バクテロジカル・スノウ
ディーラーが氷上の命運を決める最後のゲームを開始しようとした時、氷上の携帯電話が鳴った。氷上がとっさに立ち上がったため、テーブルに積み上げられていたコインが倒れ、ディーラーやテーブルの端の方に転がっていった。
「うわっとと、すまない。私だ……いや、コインが転がってね。そうそう儲かって仕方がないんだよ。ところでどうした急に。何? 本当か。それは良かった。分かった」
氷上は電話を切ると、今井を呼んだ。
「どうされました」
「いや、実は私の荷物が昇天閣の入り口に届いたらしいんだ。持ってきてくれないか」
今井は頷くとバカラの広場を出て行く。その間、会場は静寂に包まれた。ディーラーの佐々木が話しかける。
「氷上様、ゲームの方ですが」
氷上は片手を挙げてディーラーに応える。
「まあまあ、焦らないの。泣いても笑っても後1回だろう。荷物が届くまで待ってくれよ。ちょうど客もいないことだしさ」
佐々木は不思議そうな顔をしながらも確かにそうだと笑顔を作り、氷上の発言に頷いた。しばらくして、今井が封筒を持ってきた。
「氷上様。お届け物が届いております」
「そうそう、これを待ってたんだ」
氷上が封筒を開けると、中にはバカラで使われているのと同じ、豪華な作りのトランプが一箱分出てきた。昇天閣<深淵>で使用されているトランプは絢爛さを強調するため裏面を豪華なデザインで飾られており、市販されているトランプの中でももっとも高く、販売店でもガラスケースの中で宝石さながらの扱いを受けている品であった。
「それは……」
「ここで使われているトランプだ。そうだろう?」
今井は頷いたが、いつもの笑顔は出ていなかった。氷上が意図していることがわかったからだ。
「氷上様は、最後の勝負をこちらのトランプでと仰りたいのですね」
氷上は頷いた。
「今井さん、あなたはこの<深淵>ではリーダー格のようだな。私がこれをわざわざ買ってこさせた理由がわかるかい?」
今井の額には一筋の汗が見られた。口を動かそうとしたが口の中が乾燥してなかなか声が出て来なかった。やっとの思いででひとことだけ「いいえ」と発言するのが精一杯であった。
「ふふふ。ならば解説してあげよう。このバカラではイカサマが行われている」
最後の勝負を見に来ていた<深淵>のスタッフ陣に動揺が見られていた。しまった、気づかれた、というよりはイカサマなんてあったのか、という驚きのようであった。今井は額に汗しながらも作り笑いを絶やさぬよう努めていた。ディーラーの佐々木は下を向いて自分には関係ないようにトランプを切り続けていた。
「い、イカサマとは穏やかではありませんね、氷上様」
「笑顔が崩れているぞ。今井さん。ま、それは置いといて。ディーラーの佐々木くん、これを見てくれ。私の右手は何本指を出している?」
氷上は右手と左手を突き出すと、グーを出した右手の後ろで左手をチョキにして重ねた。氷上とディーラの距離は2m、まず見えない距離ではなかった。右手の指の本数なのだから答えは0である。
「何かの遊びでしょうか? 2本指を出していらっしゃいますね」
今井は正面を向いたまま観念したように目を閉じた。ギャラリーもヒソヒソとこの異常な状態について会話を交わしていた。「右手の本数って言ったよな?」「2本だろう」「左右間違えたのか?」など口々にささやき合っている。
「佐々木くん。君は極度に視力が低いのだろう」
氷上がそのセリフを言った途端、佐々木はしまったという顔をした。今井は何かに耐えるような表情をしてずっと目を閉じたままだ。
「違和感があったのは最初だ。君は最初『今日は綺麗なお客さんが多いですね』と言った。旬は過ぎていたセレブの女、中年のおっさんと冴えない社長、そして紙袋の男、どこが綺麗ぞろいなんだと思った。まあ、サービスでそう言わされているのかもしれないとも思ったので指摘しなかったんだが。次に目の動きだな。君は客の表情を全く見ない。目を向けるのは会話の時だけ。ディーラーという仕事は客の心情を常に観察するものだ。君の客への視線を配らなさはちょっと異常だ。最後にコインを拾うときの動作。ディーラー側の床に落ちたコインを君は暗くて拾えずに他のスタッフに拾ってもらっていたな。これで確信した。君は極端に目が悪い」
「お、お言葉ですが」
佐々木が反論する。
「お言葉ですが、それがどうだというのでしょうか。目が悪くとも、トランプをシャッフルすることくらいはできます。トランプは視力の弱い私でもはっきりと見えます。だからこのお仕事に私は誇りを持って……」
氷上がその言葉を遮って話す。
「だったらなぜ、イカサマなんてした! 私は君と違ってね、極端に目が良いんだよ。トランプの裏面の隅っこに表示してある点字はトランプの数字を示しているのだろうが! 周りで見ているスタッフの諸君、公正のため彼のトランプを調べてほしい。今井さんは動かないで頂きたい、いいですね」
実際はグラサンに付いている拡大機能とスロー再生機能のおかげであったがわざわざそれは昇天閣の人間に解説する必要はないだろう。氷上がイカサマ対策として持参したものである。周りで見ていたスタッフ達が集まり、佐々木からトランプを受け取ると見始める。
「本当だ……点字が付いている」
「よく見えたな、これ。触らないとまず分かりそうにないのに」
そしてスタッフの視線は今井と佐々木に集まった。ナンバー2である<深淵>スタッフ、胸に「西田」と印字した名札の男が今井に話しかけた。
「今井さんの指示ですね」
今井は観念したように頷いた。
「そうだ。……佐々木は悪くない。私が利用しただけだ」
「わかりました。おい、連れて行け」
今井は数名のスタッフに連れられ、バカラの部屋を出て行った。西田が氷上に歩み寄り深々とお辞儀をして言った。
「氷上様、大変申し訳ありませんでした。昇天閣の信用を危うくなくすところでした。つきましては先程のゲームですがノーゲームとさせていただきたく存じますがよろしいでしょうか」
「どこから?」
「氷上様がもっともプラスになられた29億のところでいかがでしょうか。そして、出来ればオーバーカラムへのチケットに変換してくださると私共としては大変助かります」
氷上は頷くと西田に言った。
「ふむ。まあ、誠意を示したというところか。しかし私も5人分のチケットを稼がなくてはいけなくてな。29億では正直21億ほど足りないのだ。私の持ってきたトランプに変えていただいて、あと一勝負やってもらえるかな」
「致し方ありません。今夜だけは我々の落ち度もありますし、例外的にそのように致します。ですが、その場合もちろん、氷上様が負けてしまうということも発生します。私共としましては、本日はこの辺りが引き際かと存じますが、いかがでしょうか」
西田は誠実な男のようだった。氷上に有利な条件を示した後、コーディーネーターとして適切なアドバイスを顧客に示した。だが氷上は頷かなかった。
「結局イカサマばかり気になってろくに楽しめていないんだ。あと一勝負したら帰るよ」
西田は頷くと後ろに下がった。ディーラーの佐々木も自粛して後ろに下がった。代わりのディーラーがブースに入ると、氷上からトランプを受け取り、箱を開いた。トランプの内容を確かめ、西田と確認する。
「確かに、うちで使用されている公式トランプのようです。何も細工はされておりません。私、中井川が佐々木に変わりましてバカラのディーラーを務めさせて頂きます」
氷上は頷くと席に座った。そして29億円分のコインを西田から受け取り、西田は56億円分の黒コインを片付けた。氷上は29億円分のコインを確認すると、それを”タイ(引き分け)”の位置に置いた。
「な……」
驚いたのは西田と中井川だけではない。昇天閣<深淵>のスタッフ全員が驚いた。西田が慌てて氷上に駆け寄る。
「氷上様、私、勝負が始まる直前にお声をかけさせていただくことはまずないのですがあえて言わせて頂きます。引き分けは確かに8倍と多くの配当を得られるところですが、負ければさすがに今回は黒いコインを出さざるを得ません。どうか考え直されていただけませんでしょうか、いえ、もちろん引き分けの可能性もなくはないです。ですがプレイヤーかバンカーに賭けられたほうが、儲かる可能性は圧倒的に高いと」
それを聞いてもなお、氷上は首を横に振った。
「いいんだ。私は”タイ(引き分け)”に賭ける。始めたまえ」
西田は氷上のあまりの自信のありようを不審に思い、ディーラーにストップをかける。そして氷上の方を見て言う。
「ちょっとお待ちください。氷上様。大変に……大変に失礼ですが、氷上様が先ほど持ってこられたカードに何か細工がされているというようなことはないとは思いますが、万が一、お客様側でのイカサマがここで確認できた場合、その時点で敗北ということになりますがよろしいでしょうか」
氷上はため息をついた。
「常人ではまず気づかないイカサマを張られて騙されそうになっていた私が直後に君等にイカサマを仕掛けると思うのか? もし君等がそう思うのであればもはや私とこのギャンブル場の信頼関係はないな。私はここでもう賭け事はしたくないし、ここで今日あったイカサマは関西中に宣伝させてもらう」
そう言って、席を立とうとする氷上。慌てて西田が制止する。
「そ、そ、そ、そういうことではありません。万が一の話です。あまりにも堂々と引き分けに賭けていらっしゃるのでつい……失礼致しました。私の只今の発言はあまりにも失礼でした。お詫び申し上げます」
西田がお辞儀すると、会場のスタッフ全員がお辞儀をした。
「はぁ、なんだか興が削がれちゃったが、これも仕事だ。続けようか。ディーラー。私は間違いなく”引き分け”に賭ける。ゲームを始めてくれ」
「かしこまりました」
中井川がカードを配り始める。氷上はもう一度やれやれというジェスチャーをしながら席についたが、その上着の中はじっとりと汗ばんでいた。
昇天閣の外では、アメリアの弾丸が最後の白い人型を壁に吹き飛ばしたところだった。柏木がアリクイの死体に駆け寄り、手で触れて確認する。
「うん、もうこの体には人型を生む力は残っていないわ」
「はぁー、やっとかよ。結局何体出てきたんだ? 俺の力ももう限界近かったかもな。なんか眠くなってきたし」
佐倉は柏木の報告を聞くと、安堵したようにその場に寝転んだ。そしてそのまま上を見上げた。関西シェルターの天井は相変わらず暗めの光しか放っておらず、夕方の遅い時間か夜明け前くらいの明るさしかない天井が見えていた。それを見ながら、佐倉が呟く。
「もっと早くにここにこれていたらなぁ……」
その様子を見て湯村が答えた。
「それ言っちゃ駄目だろ。俺達は神様じゃないんだ。割り切らないと、前に進めなくなる」
佐倉は目線を天井から離さずにそれに答える。
「わかってるさ……あれ?」
佐倉は天井から顔に落ちてきた白いつぶを見て起き上がった。
「雪、降ってるぞ」
「んな馬鹿な」
湯村も天井を見上げる。すると、やはり上から沢山の白い粉雪のようなものが降り注いてきていた。
「綺麗。どこから降っているのかな」
「Strange……コレ、変だよ。天井の上はオーバーカラム。穴が開いてても雪は降ってこないヨ」
アメリアがそう指摘すると3人は頷いた。そして3人が見ている前で、アメリアが血を吐いて倒れた。
「アメリア!」
湯村が駆け寄り、倒れたアメリアの身体を抱きかかえた。
「おい、大丈夫か、けほっ」
アメリアと同じく咳をする湯村。手を見ると、口から血が混ざった痰が出てきていた。佐倉が急に起き上がって震え始める。
「おい、なんだか寒くないか? なんかわかんねぇけど、急に身体が重くなってきやがった」
「え? 寒くはないけど。っていうか、これ雪じゃないんじゃない? 冷たくないし……」
柏木は、何かに気づいたように散らばった人型の死体に触れていく。周りにある死体はどれも少しだけ倒れた時よりも小さくなってきていた。その死体に触れた柏木は青ざめた顔をして言った。
「教えて。細胞たち。これは何? え……嘘……」
「どうした、美月? ごほっ」
湯村が咳き込み、口から少し血を吐きながら柏木に聞いた。
「双、能力はまだ使える? ここから二人を連れて逃げて。できるだけ遠くに。この雪は……」
雑居ビル、AAA関西秘密基地の中で彼らの様子をモニターで見ながら、日村は下品な笑い声をあげていた。
「くくくっ、見ろ! 我々を苦しめていた組織のエージェントが倒れていくぞ!」
同じくモニターを見ている銀髪の美少年、橘も無表情のままモニターの向こうの柏木に声をかける。
「さあ、どうする? メーカー・ジャパンの皆さん。化け物相手にはめっぽう強いみたいだけど、病気には勝てるかな」
日村が橘の方を振り返る。
「人型が随分弱く作ってあるなと思ったら、あれは足止めするための策だったのだな。さすが中央リーダー殿だ」
「いえいえ。元はといえば日村さんの作った細菌兵器の技術があったからこそできたのですよ。今度こそ、終わりにできるんじゃないですか」
モニターの向こうで、アメリアに続いて倒れる湯村のところに柏木が駆け寄っている様子が映っていた。日村が一層高い声で笑う。
「見ているか氷上! 関東ではしてやられたが、今度こそ我々の勝利だ!」
シェルターの中で雪が降り注ぐ幻想的な風景の中で、3人の高校生の命が急速に奪われようとしていた。




