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61. 偽りの、

 王子の先導でリディアがたどり着いたのは、舞踏会場の中央奥に位置する場所だった。床が他よりも一段高くなっていて、上るだけで会場全体が見渡せる。

 壇上には、すでに王妃が立っていた。髪を高く束ねて鮮やかな緑色のドレスを身にまとった姿は、今夜も申し分なく美しい。

 こちらを見て満足げに目を細めた彼女は、ざわめく人々に向き直った。


「さて、お集まりの皆様方。今日は皆様方にご紹介したい令嬢をお連れしたの」


 会場がしんと静まり返る。人々の視線が、一斉にこちらに向いた。ぶしつけにじろじろと眺めてくる者、期待を込めたまなざしの者、薄笑いを浮かべる者……二十人ほどの招待客たちは、さまざまな表情をみせていた。誰もが第二王妃と近しい貴族で、今までの夜会ではあまり会うことのなかった者ばかりだ。

 ぼんやりとそれを眺めながら、けれど頭の隅に何かが引っかかって、リディアは足を止める。


(どうしてここには、――がいないんだろう……)

 

 奇妙な感覚だった。誰か、いるべき人がいないような欠落感。懐かしい黒色が、脳裏をちらつく。今すぐに、探さなくてはいけない気がした。それは、少し前まで一緒だったのに、はぐれてしまった人。憎まれ口を叩きながら、それでもいつも自分を心配してくれる人。リディアにとって、とても大切な――


「どうかしたか?」


 ふいに、耳元でささやかれて鼓動がはねた。ギルトラッドだった。白い夜会服が光を反射して、きらきらとまぶしい。腕を引かれてのぞきこまれると、間近で目が合った。深い色の瞳は抗いがたいほど魅惑的で、知らず意識が吸い込まれてしまう。見つめるだけで頭がふわふわとして何もかもがどうでもよくなっていく。

――ゆっくりと数回瞬きした後には、疑問は何も残らなかった。


(変なの、私。誰を探すっていうんだろう。私の大切な人(ギルトラッド王子)は、ここにいるのに)


 不安に思うことなど、一つもあるはずがなかった。さっきまでも今も、リディアはずっとギルトラッドと共にいたのだから。彼以上に大切な人などいるわけがない。

 出せない声のかわりに、かすかに首を振って何でもないことを伝える。自分の気持ちが先程までと完全に矛盾していることに気づくことはなかった。

 

「そうか。では……私から皆に紹介しよう。彼女は、ファビウス伯爵家のリデュイエーラ。私と同じ、魔術学院の生徒だ」


 促される形になって、軽く膝を折り人々に会釈する。痛いほどの視線も、不思議ともう気にならなかった。


「知っている者も多いかもしれないが、先日、私たちは魔術学院で戦闘演習を行った。そこで、彼女は見せてくれたのだ――すばらしい、空間魔術の才能を」

「ギルから話を聞いたあと、リデュイエーラをこの離宮に招いて、実際に術を使ってみせてもらったのです。驚きましたわ。こんなに若く儚げな少女が、いとも容易く空間魔術を操るのですから」


 後を引き継いで、王妃が淀みなく語る。リディアはただ、隣でそれをぼうっと聞いていた。自分のことだというのに、全てが他人事に思われた。


「彼女は、私に夢を語ってくれました。戦場に立ち隣国との紛争を決着させたい、空間魔術を使ってこの国のためにできることをしたい、と。私、それを聞いて思わず身が打ち震えました。少女の身でありながら、その志の高さ、魔術の才能。まるで、我が国ノワディルドが誇る『導きの乙女』のようで……」


 『導きの乙女』。その一言に、会場からちらほらとざわめきが漏れる。ノワディルド建国のおとぎ話を知らない者はいない。国が危機に瀕したとき、空から現れた一人の少女。空間魔術で敵を退け、ノワディルドを勝利へと導いた彼女は、民衆に祝福され、後に初代の王の妃となったという――。


「この離宮には、初代から伝わるかの聖女の肖像画がありますが……不思議なことに、リデュイエーラは彼女とよく似ているのです。これも、神々の思し召しかもしれませんわね」


 ほう、と軽く息を吐いて王妃はギルドラッドへ目配せする。うなずいた王子がリディアの腰へ手を回したので、自然、二人は寄り添って立つ格好になった。


「今日皆に集まってもらったのは、他でもない、私と彼女の婚約を披露するためだ。リデュイエーラは、私の妃の一人として、ともに歩むことを決意してくれた。今日この場で、我々は婚約の誓いを交わそう」


 今度こそ、会場が大きくどよめいた。息をのむ招待客たちの前で、王子はおもむろに指輪を掲げる。魔法灯の光を受けて、ちりばめられた宝石がきらりと光った。


(婚約……そっか、私は今日、そのためにこの離宮に来たんだ……)


 なぜ、どんな経緯で婚約に至ったのかは、よくわからなかった。記憶があやふやで、考えようとするとひどく気持ちが悪い。けれどそれすらどうでもいいと思った。――王子の言葉は、絶対だ。

 気がついたときには、指輪を手にしたギルトラッドが驚くほど真剣な表情でこちらを見ていた。一段と意識が痺れて、深い色の瞳に捕われたような錯覚に陥る。


「お前は今この時から私に忠誠を誓う。この指輪はその証。異存ないな、リディア?」


 問いかけられて、異存などあるはずもない。ゆっくりとうなずき、望まれるままに左手を差し出した。

 細い指輪が、リディアの薬指に通されていく――。爪先から節をくぐって、指の付け根へ向かって。肌に触れた指輪の冷たさのせいか、それとも期待と歓喜のせいか。背筋がぞわりと総毛立つ。


 その儀式(指輪の下賜)は、時間にしてほんの数瞬のものだった。もしもあとひと呼吸分早ければ、指輪はリディアの薬指にしっかりと納まっていたことだろう。王子との婚約と、忠誠の証として。

 だが、そうなる前に足元の床がぐらりと揺れた。

 

 ギルトラッドが何かに気付いたように、はっと顔を上げる。間髪入れず、どおん、という鈍い爆発音が会場に響いた。衝撃でシャンデリアの明かりがぐらつき、テーブルから皿やグラスが落ちる。ぽかんと壇上を見ていた人々はたまらず体制を崩して騒ぎ始めた。


(なに……?)


 夢見心地から気がそれて、リディアは一歩後ずさった。同時に、指半ばまではめられかけていた指輪がするりと抜ける。

 爆発音は、一度では止まなかった。断続的に何度も響きながら、だんだん近づいてくる。揺れと騒音のひどさから、ただごとでないことがすぐにわかった。


「何事です?」

「申し訳ありません、ですが、部屋の外の警備兵から連絡が途絶えていまして……」


 王妃に詰め寄られて、側付きの侍従がしどろもどろに答えている。リディアの腕をつかんだままのギルトラッドの指に、きりきりと力が入った。


「母上!この術の気配――もう、気付いているのでしょう?」


 切羽詰まった声に何かを感じ取ったのか、王妃は目を見開いた。


「そんなはずはないわ。まさか、あの坊やの仕業だって言うの?……けれど、確かにマノイラの毒が効いていたはず」

「ああ、だからあいつを侮ってはいけないと言ったのに」


 招待客たちをはばかってか、二人の声はさほど大きなものではなかった。もっとも、会場は悲鳴と怒号と爆発音の行き交う混乱のただ中で、たとえ大声で叫んだとしても誰も聞いていなかったかもしれない。

 ただ一人、すぐ隣に佇んでいたリディアを除いては。


「この娘のように『人形化パペティア』をかけなかったのですか!」

「冗談を言わないで。操りの術はそう簡単なものではないのよ。完成させるには時間がかかるの。それに第一、あの坊やは声が出せないのに」

「馬鹿なことを!フレイライムなら、無詠唱魔術くらい使いこなせる」


 言い争う王族親子の会話は、すぐそばにいたリディアにはよく聞こえていた。会話の半分も理解できなかったが、ただ、聞き覚えのある単語が耳に飛び込んできたので首を傾げる。


(フレイライム……?)


 それは、よく知っているはずの名前だった。舌にのせてみるとひどく懐かしい。心臓をぎゅっとわしづかみにされた気がした。黒髪の少年の姿が、まぶたの裏をちらつく。


「いいから、邪魔立てされる前に指輪をはめてしまいなさいっ!とにかく操りの術を完成させるのです!」


 王妃の言葉に、ギルトラッドがこちらに向き直った。強い力でリディアの手首を握り直し、もう一度薬指に指輪を近づける。この混乱の中で、婚約の儀を再開しようというのだ。


 王子との婚約。それは先ほどまでのリディアにとっては、とても喜ばしいことだった。ギルトラッド(大切な人)の手から誓いの指輪を受け取ることは、何よりも嬉しいことのはずだった。

 

 けれど、今は違った。感じたのは、ただ――強烈な違和感。


(この手は、違う)


 そう思った瞬間、目の前が、ぱん、と真っ白になった。耳の奥で硝子が砕け散るような轟音が響いて、霞がかっていた思考が目覚める。まるで、リディアを囲っていた檻が崩れたかのように。


(なぜ、忘れていたんだろう。ううん……私が、フレイを忘れるなんてありえない)


 フレイライム・ファビウス。リディアと共にこの離宮へ来た黒魔術師。無愛想で、ぶっきらぼうで、けれど誰よりも優しい少年。幼い頃から共に育った、大切な、大切な、異母弟。忘れるわけがない。


(これは――偽り)


 はっきりと自覚して、顔を上げる。

 もはや、ギルトラッドのことなど、一瞬たりとも大切な人だとは思えなかった。


大変お待たせいたしました。今回は難産でした……。

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