54. 共鳴
楽隊の奏でる音楽に合わせて、色とりどりのドレスが揺れる。ホールには相変わらず熱気が満ちていた。
リディアは、再びギルトラッドと踊っていた。先ほど、何やら誤解をしたらしい彼は、勢いよくリディアの腕を引いて室内へ連れ戻したのだ。そのまま人波を抜けて、気づいたら踊る羽目になってしまっていた。表情から察するところ、助けてくれたつもりなのだろう。
国王誕生祭の時以来となる、二度目のダンス。前回の悪夢のような出来事を思い返すと不本意だが、この状態で手を振りほどいて逃げ出すわけにもいかない。何せ相手は一国の王子だ。
「君の兄は、私を視線で射殺そうとでもいうのか?」
ギルトラッドの言葉につられて、リディアは窓辺に視線を流した。妹を連れ去られた格好になったアーシュは、バルコニー前の窓にもたれてこちらの様子をうかがっていた。けだるげに腕を組むその姿は、彼の端正な容姿とあいまってまるで一枚の絵のようだ。しかし、よくよく見れば、王子の言うとおりこちらへ突き刺さる視線はかなり鋭い。
「そうですね」
話半分にうなずきながら、さらに周囲を見渡す。少し前まで人だかりに囲まれていたはずの王妃は、いつのまにかホールから姿を消していた。主催者が早々に退席するとは思えないから、少し外しているだけだろう。それでも、リディアはほっと胸をついた。正直言ってあの視線は苦手だった。
「……冗談のつもりだったんだが」
「え?」
ギルトラッドが足を止めたため、一瞬ダンスのステップも止まる。愛想笑いで首をかしげて見せると、彼は軽く息を吐いた。
「なにか、気がかりなことでも?ダンスに全然集中していない」
「あ、はあ」
この場合は、ダンスに、というより目の前のギルトラッドに集中していないと言った方が正しい。思わずうなずいてしまってから、リディアはあわてて「すみません」と首をすくめた。
「私の方は、君と話す機会を待ち遠しく思っていたんだが」
折よく、演奏の曲調がゆるやかなものに変わった。ダンスもスローテンポになり、踊りながら話すのにはちょうどいい。二人は再び型を構えて足を運び始めた。
「リディア、と呼んでも?君を知る者は皆そう呼ぶのだろう?」
「え……?あ、はい、よろこんで」
若干顔をひきつらせながらも、リディアは王子に話を合わせる。そんな態度が、緊張しているように見えたのかもしれない。ギルトラッドはこちらを安心させるようにゆっくりと微笑んでみせた。
「では、リディア。戦闘演習のことなら、もう気にする必要はない。どんな手段を使ったにせよ、君の術はすばらしかった」
「ありがとうございます。えーと……お体は、もういいんですか?」
「幸い、このとおりすっかり元気だ。体が凍り付いたときは、まるで信じられなかったが。本当に、君は末恐ろしい魔術師だな」
言葉とは裏腹に、ギルトラッドは上機嫌だった。トキワから、戦闘直後の王子の消沈ぶりを聞いていただけに、この反応は意外だった。一体どういう心境の変化だろうか、気味が悪いほど好意的だ。
「いえ、とんでもない。それに、あのときの禁術の核を作ったのは弟ですから。私は、一緒に術を唱えていただけです」
「謙遜することはない。共同詠唱は高度な技術だ。あのフレイライムに合わせてぴたりと詠唱ができる者など、そうそういるものではない。何しろ、唱えるタイミング一つずれても、使う力の量をわずかに違えるだけでもできない術だ。君たちはどうやってあれを習得したんだ?」
「え?えっとー……」
ぶっつけ本番でした、とは言えない雰囲気である。別に共同詠唱の訓練などしたことがないが、双子のように育ったせいか、フレイとリディアは妙に波長が合う。何となく相手が考えていることがわかるくらいだ。お互いに必死だったあの戦闘演習のときも、呼吸を重ねること自体はさほど難しくはなかった。が、それを言ったところでこの王子は納得しないだろう。
「ちょっとした、秘密です」
「秘密?一族以外には教えられないということか?」
「まあ、そんなところです」
ギルトラッドの手に誘導されて、リディアはくるりと身を翻す。ドレスの裾が軽く風をはらんで揺れた。ぎこちないステップで踊るその姿を、ホールに集まった貴族たちがそれとなく注目して眺めている。明日には、このダンスのこともうわさになっているに違いない。
「そういえば、君はやはり空間魔術使いだったんだな」
演習のことを思い出しているのか、ギルトラッドの目線は少し遠い。
「ずっと、気配のことでおかしいと思っていたが、演習で君の術を見てやっと納得した。障壁も重力も自在に操っていたからな。その分だと、異空間も操れるのだろう?」
「……どうでしょうか」
リディアは曖昧な笑みを浮かべた。重力・障壁・異空間は、空間魔術の主たる要素だ。
「将来は、さぞ有能な宮廷魔術師になるだろう。空間魔術使いは、需要のわりに数が少ない。特に、障壁系統の術は貴重だ。隣国との魔術戦でもおおいに役立つはず」
「はあ」
「乗り気ではない、か?」
「いえ、少し……まだ私には遠いお話のような気がして」
「そんなことはないだろう?あんな大掛かりな術を使えるくらいだ。まあ、今すぐに考えろとは言わないが」
曲が終盤に差し掛かっても、笑みを貼付けたまま二人は踊り続ける。
「君の空間魔術があれば、敵の術を簡単に防ぐことができる。もしかしたら、<導きの乙女>の再来だと言われるかもしれないぞ」
「え?ああ、さっきも王妃さまがそんなお話をされていたような……。<導きの乙女>というのは、空間魔術使いだったんですか?」
「そのとおりだ。障壁で敵の攻撃を防ぎ、転移で敵を消したという。彼女がいなければ、今のノワディルドはなかっただろうな」
「……そんな偉大な方と比べられるなんて、畏れ多過ぎます」
たまたま同じような術を使うからといって、引き合いに出されてはたまったものではない。この分だと、王子の態度が軟化したのには、あの王妃が一枚噛んでいるのだろう。また面倒なことになりそうだ。そう思って、リディアが話を打ち切ろうとしたときだった。
――唐突に、胸騒ぎがした。心の中に真っ黒な不安の雲がわき上がって、胸の内を塗りつぶす。鼓動が早鐘のように打って、呼吸が苦しい。
「どうした?」
急に色をなくしたリディアに驚いたのだろう、王子はいぶかしげに眉をひそめていた。だが、リディアには答えることはできなかった。自分でも、何が起こったのかよくわからない。今この場にリディアを傷つけるものなど一つもないはずなのに、この不安は一体なんなのだろう。
「いえ、何でもありません……」
取り繕って、そっと王子から体を離した。ギルトラッドは不審げな様子だったが、構っている余裕はない。心を遠くへ飛ばしたまま、おざなりにダンスの礼を述べて、リディアはふらふらと窓の方へ歩き始めた。向かう先にあるのは、兄アーシュの姿だった。
「リディ?」
兄もまた、リディアのただならぬ様子に気がついてあわてて駆け寄ってきた。かたかたと小さく震える肩を抱いて、バルコニーへと連れ出してくれる。外に出ると、夜の闇が身近に感じられた。慣れた気配に、少しだけ心が落ち着く。
そこまで来てから、リディアははっと目を見開いた。この胸騒ぎ、この不安の理由は、もしかしたら……。
「リディアっ、アシュさまっ」
ふいに、闇の中から呼ぶ声が聞こえた。影として警護に当たっていたはずのトキワの声だ。妙に切羽詰まっている。
「トキワか?どうした?」
アーシュが声をかけると、闇の端に少年が姿を現した。暗がりでも、その体になにか赤黒いものが飛び散っているのがわかる。
(ああ、やっぱり)
リディアはぎゅっと目をつぶった。空気にかすかに混じるこれは、血の匂い。戦いのあった証拠だ。そして、きっと、傷つけられたのはおそらく――
「大変なんだ。フレイが……フレイが、襲われた」




