57. 思惑
vs第二王妃の続きから。
「ふふ、知ったふうな口を利くのね。では、坊やは王宮の事情を承知してるとでも言いたいのかしら?」
細められた瞳がこちらに向けられる。獲物を狙い定める捕食者のような視線だ。だが、それでもフレイはたじろぐことがなかった。
「全部ってわけじゃない。だけど、はっきりしてることがある。王侯貴族は、俺たち――いや、リディアを王位継承権争いの道具に使うつもりなんだろう。なんだかんだと理由をつけて誘い出したり屋敷を襲ったりしたのも全部そのためだ」
「あら、面白い。どうしてそんなふうに思うの?」
「あんたの空間魔術への執着ぶりは異常だ。なぜそんなに固執してるんだ?昔、伝説の女が使ったとかいう術だから、同じ術をリディアが使えるんじゃないかと期待している?――どう考えたっておかしいだろう。普通だったら、王族の祖先と同系統の術が使えたところで何かあるわけじゃない。それでもこだわる必要があるのはなぜか、考えればおのずと答えは出る。……なにか、利用価値があるからだ」
「それが、王位継承権争いだと?」
「違うとでも?あんたが急いでるのは、第一王子側がリディアの力に気付く前に事を終えたいからだろう?」
挑戦的に問い返したフレイに、第二王妃は唇の端をつり上げた。
「勘のいい坊やね。私、頭の良い子は好きよ。それとも、もしかしてファビウス伯の入れ知恵かしら?――でもまあ、いいでしょう」
言いながら、裾を払い優雅な仕草で椅子から立ち上がる。
「ついてきなさい。あなたたちに見せたいものがあるわ」
アビゲイルが二人を案内したのは、王妃の離宮の奥深く、いくつもの回廊を越えた先にある小部屋だった。床には複雑な幾何学文様のタイルが敷き詰められ、高い天井からは細工が凝らされた照明が吊り下がっている。だが、ただそれだけの部屋だった。他には何も家具がなく、窓すらもない。唯一、目を引くのは正面の壁にかけられた一枚の白い布。うっすらと四角い形が見て取れるところから考えると、おそらく何かの絵を覆っているものなのだろう。
「ここは……?」
訝しげに尋ねたリディアの声に、早足で歩を進めていた王妃がようやく立ち止まった。三人の背後で重たげな音を立てて扉が閉まる。
「ねえ、あなたたちはこの離宮の歴史を知っている?この建物はね、ノワディルドが建国されてすぐに建てられたものなの。王が代替わりし、王妃が変わるたびに改築を重ねて今の大きさにまでなった。この部屋は、その中心――ちょうど、最も古い時期のものよ」
「建国のとき?ということは……」
「そう、この部屋は初代の王妃――『導きの乙女』の部屋だったところよ」
見渡しても、そこは王妃の部屋というにはあまりにも質素だった。四方を塗り固めた壁は重苦しく、外の光が射し込むことのない室内からは物寂しい印象すら受ける。家具類は後代に取り払ったのだとしても、このような圧迫感のある部屋で身分ある女性が過ごしていたというのは妙だった。
(まるで、何かに閉じ込められていたような……)
ふいに寒気がして、リディアは二の腕をさすった。フレイも同じように感じたのだろう、眉を寄せて辺りを眺めている。知らず、二人は寄り添うように立ちすくんでいた。
「それで、ここを私たちに見せてどうしようと言うんですか」
「あら、伝説の聖女の部屋だというのにあなたたちはあまり興味がないようね。気にはならない?なぜ彼女が、こんなところで過ごしていたのか」
「別に、そんなこと俺たちには何の関係もないだろう」
「……そうかしら?」
王妃は含みを持った笑顔のまま、ゆっくりと振り返った。
「『導きの乙女』はノワディルドの危機に現れ、その力で我が王家の祖を救った。民の間の伝承では、神が遣わしたのだということになっているわね。――だけど不思議に思ったことはないかしら。どうしてそんなに都合良く彼女という存在が現れたのか」
「……」
「良い機会ですから教えてあげましょう。彼女はね、初代の王が呼び出したのよ。言葉どおり、召喚したの――異界からね」
言い切った瞬間、アビゲイルの瞳に不穏な光が宿ったような気がした。いい知れぬ不安に、リディアの足は一歩後ずさる。異界、という言葉が胸に刺さった。
「人間を召喚するなんて、そんなことあるわけが……」
「かつて、ノワディルドの王家には特殊な力があった。それが、次元を超えた召喚術――異なる世界から、求める人間を呼び寄せる力よ。そして実際、初代の王は危機に際してその力を使い『導きの乙女』を呼んだ。世界を越えて現れた彼女は、イム・ギイナには存在しなかった術である空間魔術を駆使し、王を助けた。これは、王族や一部の貴族の中ではよく知られた話よ。今ではおとぎ話のように扱われているけれどね」
何も言わず押し黙った姉弟に構わず、彼女は話を続ける。
「信じる信じないはあなたたちの自由よ。でも、私は真実だと思っている。『導きの乙女』はね、この部屋に幽閉されていたのよ。もとは異界の人間ですもの、聖女となり王妃となった後に元の世界に戻られてしまっては困ると考えられたのでしょう。この窓のない部屋が全てを物語っている――私には、そんなふうに思えるわ」
「……一体なぜ、私たちにそんな話を?」
室内の異様な雰囲気が重苦しい。喘ぐように絞り出した声は、ひどく弱々しいものになった。
「そうね、直接の原因は第一王子……彼の召喚儀式にあると言うべきかしら。第一王子が異界召喚にのめりこんでいるという話は、あなたたちも聞いたことがあるでしょう?」
「それが、なにか?」
彼の奇行は宮廷では有名な話だった。確か、「ありもしない異界から幻獣を呼び出そうと連日召喚儀式を行っている」といううわさだったはずだ。アーシュからも話を聞いていたし、先日夜会で少し話したときの第一王子の様子からも、魔術への執着ぶりはうかがえた。
「幻獣ではないのよ。彼が呼び出そうとしているのは――もう、おわかりよね?――『導きの乙女』なのよ。彼はね、自分に人望も才覚がないことを知っていて、その上で王たる者の資格として新たな『導きの乙女』を召喚しようとしているの。召喚さえ成功すれば、いくら弟より才覚が劣っていても、自分が王になることに反対できる者はいなくなる、と」
「それって……」
「限られた情報ですもの、あなたたちが知らなくても当然です。それに第一王子に召喚を成功させる力量があるとも思えないわ。どうせいつかあきらめて、適当な少女を連れてきてそれらしく繕う気でしょう」
ゆっくりと言葉を切って、王妃はこちらを見つめる。蛇を思わせる視線がリディアに絡み付いた。
「だからこそ、私たちはあなたに協力してほしいのよ、リデュイエーラ。あなたは、かの聖女と同じく空間魔術に高い適性を持っている。年頃も、伝承上の彼女が召喚された頃と同じ。何より……」
アビゲイルは振り向き様、奥の壁のかけられていた布を取り払った。そこに現れたのは一枚の絵。『救国の聖女・導きの乙女』と銘打たれたそれは、一人の少女が描かれた肖像画だった。
「あなたと彼女は、よく似ているでしょう?」
黒髪の、まだあどけなさの残る少女だった。この北の地では珍しいクリーム色の肌をしている。目を伏せて、無理矢理に微笑んだ表情は儚げでどこか痛々しい。言われてみれば、幼い顔立ちや華奢な体つきなど、確かにリディアと似通った点がある。
両者を見比べ、苦々しげに顔を歪めたのはフレイだった。
「あんた、何が言いたいんだ。まさか、リディアを……」
「ご明察ね、坊や。リデュイエーラは、このノワディルドで最もふさわしい人物なのよ。かの聖女の替え玉として、ね。だから絶対に第一王子陣営に取られるわけにはいかない」
ギルトラッドとの戦闘演習であなたの才能を見つけ出すことができて本当によかった――そう微笑んで、王妃はこちらへと手を伸ばす。美しく彩られた長い爪が、魔物の爪よりもなお恐ろしかった。壁際まで後ずさったリディアに向け、アビゲイルはさらに一歩の距離を詰める。
「リデュイエーラ。私はね、あなたの力とやらに期待しているの。あなた以上に適任な者はいないのよ。その力さえこちらにあれば、ギルトラッドの王位継承だって夢ではなくなる。わかってくれるわね?」
うなずけるはずがない。そう思って否定の言葉を口にしようとした瞬間、王妃はその細腕からは考えられないほどの力でリディアの腕を掴み、ささやいた。
「拒絶は許さない。我が王子のため、あなたには新たな『導きの乙女』になってもらうわ」
2013.11.11 肖像画の髪色を栗色→黒色に変更しました。




