因縁
2076年 5月20日(水) 久谷邸
シェルター内に広大な土地を持つ政治家、久谷柳元は、シェルターの天井まで伸びそうなほど巨大な白い壁に囲まれた敷地に屋敷を構えていた。入り口では厳重なセキュリティーチェックが行われ、海外の大手銀行より入りにくい家という評判であった。その敷地内にある屋敷の奥で、久谷は美女を侍らせて酒盛りをしていた。
「今日の街頭演説とテレビ撮影は上手くいったな。支持率も未来党から徐々に奪いつつある。わしが党首であるうちに与党になる日も近いというものよ。おい、橘! 支持率に与えた影響はいまどうなっている?」
橘と呼ばれた男は肩まである銀色の髪をたなびかせながら、手に持った書類を見つつ報告する。
「そうですねー、支持率はこのところのトーク番組と街頭演説特集で25%から30%に近付きつつあります。このままでいけば、次の選挙のときにかなりの議席数を獲得できそうです」
「よしよし、それならば文句はない。いやしかし橘、お前の手腕、なかなかのものだぞ」
久谷は機嫌良さげに、盃を持った手で橘を指さした。
「ありがとうございます。私の仕事があるのは久谷さんがいてこそですので、いつでも全力で頑張らせていただいてます」
「世の中には頑張っても結果がでないやつが大勢いるのだ。皆わしのようにはいかんからな」
上機嫌で高笑いしていた久谷は、ふと思い出したように橘に聞いた。
「そういえば、忌々しい未来党のバックアップには氷上エレクトロニクスが付いているのだったな。あそこのトップはだれだったか」
「はい。確か娘が父親の後を継いでいるという話ですが、どうかしましたか」
「氷上エレクトロニクスはこのシェルターを作った会社だ。その会社が急に業績を落としたら……どうなるだろうな」
あさっての方を見ながら、久谷は独り言のように言った。
「おそらく会社のバックアップを受けている政党の勢いが多少衰えると思いますが」
「うむ。いや、若き女社長が不幸な事故になど合わねばいいが。いや、わしは独り言をいっているだけだが、不幸と言うのは急に降ってくるものだからな、このように」
そういって、久谷が周りの女たちをなでまわす。
「きゃー、柳元ちゃんたら。おいたしちゃダメなんだから―」
「ほっほっほ、照れるでないぞ。というわけで、橘よ。よろしくな」
「はあ……」
久谷が本格的に飲みに入ったことを確認すると、橘は挨拶して廊下に下がった。廊下に出た橘は懐から落書きのしてある紙袋をとりだすと、頭に被って歩き始めた。
「ふん、あのような痴れ者が我らのトップなどと思うだけで頭が痛いわ」
橘は長い木の廊下を歩き、和風邸宅を出ると、壁際のコンクリートでできた巨大な建物へと向かった。白い外壁と一体化したそのビルは、40階ビルほどの高さがあるにも関わらず、窓はところどころにしか存在しない、閉鎖的な作りになっていた。そこが、技術開発部リーダー、日村の研究施設であった。
入り口の指紋認証を通ると、重々しく3mもあるコンクリートと鉄でできた扉が左右に開く。橘はその入り口を通り、技術開発部のロビーへと向かった。ロビーは円形のモニタールームになっており、久谷邸の外や、研究所内部に設置されたさまざまなカメラがとらえた映像が映し出されていた。
「技術部リーダーはおられるか」
声をかけると、技術開発部のスタッフの一人がすぐにやって来て答えた。
「中央リーダー殿、お疲れ様です。日村所長は、奥の生体開発室にいます」
「御苦労」
橘はモニタールームを横切り、奥のエレベーターに乗った。エレベーターの中には階を示すボタンはなく、それぞれ「毒物合成室」「爆発物開発室」などのボタンがあり、行きたい部屋を直接押す仕組みになっていた。橘が「生体開発室」というボタンを押すと、エレベーターは低いうなりを上げながら上昇し、目的の階へと橘を運んだ。
エレベーターの扉が開くと、まず先ににさまざまな獣の匂いが鼻についた。また、何の動物のものともしれぬ咆哮が、あちらこちらから聞こえていた。部屋は全体的に薄暗く、間接照明がかろうじて通路を映し出していた。その照明にしたがって進むと、両脇には出来そこないの合成動物が入れられた檻が薄暗がりに照らされて見えていた。
そこをさらに進むと鉄の扉があり、開けると学校の教室ほどの大きさの部屋があった。日村はそこでモニターをのぞいていたが、橘が扉から入ってくると顔を上げ彼の方を見た。
「またそんな紙袋被ってんのか」
橘は紙袋を取った。すると、雰囲気が変化し少年のような口調に戻った。
「ちょっとー、乗ってくださいよ日村さん」
「悪いな。いまこいつに夢中なんだ」
日村が見ているのは、4mほどある檻の中に、二本足で立つ紫色の毛むくじゃらの生き物だった。
「これは?」
「人間だよ。元、な。先日手に入れた異常遺伝子に関する論文を読んでね。人にその遺伝子を無理矢理埋め込んだらどうなるかを実験してみたんだ」
橘は日村の隣でモニター内に移る紫の生き物を覗きこんだ。
「自我は残っているんですか?」
「いや。全身の細胞が変異を遂げた結果、脳の中までかわってしまって、ほとんどゴリラみたいなもんだな」
動物園のゴリラを想像しながら、橘はモニター内をもう一度見た。
「しかし、ゴリラにしては……かわいくないですねー」
「そうかい? 私は美しいと思うがね。この紫色の体毛と溢れんばかりの全身の筋肉。兵士にしたらどれだけの能力になるのか、楽しみでしょうがない」
薄ら笑いを続ける日村に橘は尋ねる。
「制御はできるんですか?」
「脳が動物化したから逆にやりやすい。これまでの動物実験のおかげで、こちらの命令を聞かせるのは朝飯前だ」
橘は大げさに感心してみせると本題に入ることにした。
「動物化すれば制御できるってもんじゃないでしょう。さすが日村さんだ! 実は今ちょっと頼まれてほしいことがあるんですが」
「こいつを使っていいなら」
「いいですよ。日村さんの好きにしてください」
橘と日村は、氷上エレクトロニクスの社長を誘拐するため、計画を練り始めた。
「氷上って、あの氷上か?」
甲高い声で日村が言う。
「知り合いですか?」
「ああ、忘れたくても忘れられない。私がアメリカで生物科学をやっているときにやって来た生意気な子供だよ。若田が先日持ってきたこの異常遺伝子の論文も彼女の研究だ。彼女はあっという間に数々の実験プロトコルを計画すると、次々と成果を出していき、研究室から私達の居場所を奪ったんだ」
橘はそれを聞いて真摯に頷いてみせた。
「それはいい! 宿命の相手じゃないですか」
「まさにな。作戦は私に任せてくれるのだろうな」
「もちろんですとも」
日村はモニターに映る紫色の化け物を見つめながら、下品な笑いを浮かべた。




