ヘラクレス
氷上は糖分が脳に浸透するのを感じていた。能力を発動していなくても燃費の悪い氷上の頭脳は、通常状態でも放っておくと低血糖になるのだった。
「……ぼぞ……」
佐倉に何事かを呟く氷上。佐倉は一瞬驚いた顔をしたが、周囲の状況を見まわして氷上に頷き返した。その瞬間、大きな風が二人を覆い、氷上と佐倉の周囲で景色が突然変化した。気が付くと、二人は大きなブルドーザーのアームの陰に移動させられていた。氷上が横を見ると、倒れている湯村の姿があった。
「無理。もう、一歩も動けねぇ」
「そうか、君が最後の力で、あの包囲網から私たちごと移動したのか」
紫色の化け物たちは、自分たちが包囲していた獲物の三人が急に消えたので、辺りに散開した。大型トレーラーや、クレーンに体当たりしながら、鼻で匂いを嗅ぎつつ、見失った獲物の行方を探していた。3mもある化け物が格納庫の中を嗅ぎまわる様子は、見る者に恐怖をわき起こらせた。氷上もいつここが見つかるかと焦りながら、小声で佐倉に問いかけた。
「それで、どうだ。佐倉君。何か体に変化のようなものはないか?」
「いや、特に変わったことはありませんが」
「私の思い過ごしだったか? いや、そんなはずは。とりあえずもう一個飴をくれ」
氷上は佐倉から飴を奪うと、口の中に放り込んだ。頭をフル回転させながら、アームの陰から紫色の獣達を観察し、どう動くかの予測を始めていたが、ふと自分の足元を見て、先ほどと景色が変わっていることに気が付いた。ブルドーザーのタイヤが5cmほど宙に浮いているのである。となりの同じ車体を見るとタイヤはしっかりと地面についていた。氷上はしゃがみこんで、ブルドーザーの機体の底を覗き込んだ。
「佐倉君、君は今そこを動くなよ」
「? はい」
佐倉は何を言っているのかわからない様子で、氷上の言うとおり、動かずにいた。氷上はブルドーザーの下を確認した。ブルドーザーは、どこにも地面に接していなかった。何かを納得したように頷くと、佐倉に話しかけた。
「よし、大丈夫だ。佐倉君、思いっきり立ち上がってみてくれるか?」
「はい? いや、ブルドーザーのアームが邪魔で」
「じゃあ、頭を保護しながらでいい。思いっきり立ち上がってくれ」
「俺の頭がブルドーザーにぶつかった音で見つかっても知りませんよ?」
佐倉は両手で頭を押さえながら立ち上がった。佐倉は178cmほどの身長があるが、ブルドーザーは、アームごと、佐倉の頭上にそのまま載っていた。
「これは……!?」
「ヌグァァァ!?」
ブルドーザーの影がなくなった3人を見つけた化け物たちが吠えながら佐倉の方へと走ってきた。
「佐倉君、おめでとう。君は覚醒した」
「なんですか、先生、ていうか俺、ブルドーザー、持ってる!? って、うわっ」
近づいてきた化け物に驚いた佐倉がブルドーザーに触れている手を化け物に向かって振ると、化け物の一群に向かってブルドーザーが飛んで行った。ブルドーザーは、おもちゃのように軽々と横向きに放り投げられて、十何匹かの化け物を巻き込み、金属でできた格納庫の壁を大きく窪ませながら大破した。
「今の、俺がやったのか」
「そうとも。それこそが君の能力だ」
「能力が馬鹿力かよ。お前らしい……な」
睡魔に襲われ体を横たえたままの湯村は佐倉に突っ込みを入れると、安心したように目を閉じた。糖分を取り戻した氷上は、湯村の能力が切れる前に、佐倉に異常遺伝子に関する説明をし、彼の遺伝子を活性化していたのだった。彼の能力は以前湯村と屋上で喧嘩したときにみた、硬質フェンスを捻じ曲げるほどの力、きっと、それが活性化されればこの逆境を跳ね返せるだろうと氷上は考えたのである。
糖分が切れるまではこの策を考えていたため、湯村に助けられた時、彼のポケットから携帯電話をくすねておいたのだが、糖分が切れてしまった氷上は危機的状況にありながらも、自分が何をするべきなのかを見失っていたのだった。
「佐倉君、次はこれなんてどうだろう」
氷上が指示したのは、リーチの大きい、巨大クレーン車だ。
「デカいっすね」
「これを振りまわせるか?」
佐倉は言われた通りクレーンの車体をつかみ、軽々と持ち上げると、横薙ぎに化け物の一団に一閃を浴びせた。化け物の集団が20体ほど壁に向けてバッティングセンターのボールのように吹きとばされ、壁に大きな紫色の染みを作った。さらに返す一振りで逆側の化け物を弾き飛ばした。佐倉の持っている車体の一部が急な方向転換の力に耐えきれず、金属疲労で千切れ、クレーンも工場の壁に激突して大破した。それでも残る3匹の紫の化け物が、佐倉に向かって突進してくる。
「よし。じゃあ、次は思いっきり殴ってみてくれ」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫だ!」
氷上が自信たっぷりに言うので佐倉は向かってきた紫の化け物を思いっきり殴った。すると、紫の化け物は頭を思いっきり窪ませ、吹き飛んだ。そのまま残る2体を巻き込んで壁にぶつかり、壁の染みとなって潰れた。
『ふん』
日村は面白くなさそうにその様子を見ていたが、やがて諦めたように後ろを向くと、壁に映っていた映像も消えた。その時、一個中隊を率いた林田と柏木が突入してきた。
「校長、無事でしたか」
「なんとかな。彼がいてくれたおかげで助かった」
「湯村くんは? あっ」
柏木は湯村を見つけると、そばに駆け寄り、体をゆすったが、湯村は微動だにしなかった。
「能力を限界まで使用した反動だろう。しばらくは起きないぞ」
「そうですか。でも無事なんですね。よかった」
「ちなみに、今回の功労者はこいつだ」
「ども」
氷上の後ろから出てきた佐倉を見て柏木は驚いた。
「佐倉君。こんにちは。えっ? じゃあ、あなたも?」
「新しい能力者だ。こいつの馬鹿力、みせてやりたかったよ」
「ちょ、ちょっと触っていいですか?」
柏木が不意に佐倉の手や顔をぺたぺたと触る。
「お、おい。なんだ?」
急に美少女から触られて慌てる佐倉。やがて、触り終わって天井の方をみながら何か考えていた柏木だったが、ため息をついて一言。
「……あなたじゃないわ」
そういって、佐倉から完全に興味を失ったように振り返ると、また倒れた湯村によりそった。
「なんだよ! 少年の心をもてあそぶんじゃねぇよ!」
「なんなんだろうな。動物的な勘?」
「さあ、若い人の考えることはわかりませんな」
そんな柏木を、林田と氷上は不思議そうに見ていた。




