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60. 悪夢と現実

 リディアが前世の夢を見ていたのとちょうど同時刻。フレイもまた、夢の世界にいた。子供の頃の記憶をたどる夢だ。


 

 ファビウス家の庭の一角、大樹の影になって日の当たらないいばら・・・の茂み。幼いフレイは、その灰色の茂みに隠れて、座り込んでいた。むき出しの腕には浅くはない傷がいくつも走っており、ところどころは火傷になって腫れ上がっている。魔術の訓練中に失敗したのだ。


 庭は静かで、虫の声さえ聞こえない。呼吸音だけが茂みの中に響いて、まるで世界に取り残されたようだった。その間にも、傷からはじわりじわりと血がにじみ続け、肌を濡らしてく。


 ――これくらい、なんてことない。


 自分に言い聞かせて、痛みをやり過ごした。この程度の傷なら我慢していればいつか自然と塞がると、旅芸人の母親と暮らしていたときに学んでいた。


 痛みなどより、術を失敗してしまったことのほうがずっとつらかった。

 物心ついたときから、フレイには魔術しかなかった。高い魔力を持つことだけがフレイの価値なのだと教えられてきた。――すなわち、術が使えなければ、他には何も残らないのだ。

 いばらの茂みの中で、己の膝を抱いて唇を噛み締める。静けさが、ひどく重く感じられた。


「……フレイ?」


 と、遠くからかすかに呼ぶ声が聞こえた。ぴくり、と肩がはねる。小さな声だったのに、フレイの耳は全力でその音を拾っていた。


「ねえ、どこにいるの?」


 だんだんと近づいてくるその声は、この屋敷で共に暮らす少女のもの。どうしたらいいのかわからず、戸惑いで体が強ばった。そのうちに、声は通り過ぎていく。しばらくすると物音が途絶え、灰色の茂みの中にもとの静けさが戻ってきた。沈黙が、耳に痛い。


 ――行ってしまった。


 見つからずに済んで、ほっとしたのか苦しいのかよくわからなかった。膝の間に突っ伏すと、傷の痛みが再び押し寄せてくる。自分はひとりなのだと痛感して、長いため息が口から漏れた。


 けれど、そのとき。すぐそばでいばらの枝が揺れる音がした。


「やっと見つけた」


 いなくなったはずの少女が、茂みの端からひょいと顔を出してこちらを見つめていた。あちこち調べてまわったのか、やわらかそうな髪がはねてもつれている。

 目が合った瞬間、光が射し込んで、色のなかった世界が一気にいろどられたような気がした。灰色だったいばらの茂みさえ、あざやかな緑に変わる。


「リディア……」

「フレイのばか。探した」


 いきなりいなくなるんだもん、と少しだけ口をとがらせて、リディアは刺だらけの茂みの中に入ってきた。いばらに引っかかって、白い腕や頬に赤い色がにじんでも、おかまいなしに進んで、すぐそばに座る。すねたみたいな表情だったけれど、その目元は柔らかく和んでいた。


「俺を……探しに、こんなところに?」

「そうだよ。当たり前じゃない」

「なんで」


 フレイは思わず、本当に馬鹿みたいに聞き返していた。


「だって、俺は、あんな術もできなかったのに」


 理解できなかった。なぜ、リディアが自分を探していたのか。たった一つの価値である、魔術さえ失敗してしまうような自分などを。――いらないはずの人間を探す理由なんて、どこにあるだろう。


 こちらの胸の内をわかっているのかいないのか、リディアはきょとんと首をかしげた。そして、こともなげに笑う。


「そんなの、関係ないよ。私はフレイと一緒にいたい」


 気がついたときには、息苦しさも傷の痛みもすべて忘れて、その笑顔に魅入られていた。それは多分、フレイが一番欲しかった答えだったから。


「行こう?」


 伸ばされた小さな手を、素直に掴んだ。リディアの手は温かかった。二人でいばらの茂みを抜けた途端、視界が開けて春の庭の息吹が感じられる。まぶしさに瞬くと、目から雫がこぼれて頬を伝った。そのときになってやっと、自分はさびしかったのだと気がついた。

 リディアはただ、黙って手を握っていてくれた。幼い顔に不釣り合いの、大人びた表情をよく覚えている。フレイはそのとき、いつかは自分がこの手を引けるようになろうと、そう誓った。



――だが。変化は唐突に訪れた。つないでいたはずの手が、するりと抜ける。ひとつ瞬きをする間に、目の前の少女の姿はぐにゃりと歪んでいた。飴細工のようによじれた体が、何かに引っ張られてちぎれていく。


「リディア!?」


 必死に伸ばした指は届かず、空をかいた。先ほどまでこちらに暖かい笑顔を向けていた少女は跡形もなく消え失せ、春の庭が遠ざかる。一切の音が静まり、後に残ったのは灰色と黒ばかりの世界。――悪夢だった。



◇◇




 フレイは飛び起きた。額に汗がにじんで、心臓がどくどくと鳴っている。呼吸を落ち着けて周りを見渡せるようになるまで、しばらくかかった。


 どうやら、地下牢かなにかのようだった。薄暗い、殺風景な部屋だ。鉄格子のはまった窓と頑丈そうな金属製の扉の他は何もない。窓の向こうから魔法灯と思われる橙色の明かりが漏れていて、それだけが唯一の光源だった。

 フレイ自身はと言えば、後ろ手を縄で縛られ、冷たい石壁に背を預けていた。喉には妙な違和感があって、試してみると、声を出すことができなかった。ふつう、魔術の行使には詠唱――つまり声に出して呪文を読み上げることが必要になる。これではしばらく普段のように詠唱をすることができない。


(さっきの、毒の効果か……)


 意識を失う前の出来事が頭の中に蘇った。侍従の持っていた箱から出てきた煙、十中八九あれは毒だったのだろう。いかにもあの忌々しい王妃のやりそうな手口だ。昏倒させるだけでなく、声まで奪って術を使わせないようにしようとする辺りに、狡猾さがうかがえる。


 王妃が狙っていたのは最初からリディアだけのようだったから、あのあと無用となったフレイだけがこの地下牢に連れてこられたのだろう。ファビウスの血筋を考慮すると無下に殺すこともできず、だからといって離宮から出すこともできず、閉じ込めたというところか。


 そこまで思い至って、フレイは、ぎり、と奥歯を噛み締めた。目を硬くつぶり、なんとか怒りをやり過ごした。冷静にならなければ、できることもできなくなる。


(リディア……どこにいる?)


 感覚を研ぎすまし、辺りの気を探ってみたが、少なくともこの牢の近くには親しんだあの気配はなかった。感じられるのは、見張りの兵のものと思われる弱い魔力だけだ。

 一、二、三……数えてみると、地下牢につけられた見張りはずいぶんと少ないようだった。声を失って詠唱のできない魔術師など警戒するに値しないと言わんばかりだ。


(見つからないなら、探しにいくだけのことだ。……今度は、俺があいつを見つける)


 壁に体重をかけながら、ゆっくりと立ち上がる。両手を縛る縄が邪魔だった。

 フレイは眉を寄せ、頭の中に炎を思い浮かべた。そうして、火の魔術を構築する術式を声に出さず・・・・・に組み立てる。ほどなく、実際に炎が現れ、後ろ手を縛っていた縄を焼き切った。――無詠唱魔術、と呼ばれるものの一つである。

 声を使わずに、己の頭の中で明確な術式を作り上げ、精霊に呼びかける。詠唱の呪文を縮める短縮詠唱よりさらに難易度の高い技で、ノワディルド国内でも扱えるのは宮廷魔術師くらいのものだろう。けれど、フレイは十六歳にしてすでにこの技を習得していた。

 

 王妃は、ファビウス家の魔術師の力量を見誤った。少なくともフレイにとっては、魔術を使うのに、声は必要不可欠なものではない。


(失えない――リディアだけは。絶対に、誰にも奪わせない)


 固く閉ざされた扉を術でこじあけ、フレイは牢の外に踏み出した。


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