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6. 口裏合わせの報酬

 


「あれ、クライブ兄さまだけなの?」


 翌朝。朝食の席に降りると、いつもいるはずの兄弟たちの姿が見当たらなかった。席についているのは、一番上の兄だけだ。


「おはよう、リディア。アーシュとフレイなら、朝食はいらないようだよ」


 優しく微笑んでリディアの方に振り返ったのは、七歳年上の兄、クライブ・ファビウス。細面ですらりとした貴族らしい容姿をした彼は、ファビウス家の当代の当主だ。銀色の長い髪を、左肩のあたりでゆるく編んで、細い紐で結んでいる。細められた目の色は黒。ファビウス兄弟全員に共通している色だ。代々、ファビウスの血を引く人間は黒い瞳を持つことが多い。黒い瞳は、闇の精霊の加護を受けている証だと言われている。中でも特に、この兄は闇系の精霊召喚に長けていた。


「あ、ごめんなさい。おはようございます、お兄さま」


 たしなめられたわけではないが、朝のあいさつをとばしてしまったことに気付き、リディアはあわてて言った。クライブにはなんとなくきちんと接しなくてはいけないような気分になる。リディアにとっては母親がわりのような存在だったので、仕方がないかもしれない。


 話を聞いてみると、どうやらアーシュは昨日の夕方出かけたきり仕事から帰ってきていないようだし、フレイはまだ眠っているようだった。アーシュが帰宅していないと聞いて、リディアは胸をなで下ろした。まだ、家の者に昨日の口裏合わせを頼んでいないのだ。今問いつめられたら困るところだった。安堵して朝食の席に着く。


 すぐに、給仕たちがリディアの前に料理を運び始めた。卵料理や白ソーセージのスープが美味しそうな香りを漂わせている。


「アーシュに、なにか用事でもあったの?」


 にこにこと食事をとりながら、クライブが言った。彼はどんなときもたいてい笑顔だ。


「ううん、なんでもないの。ちょっと聞いてみただけ」


 兄の笑顔を見ると、なんとなく見透かされているような気分になる。我ながらぎこちない言い訳をして、リディアは目の前の食事に夢中になっているふりをした。

 実際にファビウス家の朝食はびっくりするくらい豪華で美味なため、そのうち本当に朝食に気を取られてしまった。あつあつの卵料理のふわふわした食感がたまらない。


 クライブはゆっくりと紅茶を飲みながら、そんな妹の様子を見つめていた。気持ちのいい食べっぷりに、自然に頬が緩む。リディアは、幼い頃から朝食の卵料理がなによりも好きだった。


「昨日の朝は遅くまで眠っていたようだけど、今朝は体調は大丈夫かい?」


 妹の食事の邪魔をしないように、タイミングを見計らって尋ねる。二日前に討伐から帰ってきてすぐ、リディアは倒れ込むように眠ってしまったのだ。昨日の朝はそのまま眠り続けていたため、朝食の席を共にすることが出来なかった。妹が朝食に降りてこないのは珍しい。


「ええ、今日は平気。ちゃんと朝から学院に行くよ。おととい手に入れた素材で調合してみたいの」


 食事の合間に水を口にして一息入れると、彼女は目をきらきらと輝かせて研究のことを語った。予定している調合のことが楽しみで仕方がない、といった様子だ。


「あっ、そうそう。近いうちにまた少し討伐に出かけるね。南の森に行くだけだから、その日のうちに帰ってこれると思うけど」


「へえ。今回もフレイと?」


「うーん、アシュ兄さまも一緒かも。昨日、次の討伐には誘うって約束したから」


 クライブに聞き返され、リディアは微苦笑して答えた。


 そういえば、早いうちに召使いの誰かと昨日の口裏を合わせておかなくてはいけない。思い出して、リディアは誰に頼もうかと周りを見渡した。

 室内では、何人かの召使いたちが朝食のために働いている。しかし、給仕をしているのは侍女たちばかりで、色気魔人のアーシュに問いつめられたらあっさり嘘を認めてしまいそうだ。部屋の入り口に立つ執事頭は…口裏合わせなど頼んだら、逆に叱られてしまうかもしれない。

 困ったな、と何気なく窓の外を見ると、庭を歩く一人の少年の姿が目に入った。印象的な緑色の頭がひょこひょこと揺れている。

 庭師見習いのトキワだ。


(よし、今回もあの子に頼もう)


 こっそり勝手に決意して、リディアは残りの朝食を猛然と食べ始めた。もちろん、彼女だって一応貴族の令嬢。見た目だけは優雅な動作だ。


 そんな妹を、クライブはあいかわらず微笑ましく眺めていた。それは、彼が外向けに見せる普段の作り笑顔とは違い、家族への愛情がこもった自然な表情だった。








「トキワ!」


 朝食を終えるとすぐ、リディアは庭へ向かった。思った通り、庭の隅で剪定作業をしていた少年に声をかける。


「あれ、リディア。こんなところまでどうしたの?」


 木の上で作業していた少年は、リディアの姿を認めると目を丸くした。すぐに、器用に枝から地面へと飛び降りる。身軽な動作で手をついて着地し、芝の上に立った。


「仕事、邪魔しちゃってごめんね。お願いがあって」


 リディアは、目の前の少年を見やった。トキワは、ファビウス家に仕える召使いの中で一番身近な人物だ。年齢も近く、一つ下の十五歳。敬語を使わないのは、リディア自身がトキワにそれを許可しているからだ。

 四年ほど前、奴隷市場で売られていた緑の髪の幼い少年。それを買い取ったのは、当時まだ十二歳のリディアだった。それ以来、トキワはまるで姉のようにリディアを慕っている。本物の弟のフレイよりよほど弟らしい存在だった。


「別にぜんぜんだいじょーぶ。気にしないで。お願いってなに?」


 彼はくりくりとした丸い目をこちらへ向けた。首を小さく傾げる。緑の髪はもつれてあちこちにはねていた。


「えーと、トキワ、昨日の夕方って出かけたりしてた?」


「昨日?うーん、昨日の午後はずっと番小屋にいたけど」


「ベイゼルさんと一緒に?」


 ベイゼルというのは、ファビウス家の庭師だ。トキワとともに庭の番小屋に詰めていることが多い。


「ううん、昨日は親方が午後休みの日だったから、おれ一人。なんでそんなこと聞くの?

 ……あ〜、わかった!また”アリバイ工作”でしょ」


 トキワは、してやったりという顔で ありばいこうさく と発音した。前にリディアが教えたのを覚えていたのだ。変なところで記憶力のいい子だ。


「大正解。お願い、トキワ。昨日の夕方、私と一緒にフリッカの酒場に行ったことにしておいてくれない?」


 少年と言えども、トキワはこう見えて下層区にめっぽう詳しい。知り合いも多く、顔が利くのだ。彼と一緒だったと言えば、アーシュも納得するだろう。


「ん〜、いいけど。リディアの頼みだし。でもなー、たまにはなんかご褒美くれない?」


 言いながら、少年はリディアの顔をのぞき込んだ。出会った頃は小さかったのに、最近いつの間にかリディアより身長が高くなってしまったようだ。斜め上からのぞき込まれると、姉がわりとしては少し寂しい。


「何が欲しいの?」


 少しだけむくれながら、リディアは聞き返した。


「おれね…」


 言いかけて、トキワは一瞬口ごもった。やっぱどうしようかな、などともごもご言っている。言いにくいことなのだろうか。

 しかし、彼は意を決したように口を開いた。


「おれね、魔術学院に行ってみたいな。リディアたちが普段いるとこ、どんなふうなのか見てみたい」


 ね、ダメ?といつになく真面目な顔でトキワは頼み込んだ。彼は、多少の魔力はあるものの、魔術学院に入学できるほど魔術を使いこなすことはできない。

 リディアは目を見開いて聞き返した。


「それ、ご褒美になってるの?」


「うん、おれ、ずっとリディアたちと一緒にあそこに入ってみたかったんだ〜」


 おどけたように笑って、彼は言った。しかしその目は真剣で、これが冗談ではないことを伝えている。


(トキワも、魔術師にあこがれたりするのかな)


 驚いた。考えたこともなかったが、言われてみればノワディルドでは魔術師は高い地位にある。その卵たちが集まる魔術学院に、彼が興味を持つのも不思議ではないのかもしれない。


 真剣なその雰囲気には、すげなく拒否することがためらわれる。彼の生い立ちを考えると、なおさらだ。


 リディアは悩んだ末に、やがてこくりと一つうなずいて、トキワの話を了承した。


 生徒以外の人間を魔術学院の中に入れるとなれば、変装させてもぐり込むしかないけれど。


(まあ、大丈夫でしょ)

 

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