7. 黒魔術科、演習
「…リディアって、見た目と違って行動力あるよな〜」
トキワは、感心したようにつぶやいた。自分が身につけているグレーのローブを見下ろして、指でつまんでみる。間違いなく魔術学院指定の一般教養課程のローブだ。
そんな彼を、リディアは満足げに眺めた。彼女も既にダークレッドのローブに身を包んでいる。出かける準備は万端だ。
「まさか、おれ、今日すぐにこんなことすると思わなかった」
「こういうことは、やるんなら早いほうがいいでしょ」
勢いがあるうちにやらないと、きっかけがなくなって面倒になっちゃうからね。リディアは心の中だけで付け足しながら、言葉を続ける。
「フレイが前に着てたローブがぴったりで良かったー。どこから見ても学院の生徒に見えるよ」
実際、グレーのローブを来たトキワは、普通に学院の教養課程の生徒として違和感のない姿だった。ポイントは、ゆったりした布地が体を覆い隠している点。細いがしなやかな筋肉のついた彼の体はあまり魔術師らしいとは言いがたいので、隠してしまえるのはありがたい。服の上から見ると、ただの細っこい少年魔術師見習いのように見える。
「ほんと?似合う?似合う〜?」
「うんうん。完璧!」
はしゃぐトキワに、リディアは手を叩いてあいづちを打った。
「なんで俺までこんな目に…」
盛り上がる二人を見ながら、フレイは一人ため息をついた。二人が我が物顔に振る舞っているこの部屋は、フレイの寝室である。
先ほど、ゆっくり眠っていたところ急に部屋に侵入され、昔のローブを出せと要求されたのだ。何のことやら事態を把握できないまま望みの物を差し出すと、その場で着替えが始まってしまった。
「ね、フレイもそう思うよね?」
いきなり話を振られて、返答に窮する。黙ったまま見返すと、リディアは一瞬不思議そうな表情をして、すぐに「あっ」とつぶやいた。拍子に、いつも付けている華奢な耳飾りが揺れる。
「ごめん。もしかして、まだ具合悪かった?」
すまなそうな顔でフレイの目を見上げる。黒い瞳が不安げに揺れていた。先日の討伐で術力を使いきったことを、まだ心配しているようだ。
「…いや。別に最初から具合なんて悪くないし」
少しだけ意地になって、彼は何でもないふうを装う。昨日は無理をしてしまったが今朝にはもう全快していたので、半分は本当だ。
「だけど、朝からいきなり人の部屋に入ってくるのはどうかとおも—」
「よかった、じゃあ大丈夫だね!ほら、フレイも一緒に行こ。はやく着替えて着替えて!」
今朝の突撃に抗議しようとしたフレイの言葉を遮ると、リディアは一転してにっこり笑った。有無を言わせぬ笑顔だ。
これが天然なのかわざとなのか、フレイにはいまだに判断がつかない。わかっているのは、この笑顔に逆らえたことがないということ。そして、今日一日彼らに付き合わされるのだろうということだった。
「…着替えるから、とりあえず出てってくれ」
仏頂面のフレイと、笑顔のリディア。結局いつも通りの流れで会話する二人を、トキワが笑いをこらえて見ていた。
魔術学院は、ファビウス家から徒歩で半刻ほどの位置にある。馬車を使うとあっという間の距離だ。三人は、ファビウスの紋のついた馬車で学院のエントランスの前に乗り付けた。
目立つ緑の髪をフードで覆ったトキワを、あとの二人が挟んで三人で並んで歩く。正面のエントランスから堂々と入った方がいい、と主張したのはリディアだ。学院の周りには警備兵が配置され、外からの出入りが厳しく監視されている。こっそり裏から回って見つかるくらいなら、堂々と自然に正面突破した方がいいはずと考えたのだ。
案の定、正面の警備兵は、貴族の馬車から降りた、ローブ姿の三人を学院の生徒だと思い込んだようだ。学院で顔の売れているフレイが一緒だったのも功を奏したのかもしれない。
三人は、とがめられることなく学院に潜入することに成功したのだった。一度中に入ってしまえば、あとはもうこちらの自由である。
学院のエントランス付近には、一般教養課程の生徒のための大講義室が多い。今は講義時間中のため、扉の多くが閉ざされていた。魔術学を説く教師の声が回廊まで漏れ聞こえている。
もの珍しそうにきょろきょろし、開いている扉を見つけてはのぞき込むトキワを連れ、彼らは中庭を抜けて西側の棟へ向かった。
「ここから先が、黒魔術科!…だよね?」
棟の入り口でリディアが立ち止まった。振り返って両手を広げ、トキワに向かって西側の棟を指し示してみせる。最後の確認は、フレイに対してのものだ。語尾を疑問形にして弟を見やる。実は、リディアは普段あまり黒魔術科に足を踏み入れることがない。しっかり案内できるほど建物内に詳しくなかった。
「ああ。黒魔術科の講義室や演習室は、ほとんどこの西棟にある」
リディアの視線を受けて、フレイが話を引き継いだ。話しながら、三人は建物内に入る。
重厚な扉を開けると、天井が吹き抜けになった広いホールが目の前に広がった。大きく採られた天窓のおかげか、室内はとても明るい。床には黒地に銀の植物模様が織り込まれた絨毯が敷き詰められている。その上を、魔術書や杖を手にした黒ローブの生徒たちが行き交っていた。ちらほらと、グレーのローブの少年少女も見受けられる。教養課程の生徒が上級科の見学に来ているのだろう。
トキワは建物内の豪華な作りに目を奪われて、ふらふらとホールを歩き回っていたが、しばらくすると壁にかけられたタペストリーに目を留めて指差した。
「あれ、なに?」
タペストリーには、四枚の黒い羽を持つ男性が描かれている。右手で杖を掲げ、目を閉じて瞑想している姿だ。魔術の詠唱をしているようにも見える。
「黒の神、ラズユールだ。教会の壁にも描いてあるだろう」
呆れた口調でフレイは言った。ラズユールは”叡智”と”魔力”を司る神だ。ノワディルドの国教会で定める六神のうちの一人なので、街の教会の壁画でも見ることができる。
そうだっけ?と悪びれた様子もなくつぶやいて、トキワはすぐに興味の対象を移した。信仰心が薄いのだろう。
ちなみに、フレイに対して敬語ではないのはデフォルトだ。それというのもフレイが嫌がるためで、曰く”こいつに様付けで呼ばれると馬鹿にされている気がする”というのが理由らしい。
「それで、フレイはここでどんなことしてんの?さっき通った部屋みたいな授業受けてんの?」
「ああいう講義形式の授業は、あまりとっていない。基本的に、ほとんど演習だな」
三人でホールの奥へ足を進めながら、フレイは質問に答えた。
黒魔術科は攻撃系の魔術師を育てるところだ。魔術書を教典として術式の組み立て方を学び、攻撃の際に魔力を制御し詠唱に集中するための訓練を行う。他にも、瞑想の訓練を積んで術力の自己回復力を早めたり、的確に対象を指定する状況判断力を養ったりと、魔術による攻撃のためにありとあらゆることを学ぶ。
全般的に演習形式の授業が多く、三日に一度はクラス単位で合同修練が行われていた。成績優秀者は街の依頼を受けて城壁外で討伐の演習を行うこともある。
「ああ、ちょうどあそこで今演習中だ」
フレイは、開いた扉の奥を指差した。扉の向こうには細長い廊下が続いている。廊下の突き当たりには、隣の部屋を見渡すことのできる窓があった。たどり着いた三人がのぞき込むと、そこには白い壁で囲まれた大きな室内空間が広がっており、中で数人の黒ローブの生徒が対峙していた。
「ここは、演習室。部屋全体に魔障壁がかかってるから、派手な術を使って戦ってもあまり外に迷惑がかからない」
トキワの問いかけるような視線に答えて、フレイが説明する。朝は案内に乗り気ではなかったくせに、今となっては立派な案内役だ。
なんだかんだ言って面倒見の良い弟にくすりと微笑んで、リディアは再び窓の中をのぞき込んだ。
演習室では、黒魔術科の生徒同士で戦闘演習が行われているようだ。室内の人物は四人。全員戦闘用の長い杖を手にしている。立ち位置から考えて、どうやら一対三らしい。
(いじめ…じゃないよね、さすがに)
一瞬不審に思ったが、どうやら一人の方の人物は善戦しているようだ。小刻みに動き回って、向けられた火球や氷塊を避けている。動くたびに、白に近い金色の長い髪が宙を舞った。顔はよく見えないが、攻撃を避けながらなにか詠唱しているようだ。
なんとなくその体格や髪の色に見覚えがあるような気がして、リディアは首をひねった。頭の中の記憶の棚を探って考えてみる。どこか、魔術学院よりさらに豪奢な場所であの白金色を見たことがあるはず。
自分で考えていて、答えが一つしかないことに気付く。学院より豪奢な場所?そんなところは、王都ノーヴァに一つしかない。——王宮だ。
「あそこにいるのって…ギルトラッド王子?」
どうやら、第二王子が戦っているようだった。
魔術学院潜入の話がもうちょっと続きます。