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59. 捕らえる者

 寸の間、壁に刻まれた文字から目が離せず、なにもかも――自分が置かれた状況さえも忘れた。結界についてフレイが何かしゃべっていたようだったけれど、音が耳に入ってこない。言葉が耳の横を滑り抜けていく。


(なんでこんなところに、前世の言葉が……。『助けて』って、一体何から?いや、それともから?どこに『帰りたい』っていうの)


 いびつに刻まれた悲痛なメッセージをゆっくりと指でたどっていく。と、触れた先から壁の破片がぱらぱらと崩れ落ちていった。見る間に、文字が読み取れなくなってしまう。


「あ……」

「ああ、崩れたのか。この部分、相当劣化してたみたいだな。魔力は感じられないから結界とは直接関係ないみたいが――古いものだったんだろう」

「うん……」

「リディア?――どうした?」


 考えに沈んでいて、すぐには返答することができなかった。肩を揺さぶられてやっと顔を上げると、急に強い力で掴まれ、間近からのぞき込まれた。


「お前、何があったんだ。また気配が揺らいでる……!」


 瞬いたリディアの前で、みるみるうちにフレイの顔が歪み、切なそうな、苛立たしそうな、複雑な表情が生まれた。前にも見たことのある顔だった。その感情の名前は――不安。姉がいなくなりはしないかと恐れているときの顔だ。

 慌てて「ごめん」とつぶやき、リディアは肩を掴む弟の手に触れた。力の入れ過ぎで白くなってしまったその指先をそっとほどく。


「大丈夫。少し、その、気になることがあって考えこんじゃっただけ。……後できっと話すから」


 感情を映して揺れる黒い瞳を見つめながら、ゆっくりと慎重に言葉を選んだ。前世のことを打ち明けることはできなくても、もうフレイに嘘をつきたくなかった。

 その気持ちが伝わったのかもしれない。一瞬眉を寄せた弟だったが、しばしの逡巡の後、結局は「わかった」とため息をついた。


「とにかく、ここを離れるぞ。これ以上長居したら見つかるリスクが高まる。どこか結界が薄くなっているところを探そう」


 うなずくと、腕を引かれる。立ち上がった二人は、一体どこに向かうべきかと思案して周りを見渡し――しかし、次の瞬間には不穏な音を聞き取って身を硬くしていた。扉のすぐ外に複数の足音がしたのだ。それは、明確な意図を持ってこちらへと近づいて来ていた。


 身構える二人の目前で、ぎっ、と音を立てて扉が開かれる。


「ごきげんよう、お二人とも。こんなところに隠れていたのね?見つけるのにこれほど手間取るなんて予想外だったわ」


 そう言って悠然と微笑んでみせたのは、言わずと知れた第二王妃だった。背後に幾人もの衛兵と侍従を引き連れ、扉の位置に立ちふさがる。手に手に武器や道具を持った人々の影となって、回廊はもはや見えなかった。

 リディアたちは思わず逃げ場はないかと四方を見渡したが、状況は絶望的だった。もう一方の出口にもすでに兵士たちがまわりこんでいる様子だったのだ。気付かないうちに、いつのまにか完全に閉じ込められた形になっていた。


「そろそろ、追いかけっこは終わりにしましょう?」


 王妃の目は、口元と相反してまったく笑っていなかった。舐めるような視線が、二人を捕らえようと絡みつく。


「ふざけないで。私は、あなたたちの道具じゃない。こんな形で強制されても、協力する気はありません」

 

 思わず、本音が漏れ出た。屋敷への襲撃、脅迫めいた招待、その上今度は拉致監禁でもするつもりだろうか。どうあっても、こんなやり方は許せなかった。

 ――けれど、返ってきたのは見当違いの返答。


「そう。ではあなたは、我が王子より第一王子エーレンフリートの側につくことを選ぶというのね?」

「違う、そうじゃない。私はどちらの王子にもつく気なんて……」 

「一体、第一王子の何がいいと言うの。我が王子の何がいけないというの」


 リディアの言葉をさえぎり、王妃は首をかしげて見せる。まるで、言葉の通じない相手と話しているかのようだった。会話がまったく噛み合ない。――もっと早く気付くべきだったのかもしれない。はなから、彼女は話を聞く耳など持ち合わせていないのだ。


「本当に……不思議だわ。どうして、誰も彼もあんな女の子供エーレンフリートに王位を与えようとするのかしら。ただ少し我が王子より早く生まれたという、それだけの理由で。何一つ、我が王子が劣っているところなどないというのに」


 王妃の顔に張り付いていた微笑みが崩れ落ち、その下から昏い影が姿をあらわした。獲物を狙う瞳がすうっと細められ、リディアに照準が合わされる。


「どうあっても、あなたの力が必要なの。しかたがないわ――私も、こんな手を使う気はなかったのだけれど」


 王妃の指示に従って、侍従のひとりが前方へ飛び出してきた。その手の中にあるのは、小さな箱。隙間からかすかに煙が立ち上っている。

 意図の見えない行為に警戒して、姉をかばうようにフレイが前に立った。肩越しに見えるその表情は固く、唇が動き攻撃魔術を唱えはじめている。リディアもまた、防御魔術を唱えるため意識を集中させた。感覚を研ぎすまし、術を組み立てようと息を吸う。


 と、そのとき。甘ったるい香りが鼻をかすめた。侍従が持っている箱、そこから漏れ出る匂いのようだった。頭の片隅で、どこかで嗅いだことのある香りだ、と思う。――ふだん、研究室で調合に使っている数々の薬。その中に、こんな匂いのものがなかっただろうか。

 記憶をたぐって気づいた瞬間、リディアは叫んでいた。


「フレイ、だめ!吸いこんじゃいけない!」


 けれどそのときにはもう、部屋の中央で箱が開け放たれた後だった。煙がもうもうと広がり、甘ったるい香りが狭い室内に立ちこめていく。――大型の魔物ですら昏倒させると言われる、マノイラの毒花。その花弁を乾燥させ、きしめた煙だった。

 とっさに袖で口元を覆ったが、間に合わずまともに吸い込んでしまう。煙が肺に入るや否や、急激なめまいに襲われぐらぐらと世界が揺れた。まぶたの奥がちかちかと光り、激しく頭が痛む。

 揺れる視界の端で、フレイが苦しげに膝を折り床に崩れ落ちていった。支えようと伸ばした手は空を切り、間を置かず、リディア自身も立っていることができなくなる。


「絶対に従っていただくわ。あなたが協力したくないというのなら……その意思を奪ってでも、ね」

 

 間近に聞こえた王妃の声。それが最後だった。リディアもまた、体の力を失い弟の隣にくずおれる。そのまま、意識を失った。


 

 

 


◇◇








 また、前世の夢を見た。

 夢の中の彼女は、駅のホームでぼんやりと電車を待っていた。冬の朝――まだ、早い時間帯だ。周りの音を遮るようにイヤホンを耳にあてて、ただ上の空でたたずんでいる。ホームの端、人の少ない先頭車両の止まる辺りが、彼女のいつもの場所だった。


(そうだ。あの日も私は一人であそこに立っていた……)


 ふいに、強い風が吹いて顔を上げる。その年初めての雪が空を舞っていた。彼女はコートの前を合わせ、寒いな、とつぶやく。


(ああ、だめ。これ以上、見てはだめ……!)


 心の中で叫んだが、夢は止まらない。その先に起こることが良くないことだと、リディアは知っていた。


 少しでも温まろうと軽く足踏みした彼女の足が、ずるりと前に滑った。見る間に、体がバランスを崩し倒れていく。小石を踏んだわけでも、人にぶつかったわけでもない。足首を見えない何か・・に引っ張られたのだ。そのまま、不自然な姿勢でホームから転落し、彼女は冷たいレールの上にその身を投げ出す形になる。

 死に至るその瞬間まで、何が起きたのかわからなかった。否――今でもなお、わからない。


(私は、どうしてあのとき転落したんだろう)


 彼女の足首を掴んだ何か・・は、人の手によく似た感触をしていた。







◇◇







 次に目を開けたとき、リディアは夜会の会場にいた。きらびやかに着飾って、ぼんやりとたたずんでいる。見知らぬ場所だった。ただ、目の前のドレス姿の男女が踊っている姿から、夜会が行われているのだろうと推測したに過ぎない。

 まるで夢の続きを見ているように現実味がなかった。体は思うように動かせず、声を出すこともできない。頭がくらくらとして上手く考えがまとまらなかった。


(ここは……?私、なんでこんなところに……?)


 きらびやかな明かりが、目に痛かった。軽快な音楽も人々の楽しげなざわめきも、今は雑音にしか聞こえない。瞬きするのすら億劫に思いながら、のろのろと顔をめぐらせる。

 リディアの隣には、すっきりと姿勢の良い、一人の男性が立っていた。人目を引く白金の髪。鋭さのある切れ長の瞳。――ギルトラッド王子だった。


 彼の姿を目にした途端、胸が騒いだ。頭ではおかしいとわかっているのに、心は狂喜して、嬉しい、と叫んでいた。彼がこちらに手を差し伸べて微笑むと、それはさらに高まる。体のだるさは一気に吹き飛んで、心臓が高鳴った。嬉しくて仕方がない。もうそれだけで、酩酊したように何も考えられない。


 不可解な感情に支配されながら、伸ばされた手を取った。手の甲に口づけられて、不快に思うのと同時に、天にも昇りそうな気分になる。嫌だ、と思う気持ちがあるのに、どうしてか体は従順に王子に従う。


 自分の意志で考えることもできないまま、王子に手を引かれリディアは会場の中央に立った。

 




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