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52. 王妃の誘い

 ――〈導きの乙女〉の血をひいているかどうかはともかく、王家の人間が自分たちの血筋に誇りを持っていることは確かだ。

 葡萄酒の杯を眺めながら、リディアはそんなことを思う。グラスの中でゆらゆら揺れる赤は、どこか血の色を連想させる。脈々と続く、特別な血筋……。


 王妃の夜会は、王宮の東の一角で行われていた。ホールには第二王妃に招かれた人々が集い、白く輝く照明の下で談笑し踊り合っている。さんざめく人々の声、むせ返るような香水の香り、所々から寄せられる好奇の視線。それらを一歩避けるようにしてリディアは壁にもたれかかっていた。手にしたグラスにはなみなみと葡萄酒が注がれている。


「リディ、飲み過ぎないようにね」

「まだ二、三杯だよ」


 釘を刺すアーシュに苦笑を返して、杯に軽く口をつける。これくらいは飲んだうちに入らない。

 視線を上げれば、グラスで揺れる赤色の向こう側に今夜の会の主催者である第二王妃――アビゲイルの姿が見えた。嫣然と微笑みながら招待客たちと会話を交わす彼女は、まさに王妃そのもの。否、周囲の人の輪をかしずかせる姿は、女王のようだと言ってもいいかもしれない。現国王の寵愛を得ることで手に入れた栄誉と名声が、彼女を際立った存在にしているのだ。目線を流す仕草一つとっても、鷹揚にあいづちを打つ姿をとっても、上に立つ者としての貫禄に満ちている。


 そして、そこから少し離れたところには、やはり同じように人々に囲まれている人物がいた。アビゲイルとよく似た秀麗な顔をほころばせて、如才なくふるまう第二王子。ギルトラッドだ。体調はすっかり回復したのだろう、顔色は良くその表情に硬いところはない。いつも通り体によく合った仕立ての良い夜会服を着こなして、周りの招待客たちとにこやかに会話している。


 ただ時折、ほんの一瞬ではあるが、その視線が探るようにこちらへ向けられていることにリディアは気付いていた。目が合いそうになるたび、それとなく目線をずらして逃げる。今のところは壁の花を決め込んで、相手の出方をうかがうつもりだった。――それでなくとも戦闘演習の一件はうわさになっていて、リディアは閑話好きの貴族たちから注目されているのだ。こちらから動くのはあまり得策ではない。


「さて、あちらはどう出るかな」


 すぐそばに立つアーシュも、唇の端を持ち上げて成り行きを見守っている。表には出さないが、今夜の彼は周囲にずいぶんと気を張っていた。声をかけてくる女性たちへの対応も丁寧ではあるけれどそっけないもので、片時も妹の隣から離れない。それこそ、本当にリディアの騎士のように。

 それが少しくすぐったくて、けれどもそれだけ重大な事態なのだと言われているようで、リディアは複雑な心持ちだった。


 考えてみると、王妃たちの意図はまったく読めない。ファビウス家の末の姉弟が戦闘演習で完膚なきまでに第二王子を打ち負かしたといううわさは、すでに貴族の間でおもしろおかしく広まっている。ギルトラッド側の矜持は相当傷つけられているはずだ。これまで、第一王子エーレンフリートと比べて優秀だ完璧だと祭り上げられてきた第二王子の像にリディアたちがひびを入れた形になる。

 今回のことで第一王子陣営は歓喜の声をあげ、第二王子陣営はいきり立っている。勝ち気で好戦的だと言われる第二王妃なら、ファビウス家へ報復を考えてもおかしくない事態だ。

 ――そして、ここに来て夜会への招待。何かあると思わない方がおかしい。

 だが、その「何か」がどういうたぐいのことなのか、リディアにはさっぱりわからなかった。


(ほんとは、興味ないんだけどな。別に、王宮の勢力図を考えて戦ってたわけじゃないし……あのときは、フレイたち守ることしか頭になかった)


 目を伏せて、思いを巡らす。あのとき力の限り戦ったことをリディアは後悔していない。大事な者たちをみすみす傷つけさせたりしない、そう思って術を使っていただけだ。相手が王族かどうかなんて関係なかった。もう一度同じ事態に陥れば、リディアはやっぱり戦うだろう。


(たとえ、後でこんなふうに面倒なことになるってわかっててもね)


 ざわりと人の波が揺れる。リディアは手の中の杯をくいと飲み干した。第二王妃がゆっくりとこちらへ近寄ってくるところだった。

 




「ようこそ、リデュイエーラ・ファビウス。今夜は楽しんでいただけているかしら?」


 アビゲイル・ディ・ノワディルドは美しい王妃だった。それは間違いない。緑の瞳には知的な光がにじみ、計算し尽くされた優雅な仕草が人の目を引きつける。周りから痛いほど注目されているのを感じながら、リディアはことさら丁寧に一礼した。


「お招きいただき光栄に存じます。華やかですばらしい夜会ですね。……私には、少し身に余るくらい」

「あら、身の程をよくわきまえているのね。私、謙虚な人間は嫌いではないわ」


 リディアのささやかな皮肉をにっこりと笑ってかわし、アビゲイルはアーシュに視線を向けた。


「ファビウスの兄妹は本当に仲が良いのね。そうして並んでいると、まるで恋人同士のよう。そういえば、あなたたちは薔薇の間でも二人で踊っていましたものね」

「ごきげんうるわしゅう、陛下。このような下賎な身をご記憶いただき光栄です」


 通り一遍なアーシュの対応を意に介さず、王妃は目を細めた。


「それとも、今日はこの娘の護衛についているのかしら?『魔性の騎士』は剣の腕も相当なものだと聞いているわ。さぞ心強いでしょうね。影の中にも何か潜ませているようだし……用心深いことね」


 リディアは思わず自分の影に目を落とした。確かに、今この影の中には魔獣のキラがいる。だが、並大抵の魔術師ではそんなことに気付けるものではない。アビゲイルがかつては宮廷魔術師だったという事実を改めて実感する。

 アーシュはそんなリディアをかばうようにすぐに言葉を返した。


「ご冗談を。このような席で、何に用心すると言うのですか」

「あら、アシュヴィル・ファビウス。『魔性の騎士』には似合わない表情ね。警戒しすぎなのではなくって?私は挨拶がしたかっただけよ?」


 アビゲイルは、ふふ、と口元に手を当てた。そのまま、リディアの姿を上から下まで舐めるように見つめる。どことなく蛇を思わせる粘着質な視線だった。


「自分の目で確かめてみたかったの。我が王子と戦ったという魔術師の娘をねえ」


 話が核心に触れて、周囲が息を飲むのがわかった。リディアは目の前の王妃の美しい顔をぐいとにらんだ。用意していた言葉を並べる。


「あれは、学院での戦闘演習でしたから。お互いの技を磨くための訓練試合で、別に他意はありません」

「あら、そんなことは承知しています。あなたは見事な氷の術を使ったそうねえ。ギルの炎の禁術を打ち破るほどの。私も見てみたかったわ」

「私一人でやったことではありません。弟と二人だったからできた術です。……ギルトラッド殿下の炎は、ああでもしなければ防げないほどの威力でしたから」

「二人、ね。けれど、炎を防ぐ術――『魔障壁バリアマジック』を構築したのはあなたなのでしょう?ギルから、あなたは空間魔術の使い手だと聞いているわ」


 自分でも、顔が強ばるのがわかった。また、空間魔術だ。前に薔薇の間でギルトラッドと踊ったときにも言われたのを覚えている。あのときはずいぶん悩んで色々調べたものだが、結局なぜ自分の空間魔術の適性が高いのか、正確にはわからずじまいだった。フレイの話で、もしかしたら自分に前世があることと関わりがあるのではないかと思ったが……もうそれで、考えるのはやめたのだ。気にしても仕方がないことだと悟ったのだから。

 リディアは苦労して微笑みを作った。


「それが、何か?」

「空間魔術使いは、とても貴重ですもの。もしあなたがそうなら、一度近くで見せてもらいたいと思っているのです。……知っているかしら?我が王家の偉大なる祖先――〈導きの乙女〉も、空間魔術の使い手だったそうよ」


 王妃が一歩近づく。その手はなめらかに動き、リディアの手をからめ取った。


「ですからこれは、何かの縁ではないかしら?こちらの要求を飲むなら、戦闘演習の件は不問に処してさしあげましょう」


 顔を寄せてそうささやく。予想外のことに、リディアは目を瞬かせた。リディアがもう一度王妃の招待に応え、そこで空間魔術を使ってみせれば、今回のことでファビウス家が不利益を被ることはない。アビゲイルはそう言っているのだ。一瞬の間に頭をめぐらせて、リディアはその二つのことを天秤にかけた。なぜ彼女がそんなことを言い出したのかよくわからない。けれど、


(呼ばれて術を使うくらいでこと(・・)が治まるなら、そのほうがいいのかもしれない)


 そうして、王妃の提案にうなずきかけたとき。横合いから、優しく……けれど確かな強さで腰を引かれた。引き寄せられて、背中がとん、と兄の体にぶつかる。見上げると、アーシュは目線だけでリディアに口を閉じているよう伝えていた。腰に回された手がいつもより冷たいのは、兄も緊張しているからだろうか。


「申し訳ございません、陛下。妹はどうやら疲れてしまったようです。そのお話は、また後日」

「あら、見上げた兄妹愛ですこと。けれど……逃げられるものではないこと、よく承知しておくように」


 そう言って笑うアビゲイルは、やはり蛇によく似ていた。


 

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