アクティベート
AAAによる関東第2高校襲撃に柏木美月が居合わせたことは、単なる偶然である。対テロ組織に属していた彼女がたまたま、この学校の生徒だったのだ。
柏木の能力は自分の傷を治すことしかできなかったため、組織では末端の扱いである。湯村のことは、同じ学校にいるから顔くらいは覚えておくようにと組織が伝えておいただけであった。
「……本当のことを言うと、あなたに接触することは、組織から禁じられているの。AAAは非道なテロ行為も行うけど、筋が通った理屈も持っている。このテロリストのやっかいなところは支持者が民間に多いことなの。下手に接触して、あなたがAAAの構成員だったりしようものならアウト。でしょ?」
「なるほど。あの若田とかいう男に、あんたを突き出せばあんたは終わりというわけだ」
「そう、なるけど……でも湯村くんは違うと思う……たぶん」
そう言うと柏木はゆっくりと湯村の背中へ手を回し、湯村の右手を握ってきた。少し冷えていて、柔らかい手の感触が湯村の手に伝わる。柏木は湯村の左隣に座っていたので、自然、体は密着することになった。柏木の心臓の音が湯村の腕から伝わってくる。
「ご、ごめんね。嫌かもしれないけど。私、相手に触れれば嘘をついているのかどうかがわかるから。これも異常遺伝子の能力なのかな? 組織には内緒だから、調べなかったけど……うん、あなたはテロリストの仲間じゃない。それどころか……あ、ごめんなさいっ、もう終わったからっ」
急に我に返り、湯村に密着していた体を離した柏木は、照れを隠すかのように笑う。二人の間に妙な空気が流れたのもつかの間、体育館の扉が開き、外に行った男達が戻ってきた。
構成員の男達は若田に書類を渡し、何かの報告を行っている。若田は本を閉じると、持ってきた報告書に目を通し始めた。
「ほう、これは……原子力とは違うが……なるほど。役に立ちそうだ。とりあえずこれとこれは本部に送ろう。御苦労だった」
「はっ」
遠くてよく聞き取れなかったが、彼らの雰囲気からここでの仕事は終わったのだろうと柏木は推測する。それと同時に猛烈に嫌な予感がした。柏木は、メディアで公式発表されていない、AAAが行ったテロの終わり方を知っていたからである。
柏木は急いで湯村の拘束をナイフで外すと、自分の携帯電話を操作し、あるアプリの画面を湯村に見せる。
「……なんだよ?」
「これは、湯村くんの遺伝子を活性化させるプログラムよ。イヤホンをつけて起動すれば特定の音波が流れて、体内の遺伝子が目を覚ます仕組みになっているの」
柏木の携帯電話を覗き込んでみると、中央にカラフルなアイコンが見える。遺伝子の形状である、二重螺旋構造をモデルにしているようだった。
「へぇ。そんなもんがあるんだ。俺の遺伝子が活性化されたら……ハイスコア更新確定だな」
「お願い。真面目に聞いて、湯村くん。あまり時間がないの。あの人達の様子からすると、彼らは多分、ここで行うべきことが終わったんだと思う。で、これから行うのは、私たちの口封じ」
「奴らがこれから俺達を殺すっつーの?」
柏木は頷いた。しかし、若田という男は先ほど、”用件が済んだら人質である生徒達は解放する”と言っている。それが嘘だったというのだろうか。湯村が尋ねると柏木かさも当然という顔つきで頷いた。
「そうよ。あんなの、嘘に決まっているじゃない」
「えっとな? 仮にお前が言っていることが本当だったとしよう。だとして、俺の遺伝子を活性化することとどういう関係があるんだ」
「私の能力じゃ、このテロを鎮圧できない。でもあなたなら、なんとかできるかもしれない」
その、責任を完全に丸投げするような物言いにかちんと来た湯村は、少しきつい口調で柏木に言った。
「冗談だろ。俺の能力? ゲームのスコアを伸ばす能力が何の役に立つ? それで完全武装しているあいつらに立ち向かって、戦えって? 俺が真っ先に殺されておしまいだよ。俺は確かにテロリスト側の人間じゃないけどな。だからといって、あいつらに単身立ち向かっていく義理はねぇ」
「でもこのままじゃ、みんな殺されちゃう」
「みんな殺される? だから俺が先に死んでも変わらねぇってか。ふっざけんな! 俺は……俺だけは何がなんでも生き延びてやるからな。俺は、探さなきゃならない奴がいるんだ。そいつに会うまでは……」
湯村の言葉は最後まで終わらなかった。小野がまた若田に殴られたのである。
「静かにしていれば痛い思いをせずに済んだものを」
「黙ってなんていられるものですか。みなさん! 私は聞こえてしまったんです! この男はみなさんを殺す気です! 逃げてください! ぎゃあっ」
小野は倒れたまま若田に蹴られ、転がされる。若田の表情は眉毛ひとつ、動いていなかった。
「人は死ぬ時、大きなストレスを感じるのだという。私が彼らをこれから殺すと、彼らに伝えなかったのは、せめてそのストレスを感じる時間を短くしようという思いやりだったのですがね」
若田は静かに小野を見下ろす。それから振り返ると人質の一群を見回した。その目は澄んでおり、一片の迷いも狂気も感じられない。まるでこれから彼が、人質を手にかけるということを誰にも思わせないほどに。
ただ、小野の必死の訴えだけが、テロリストが人質を殺すという唯一の根拠だった。彼女がいなければ、恐らく生徒達は引き金を引かれるその時まで自分達の安全を確信していたに違いない。
そこで信じられないことが起こる。若田より遥かに体格も小さく、力もない小野が立ち上がり、若田に背中から体当たりしたのである。もちろん、若田は軽くよろめいた程度で、ボロボロの小野が逆にそのまま体育館の床にまた倒れただけだったが、若田が動くには十分な動機となった。
「きゃあっ」
一発の銃声が薄暗い体育館内に響いた。悲鳴はそれを見ていた生徒の声である。若田がハンドガンで小野の左腕を撃ちぬいたのだ。彼女は腕を撃たれた痛みで再び倒れると、弱々しいうめき声を上げながら床に這いつくばる。けれどしばらくすると、驚くべきことに彼女はよろけながらも再び立ち上がった。それを見た若田は言う。
「なぜ立ち上がる? 抵抗するならば、私は君を真っ先に撃たねばならない。言っただろう。無駄な血を流すのは嫌いだと」
それに対し、小野は体を奮い立たせて、よろめく足を手で支えながら若田の前に立ち、彼に言った。
「私は、教師を38年やってきた教育馬鹿です。一人一人の生徒の未来が大切な、一人のおばあさんです。私が倒れるまでに、警察や自衛隊がやってきて、あなたを捕まえるかもしれないでしょう? そうすれば、彼らは助かるかもしれない。そう考えたら、なんだか座っても……いられないじゃないですか」
「そういう生き方、悪くないと思うよ。私も、あなたに教わっていたら、こんな仕事に就かなかったかもしれないな」
若田はふらふらと立つ小野に向かって真っ直ぐに銃を向ける。
「だが、我々とて素人じゃない。自衛隊には場所をミスリードするような情報を先んじてリークしてある。未だ彼らが到着しないのもそのせいだ。あなたの尊い犠牲は、生徒のストレスにしかなってないのかもしれない」
若田は少し悲しげな表情を浮かべながら、サイトを小野の頭部に合わせた。
「さようなら、小野先生。あなたのことは忘れないよ」
また、一発の銃声が体育館内にとどろいた。生徒たちの前で、小野はゆっくりと倒れ、動かなくなる。生徒達の悲鳴が体育館内に木霊したが、AAAの男の一人が威嚇射撃をすると、すぐに静かになった。
「おい」
湯村は柏木に呼びかける。その手には、柏木の携帯が握られていた。
「え?」
「これを聞けばいいんだな」
柏木は湯村の唐突な質問に虚を突かれたようだったが、気を取り直すと湯村に向き直り、答える。
「え? ええ、そう。この専用イヤホンを耳にして画面中央にある、『アクティベート・プログラム』アイコンを押して起動するの。何かが起こるか、何も起こらないかは私にもわからないわ」
「そうか。わかった」
柏木の見ている前で、湯村はイヤホンを耳に装着した。湯村の中で心境の変化があったかどうか、柏木にはわからない。しかし、結果として湯村にプログラムを使わせることが出来たのでそれでいいと思うことにした。
湯村に何かの能力があるのか。あったとしても、それがテロリストを鎮圧できるものかどうかなんてわからない。ただこのままでは、柏木は以前と同じ経験をすることになる。それだけは避けたかった。
彼女はAAAのテロによって追い込まれたある町の生き残りであった。彼女だけが、自分の異能があったため生き残れたのである。草木の生えない氷の大地。両親と、兄の死体、そして街の人々の死体、死体、死体。体育館内に広がっていく死の予兆に、柏木は自分の生まれた町を重ねていた。
過去のトラウマを思い出してしまい、柏木が青い顔でふと顔を上げると、湯村と目があった。彼の表情からは何も伺うことはできない。プログラムは彼の何かを変えることはできたのだろうか。柏木がそんなことを思っていたその時である。
彼女の目の前で、湯村の姿が消えた。
湯村が座っていたのは、柏木の目と鼻の先であった。見失うはずもない。しかし、湯村のいた場所から、彼だけが煙のように消失し、装着されていた携帯電話とイヤホンが使用者を失ったように宙から地面にぽとりと落ちた。
「え?」
「くあっ」
柏木が声を上げたのと、若田が苦痛の叫びを上げたのはほぼ同時であった。彼女が湯村を見失ったその瞬間、二人がいた場所から20mも離れた場所で、若田は湯村に殴り吹き飛ばされていたのである。倒れた若田は何が起こったかわからない様子で、目の前の金髪の学生を見上げていた。
若田が倒れた音がして初めて、AAAの構成員達は異常に気付く。彼らは驚いたが体にはマニュアルが染み付いており、すぐに若田の近くに駆け寄ると、警戒のフォーメーションを取った。その何人かが湯村に銃を向ける。若田の表情は一見変わっていないようであったが、明らかに先ほどの冷静な目つきでは無くなっていた。
「君はいつ、私の目の前に現れた? 君は誰だ?」
金髪で目つきの悪い学生は、面倒臭そうに答える。
「人生が退屈で仕方のない、ただのゲーマーだ」