣に隠れた直後、『黒』の口から攻撃発動の言葉が発せられた。
「降雷」
空に向かって伸びた『黒』の手が握り締められる。すると、空から無数の黒い雷が降り注いだ。轟音と振動が関西シェルターを揺るがす。
「何が起こった!? 誰か、状況を報告しろ」
オーバーカラムを揺るがすような振動が収まり、立ち上がった部隊長が見たのは、彼の後ろに控えていた大勢の兵士が残した黒いシミだけであった。
氷上も白衣での防御態勢を解き、周囲を見渡す。
「なんとね。オーバーカラムの全てを把握する眼をもつ『写真屋』と、座標通りの場所に雷を撃ち込める『黒』のコンビか。この組み合わせ、最悪だな」
そう言っているうちにも『写真屋』は両手を前に出し、何かを探すような仕草を始めた。
「マズいですよ。また今の攻撃の準備をするつもりらしいです」
建物の影に隠れて雷を逃れていた橘は戻って来てそう言った。『写真屋』は次の標的にするべき目標の座標検索を始めているのだ。
時間はあまりなかった。とにかく『黒』に今の攻撃をさせないよう、『黒』か『写真屋』のどちらかに攻撃を仕掛けねばならない。さもなくば数秒後にもここにいる全員が黒いシミになることだろう。
「アメリア!」
氷上に呼びかけられ我に返ったアメリアが、空気銃で『黒』を狙った。
「透明の銃弾、広域!」
アメリアの放つ弾丸が『黒』と『写真屋』の居る辺りに対して逃げ場のない攻撃を行う。
「ふん。種がわかっていれば避けるのはそう難しくない」
『黒』はそう言うと、先程から見せている高速移動でアメリアの見えない攻撃を躱していく。
「駄目だ、トール! あいつに当たらないよ。どうして」
「空気の塊は電気抵抗が変わる。その微妙な変化を感じ取って避けているんだ。つーか、それを今見たばかりのアメリアの攻撃に対してやってのけるか。なんというセンス」
「感心している場合じゃないっすよ。このままだとまた!」
『写真屋』は残った人間の位置情報の収集が終了したようだった。やがて、『黒』の方に歩み寄ると、耳元へ囁きかける。それを聞いた『黒』は再び右手を空に向けた。次の攻撃準備である。
「「それを、待っていた!」」
氷上と橘は同時に口を開いた。
「湯村くん、佐倉くん、アメリア! 今、奴に攻撃するんだ。やつはエネルギーの吸収を始めた。ということは、奴の体に残っている電子が、今一番少ない状態にある。畳み掛けて枯渇させる!」
「もしもし。中央リーダーの橘ですが。ええ、ええ、そうです。オーバーカラムの全電力を一時的に落としてください。システムが壊れる? いいから早くブレーカーを下ろす! さもないと全員首にしちゃいますよ」
橘の計らいによりオーバーカラムの電力がすべて落とされ、シェルター内は真っ暗になった。変わりに、AAAの生き残った兵士達が松明を付ける。
「……電力が根っこから落ちたです。ハード的な問題は僕ではちょっと解決できないです」
暗がりの中、サムエルが申し訳無さそうに『黒』に告げる。
「大丈夫。まだ残ったエネルギーはある」
『黒』が、残った電子を右手に移動させ始めたとき、左側から突然何者かに殴られた。
「がっ」
「立て直しなんかさせるかよ。一気に決めさせてもらう。そして白状してもらうぞ。お前の素性とバックにある組織をな」
殴ったのは湯村だった。『黒』は、電力温存のため、電気的な高速移動が出来ていないようだった。
「貴様っ!」
反射的に黒い雷を湯村に飛ばすが、高速で動く湯村を捉えることはできない。サムエルが湯村の座標を『黒』に伝えたとしても、今は意味をなさなかった。『黒』の右手が湯村の影を貫く。だがもう既にそこには誰も居なかった。
「透明の弾丸っ!」
「ぐはっ」
今度はアメリアの弾丸も命中した。
「お前はっ、最初からっ、邪魔なんだよっ!」
『黒』がアメリアに向けて雷を飛ばすが、湯村によってアメリアは移動され、雷は当たらない。
「っはぁ、はぁ、はぁ……」
戦い始めて、『黒』は初めて息が上がり始めていた。『写真屋』が心配そうに『黒』を見上げる。
「『黒』、ここは撤退するです。状況は、明らかに変わりました。今なら逃げられるです」
「誰が逃げるって?」
そう言うと、『黒』はパーカーで隠れて見えなかった右腕をめくった。右腕には金属のリストバンドが巻かれている。
「……っ! 駄目です、『黒』。それは!」
サムエルは止めようとしたが、『黒』に振り払われて床に転がる。『黒』がリストバンドに付いているテンキーを叩くと、解除音とともにリストバンドは重い音を立て、地面に落ちた。
「おいおい。ちょっと待ってくれ。それはまさか能力の制御装置とかじゃあないだろうな。そんな厨二設定、おねーさん嬉しくないなぁ」
氷上が冷や汗を流しながら言った。そんな氷上を見て『黒』は笑うと右手を真横に伸ばした。
「ご、ごめんなさいです! 僕、先に帰ってるですっ」
『黒』が右手を伸ばしたのを見て、『写真屋』はバタバタと逃げ出した。
「逃すかっ」
湯村が追おうとしたが、目の前に黒い電流の壁が生まれ、通り道を塞いだ。
「ちっ、まだこんなエネルギーを残してたのか」
「いや、湯村くん違う。今のは……」
氷上が何かを言おうとした時、『黒』を中心として地面が丸く窪んだ。それは、押しつぶされた、というよりは削り取られたように見えた。
「まさか……」
橘が信じられないものを見るような目で『黒』を見る。
「周囲の原子から電子を回収しているのか。物理法則を何だと思っているんだ」
橘の呟きを聞いていた佐倉が氷上に尋ねる。
「先生、あれ何が起きてんスか?」
「佐倉くん、ここで化学の講義をする気はないのだが……まあいい、冥土の土産だと思って聞くかい? この世にあるものはすべて、原子核と、その周囲に取り巻く電子で出来ている。だから奴が電子を集めようと思えば、どんな物質からでも収集は可能だ」
佐倉はわかっていない様子で、目が完全に点になっていたが氷上は説明を続けた。
「しかしね、原子から電子を取ること自体が相当なエネルギーを必要とするんだ。だから、やつが電子のために原子を解体していくことは、エネルギーを収集するのが目的なら理にかなっているとは言えない。だが……」
「『だが』なんですか? 先生」
ついていけなくなった佐倉の代わりに柏木が氷上に続きを促す。
「だが、ノーコストに原子から電子を回収できる遺伝子の能力というものが、もし、もし存在したとしたら……」
氷上は『黒』を睨みつけ、唇を噛み締める。
「あいつにとってこの世の全てがエネルギーだ。私達に勝ち目はない」
氷上が説明を終える頃には、『黒』の頭上には巨大な黒い球体が生まれていた。黒い球体は黒い雷を帯び、どんどん膨らんでいく。この間、湯村は何もしなかったわけではなかった。近づけなかったのである。湯村は近づこうとして『黒』の電子回収範囲に僅かに入った。それだけで湯村のゴム手袋が消滅してしまったのである。
「湯村くん、今度こそ近づくな。ヘリウムか水素レベルまで原子を解体されて骨も残らんぞ」
「くそ……くそ!」
湯村は青いウインドウを展開し、コードを検索する。しかしやはり、『黒』の様な異常な能力に太刀打ち出来る何かを見つけることはできなかった。
だんだん膨らんでいく暗黒の球体を正面に見ながら、氷上は退路を確保しようと後ろを振り返った。そして愕然とする。周囲には既に、『黒』が作り出した黒い雷による壁が彼らを取り囲んでいたのであった。氷上は仲間達に向かって振り返ると、満面の笑顔で言葉を発する。
「ごめん。終わった」
次の瞬間、『黒』は暗黒の球体を周囲に解き放った。
「終焉の惑星」
莫大なエネルギーを抱えた暗黒の球体が『黒』を中心に爆発的スピードで広がった。周囲にいた兵士、建物、その全てが恐ろしいほどの電力を持った電子レンジに入れられたかのように一瞬で蒸発し、黒いシミとなっていく。
オーバーカラムだけではなく、関西シェルターは後数秒で灰になってしまうだろう。氷上の未来予測は、彼女達の死を明確に告げていた。




