テロリスト
小野は銃口を頭に突きつけられたまま体育館内を誘導され、やがて一人の男の前へと突き出される。その男は小野を見ると、丁寧すぎるほどの口調で挨拶をしてきた。
「テロリストの若田といいます。はじめまして、先生」
40代くらいだろうか、男は精悍な顔つきをしている。体育館に響くその声はひどく落ち着いているのが小野には不気味だった。彼の表情からは、これまで厳しい戦線を生き抜いてきたことが伺える。
彼だけがフェイスマスクを被っておらず、服の色もオレンジを基調とした迷彩服を着ており、他の黒ずくめの男たちとは様相が違っていた。このテロリストたちのリーダーなのかもしれない。
小野が体育館の隅の方に目を向けると、先に到着していた生徒や教師たちが見える。彼らは逃げ出さないよう、手足をガムテープで縛られているようであったが、その周りを、テロリストの男達が銃を持って哨戒していた。
「ひ、避難訓練……ではなさそうですね」
「ま、そりゃあね」
心臓の音が口から聞こえてしまうのではないかと思うほど緊張していた小野であったが、教師として生徒をいたずらに不安がらせないようにするため、気丈にふるまうよう努めた。
「先生が先ほども申されていた通り、我々はあなた方のいうところでの、テロリストです。必要があれば、あなた方の命を奪うこともためらわないつもりです」
若田という男は静かにそう話す。周りの男達も、不気味なくらい静かで、まるで空気のように立っていた。若田は一度、人質全体を見回すと、小野の方へと向き直り、彼女に質問を投げかける。
「先生はこの中でも随分とベテランでいらっしゃるようだ。あなたに聞けば分かるかもしれない。聞いてもよろしいだろうか」
「何のことです」
「我々が最近手に入れた情報によると、この学校は……地下に原子力発電施設を持っているとのことだが」
ざわ、と生徒達の間にも静かな動揺が起こる。ここ、関東第2高校に原子力発電所に関する何かがあるという話が最近ネット上で騒がれていたからだ。
学校自体が発電所だとか、学校から発電所への地下通路があるとか、嘘か本当かわからない噂話ばかりであったが、テロリストが食いつくには十分な情報であったらしい。
「どう……でしょうね。私は聞いたこともありませんが」
「素直に話して欲しい。無駄な血を見るのは好きじゃない」
地上が氷期(氷河期でも寒くなる時期)に脅かされ、日本に地下シェルターが建設されることが決まったとき、国は原子力エネルギーに頼らざるを得なくなることを予期していた。
だが、そうなれば原子力発電所は国家の生命線となる。万が一犯罪組織によって占拠されるようなことがあれば、国はどんな条件でも飲まざるを得なくなるだろう。原子力発電所が作り出すエネルギーは、このシェルターにおいて、そのまま国民の命と等価となるからだ。
そのため政府はシェルター内のどこかに、それとわからないように原子力発電所を隠すことにした。情報規制の成果もあり、これまでのところテロリストは、原子力発電所の位置を掴んでいないようである。
「我々AAAは、原子力発電所を停止するのが目的だ。放射線の恐ろしさはあなた方教師ならよくご存知だと思う。協力してもいいとは思いませんか?」
「いいえ。思いませんね」
小野は小さな背筋を伸ばし、若田の方を見てはっきりと言った。
「学校は沢山の未来ある若者たちの学び舎です。そんなところに、政府が極秘にだろうと、放射線を生むような施設を置くとは思えません。それにどういう理由であれ、生徒をこのように傷つけるような人達に協力するような倫理観を、私は持ち合わせていませ……んっ」
突然、若田が無言で立ち上がったかと思うと、小野の体をその鍛えられた足で蹴り飛ばした。小野が小さく悲鳴を上げて床に転がる。女子生徒の一部が悲鳴をあげたが、AAAの男達が銃口を向けると、すぐに静かになった。
「先生はなかなかお口がお堅いようです。もしくは本当にご存知ないか、だが。さてと。では責任者に問うとしよう。校長先生?」
ガムテープで縛られた一群を若田は振り返る。だが校長と思しき人物は名乗りを上げなかった。静寂に耐え切れなくなったのか、人質の中にいた一人の男性教師が手を挙げながらおずおずと口を開く。
「こ、校長先生は、現在、出張中で」
「そうですか……ふむ。嘘をついている様子もない、と。ではAチームの諸君、校長室に重要書類がないか捜索を頼む。案内はそこの男性教諭にお願いしようか」
「了解しました」
若田が命ずると、何人かの屈強な男達が、先ほど発言した男性教諭を人質の中から引きずり出した。
「お、おい何する。やめろ! あああ、やめてくれ命だけは……わかった、わかったから」
男性教師は複数の武装した男達に連れられて、体育館を出て行く。若田は残った人間を一人一人確認するように見つめながら、また話し始めた。
「君達には申し訳ないが、人質になってもらう。サイレンが鳴ったということは、自衛隊か警察、どちらかが必ず介入してくる。我々の目的がそれまでに達成されれば、もちろん君たちは解放しよう」
生徒達にわずかばかりの安心感が漂う。若田は少しだけ微笑むように目を細めるとまた話し始めた。
「我々はプロだからね。人質の人権も、もちろん尊重するつもりだ。私語もそれほどうるさくなければ、これより限定的に認めよう。だが、私がうるさいと感じた時には右手を挙げる。このように」
若田はゆっくりと右手を挙げてみせた。
「私は君達に警告もしない。注意もしない。右手を挙げるだけだ。それでも君達がおしゃべりを止めなければ。友人の誰かが命を失うこととなるから、気をつけてくれ」
では、とばかりに、人質のほうから視線をそらすと、若田は何かの本をポケットから取り出して、読み始めた。
冷静で頭の切れる男だな、と湯村は感じた。ああやって注意をすればいやでも私語は最低限に抑えられる。きっとこれまで、いくつもの修羅場をくぐりぬけて来たのだろうと、湯村は若田の方を見ながら考えた。
湯村がテロリストたちを興味深く観察しているところへ、思考を中断せざるを得なくなるような、妙にやわらかい感触が左腕に当たるのに気が付く。
湯村がその感触の先を見ると、見たこともない美少女が自分の腕に身体を密着させてきていた。肩まであるストレートの茶髪、こちらをまっすぐ見つめてくる澄んだ瞳、小さな唇は緊張のためか紅く色づいており、時と場所が正しくあったなら、一目ぼれしてしまう男子だっていただろう。
そんなとびきりの美少女が両手を背中に縛られたまま、体育座りをさせられて(といっても皆そうなのだが)こちらに体を預けていた。
体育館内はもちろん照明も暗く、そんな中、吐息が感じられるくらい身体を押しつけるように近付いてきた美少女に、異性に免疫がないわけではない湯村も、なにかむず痒い感情を覚えずにはいられなかった。
「ああ、悪ィ。狭くてな」
そう言って、体を離そうとしたが、彼女の方がむしろ離れようとしなかった。彼女はさらに近付くと、良く通る声で湯村の耳元に囁く。
「動かないで」
若田は先ほどと変わらず文庫本を広げており、人質の方には目もくれていない。また、湯村も人質の中の方に紛れていたため、さほど大きくない声なら会話は可能だった。
「湯村双、なんでしょ? あなた」
「なんだよいきなり」
「あなたを探してたの」
湯村はまじまじと美少女の方をみた。この子は自分のことを知っている。だが、少なくとも同じクラスにはこんな美少女はいなかったような気がしていた。
入学してから二ヶ月目になるが、教室の照明が常に暗いため、クラスメイトを全員は把握できてはいなかっただけかもしれない。あるいは他のクラスの生徒かもしれないと湯村は考えた。
「あいにくと囚われの身なんだ。告白ならこの騒動が終わってから頼む」
「……残念ながら勘違いよ。悪いけどあなたと漫才やってる場合じゃないの。これを見て」
少女は制服の袖からナイフを取り出すと、器用に自分のガムテープをほどき、携帯電話を取りだした。裕福な家庭に生まれたのだろう。少女の携帯電話は液晶画面の大きなタイプだった。
液晶画面の大きさは消費電力の大きさに繋がる。現在の電気代の高騰を考慮に入れると、きっとどこかの資産家の娘か何かなのだろうと湯村は推察する。少女が携帯電話を操作すると、画面には、湯村にとって見覚えのある写真が表示された。
写真はアーケードのゲーム画面を撮ったもので、高得点のランキング表が写っている。ランキングにはどれも「SOU」の文字が上位を占めていた。少女が携帯電話を操作すると画面上で画像が切り替わっていく。どの画像も、このところ湯村がハマっていたゲームのランキング表であり、見覚えがあった。
「……俺のゲーセンのスコアボードだな」
「そう、これはこの三ヶ月間の、貴方のゲームセンターでの戦績。これをみてどう思う?」
どう思うと言われて、湯村は軽く首をかしげる。彼には何も沸き起こる感情はなかったからだ。かつて遊んだゲーム自体に未練はあってもゲームスコア自体には未練はない。湯村は単純にゲームが好きなだけだからである。少女は話を続けた。
「このスコアは、異常なの。わかるかしら? 普通の反射神経を持つ人間が出せる得点の限界を、大きく超えているのよ」
「……あ、ども」
そこで会話が一旦止まる。少女は湯村が要領を得ていない様子だったので、さらに話を続けた。
「ええと、つまりね、私たちはシェルター内に、こういうところをいくつか作って監視をしているの。湯村くん、電力消費が限られている現代日本で、ゲームセンターなんてわざわざ消費電力の高い物をつくる必要なんてないと思わない?」
「まあ、言われてみればな。でも、遊びだって大事だと、シェルターを作った人間も思ったんじゃないのか?」
あの異常なまでに神経質な店員を見ていればあの施設がどれだけ常識外れなものかは嫌でもわかった。1ゲームのプレイ料金も、以前から比べれば信じられないくらい高いし、そのため普段から客も決して多くはない。それでもあの店が潰れないのは根強い湯村のようなゲームファンがいるからだ、と彼は信じていた。
「それは表向きの理由ね。隠しながら原子力発電所を作っている以上、発電所の量産は難しいし、使える電力にもまだ限りがある。だから、本当はそうじゃないの。本当の理由は、遺伝子異常を持つ人間を探すため」
「遺伝子……異常?」
湯村は生物の授業を思い出していた。遺伝子という人間の設計図とも言うべき小さな小さな物体が、この身体を形作っているということを。それが異常だと、人間は手がなかったり足がなかったりするそうである。一説では遺伝子には、その人の性格や能力も書き込まれているかもしれないと言われているそうだ。
「2011年の震災は知っているでしょう? あの後、放射能物質は雨や風に乗って全国にばら撒かれたわ。知ってるかもしれないけれど、放射線には遺伝子の形をかえてしまう性質があるの。あれから何年か経って、ある時を境に突然あなたのような『異常』を持つ人間が出るようになった。ごく稀にだけどね。ゲームは、それを発見するための道具なの」
「………………へえ、そう、なんだ」
美少女だけど妄想が半端ない。最近流行りの残念美少女なのだなと、湯村は聞きながら思っていた。この時までは。だが次の瞬間、湯村は思わず声をあげそうな光景を目の当たりにする。
「!!」
少女は自らの手を、先ほどガムテープを切った折り畳みナイフで貫いていた。少女はその端正な顔を苦痛にゆがめる。体育館の床に、少女の血が滴り落ちた。
「~~っ」
「バカお前、何を!」
しかし、手足をしばられている湯村は動けない。湯村が少女を止めようともがいていると、少女は自ら刺したナイフを手から引き抜いた。すると、湯村の見ている前で、傷口がみるみるふさがって消えた。床に出来た血液も、いつの間にか消えてなくなっていた。
「私も、そうなの」
先ほどの痛みで額に汗をにじませながら、少女は言った。
「私はAAAからこの国を守るためにここに来た、とある組織のエージェント、柏木美月。湯村くん、この学校を助るために力を貸して」
『関東第2高校襲撃事件』、湯村が常識から足を外へ踏み出すきっかけとなった最初の出来事であった。