コードライター
時間は湯村が若田を殴り飛ばす僅かばかり前に遡る。
小野が若田に撃たれて死亡し、悲鳴を上げる生徒たちをAAAの構成員達が威嚇射撃を行って鎮めようとしていた。
その時、湯村は心のうちに考えていた。彼らの盾となってくれた小野が死んだことで、若田の標的はこちらに移る。あの男は迷いなく俺達に銃口を向け、躊躇いなく引き金を引くだろう。そうなれば将棋で言うところの『詰み』に限りなく近い。
AAAの男達はよくトレーニングされた連中らしい。素人目だからハッキリとはわからないが、動きに無駄がなく、各出入り口には必ず人員を置いている。どんなに頑張ったところで五体満足で体育館から逃げられはしないだろう。
ふと、目の前にいる美少女とその手にある携帯電話に目がいく。対テロ組織。異常遺伝子。そして遺伝子の活性化。荒唐無稽な話だったが、先ほど見た傷の回復力は、良くできた手品にしてはやり過ぎではなかろうか。テロリストに包囲されて死ぬかどうかというときにわざわざ手品なんて見せるだろうか? あまり考えられない。ならば、自分が生き延びる唯一の方法は、あの携帯電話にあるかもしれない、と。
湯村は小野が撃たれて呆然となっている柏木の手から携帯電話を奪い、付属のイヤホンを装着した。
柏木の説明通りにアプリを起動すると、イヤホンからは聞き覚えのあるクラシックの曲が流れ始める。半信半疑の湯村であったが、その曲を30秒も聞かないうちに体に変調が訪れた。全身の細胞が発熱したかと思うほどに熱くなって来たのである。さらに聞いているうちに視界も歪み始め、最後に世界が暗転して消えた。
気がつくと、湯村は真っ暗な空間に一人で立っていた。上空に目を向けると真っ暗な視界の中に白い文字が浮かんだ。
DNA activating program ver 1.16
sequence start
DNA scan .... ready !!
human male 16 years old
yumura sou
DNA pattern :
DNA specific code ... ok
Original cord ... exist .
now you can activate your code, ready? y/n_
単語をかいつまんで読み解いて、なんとか理解する。どうやら、何かのプログラムを作動させたいようだが、最終決定には、【y/n】つまり本人がyesを選択しないといけないようだ。
「日本語化パッチねぇのかよ。まあいいけど」
湯村の脳裏に先ほどの映像がちらつく。小野は良い教師だった。いまどき珍しく生徒一人一人のことを考えられる人だった。湯村には確かに死ねない理由、死ねない過去があるが、彼女だって死んでいい理由なんてなかった。もう、彼女を救うには遅くなってしまったけれど。
「これ以上、自軍をやられるわけにはいかないよな、ゲーマーとしては」
ready ? y/n_
プログラムのカーソルが点滅していた。彼の答えを待っている。彼の答えは決まっていた。どのみちここで何かを変えなければ、待っているのはテロリストによる一方的な虐殺である。だったらせめて、一矢報いようじゃないか。
「イエス。これでいいのか」
湯村がそう答えると、無数の文字列が視界一杯に流れ、彼の体を通り抜ける。目を開けると、そこはさっきまでいた体育館で、湯村は意識が飛ぶ前と同じ格好で座っていた。
気が付くと柏木が、こちらを窺うように見つめていた。手元の腕時計に目をやる。湯村がアプリを起動してから一分も経っていないようだった。だが彼は、今までにない感覚が自分に追加されているのを感じる。
「何だ、この感覚は……」
右のこめかみの辺り、そこにある違和感に、彼は力を込めた。すると、湯村の視界右前方に20cm×25cm程度の青いウインドウがいくつか開き、そこに無数の数字が表示されては流れていく。
周囲の人間に変化はない。どうやらこの画面は彼だけが知覚できるようである。しかし湯村には、その画面が何を示しているのかすぐ理解することが出来た。そして呟く。
「能力……そうか。俺の能力だもんな」
その画面が彼に示す大量の情報からある一部分を選択すると、柏木にも聞こえないほどの声で彼は唱える。
「コード A2x001202 00325503 から 570 に対して書き込み、パラメータを十六進数で01からとりあえずFFに」
それから柏木の目を見ると湯村は、彼女に一言だけ言った。彼女には聞こえていないようであったが。
「行ってくる」
その刹那、湯村の体は柏木の目の前から消えていた。学生と教師がひしめき合う人質の中に、一陣の風が吹き、そのすぐ後、体育館内に鈍い音が響く。
若田の体は、彼が攻撃を受けたことを意識するよりも先に吹き飛ばされていた。ステージの壁に体を打ちつけるが、すぐに受け身を取ると倒れたまま警戒態勢に入る。
AAAの構成員達も何が起こったかわからなかったが、彼らのリーダーに起こった異変を確認するとすぐにフォーメーションをとりつつ集まってきた。そして、どうやら今起こった現象が、人質から離れて一人立っている金髪の学生であることを推測し、若田は問いかける。
「君はいつ、私の目の前に現れた? 君は誰だ?」
湯村は、面倒臭そうに頭を掻きながら答えた。
「人生が退屈で仕方のない、ただのゲーマーだ」
若田は記憶を振り返る。小野を殺害した後、人質と若田の距離は約20mほど離れていた。周囲5mには小野以外、部下ですら居なかったと記憶している。それにもかかわらず、人質の中から出て来た人間に、認識するよりも早く真正面から殴られたのだ。
オリンピックレベルの選手でも20mを詰めるのには2秒はかかる。圧倒的な優位であったため、油断をしていたかもしれないが、いくらなんでも走ってくる音は聞こえただろうし、いつ殴られたかもわからないのに正面から攻撃を受けるなんてありえない。
「貴様、何をしたっ!」
理解が出来ないが、若田のこれまでの経験が彼に告げる。『あれは危険である』と。その直感を信じ、間髪入れずに若田は一斉射撃の命令を下した。しかし、銃のトリガーに指をかけた瞬間、彼らの目から湯村の姿が消える。
「ぐわっ」
フォーメーションで固めており、死角がないはずの内側から攻撃を受け、テロリストの一人が吹き飛ばされる。今の今まで見えていた対象を見失っただけではなく、すぐ近くの味方が、理由のわからない何かにやられた事実に、男達は動揺を隠せなかった。
「こいつ、妙なトリックを」
フォーメーションはだんだんと形をとどめなくなってきていた。湯村の影を捕まえようとして銃を向けるが、引き金を引いた時には銃声の代わりに誰かがやられる。銃を撃ったと思えば味方を撃っていることもあった。一人、一人と金色の風に吹かれ、倒されていく。
「いいから撃て! 撃つんだ!!」
残った構成員たちは統制を失い、銃を乱射し始めた。体育館内に銃声と悲鳴が響きわたり、壁には銃痕が次々に刻まれていく。だが、そんな銃の乱射も長くは続かなかった。
何が起こっているか説明できる者は誰も居なかった。構成員達は次々と倒れ、吹き飛ばされ、折り重なっていく。体育館内にいた総勢25名のテロリストは全員沈黙し、リーダーの若田だけが一人、体育館の中央に残された。その前に静かに立つ湯村に対して、銃を構えたまま若田が言う。
「聞いたことがある。我々AAAに対抗する集団が出来つつあると。お前はまさか」
そのセリフが終わるか終わらないかのうちに、湯村の拳がリーダーの鳩尾に深々と突き刺さった。テロリストのリーダーは白目をむきながら体育館の床に倒れた。
「知らねぇよ、そんなの。ともあれ、ステージクリアっつってね」
湯村は辺りを見渡し、体育館を制圧したテロリストたちが全滅したことを確認する。その安心感からだろうか、湯村の視界に出ていたディスプレイの映像が乱れ始め、電源が落ちたように消えた。湯村自身も激しい消耗を全身に感じ、そのまま体育館の地面に背中から倒れこむ。
遠くから彼を呼ぶ声が聞こえたが、それが誰かわかる前に、彼の意識は眠りについてしまった。